230「ウィルの正体」

 レンクスは否応なしに痛感させられていた。

 フェバルってのはやっぱりつくづく呪われていると。


 また悪夢が始まる。

 彼を苛み続けるのは、繰り返し突きつけられる最悪の事実。


 彼にとって相棒だったユエルは、【反逆】を使ったゆえに死なせてしまった。

 彼にとって太陽だったユナは、【反逆】を使う機会も与えられないまま死んだ。

 彼にとって希望だったユイは、【反逆】を使っても意味がなくて、目の前で死んでいく。


 やっぱり、不死と流浪を代償に無理矢理掴まされた強さだとか力なんて、ろくなものじゃねえんだ。

【反逆】は肝心なときにいつも役に立たない。心底意地の悪い能力だ。

 どうでもいいことばかりに使えておいて、一番大切なことには【反逆】できるという中途半端な希望だけ見せて、結局は及ばない絶望を叩きつける。

 どうせなら、こんな忌まわしい運命に【反逆】させてくれればよかったのにな。


『起きて。いつまで寝てるの?』


 またユイの声が聞こえる。また力及ばず目の前で死んでいくのだろう。

 うんざりだ。もう見たくない。


『起きてよ。ねえ』


 もういいんだ。疲れたんだ。このまま寝かせてくれ。


『ほんとに寝てていいの? ユウを見捨てるの?』


 ユウ……。


 彼ははっとする。


 ――そうだ。俺は何をやっているんだ。


 まだユウがいる。

 なぜ忘れていたのだろう。あまりにも悪いことばかり見ていたからか。

 あいつが必死になって頑張ってるのに、兄ちゃんだけ寝てたらいけないよな。

 本物のユイに怒られちまう。


『悪い。今起きるよ』


 レンクスは夢の中のユイに答えた。




 ***




「起きろ。おい」

「んあ……ユイ……」


 レンクスがむにゃむにゃと呟いた瞬間、彼の頭にガツンと痛みが走った。


「気持ち悪い寝ぼけ方をするんじゃない」

「うおっ!? ウィル!?」


 まさかの人物に頭が冴えたレンクスは、慌てて飛び起きて身構える。

 ウィルは心底呆れた目を彼に向けた。


「雑魚ナイトメア如きに取り憑かれるとはな。情けない奴め」

「取り憑かれていただと!?」


 言われてみれば、気を失っている間、悪夢ばかり見ていたことはまったく不自然なことだと思い至る。

 周囲は薄暗闇の世界――アルトサイドであることは間違いない。

 とすれば、自分がくたばっている間、ナイトメア……おそらくはあの大量に湧き出て来た闇の異形に何かされていたのだろうと彼は推測する。

 するとウィルが起こしてくれたことになるが、なぜ敵であるはずの自分を起こしたのかわからなかった。

 混乱する中、レンクスはそもそも目の前の男こそがユイを殺し、今回の『事態』を引き起こした元凶であるということを思い起こし、ぶち切れた。


「それよりもてめえ! よくのこのこと俺の前に面を出せたなっ! ユイにやったことを忘れたわけじゃないだろう!」


 激情に任せるまま、彼はウィルに攻撃を仕掛ける。

 並みのフェバルなら灰燼に帰するほどの怒りが乗った凄まじい一撃であるが、寝起きかつ直情の攻撃を避けられないウィルではない。

 軽くかわし背後を取りつつ、さてウィルはどう答えたものかと思案する。

 いくらユイは特に嫌いな奴であり、憎む気持ちは強かったとは言え、アルに誘導されたという事情はあるにせよ、自ら手をかけてしまったことに変わりはない。


 レンクスの後ろ蹴りが空を切る。


 だがそもそもアルをよく知らないこいつに説明し、納得させることから――ああ、面倒だ。

 レンクスは次々と攻撃を繰り出す。

 アルトサイドでなければ地形が変わるようなラッシュの応酬を繰り広げながら、ウィルは結局そのまま話すことにした。


「聞け。あれをやったのは僕だが、僕ではない」

「何を意味のわからねえことをッ!」


 光速にも等しい拳と拳が交錯する。


「それに、あの女は別に死んではいない」

「この野郎! これ以上適当なこと抜かすと――」

「――僕にはわかってしまうんだよ。鬱陶しいことにな」


 底冷えするようなウィルの目と、茶化すつもりもない真剣な顔に、レンクスの手が止まる。

 彼が手を止めたのは、以前は闇をそのまま塗り潰したようだったウィルの瞳が、今は人間らしさを持っているように見えたこともあった。


「ユイが生きている……? 本当なのか!? なあっ!?」


 一転、縋るような気持ちでウィルの胸倉を掴み、揺さぶるレンクス。

 攻撃ではなかったので、ウィルも煩わしいと思いながら黙って掴まれた。


「事実だ。ユウとの繋がりが切れた不安定な状態ではあるがな」


 実のところ、ウィル自身もユイが生きているということ以外はわからない。J.C.が助けたという事実は彼も知らない。

 けれどもユウとユイの存在や状態を感じることにかけては、彼には絶対の能力があるのだった。

 それがなければ、これまで態々二人の様子を観察したり、あれやこれやとけしかけたりはできなかっただろう。


「なぜそんなことがわかる? お前は何者なんだよ!」

「お前の知ったところではない……と言いたいところだが、今の状況になってしまってはやむを得ないか」


 ウィルはアルと分離した結果、「すっきりはした」が、代わりに黒性気を発現させる能力を失い、さらに力の大部分を失ってしまったことを実感していた。

 冷静に考えて、既に他のフェバルと隔絶する力を持たないことは認めざるを得なかった。特にフェバルでも上位である目の前のこの男には、負けるつもりはないが、余裕で勝てるかと言えば怪しいだろう。

 となれば、こいつも戦力としてカウントするしかない。非常に不本意ではあるが。

 胸倉を掴んでいたレンクスの手を振りほどいてから、ウィルは言った。


「ユウやあの女には言わないと約束しろ。あいつらには手前で思い出してもらわなければ癪だ」

「あの女じゃねえ。ユイだって言ってるだろ」

「あんな奴、あの女で十分だ」

「ウィルてめえ……」


 平行線である。ここで食い下がっていては話が進まないと判断したレンクスは、ぐっと言葉を呑み込んだ。


「わかった。約束してやるよ」


 ウィルは深い溜息を吐き、仕方なしに説明を始めた。


「僕自身のことの前に、現在の状況を教えてやる」


 まずはアルの存在とその目的を彼は述べた。アルに対抗し続けてきた『黒の旅人』という存在についても。アルが自分に潜んでおり、虎視眈々と復活のチャンスを狙っていたことと、それへのカウンターとして『黒の旅人』がユウに黒の力を仕込んでいたことも述べた。

 レンクスはウィルの言うことなど鵜呑みにするつもりはなかったが、実際に『黒の旅人』とアルの戦いを肌で感じた身としては納得するしかないものがあった。あのときのウィルは、ウィルだとしてもあまりに異質だったからだ。

 レンクスはユウを苦しめユイを亡き者にしようとする真の元凶に新たな怒りを燃やした。


「ユウのことはよくわかったぜ。実際あのやばい力が漏れそうになってるのを何度も見てたからな。でもよ。どうしてお前にもそのアルって奴が入り込んだりするんだよ? お前の能力は【干渉】だろうが」


 人格さえも構成され、保存される【神の器】だからこそユイや『黒の旅人』のような存在がユウの内に存在できるはずだとレンクスは理解していた。

 だったらウィルにはそもそも関係のない話ではないか。まだアルという奴に単純に操られていたという方が説明が付く。

 そこでウィルは告げた。ユウにも言ったその言葉を。忌々しげな表情で。



「答えは簡単だ――僕もユウだからさ」



「は……? はあ!?」



 あまりに唐突な台詞に、レンクスは驚き目が点になる。

 容姿など……いや、よく見れば結構似ているところがあるとは思っていたが。それにしたってとんでもない話だ。


「正確には、星海 ユウにとって都合の悪い記憶や力を核に【神の器】から生まれた存在――まああの女と同じようなものだな。理由は同じでも、願いはまったくの逆だが」


 どちらもユウが身を守るために生まれたというのは変わらない。

 ただ、ユイがユウを守る母親や姉のような存在――半身であり家族として生み出されたのならば、ウィルはその逆――ユウにとって不要なものばかりを集めた存在として生を受けたのだ。


「け、けどよ。お前、ユウと全然違うじゃねえか」


 今こうして言われなければ、容姿以外にユウとウィルの接点を見つけることはほとんど難しい。あまりにも違いが大きかった。


「当たり前だ。あいつにとって望ましくないものから生まれたんだぞ? 姿も性格だって違うのが当然だろう。そもそもあの女だってユウと性別すら違うじゃないか」

「確かにそうだけどよ」

「ユウの分身は一人だけではなかった。ただそれだけのことだ」


 己の出自を心から憎むウィルは、吐き捨てながら話を続ける。

 レンクスは彼の雰囲気と話す内容に圧倒にされ、固唾を飲んで聞き入る。


「だから本当のところは、僕の能力もまた【神の器】なのさ。もっとも生まれた時点ですっかり変質して【干渉】と化し、オリジナルの性質はほとんど失われてしまっているがな」


 かつて『黒の旅人』が純粋な悪感情で【神の器】を染め上げたのと同じように、ウィルの【器】も生まれた時点で指向性が固まっていた。

 すなわち、最も忌まわしい存在であるアルの模倣である。

【干渉】はアルの【神の手】のコピーであるが、【神の器】と【神の手】はほとんど同格の能力であるから、完璧にはコピーされず、大幅に劣化した【干渉】になった。

 そして、ウィル自身の持つ【神の器】のポテンシャルは【干渉】にほとんど割り当てられてしまった。ゆえに事実上、【干渉】だけが彼の能力である。


「精々が、少しならオリジナルの【神の器】に【干渉】できることと、ユウとあの女を常に感知してしまうことくらいだ。まったくもって鬱陶しい」


 本来、フェバルがフェバルの能力に直接影響を及ぼすことは難しい。

【干渉】で相手の能力を操るには、相手の精神が擦れて壊れかけであるか、フェバルとして遥かに格下であるなど、特別な条件が必要となる。

 そして【神の器】は、ユウがまったく使いこなせていないとは言え、能力としては最上格に位置する。本来なら【干渉】で弄れるはずもないのだが、同じ【神の器】同士だから【干渉】が効いたのだ。

 もっとも、どこまで弄れるか実際に試した結果、強制的に女の子に変身させるだけという何とも微妙な結果に終わってしまったわけであるが。


「じゃあお前は……。同じユウにも関わらず、あいつを散々痛めつけたり、殺そうとしたりしてたってのかよ?」

「言ったはずだ。僕はあいつが嫌いなんだ。何度でも殺してやりたいほどにな」


 もう理由はわかるだろう? と言いたげにウィルは語る。


「あいつは僕を切り離さなければ、あのとき壊れてしまっていただろう。やむを得なかったと理解はしている。一番悪いのはあいつを覆う【運命】なのだと……理解はしている」


 理解はしているが、許せるかどうかはまったく別の問題だ。

 ウィルは内に秘めた憎悪を燃やす。


「だがな。あいつの心が十分強ければ、そもそも僕は生まれる必要さえなかった。僕は生きていたくなどなかった!」


 アルが離れた影響か、今のウィルには人間らしい感情が発露していた。かつての彼なら話すことはなかっただろう。そのことに自覚がないまま、彼は目の前のユウの保護者気取りに怒りをぶつける。


「『黒の旅人』やアルの忌まわしい力を最も色濃く受け継ぎ、『黒の旅人』の『世界の破壊者』としての役目を一身に引き受けたのはこの僕だ! あの甘ったれには絶対にできないからな!」

「じゃあ、お前が前に言ってた世界を破壊していた理由ってのはマジだったのか……?」

「そうだ。必要なことだった」


 ウィルはさも演説のように語る。

 誰にも理解されることのなかった、たった独りだけの生き様を。

【運命】の影響力を低下させ続けるには、星脈の力を可能な限り削ぐ必要があった。星脈の合流地点となっている重要な拠点――許容性の特に高い星に狙いを付けて、星脈ごと破壊する活動を続けた。遥かな時間を遡ってまで。

 当然、そこに暮らすすべての生き物は皆殺しだ。事情の説明などしようがないし、したところで納得されるはずもないのだから。

 必要悪だった。

『黒の旅人』なき今、誰かがやらなければならない。【運命】の影響力を削ぐほど星脈にダメージを与えるような所業は、彼の力を継ぐユウかウィルにしかできなかった。

 ユウにはできない。できるはずがない。だからウィルがやった。

 でなければ、今に至るまでにとっくに【運命】の影響など完全に復活し、状況は詰んでいたに違いない。


「なのにだ。ユウは、あの女は、何をしていた?」

「それは……」

「あいつらは何も知らない振りをして、何ら責任を果たすこともなく、フェバルとなるその日まで、いやなってからもぬくぬくと甘やかされて過ごし続けてきた。そんな奴らのことを恨みこそすれ、好きになれると思うのか?」


 レンクスは何も言い返せなかった。

 ウィルがユウとユイを恨む理由も、その正当性も、嫌というほど理解できてしまったからだ。


「僕はユウもあの女も絶対に許しはしない。特に同じユウの分け身でありながら、僕と比にならないほど恵まれ、最もあいつを甘やかし、成長の妨げにさえなっていたあの女など」


 何度殺してやろうと思ったかわからない。

 成長を促す試練を機に徹底的に痛めつけることで、わずかでも留飲を下げていたことを彼は否定しない。

 その感情をアルにまんまと利用されたのだから、悔やむ思いもあるが。


「そう、かよ」


 レンクスは自分の声にすっかり覇気がないことを自覚する。

 認めるしかない。この件については、無自覚ながらユウが全面的な加害者なのだ。

 だからと言ってユウを責めることも、彼にはできるはずがない。

 家族を失い。親友を失い。

 完全記憶能力を持つはずの彼が、思い出したくないほどのことがあったのだろうと推察はしていた。

 それでも、ユウがもう少し成長していれば……今なら乗り越えられたかもしれない。

 子供だった彼には酷だったのだ。そのことはウィルもよく理解していて、なお許せないのだ。

 あまりにも業の深い話だと思う。

 だからレンクスは言った。


「わかった。よくわかったよ。お前たちのことはもう何も言わねえ」


 トーマスがかつてそう判断したように、彼もまた成りゆきを見守ることに決めた。


「当事者同士で納得のいくようにしてくれ。あいつだってもう大人だしな」 

「言われなくてもそのつもりだ。余計な手出しをするなら殺すぞ」

「それに今のお前なら、何となく最悪なことにはならないだろうと思うしな」

「……ちっ」


 自分が考えていたより口が滑ってしまったことを、ウィルは後悔した。

 まだ普通の感情というものに慣れていないらしい。


「人を見下してばかりのお前が、ユウの能力だけはやけに認めていた理由もよくわかったぜ」

「当然だろう。劣化コピーの僕でさえここまでできるのだから、オリジナルの【器】を持つあいつがさらに上をいくはずだと考えるのは」


 現状のユウを思い返し、ウィルは嘲笑する。


「だと言うのに、あの体たらくではな」

「そう言うなよ。あいつだって頑張ってんだぜ?」


 落胆するな、やきもきするなという方が無理だろう。


 だが――ウィルはふと思う。


 ユウはただ嫌な記憶に蓋をしたのではなく、ほとんど完全に切り離してしまったらしいことをつい最近知った。

 これまでウィルは、ユイがいるせいで、あいつが枷になって甘やかすせいでユウはろくに力を出せないのだと結論付けていた。

 実際、それもあるだろう。魔法の素質すべてを彼女に渡してしまったユウは、ほとんど常人と変わらないほどにまで身体能力を落としてしまった。

 しかし、切り離したという前提に立つならば――自分も原因であるとは言えないだろうか。

「今回」のユウは、「フェバルそのもの」を忌々しいものと見なした。

 あいつは「フェバルとして持つべき力」さえも、大部分を自分に渡してしまったのではないか。

 だから自分は極めて強力なフェバルとなり、あいつはフェバルとしては失格者の烙印を押されるほどに弱くなってしまったのではないか。

 だとするならば、あいつはこのままでは、二度と「フェバルとして」能力を使いこなせるようにはならないかもしれない。


 では――では、あれは何なのだろうか。

 今のユウが発揮するあのよくわからない心の力は、一体何なのだろうか。


 単純な強さで言えば、決して強いとは言えない。普通のフェバルの力と比べれば、塵のようなパワーだ。

 だが【運命】は、あいつの前では絶望的なほどの効力を失っているように思われた。

 何かが違う。これまでのユウとは、明らかに何かが違う。


「フェバルでありながら、フェバルのものではない」力なのか?


『黒の旅人』が言っていた、黒でも白でもない可能性。

 誰にも到達できなかった地点。


 そんなものが本当にあるというのか。


 もしそこに辿り着けるものならば。


「ふん。やれるものならやってみろ」


『破壊者』でなくなった以上、ウィルが【運命】の到来を延長してやることはできない。

 既にアルが出現するほどには、その影響力は戻ってきている。

 もはや自分が試すまでもなく、【運命】の試練があいつを襲うだろう。

 どの道見届けるしかない彼は、不機嫌な顔で期待していた。

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