229「【神の器】と【運命】の戦い 2」

「その数から一回を引いただけ……俺は負け続けてきた」

「え、ちょ、ちょっと! 待ってください!」


 いきなりそんなこと言われても! 当たり前のように続けられてもっ!


「待たない。戸惑うだろうが事実だ。お前たちは覚えていないだろうがな」


 フェバルが普通に死ねないことをトーマスに告げられたとき以来の衝撃だ。

 だからこの人は……「ユウ」は、すべてを知っているというの?

 衝撃冷めやらぬまま、彼はすらすらと続ける。無力感を漂わせながら。


「繰り返し……繰り返しなんだ。細かいイレギュラーはあるものの、おおよそ宇宙が始まってから終わるまでのすべての出来事は、決まった順番で決まったタイミングで発生する。そのようにこの宇宙はできている――【運命】は確定している」


 無知な私に言い聞かせるように。ただ一人彼だけが体験した事実を分かち合いたいかのように。


「この宇宙のすべての生物は、生まれるべくして生まれ、死ぬべくして死ぬ。自由意志などまやかしに過ぎない」

「うそ。そんなことって……!」


 突き放すように「ユウ」は続ける。


「あらゆるフェバルはなるべくしてそうなる。必ず深い業を背負い、心が擦り減って星脈に取り込まれるまで、果てしない旅をさせられる。『死んで』星脈に取り込まれれば、身動き一つできないまま、救われない意識だけが浮かぶ。そして宇宙が終わるそのときまで、延々と悪夢を見続けることになる」


 そして。「ユウ」は氷の表情で告げた。


「宇宙の終わりでさえも終わりではない。次の旅、同じ苦しみの始まりだ。だから……お前たちの旅は決して終わることがない。しかも、何ら新しい意味を付け加えることもできない」

「そ、んな……」


 フェバルが普通に死ねないと聞いたとき。私たちは心の底から絶望した。

 それでもいつかは遠い未来に終わると、そう信じて。長い長い旅を続ける覚悟を決めていたのに。二人で楽しむつもりでやってきたのに。

 ひどいよ……!

 何の意味もないなんて。全部決まっているだなんて。

 あまりにも。あまりにも救いがない!


「そうだ。どこにも救いはない。いつまでも繰り返し繰り返し、同じ運命を永遠に彷徨い続ける。……フェバルは苦しみが長い分だけ、辛いだろうな」


 一番の当事者のはずなのに、他人事のように言ってのけた「ユウ」は、同じユウとは思えないほど醒めていた。

 ユウだけどユウじゃない。これほどわかってしまう瞬間もない。

 まったく違う経験をしてきたから。あまりにも厳し過ぎる道を歩み続けてきたから。

 なんて壮絶で、辛い人生なのだろう。

「ユウ」はわかりやすく顔をしかめる。わかったような気になるなと嗜められているようだった。


「同情してくれるようだがな。俺を除けば、最も長く苦しいのはお前たちだぞ。ユイ。まさか自分の能力を忘れたわけじゃないよな」


 言われて、はっとなる。


「【神の器】は星脈のコピー。お前たちの心には、常に星脈の修復効果がかかっている」

「あ、ああ……!」


 つまり。


「お前たちの心は決して擦り減ることがない。それこそ、俺がこんな時の果てまで人としての精神を維持したまま生き伸びてしまった理由であり、お前たちが死ねない理由なんだ。最も高いポテンシャルを秘めた能力は――裏返せば、最も強力な呪いなんだよ」


 呪い。

 最近はあまり意識しないようにしていた事実を、改めて突きつけられる。


「このままいけば、お前たちは、これまでのユウと同じように――宇宙の終わりを見届けることになるだろう。すべての星が滅び、あらゆる生命が滅び、宇宙が一点に潰れる――ビッグクランチに呑み込まれるそのときまで」


 恐ろしい。なんて恐ろしい話なの。

 人を失うことをあれほど恐れているユウが、すべてが滅びていく様を見届けなければならないなんて。

 私だって嫌だよ……。そんなこと!


「信じたくないという顔をしているな? 俺が一つも嘘を吐いていないことは、心を読めばわかるだろう?」

「でも……でも……!」


 わかってしまう。でもそんなことは信じたくない! だって。だって!


「気持ちはわかるけどな……。お前にもわかる証拠を教えてやろう」


「ユウ」は、一つ指を立てた。


「エーナの【星占い】」

「……っ!」


 まさか。まさか……!


「あれはな。占い事や予知の能力なんかじゃないんだ。そんな素敵なものじゃない。星脈に記録された宇宙で起こるはずのすべてのイベントを、ただ適度に精度を落として読み取りに行ってるだけさ」

「それじゃあ、あの人がやっていることって……!」

「……フェバルになる者は必ずなると決まっているから、絶対に殺せない。いくら彼女が人殺しとしては無能でも、誰一人として殺せないことをおかしいと思わなかったのか?」


 私は泣き崩れそうだった。エーナさんがあまりにも可哀想で。

 そんなことをしている場合じゃないという認識だけが、辛うじて私を支えていた。


「言わないと思うが……本人には決して言うんじゃないぞ。あいつは薄々気付いているが、はっきり告げれば絶望して狂ってしまうからな」

「まさか……言ったことがあるの?」

「遠い昔……一度だけな」


 遠い目をした彼は、強く後悔しているように見えた。だから責めることはしなかった。


 けど……。この人は、どうしてこんなことを教えてきたのだろう。

 ただ私たちを絶望させるためだけに、こんな話をしたのだろうか。

「ユウ」の目をじっと見つめる。

 外見は、底なしの闇を湛えている。人としての温かさを一切失ってしまったかのような絶対零度の瞳。

 でも……違う。この人は……。

 それに気付いた私は、あのときのユウのように泣き喚くだけのことはしなかった。


「じゃあ……あなたは? あなたは何なの? あなたの意志さえも、すべて決まったことだと言うの?」


「ユウ」は静かに首を横に振り、否定する。


「……俺はたった一人のイレギュラーだった。俺はすべての真実を知った。だから……許せなかった。宇宙の壁を乗り越えて、どんなに時間をかけても、必ず復讐してやると誓った。俺の運命を滅茶苦茶にしてくれた奴らに」

「あなた……」

「でもな。俺では無理だった。俺の力の使い方では……。気付いたときには遅かった。ダメだとわかっていたが……やめるわけにはいかなかった。俺が抵抗を止めてしまえば、誰一人として絶望の運命を変える者はいなくなってしまうから」

「……今は?」


 たった一人のイレギュラー「だった」。私は聞き逃さなかった。

 そこで初めて、「ユウ」はにやりと笑う。

 まるでいたずらが成功した子供のような笑顔で――こんなユウらしい顔もできるんだと思った。


「初めてなんだ。ここまで何もかもが違うことは――俺にいつでも話せるような半身はいなかった」

「あ……」

「ようやくわかったか? お前が生きていること。ただそれだけで意味があるんだ。ただそれだけでかけがえのない価値があるんだよ」


 嬉しかった。私が生きていることを全面から肯定してくれることが。

 そしてやっとわかった。この人によれば、ウィルを通じてアルが私を殺そうとした理由が。


「そっか。だからアルは」

「お前に恐れているのさ。本来生まれるはずのないお前に。そして、お前を生み出した今回のユウに」


 確信を持って言う「ユウ」からは、確かに希望が感じられた。


「今回、運命はまだ決まっていない。可能性は閉ざされていない。証拠に、エーナの【星占い】の精度は完璧とはほど遠い」

「あ。確かにエーナさん、よくわからないって言ってた」

「おそらくは色々な要因が絡み合って起こった――たった一度の奇跡だ。そして、その中心にいるのが……」


 強い眼差しで、「ユウ」は私を見つめる。

 色々なことが繋がったような気がした。

 どうしてウィルを始め、色んな人が私たちを気にかけて来たのか。

 私たちがこの宇宙の中で、数少ない特異点だから。


「でも調子に乗るなよ。俺の知る限り――お前もひっくるめてユウだとすれば……お前たちは史上最弱のユウだ。ぶっちぎりで弱過ぎる」

「うぐっ……」


 確かに全然能力使いこなせてないけど。そこまではっきり言わなくてもいいでしょ……。

 けれど、「ユウ」の顔はどこか安らかだった。


「だが……不思議なものだな。どのユウよりも圧倒的に弱いはずのお前たちが、宇宙の寿命に比べれば塵に等しいわずかな期間に、どのユウよりも遥かに多くの命を救ってきたのだから」


 私は、これまでと違う意味で泣きそうだった。


『お前たちの旅は、決して無意味なものなんかじゃない』


 そう力強く励まされているようで。


「ユウ」もさすがに恥ずかしかったのか、顔を背けた。

 そのまま、ぽつりぽつりと続ける。


「俺はな。救えなかったんだ。アリスも、ミリアも、アーガスも、カルラも、ケティも、イネア先生も。エラネルの人たちだけじゃない。お前たちがこれまで出会って来た多くの人たちも、きっとこれから出会う多くの人たちも。誰一人として」

「ユウ……」


 私は、自然とその名前で彼を呼んでいた。

 間違いない。もうわかった。

 ユウじゃないけど、やっぱりユウだ。

 きっと不器用ながら一生懸命助けようとして、それでも助けられなくて、拗ねてしまった哀れな子供の魂の――成れの果てなんだ。

 そんな彼は、私たちを心から思いやって警告する。


「気を付けろ。【運命】には収束力がある。これから何度もお前たちを『決まった運命』へ引きずり込もうとするだろう。既にお前たちには、常人の比ではないほどの危機が降り注いでいるはずだ。身に覚えがあるよな?」

「そうだ。確かに」


 今だってそうだ。私たちはもう何度も世界の危機と戦っている。


「そいつは偶然なんかじゃない。『星海 ユウには絆を結べない。大切な人を助けられない』。本来、そう定められていたはずだからな」


 そんな残酷な運命が、もしかしたら私とユウに直接降りかかっていたかもしれないなんて。

 死ねないことよりも遥かに絶望しそうだ。実際、それで絶望してしまったのがこの人なのか。

 また私の目を見つめて語り続ける「ユウ」の言葉には、いつの間にか熱がこもってきていた。


「いいか。お前たちの歩んできた道は間違っていない。だから胸を張れ。前を向いて旅を続けろ。この先どんな困難がかかってきても、決して諦めないことだ」

「うん」

「だがこのまま無力に安んじてはいけない。もっと強くなれ。襲い来る困難に負けないように。けれども安易な力を求めるな。俺が持てなかった優しさで、救えるだけの人を救ってみせろ。そして……」

「……うん」

「そしていつの日か……【運命】を打ち破る方法を見つけてくれ。俺にはできなかった。だが、お前たちならきっと……」

「任せて。まだどうしたらいいかわからないけど、ユウと一緒に考えてみるよ」


 しっかりと目を見て返事をすると、「ユウ」はいくらか熱が引いて落ち着いてきたのか、気恥ずかしそうに「はあ」と溜息を吐いた。


「こんなに言うはずじゃなかったんだがな。当のユウにも言ってないぞ」

「私だからじゃない? お姉ちゃんには話しやすいんだよ。きっと」

「…………」


 私は「ユウ」に近づき、そっと抱き締めた。放っておけなくて、自然とそうしたくなったのだ。


「……おい。何をしてる」

「ずっと一人で頑張ってきたもう一人の弟に、よしよししようと思って」

「やめろ。俺はあいつじゃない。みっともないだろ」

「だったら引き放せば?」

「…………お前がくっついて来てるんだから、お前から離れろよ」

「やだ。もう少し素直になったら? 同じユウなんでしょ?」

「……勝手にしろ」


 悪態を吐きながら、「ユウ」は自分からは決して私を引き剥がそうとはしなかった。

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