222「ラナの記憶 4」

 トレインを伴ってスチリア村に帰還した私を待っていたのは、当然ながら歓迎とはほど遠い対応だった。


「ラナ!? どうして帰ってきてしまったの!? あなたは追放されたのよ! その意味がわからないあなたではないでしょう!? しかも外の者まで連れてくるなんて!」


 イコは苦悩に頭を抱えていた。

 常識で考えれば当たり前の話だ。追放とは、ただ身内を直接殺すのが忍びないゆえの妥協的措置であり、事実上の死刑宣告である。

 追放を宣告されてなお無理に留まろうとするならば――示しを付けるためにも、本当に処刑しなければならない。それが村の掟だった。

 けれど、もうそんな厳しい掟になんて従う必要はない。


「大丈夫。もうあなたが苦しむ必要はない。もうみんなが飢える必要はないの」

「え……?」


 困惑するイコたちを前に、私が思い描くのは、山ほどの穀類と肉と野菜と果実、そして新鮮な飲み水。

 それらは完璧な確度でもって【想像】される。

 ただこのままでは、誰にも触れることのできない虚像でしかなかった。

 今までは。


「トレイン。お願いします」

「任せられた」


 彼が手をかざすと、大量の食糧は目に見えるものとして忽然と現れた。


「え、え……?」

「なに、これは……?」


 あまりの出来事に、誰もが固まってしまっている。

 しかしやがて、飢えた子供の一人がおずおずと果実の一つに手を伸ばし、触れられることを確かめた。

 一口頬張る。そして満面の笑顔になって言った。


「おいしい! これ、ちゃんと食べられるよ!」


 本当か、と訝しむ大人たちもぞろぞろと群がり始めた。そして各々食物を手に取り、恐る恐る食べられることを確認すると、みんなこぞって食べ始めた。


「奇跡だ……」


 腹を満たした誰かがそうぽつりと言ったのをきっかけに、割れるような大喝采が巻き起こる。


「ラナが、いやラナ様が奇跡を起こされた!」

「神の御業だ! スチリア村の救世主だ!」


 元々まじない事の類で村は統率されていた。であるから、そんなものを遥かに超える奇跡を目の当たりにした村人たちはこぞって私を持ち上げたのだ。

 イコはぱくぱくと口を動かして、何か人でないものを見るような顔で私を見つめた。

 けれども我に返ったように首を振り、みんなを代表して私の前へ進み出る。


「ラナ。あなた、どうやってこんな……ううん。ともかく、あなたのおかげで村は……」


 罪悪感からか、あくまで他人行儀に、着丈に振る舞おうとするイコを抱き締める。


「ぁ……ラナ……」

「いいんだよ。イコ。もう終わったんだよ。もう無理しなくいいの。辛いこと我慢しなくていいんだよ」


 よほど心を押し殺していたに違いない。本当に辛かったのだろう。


「うわぁぁああああああーーーん! ラナぁ、ラナぁ!」


 子供のように泣きじゃくる若き村の長を責める者は誰もいなかった。



 それからのこと。



 イコ含め、ぜひ私を新しい村長にと担ぎ上げられそうになったが、柄ではないからと断った。私に実務上の細かい取り決めとかは絶対無理だし。

 なので引き続き村長はイコに務めてもらうこととして、私とトレインはみんなの暮らしを助ける者として振る舞うことにした。


 私は自らの【想像】をトレインの【創造】によって次々と実現していく。

 のみならず、他の者からもアイデアを募り、飛躍的に生活を改善していった。

 こういうとき、知識のある大人より子供の方が素直で理想的なアイデアを出してくるものだから面白い。

 撒けばすぐに芽吹く穀物、痩せることのない土地、綺麗な水が勝手に湧き出てくる水瓶、人の言うことを素直に聞き空を飛ぶ大きなトカゲ、火で燃えることのない家、などなど。

 そうしたこの世ならざるものを、私は毎日のように生み出し続けた。


 やがて、私たちの村の裕福さを知った近隣の村々が、私たちを羨み、攻撃を仕掛けてくるようになった。

 私は殺しをしてはならないと皆に言い聞かせ、魔法という新しい力を生み出して兵たちを無傷で捕えた。

 貧しいから争いが起こるのだと私は理解していた。

 だから私は彼らを許し、罰の代わりに奇跡の力でもって施しを与えた。


 そんなことを繰り返していると。気が付けば国ができていた。


 私は奇跡を起こす神の巫女として崇められるようになり、トレインもまた一の従者として崇拝されるようになった。

 誰も彼もに請われて、一際立派な神殿に住まうことを余儀なくされた。

 そして、私の生まれたスチリア村だからと、いつしか私の故郷は聖地ラナ=スチリアと呼ばれるようになっていた。


 私はついに人として扱われることはなくなってしまったのだ。


 覚悟はしていたけれど……少し、寂しい。


 それでも、イコだけは私の孤独を理解してくれた。思うところはあっても、ずっと友達のままで接してくれた。

 それがどれほど救いになったかわからない。



 10数年が経った。



 少しずつ、何かがおかしいと悟った。


 イコは村一番の男との間に四人の子供を産み、一番上の子供は大人に混じって仕事をするくらいにはなった。美貌を持て囃された彼女にも、小皺が目立つようになってきた。


 私は……変わらなかった。いつまでも少女のまま。まるで時が止まってしまったかのようだ。

 あるとき、トレインに尋ねた。どうして私だけが歳を取らないのかと。


「きみは生命として異常なんだ。この星の生命の循環から切り離されている」

「あなたのように?」

「そう……いや、少し違うかな。きみは縛られていない。きみにはまだ死ねる自由があるから」


 いまいち要領を得ないものの、とにかく普通でないということだけはわかる。

 そして、死ねるとしても自ら死を選ぶようなことはしないだろう。


「あなたは、あとどのくらい生きられそう?」

「さてね。けれど、ラナ。きみが僕を癒してくれるから、人よりはずっと生きられるだろう」

「人よりは、か……。いつか、知っている人はみんないなくなってしまうのかな?」


 それは……とても寂しいことだ。


「人と異なる以上、それは避けられないことだよ」


 トレインは遠くを見つめながら頷いた。身を持って味わってきた人間の顔だ。


「わたしたちも、いつか普通に死ねるのかな」

「ああ。どんなことでもいつかは終わりが来る。無限の時に比べればあっという間さ」


「もっとも、僕はきみの助けが必要だけれどね」と彼は困ったように笑う。

 急激に移り行く世界の中で、彼だけが昔と変わらない。

 最近、漠然とした不安を覚えるようになった私は、彼にだけは安心して身を任せられるのだ。


「ねえ……それまで、ずっと一緒にいてくれる?」

「もちろんだとも。はは。僕としたことが、まだ生きたいと思ってしまうなんてね」


 男女の絆――というものではないかもしれない。

 事実、私たちは一度も互いの身体を求めたことはなかった。

 それに、最初はただの同情心だったのかもしれない。

 成り行きと、互いに似た寂しさを共有したことから始まった関係。

 けれど、同じ屋根の下で付き合いを続けるうちに、私とトレインの間には確かな絆が生まれていた。



 さらに10数年が経った。



 イコが久々に神殿へ遊びに来た。


「ラナ! こら、起きなさい! ラナ」

「うぅーん……もうちょっと寝かせて……」

「まったく。せっかく遊びに来てあげたのにこれだもの」


 おでこをピンと弾かれた衝撃で、私は目を覚ました。


「いたぁ……おはよう。イコ」

「おはよう。ラナ」


 腰の曲がり、すっかり白髪になった彼女が私を温かい目で見つめていた。


「ねえ。もうちょっと優しい起こし方があったんじゃないの?」

「あなたって優しくして起きた試しがあったかしら?」

「ないわね」


 二人で笑い合う。

 それからはお互いの近況を話し合った。

 私は子供のための遊園地を創ったこととか色々、イコは最近の市井の様子を話してくれた。


「そうそう。今度孫が生まれるのよ」

「あらまあ。おめでとう!」


 それは大変めでたい。今度お祝いを送ってあげなくちゃね。

 ニコニコしていると、イコはまるで眩しいものを見るような眼差しでぽつりと言った。


「ふふ。あなたは本当に変わらないね。ずっとあの頃のまま。私だけが、すっかり歳を取ってしまった……」


 俯き、深く溜息を吐いたイコの額には、年月の分だけ皺が刻まれていた。


 ――魂の輝きは、徐々にだが確実に死に近づいている。


「そんなことないよ。イコだってまだまだ若いじゃない」

「ふふ。ありがとう」


 彼女は微笑むけれど、気分は晴れないようだ。


「……でもね。いくら気持ちの上では若くいようって思ってもね。最近、身体が付いて来ないことが多くてねえ」


 ここまで歩いてくるのも一苦労だったと、乾いた笑みを浮かべる。


「だからね、どうしても現実的なことを考えてしまうのよ。あとどれほどあなたに会えるだろうかって。ただ、あなたを置いて行ってしまうのが心残りでね」

「イコ……」


 そんなこと言わないでよ。悲しくなるでしょう。


「私ね。あなたのことを書物に記そうと思うの」

「えーそんな。急にどうしたの。恥ずかしいよ……」


 ただでさえ祭り上げられているのに、そんな大仰しいものまで残さなくたって。


「ほっといても誰かが書くだろうからね。そのくらいなら私がちゃんとしたものをって」

「うう……」


 顔を赤くした私を、今度はイコが撫でた。


「しゃんと胸を張りなさい。それだけのことをあなたはしてきたのよ。それに、あなたの活躍はこれからも続いていくのでしょう? だから、私が始めてね。子孫代々に受け継がせるつもりよ」


 イコはいつになく息巻いている。まるでそれが最後の使命だと言わんばかりに。


「これから私がいなくなってしまっても、その本は残る。それさえあれば、あなたは見るたびに私のことを思い出してくれるでしょう?」

「そんなものなくたって、私はあなたのこと忘れたりしないよ」

「わかってるわよ。でも、思い出に残したいの」

「……そう。じゃあ、ちょっと待ってて!」


 私はトレインに頼んで、特別な本を創ってもらった。それをイコに手渡して言った。


「その本は私が特別想いを込めて創ったわ。決して朽ちることはないし、燃えることも、破れることもない。それに、勝手にページが増えていくから。だから好きなだけ書いて」

「ありがとう。大切にするわ」




 そして、そのときはやってきた。




「イコ……ねえ、イコ。起きてよ。また私に楽しい話を聞かせてよ」

「…………」

「……私に寝坊助だって。よく言うよ。あなたの方がよっぽど寝坊助じゃないの」


 わかってる。これ以上彼女に生きろなんて言うのは酷だ。

 イコはよく生きた。孫が大人になるまで生きたのだ。大往生と言ってもいい。


 だけど。わかっているのに。

 どうして涙は止まらないのだろう。


 まただよ。私自身のことで泣いたことなんか、ほとんどないのに。


 泣かされるのは、大体いつもイコのことばっかりだ。



 多くの子孫や親族に囲まれて、イコの葬儀はしめやかに行われた。

 そして、私の伝記は孫娘の一人に受け継がれた。


 一つの時代の終わりだった。




「ねえ。トレイン」

「……無理だよ。死んだ命までは戻らない」


 トレインは昏い空を見上げたまま言った。

 この頃には、言わなくても大抵のことは伝わるくらいの関係になっていた。


「人は死んだらどこへ行くんだろうね」

「さてね。僕はろくな所じゃないと聞いた」

「そうでないといいなぁ……」


 覚悟はしていた。していたはずなのに。

 いざ別れてしまうと、まるで半身を引き裂かれてしまったかのようだ。

 これから何度もあるのだろうか。

 トレイン以外、誰も私という「人間」を知らなくなってしまうまで。


 ……私は、「女神」でも「巫女」でもないのに。


「……どうして、私とあなただけなんだろう」

「……どうして、なんだろうね」


 特別な者と、そうでない者。

 生きるべき者。死すべき者。死すべからざる者。

 何が運命を分けなければならなかったのか。

 どうしてみんな同じように生きて、同じように死ぬことができないのか。


 こんな不完全な世界を創った神様がいるとしたら、そいつはきっとものすごく意地の悪い奴に違いない。


「きゅー……」

「ポモちゃん……」


 そっか。私とトレインだけじゃなかった。

 この子たちも。


 ――何とかならないのかな。


 ――この世界が、こんなにも不平等で、理不尽ならば。


「創れないかな」

「…………」

「私たちみんなが望む限り、永遠を過ごせる世界を。そんな夢の世界を……創れないかな?」

「……わからない。ただ、僕たちはこれまで不可能を可能にしてきた」

「……そうだね」


 いつになく気弱になっている私の肩を支え、彼は万感の想いを込めて言った。


「僕は……きみの力こそ本物の奇跡だと、僕は思う。そんなきみが望むなら――できるかもしれない」


 ふふ。トレインの答えはいつも変わらない。

 この人は、私の思い描くことに真っ直ぐ力を貸し続けてくれた。

 そして、私ならできると信じてくれる。


「ただ……」

「ただ?」

「きみ一人では【想像】力が足りないだろう。世界中の生きとし生ける者たちの想念が必要になる……と思う」

「みんながあると信じることができれば、成るというわけね」

「おそらくは」

「……とても長い時間がかかりそうね」

「だろうね」

「……付き合ってくれる?」

「きみが望むなら。どこまでも」


 そして私たちは、世界を繋げるための旅を始めた。


 私の名と永遠の思想の下に世界を束ねる――長い長い旅を。

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