203「絶対に生き抜いてみせるから」

 私たちはあてもなくアルトサイドの旅を続けていた。もう数えるのも面倒になるほど闇の異形が襲ってきたけれど、光魔法による攻撃は効果てきめんで、今のところは問題なく退けられている。

 そしてもう十日以上は歩いている。ずっと食べ物が取れていないのでまずいと思ったけど、どうもここはお腹が空かないし眠くもならない不思議な空間みたい。

 闇ばかりのところを黙っていると暗い気分になってしまいそうだったので、気を紛らわせるためにもお母さんの昔話などに花を咲かせた。私の知らなかったとんでもエピソードも色々と聞けたけど、ここでは割愛したい。というかお母さんそんなこともしてたんだね……。


 変わり映えのしない光景とひっきりなしに襲ってくる敵にすっかりうんざりしていた頃、不意に道は開かれた。


「ねえ。あれって」

「もしかして!」


 外へ通じる穴を見つけたの。穴はどこかの森へ繋がっていた。


「やっと出る手段が見つかったわね」

「これで外へ出られますね!」


 思ったより自分の声が弾んでいることに言った後で気付いた。随分まいっていたみたい。


「J.C.さん。行きましょう。ユウやヴィッターヴァイツを探さなくちゃ」

「ええ……でもちょっと待って」


 せっかく外に出られるというのに、J.C.さんは浮かない顔だった。


「どうしたんですか?」

「いえ。気になることがあってね」


 そう言うとJ.C.さんは掌に魔力を集中させ、《アールリット》のような光弾魔法を穴に向けて放った。

 魔法は穴を通り抜け、しばらく空中を直進していったが、やがてあるところで一瞬で掻き消えてしまった。

 J.C.さんはそれを見て眉をしかめた。


「……どうやらトレヴァークの方ね」

「なるほどです。ああすればどっちか確かめられるんですね」


 ラナソールであれば魔法は消えずに直進を続けるはず。消えてしまったということは、トレヴァークのパワフルエリア外に出て魔力許容性が皆無のエリアに突入したと考えるのが自然だ。


 J.C.さんは難しい顔で目を瞑り、少し考えてから口を開いた。


「この穴はやめておきましょう」

「えっ。どうしてですか? まずここから出ないと始まらないと思うんですけど」


 J.C.さんは忌々しげに溜息を吐き、私の肩に手を置いて諭すように言った。


「あなたのために言ってるのよ。あなたは依然とても危ない状態なの」

「でもJ.C.さんのおかげで私はもう平気ですよ。身体の調子も悪くないですし」

「私が修復できたのはあくまで死にかけていたあなたの肉体だけ。関係性までは回復できなかった、と言えばわかるかしら?」

「あ……」


 言われてはたと気付く。

 本来繋がっているはずのユウとの繋がりがはっきりしない。『心の世界』とも切り離されてしまっている。そのことが何を意味するのかを。

 そっか。今私を成り立たせている『根拠』はほとんど何もないんだ。ラナソールの生き物みたいに、何かが私を維持してくれているわけじゃない。

 ユウとの繋がりだけがずっと命綱だった。こうして今生きているのも不思議なくらい。

 たぶんユウが私に消えて欲しくないという儚い願いと、願いが現実になる特殊な世界環境、そしてJ.C.さんの手助け。それらの要素が合わさって辛うじて生きている奇跡のような状態なんだ。


 でもトレヴァークへ――現実世界へ行ってしまったら。


 たぶん、私は消える。あのJ.C.さんが撃ったあの魔法のように。あっけなく。そして二度と――。


 そんな確信に近い予測に至り、悪寒がした。


「わかったみたいね。もしあなたが下手に動けば……いえ動かなかったとしても、ここでもう一度死んだり、いつまでもユウとの繋がりを取り戻せないままなら――今度こそ本当に死ぬわよ」

「すみません。私、自分がどれだけ危ない状態かわかってなくて……」

「いいのよ。急ぎたい気持ちは山々だけど、あなたのことが大切だから。他の穴探しましょうね」

「でも……」


 でも、それはあくまで私がこの穴から外に行けないという理屈だ。J.C.さんが行けないわけじゃない。

 J.C.さんは私を心配しているんだ。元々ほとんど死んでいた状態だったし、ここはいつ敵が出て来るかわからない危険な世界。守ってあげないとって思われている。

 だけど、世界が私たちの予想通りの悲惨な状態になっているのだとしたら。

 一刻でも早くユウと合流しないといけない。もちろんヴィッターヴァイツも何とかしないといけない。

 だから、J.C.さんは今行くべきだ。私だけに構っている場合じゃない。

 私は覚悟を決めた。この危険な薄暗闇の世界で、一人戦い抜く覚悟を。

 J.C.さんを真っすぐ見つめて言った。


「J.C.さん。行って下さい。私は一人でも大丈夫です」

「ユイちゃん!? ダメよ。いくら世界が大変でも、あなたを一人で置いてなんて行けないわ。ユナに続いてあなたまで失うことがあったら……!」


 痛いほど心配の気持ちが伝わってくる。子供のように大切に想ってくれるのが嬉しかった。でもごめんなさい。


「お願いします。私よりユウたちの助けになってあげて欲しいんです。ユウに私が生きてることを伝えてあげて欲しいんです」


 ユウは私が死んだと思ってる。独りぼっちで、それでもきっと世界のみんなのためにできることをしようと頑張ってる。その辛さに比べたら、一人で戦うくらい!

 それにせめてユウに私が生きてることを伝えてあげられたら。どれだけあの子が救われるか。


「でもねユイちゃん……!」


 J.C.さんは泣きそうな目でしばらく私を見つめていた。「無茶はよして」という憤りさえ見える。それでも私の決意が変わらないとみると、ついに「わかったわ」と根負けして大きく肩で息をした。


「あなた見た目はともかく性格はお母さんに似てないと思ったけど、撤回するわ。やっぱりあの人の娘ね。その意志の強さは本物よ」

「すみません」

「ほんと。母娘揃って強情バカなんだから」


 J.C.さんは私を力いっぱい抱き締めた。温かい力が注ぎ込まれていくのを感じる。せめてもの餞別に強力な付与をかけてくれているのだとわかった。


「頑張るのよ。死んだら許さないからね」

「はい。また会いましょう」


 J.C.さんは名残惜しそうに私を離して、もう振り返らずに現実世界へ通じる穴へ飛び込んでいった。


 やがて穴は閉じた。


 一人だけになった私を与しやすいと見たか、大小形状も様々な闇の異形がわらわらと押し寄せてくる。本当に遠慮というものがない連中だ。囚われてしまったらどうなるかわからない。

 今さらになって身体が震えている。いつも心に寄り添うユウはいない。他に味方もいない。敵は世界と人に対する憎悪を燃やしており、数え切れないほど向かってくる。

 怖いけど、負けるものか。私は一人だけど、独りじゃないから。


「ユウ。私、生きてるからね。また会おうね。また一緒に笑い合って、触れ合って、一緒に旅をしようね」


 決意を込めた独り言は、闇に溶けて消えた。


 生き残ることを優先に立ち回ろう。逃げられる相手からは逃げて。戦わなくちゃいけないときも必要最小限で済ませて。


 大丈夫。私は負けない。闇に呑まれたりなんかしない。絶対に生き抜いてみせるから。


「かかっておいで」


 闇が唸り声とともに襲い掛かってくる。果てしない生き残り戦が幕を開けた。

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