200「J.C.とアルトサイドに堕ちた少女」

 J.C.はアニエスと別れた後、ラナソールへ向かおうとしていた。

 ところがである。

 運の悪いことに、星脈移動中に流れが大きく変わった。世界に生じた綻びに引き寄せられる形で変わってしまったのだ。

 星脈という宇宙規模の大きな力に対して、一般のフェバルはあまりに無力である。彼女は何も抵抗できないまま、変わった流れの行く先、二つの世界の狭間であるアルトサイドに漂着した。

 彼女はジルフたちと合流することもなく、薄暗闇の世界を一人あてもなく彷徨う羽目になった。


 J.C.は戦闘タイプではないが、非戦闘タイプとしては極めて戦いに長じたフェバルである。

 かつて新人だったヴィッターヴァイツに対して、「フェバルとしての」手ほどきをしたのも彼女だ。初めて「ヴィット」と知り合ったとき、彼は武人として「人間レベルでは」高いレベルにあったが、「フェバルとしては」まだまだひよっ子であった。

 フェバル級ともなると、身体の動かし方も戦い方も一般人の常識とはまるで違ってくる。その辺りの妙を厳しく叩き込めるくらいには、彼女は当時から戦闘慣れしていた。戦闘者として「才能の塊」であった「ヴィット」は、彼女とのマンツーマン指導の下でメキメキと潜在能力を開花させていった。

 それはさておき、要するに彼女は強かった。光魔法も当然修めており、襲い来るナイトメアを蹴散らしながら平気で過ごしていた。


 そうしているうちに、ミッターフレーションが起きた――。


 アルトサイドでも激しい異変は起きていた。

 次々と世界に穴が開き、光が漏れてくる。それぞれの繋がる先がラナソールなのかトレヴァークなのかはわからない。

 J.C.は何か大変なことが起きてしまったのだと察した。アニエスが予言していた世界の崩壊が起きてしまったのだろうと。悲しいことではあるが、ただこの物騒なアルトサイドから抜け出して仲間を探すチャンスであることも確かだった。


 勘で当たりを付けて飛び出そうとして――彼女は足を止める。


 穴のうちの一つの向こうから何かが――いや、誰かが降ってくるではないか。


 フェバルの優れた動体視力がその人物の姿を捉えたとき、J.C.は驚いて目を見張った。


「ユナ……!?」


 いや、違う。そんなはずはない。彼女は亡くなったはずだ……。あのときのことはアニエスから聞いた。


 J.C.はいやいやと首を振ってよく目をこらした。よく見てみれば、彼女の顔立ちは自分の親友によく似ていたが、幾分あどけない。


「ユナじゃない……。でも……どこか」


 ひどく懐かしい気配だった。


 一瞬見間違えてしまうほどよく似ていた。見た目が。全身から感じられる雰囲気が。


 ……そして、消えていく命の灯が。特別な能力を持つ彼女には、気を読むだけではわからない――命というものが持つ「色」が感覚でわかるのだ。その「色」が親友にそっくりだった。


「…………」


 J.C.は口の端を固く結んだ。

 こちらへ向かって落ちてくる彼女が、一般に言う死亡状態であることは見てすぐにわかった。胸に大きな風穴が開いている。心臓が貫かれている。

 禁忌の力を持つフェバルとして、一般人に対してはあまり力を振るうことのないJ.C.であるが、このときばかりは人としての感情が勝った。


 これも何かの巡り合わせだろう。


 あの子を助けよう。助けなくちゃいけない。


 足は逸り、J.C.は落ちてきた少女を自らの手でしかと受け止めていた。


 冷たい。既に人としての温もりは失せていた。


 間近で顔を覗き込んでみると、いっそうユナとの類似を感じられた。

 生気のない顔には、涙の痕が色濃く残っている。よほど苦しかったのだろうか。辛かったのだろうか。胸が締め付けられる。


「大丈夫。今助けるからね」


 J.Cは少女に手をかざす。


 彼女の能力とは、ある意味で究極の癒しの力である。


 ただし、死を超越することはできない。死は絶対にして永遠に取り返しの付かないものである。


 だが、人はいつ死んだと言えるだろう。

 心臓が止まったときだろうか。脳が死んだときだろうか。あるいはその両方か。


 否。


 J.C.にとって死とは、細胞のすべてが完全に活動を停止したときであると定義される。


 だから、まだほんの細胞のひとかけらでも彼女が「生きて」いるならば――。


 J.C.の手は、失われていく少女の生命が持つ「色」――わずかながら生きている細胞を探り当てた。


 よかった。まだ辛うじて「生きて」いる。これなら助かる。


 J.Cの手から、温かな光が放たれる。


 癒しの光。生命の光。


 彼女の能力の名は。



【生命帰還】



 完全なる死を除いて、あらゆる生命の状態をダメージを受ける前へと完璧に戻すことができる究極の癒しの力。

 温かな光が、少女の全身を柔らかく包み込んだ。


 だが思うように回復が進まない。J.C.は顔をしかめ、さらに光を強くする。

 何かの能力が【干渉】して回復を妨げようとしているようだった。だが特化型である彼女の能力は、生命の状態を元に戻すという一点に関しては、万能型である【干渉】の効果を上回っていた。

 少女の肉体が回復していく。心臓が貫かれる前の状態へと。少女の顔に次第に生気が戻っていく。


 やがて少女は――ユイは、ゆっくりと目を開けた。

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