129「観測星と赤髪の少女」

 ダイラー星系列 第97セクター観測星――


「少し疲れてきたな」

「そうですね」


 二人の観測員が、お茶を啜りながらまったりと星の様子を観測していた。

 宇宙の番人を自負するダイラー星系列にとっては、宇宙の様子を観測することも重要な役目のうちの一つである。

 観測対象は、物質宇宙、とりわけ「ヒト」の暮らす星々が中心だ。

 だが、目に見えるものばかりを観測しているわけではない。非物質の領域――代表的なものは星脈システム――の観測も、特に本星の者たちは重視していた。

 もし何らかの異変の恐れありと認められれば、直ちに本星へ連絡を入れることになっている。そして協議の上、処置の必要ありと判断されたならば、上位者――星裁執行権を持つ者が派遣されてくる。

 星裁執行者は、本星においてこそ一中間管理職に過ぎないが、辺境領域における権限は絶対である。最終的な現場判断は、彼もしくは彼女に一任されている。ダイラー星系列はあまりに多くの星々を管轄しているため、現場の自主判断に求められる役割は大きい。


「しかしお前も災難だな、メイナード。内育ちのお前が、こんな田舎星ではさぞ退屈だろう」

「いえ。来たときこそ文化の違いに戸惑いましたが、今は過ごしやすく思っていますよ。何よりオルキさんがいらっしゃいますし」

「こいつめ。口が上手いじゃないか」


 一般に、宇宙の中心に近いほど星の生まれは古く、平均文明レベルも進んでいるとされる。

 特に、宇宙最凶の荒れ場とされるウェルム帯の内外で、明確に文明レベルは分断されている。ダイラー星系列の主たる領域はウェルム帯の内側であり、そこで生まれ育った者を「内育ち」と呼ぶ習わしがある。


 本日も、計器に異常なし。

 メイナードと呼ばれた男は、大きく欠伸をして、夜勤で眠い目をこすった。


「ふあーあ。楽でいいですけど、こんなに何もなくて、給料まで頂いてしまっていいのでしょうかね?」

「いいんじゃないか。何もないのが一番だよ。お隣の第98セクターじゃエネルギー資源戦争の真っ最中だから、連中毎日のように報告で死んだ目をしてるぞ。ああいうところで働きたいか?」

「いやあ、それは勘弁ですね」


 ここ第97セクターは、地球や惑星エラネル、惑星エルンティアを含む辺境の領域である。このセクターは比較的平和とされており、実際大きな事件は滅多に起こらない。理由としては、平均文明レベルが低いため、星間レベルでの衝突自体が極めて少ないことが挙げられる。

 最近――といっても宇宙スケールでの最近であるが――唯一あった事件と呼べるものは、約二千年前の旧惑星エストティアへの制裁のみである。

 暇な時間が多いので、メイナードは調べたことがあった。

 事件の記録を紐解けば、事の発端は、民間旅行船ローダへの先制攻撃にあったとされている。事故であったとも、エストティアの暴走ともされているが、真相はわからない。

 ダイラー星系列としては当然、賠償と謝罪を求めてエストティアを強く非難した。

 しかし、星の資源のうち二割を割譲するという和解案は、エストティアにとっては重過ぎるようだった。

 外交交渉は決裂。そればかりか、加熱したエストティアに宣戦布告までされてしまった。

 原始的な連中であることも考慮して、穏便に済ませようとしていたダイラー星系列も、この世間知らずな対応には思い上がりも甚だしいと怒りを露わにした。賛成八割にて制裁案は可決された。

 当時の第97セクター星裁執行者は、今は亡きシガルファー・バランディウス。副官として、後に第3セクターの執政官を務め上げたフェバル、トーマス・グレイバーが派遣された。

 実際は向こう側の威勢に反して、戦闘と呼べるほどのものにもならない、つまらない仕事であったと記録されている。当時の払い下げ旧式バラギオンを投入して、わずか一日で制裁は済んでしまった。

 結果的に、ダイラー星系列側の損害としては、バラギオン一機の回収漏れに留まった。元々あと数十年で使い捨てる程度の代物であったので、放置しておいて問題なしとされた。

 エストティア壊滅以来、第97セクターにおいて、宇宙へ本格的に進出するレベルの文明は成立していない。


「おや、お茶がなくなってしまった」

「私が入れてきましょうか」


 メイナードが立ち上がろうとしたき。

 図っていたようなタイミングで、観測室の扉が開く。

 入って来たのは、赤髪の少女だった。

 茶色がかった明るい赤の長髪は、先の方でくるくるとカールがかかっている。

 意志を秘めた茶色の瞳は、どこか人を食ったような挑発的な印象を与える。が、さほどきつさを感じさせるものではない。感情豊かに振る舞う顔の全体が、むしろ人当たりの良い柔らかさすら感じさせた。

 実際、少女を目にして、男二人は自然と顔を綻ばせていた。


「新しいお茶をお持ちしました」

「ありがとう」「すまないな」


 赤髪の少女は、快活な笑みを浮かべて、二人に湯呑みを差し出す。二人は礼をして受け取った。

 ちなみに彼女は、観測星に与えられた予算の範囲から、小遣い程度の給料を出してアルバイトをさせている子だった。

 見た目は十代の半ばほどに見えるが、実際のところはわからない。

 ダイラー星系列には、ほとんど不死であるフェバルや、長寿の星級生命体、異常生命体がごろころいるので、外見の歳で人を判断するような文化はない。ただ、少女は18歳であると言っていた。

 聞けば女身一つで気ままに宇宙旅行をしているというので、若いなとオルキなどは感心するばかりであった。歳の近いメイナードは、そのような経験がなかったので、少し羨ましいなどとも思ったりした。

 旅行の足しになればと、短期滞在で稼ぎたいという彼女の申し出に対して、オルキが気前良く置いてあげたのだった。遊んでそうな雰囲気の割に真面目でよく働くので、二人はすっかり気に入っていた。

 ちなみにアルバイトさせるというのは例外であるが、観測星は短期滞在の地としての性格も持っている。流れの宇宙旅行者にとって、ちょうど道の駅のような役割を果たしているのだった。彼らの滞在によって利益は、観測の予算に組み込まれる。

 赤髪の少女が入れてくれたお茶|(これがまたプロのようにとってもうまいのだ)を啜りながら、メイナードはもう一頑張りするかと気合いを入れ直した。

 観測鏡を覗く。これは非物質もはっきりと映る優れもので――


「おや?」


 目に映ったものに、メイナードは眉をしかめた。


「どうした。メイナード」

「いえ。妙なものを見つけましたので」

「どれどれ」


 メイナードに代わって、オルキも観測鏡を覗き込んだ。

 彼もやや興奮気味に同意した。


「おいおい。こんなの初めて見たぞ。面白いなあ。星脈が――まるでブラックホール現象じゃないか」

「こんなことがあるんですね」


 事の重大さがわかっていない二人は呑気なものだったが、それを聞いた赤髪の少女は、血相を変えて食いついた。


「ちょっとあたしにも見せてもらってもいいですか?」

「なんだ。君も見たいのかい?」

「構わないぞ」

「ありがとうございます。よいしょっと……うわー。やばくない?」


 とある星――トレヴァークと呼ばれていることを二人の観測者は知らないが――そこに重なる奇妙な影があった。

 おそらく物質的なものではないだろう。輪郭がぼやけていて、はっきりとは大きさがわからない。

 ほとんど同じ星が隣接しているようにも見える。

 そのもう一つの星へ引き付けられるようにして、星脈のエネルギーが異常に高まっていた。あまりのエネルギーに、場に穴が開いて、生じた無の空間へと吸い込まれているのだった。

 実は先日まで、ダイラー星系列の機器をもってしても観測できなかった。だが綻びが生じたために、可視化されたのである。

 少女の深刻な反応に、二人も思い直した。


「……そうだな。念のため報告しておくか。メイナード、頼む」

「わかりました。ええと、星の座標は――」


 真面目な顔付きで仕事を始めた二人を、赤髪の少女は温かい目で見つめた。


「忙しくなりそうですね。あたしは失礼します」

「ああ。またね」「また」


 二人の下を去った少女は、真っ先に滞在先のホテルへ向かった。


「ついに始まっちゃいましたか。大変なことになりそう」


 預けていたキーを受け取り、部屋のドアを開ける。


「ただいま戻りました」

「おかえりなさい」


 落ち着いた大人の女性の声が返ってきた。

 実は、少女は一人ではなかった。道中、たまたま知り合ったフェバルと意気投合して、道を違えるまでということで共にしてきたのである。

 彼女は、J.C.と呼ばれている。本名は誰も知らない。

 J.C.は、様子の深刻な少女にすぐ気付いた。


「何かあったって顔をしてるわね」

「はい。始まりました。二つの世界に動きあり、です」

「そう……。あの世界にヴィットがいるというのは、本当なの?」

「たぶんですけどね。ま、あたしはあんまり会いたくないんですけど」


 前の惑星エラネルにおける対峙のとき、危うく一思いに殺されかけたことを思い返して、彼女は苦笑いした。

 女は度胸。口八丁手八丁とトーマスさんの協力で何とか乗り切ったけれど、フェバルと正面切って戦うのはさすがに無理がある。


「なら行くわ。ジルフに任せ切りにしておくのも、申し訳なかったし」

「昔の彼のことはわかりませんけど、あたしの知る限り、とても怖い人でした。気を付けて下さい」

「ええ。わかってる。噂話が本当なら――この目で確かめないといけないわ」


 場合によっては、きつくお灸を据えなければならないだろう。戦闘タイプではない自分にそれができるかは別として。


「あなたは? 一緒に来ない?」

「あたしは、フェバルほど身体が強くないので。ラナソールにずっといるのは大変なんです」


 本来いるべきではない人間が、夢想の世界に存在するのは厳しい。問題なく活動できるのは、フェバルがそれほど規格外の存在だからということに他ならない。


「じきに綻びが大きくなってくれば、トレヴァークへ直接入り込むこともできますから。今はタイミングを待っています」

「待つ、か……。緩やかに世界が壊れていくことがわかっていて、何もしようとはしないのね。お互い」


 自嘲も込めた冷めた口調に、赤髪の少女は悲痛な面持ちになった。


「ごめんなさい。仕方のないことなんです。あたしが勝手に色々やるわけにはいきませんから」

「謝ることじゃないわ。私こそごめん。今のはさすがに口が悪かったわね」

「いいえ。でもあたしにできるのは、道を繋ぐこと。それだけですから」


 少女は、固い意志を瞳に込めてそう言った。

 J.C.もまた、彼女の想いを汲み取って、優しく頷いた。


「……そろそろ行くわ。行き方は知ってる?」

「さっき星脈の流れを見ました。ここからだと……ポーラムントを経由するのが一番早いと思います」

「ありがとう。じゃ、一足先に行ってくるわね」

「いってらっしゃい。みんなのこと、よろしくお願いします」

「わかったわ」


 J.C.は姿を消した。

 世界を移動するには自殺する必要があるので、その行為を少女に見せないよう配慮したのだろう。

 誰もいなくなった部屋で、少女はしばし立ち尽くしていた。やがてベッドに腰かけて、これまでのことをぼんやりと思い返す。


 思いかけず始まった「あたしの旅」は、細く途切れてしまいそうな想いを繋ぐ旅だった。

 フェバル、ダイラー星系列。様々な勢力が一挙に集まろうとしているあの二つの世界で。

 全宇宙の命運を分けるターニングポイントが、きっとまもなく訪れる。

 それを知る者たちと、知らぬ者たち。

 それぞれのプレイヤーが、一手で盤ごとひっくり返しかねないほどの力を持ち。

 これから始まるのは、恐ろしいパワーゲーム。弱者は蔑ろにされ、ただ嬲り殺しにされるのかもしれない。


「ユウくん……」


 少女は同情的な気分になって、ほとんど泣きそうな声で呟いた。

 今は蚊帳の外で、何も知らないままで。それでもあなたはあなたの真実を見つけ、戦わなくてはならない。

 状況はほとんど詰んでいるように見える。この絶望的な状態から、いかに逆転することができるだろう。

 アルが言っていたように、『運命は決まっている』のかな……。

 未来へ繋がるストーリーは、まだ霞がかかって見えてこない。

 でも。それでも、あたしは前に進んできた。信じているから。


「ユウくん。やっとここまで来たよ。これからが本当に大変だと思うけど……。ユウくん。負けないで。あたしも負けないから」


 赤髪の少女は、人の可能性を信じている。

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