128「動き出すヴィッターヴァイツ」

 ラナソールで、異変は静かに進行していた。


 未開区ミッドオールの奥地。未だほぼ人の足の達していない果ての荒野の一点。


 世界に、穴が開いた。


 それはまだ、ほんの小さな綻びであるが――。


 しかし、決して閉じることはなく――。


 徐々に面積を増して、やがて等身大ほどで均衡を保った。


 とうとう、消えない穴が開いたのである。


 開いた場所も、大きさも、世界と比べれば、まだまだ見過ごされそうなほどに小さなものであるが。


 だが、いち早く気付いた者がいる。


「ほう。思った以上に早かったな」


 無限迷宮の地下深く。静かに機を伺い、神経を研ぎ澄ませていたヴィッターヴァイツにとって、感知できない異変ではなかった。


「さては――外れ者が増え過ぎたか。抑え込み切れなくなったと見たぞ」


 彼が把握する限り、現在、ラナソールに身を潜める超越者は少なくとも四人。

 うち三人は一か所、何でも屋『アセッド』とかいう下らん店に身を寄せている。取るに足らんなんとかいう小僧がやっている店だが、何が気に入ったのか。

 とは言え、いくら下らん店であっても、彼ら自体を軽視して良いということにはならないだろう。

 その一人、レンクス・スタンフィールドは、至強を自負するヴィッターヴァイツであっても、最も警戒すべき相手の筆頭だ。明確に星消滅級の力を持つとされており、積極的に他のフェバルに関わる生き様で、名もそれなりに通っている。たとえ能力なしであっても、決して油断のならない相手であると彼は考えていた。

 エーナは……「新人教育係」として、ある意味で有名人だが、実力的には大したことはない。能力が使えないのならば、なおのこと取るに足らない存在に過ぎん。障害の頭数としては除外できる。

 ジルフ・アーライズは、唯一、彼の知らないフェバルだった。未知であることは、それだけで警戒するに足る。その上、レンクスの奴が一定の信頼を置いているようなので、それなりの力はあると見るべきか。

 最後に、トーマス・グレイバー。ほとんど常に上裸一貫の奇抜なスタイルという変人で知られるが、元はダイラー星系列の執政官であったことは、その筋では有名である。

 ありのまま団とかいう、見た目ばかりは彼によく似た下らん連中の集まる、これまた下らん組織にひっそりと――あんな恰好をしておきながら、目立たないのが奴の流儀らしい――身を置いていることに気付くには、よほど動向を注視していたヴィッターヴァイツでなければ、まず無理だっただろう。

 トーマスは、自らを傍観の男などとほざいているが、ヴィッターヴァイツは、あの男には惑星エラネルで少々の借りがあった。あの名も知らんクソ赤髪の女と組んで一杯食わされたのは、今思い返しても万死に値する一件である。


 しかし今は、それよりも優先すべき、まったくもって気に食わないことがある。


 この世界において、何者が絵を描いているのかはわからないが。

 彼自身も含めて最低五人となれば、フェバルの絶大な力を抑え込むために必要な代償は、かなりのものだろう。いつどこにガタが来てもおかしくはない。


 とうとう限界が来た。パワーバランスが崩れた。

 彼はそう判断した。


「反撃の一手を打てるかもしれんな」


 今すぐにでも現場に向かいたいところだが、彼は焦らなかった。

 まだ穴は小さい。いずれは増えるだろう。大きくなるだろう。そうなれば強気にもなれるが、今、下手に存在が知られては、その場所を押さえられて、自由に動けなくなる。

 まず他の外れ者たちが、異変に気付いていないことを確かめる。

 数時間ほど、彼は待った。

 そして、おそらく誰も気付いていないことを確認して。

 移動のやり方にも注意を払う。少しでも力を高めれば、本物の気力と魔力を持つ彼の存在はたちまち他の外れ者にも知られるところとなる。

 幸いにも、夢想の世界には、いかなる感知方法にもかからない理想的な移動手段がある。

 ワープクリスタル。

 予め世界各地を登録してあり、いつでも任意の場所へ数時間程度で行ける状態にしてあった。わざわざ無限迷宮などという辺鄙な場所のボスフロアに居を構えたのも、この場所がボス討伐後は『休息部屋』と同じ扱いになるためだ。


 ヴィッターヴァイツは、異変を感じた場所へ向かった。

 そして予想通りの穴を見つけて、口元が緩む。


「開いたままとはな」


 突発的に世界に穴が開く現象は、何度も確認していた。しかし、フェバルである彼が近寄れば、たちまち穴は消えてしまう。

 これまではそうだった。だが今回は。

 試しに手を伸ばしてみる。全てを無差別に吸い込みそうなほど、深い闇が奥を満たしているが。

 全てが思い通りにいくほど、甘くはなかった。

 彼の手が触れた途端、明確に異物として認識された。電流に似た衝撃が走り、彼は手を引いた。


「……弾かれてしまうか。簡単には通してくれんな」


 痛む手を押さえながら、苦々しく顔をしかめる。

 だが、最後の一線を守ってくることは想定の範囲内である。さほど気落ちせず、今の接触で新たに見えたことを冷静に咀嚼する。


「やはり、どこかに繋がっているな。おそらく向こうが本源だろう」


 ラナソールではない、自然な世界がある。

 穴に直接触れたことで、彼の予想は確信に変わった。

 あとは何ができるか。

 ラナソールの内側では、残念ながら抑え込まれてしまっているが。向こうではどうか。

 直接は触れず、穴の向こうに様々なアクションを試みて。気付く。


「ほう。能力は使えるのか」


 能力が使えないのは、あくまでラナソールのルール。向こう側の世界では適用されないというわけか。

 まだ、万全には行使できないようではあるが……。

 重要な事実を知り、顔には邪悪な笑みが戻っていた。


「ならばオレ自身が行けずとも、かき回す程度のことはできそうだな」


 面白くない展開が続いていたが、ようやく愉しみが出てきた。


「さあ【支配】よ。一働きしてもらうぞ」


 世界に開いた穴を通じて、ヴィッターヴァイツはもう一つの世界へ働きかける。

 今、彼に【支配】できるのはたった一人だけだった。しかも対象を選ぶことさえできない。

 本来の彼の力からすれば、笑えるほどに不自由な状態。

 しかし、時間の問題だ。いずれ綻びが広がれば、打てる手は加速度的に広がっていく。


 終わりが、始まろうとしていた。

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