109「家族に会いたくて 4」

「夢想病で。まだほんの子供だったのにねえ。気の毒なことだわ」

「そう、ですか……」

「あなた……顔色が悪いわよ。大丈夫?」

「いえ……もう少し詳しく話を聞かせて下さい」


 彼女が話してくれたところによれば、ヒジマさんの三人一家は雑貨屋を営んでいたが、数年前に一人娘が夢想病を発症。不幸にも彼女の場合進行が早く、わずか数カ月で命を落としてしまったのだという。

 失意の両親は「ここにいると色々思い出して辛いから」と、店を畳んで逃げるように引っ越してしまったそうだ。

 引っ越し先の町は、ドートリコルだと言っていた。

 話を聞いて、ショックで気分が落ち着かなかった。

 亡くなった娘と、ニザリーは関係ないのかもしれない。そうであって欲しい。

 だけど……。

 心に触れたときだ。あのとき感じた冷たい、淀んでいるような感触は……まさか……。

 嫌な予感がする。

 これ以上調べるべきなのか? この先に残酷な真実があるとしたら、余計にニザリーを、彼女を苦しめてしまうだけなのではないか。

 だけど、伝えるかは別として。確かめておきたい。何かの間違いであれば、彼女にとっての希望の芽をこちらで勝手に潰してしまうことになる。


『……ユイ。気が進まないけど、ニザリーを呼んできてくれ』

『……確かめるつもりなの?』

『ああ。そのときは君が触れてくれ。君の手を介して、俺が力を使う』


 呼んだ彼女にユイが触れたのを確認してから、俺は心の力を使って念じた。


『ヒジマ ニコという名前に、聞き覚えはないか?』


 直接言葉では聞かない。だが心に働きかける。

 最初こそなしのつぶてだった。だが繰り返し繰り返し問いかけていると、うっすらとイメージが浮かび上がってきた。

 やっぱりと思った。そして後悔した。

 彼女は、ニコだった。

 寂れたマハドラの街並み。雑貨屋と両親の姿。鏡に映った自分の姿。

 ニコの見ていた世界、のはずだ。

 なのにすべてに、もやがかかったようだった。古ぼけたフィルムのように掠れていて、人の顔がわからない。両親が何かを言っているが、まったくわからない。

 映し出される世界は、不完全だった。壊れていた。

 次第に世界は歪んで、ぼやけていく。あらゆるものが色褪せていく。笑っていた両親も、あらゆる人も、彼女に背を向けて、どこかへ行ってしまう。

 追い縋ろうと伸ばした手は、虚しく空を切るばかりで。

 身を裂かれるような寂しさと、怖さに襲われた。


 それは、死のイメージだった。


 彼女を包む世界は、ゆっくりと閉じていく。やがて何も映らなくなり、虚空に取り残された彼女は、まったく身動きが取れなくなっていた。

 ニコは。彼女は、もうどこへも行けない。何も見えない。わからない。

 暗く、暗く。底のない闇へと落ちていく。

 ニザリーは、また別の向こうにいた。色付いた世界にいた。ラナソールにいた。


 彼女は消えていくもう一人の彼女に気付いて、お互い誰かはわからなくて、でも叫んだ――。


『きゃっ!』


 ユイが手を引く。同時に、俺の手と頭にも鋭い痛みが走った。呻きかけたが、どうにかこらえた。

 よほど深く入り込んでいたらしい。ニザリーの感情に、激しく心が揺さぶられていた。

 恐ろしいという感情に、身が震えていた。涙が出そうだった。

 全身にびっしょりとかいた汗を肌で感じながら、胸が痛くなるほど呼吸を乱しながら、それでも必死に落ち着けようとしつつ、ユイの返事を待つ。


『…………』

『……ユイ。大丈夫か?』

『……あのね。断られちゃった。いや……こわいって……嫌な感じがするって』


 こんな恐ろしいものを見ることになるなんて、思わなかった。精々が、家族の思い出くらいだろうと。タカをくくっていた。

 夢想病で自由を失うことは。死んでいくことは。こんなにも恐ろしいことなのか。


『そうか……。ごめん。辛いことをさせたな。ニザリーに……君にも』

『私はいいの。でも、ニザリーが……』

『慰めてあげてくれ。頼む』

『うん……』


 本当なら、やらせた俺がそうするべきだったけど。ラナソールへ戻ってしまえば、すぐこちらへ来られないのがもどかしい。

 ただ……これではっきりした。してしまった。

 ニザリーは確かにラナソールで生きている。けれど、現実世界の――ニコはもう死んでしまっているんだ。

 考えてみれば、モコのモッピーと同じことだった。あの子も、おそらくは……。

 だから、予想できてもよかったことなのに。いざ人の身にも同じことが起こっていると思い知ると、すっかり動揺してしまった。

 容姿や年齢だけではない。生死さえも、夢想の世界は誤魔化してしまう。

 夢想病で亡くなることは、不幸だが珍しい話ではない。彼女のような「死んでしまった」人が、ラナソールにはきっとたくさんいるのだろう。夢想病にかかっている人と同じく、もう「死んでいる」ことさえ気付かずに。

 ますます寒気のする話で。そしてどうしようもなく悲しかった。

 俺たちは、真の意味で依頼を達成することはできない……。

 たとえラナソールで会わせてあげられたとしても、現実世界の家族はもう、二度と会うことはできないのだ。

 家族に会いたいのは、ニザリーだけじゃない。両親も同じだろうに。


 ――せめて、夢だけでも。


 既に俺を満たしていたのは、悲壮な使命感だった。


 ……ドートリコル、だったな。


 マハドラからはずっと北。『世界の道』トレヴィス=ラグノーディスで結ばれる都市の一つだ。

 名前はわかった。そこへ行き、ニコの両親を探してみよう。

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