94「めげるな! エーナさん 1」

「きゃああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!」


 落ちる。落ちる。長い金髪を振り乱して、どんどん落ちる。

 実は空を飛べば何でもないのであるが、突然のことにパニクったエーナは、そんな簡単なことにも思い至らない。ばたばたと空しく手足を泳がせるだけだった。

 およそ地下30階分は一気に落ちただろうか。

 ようやく底が見えてきたとき、エーナはぎょっとした。

 待ち構えていたのは――びっしりと地を埋め尽くす、金属製のトゲ。

 一つ一つの丈が、人の高さほどはある。問答無用のデストラップである。

 それが見えたとき、もはや一刻の猶予もなく、


「いーやーあーーー!」


 バキバキッ。

 為すすべもなく、額から真っすぐ突き刺さっていった。

 だが刺さった感じの音ではない。

 普通ならあっけなく死ぬところ、無駄に身体は頑丈なフェバルだったので――トゲの方をへし折ってしまった。

 バキバキバキッ。

 勢いのまま、竹を折るかのごとく、無数のトゲをへし折って。

 見事なでこ着地を決めたエーナは、そのまま頭から柔らかい土に埋まっていき、突き立つたくさんのトゲの仲間入りを果たした。

 ふわあっ。

 遅れて、ロングスカートが重力に負けてめくれる。くまさんパンツに代わり、モコちゃんパンツが御開帳。今冬ニューモデル。


 …………。


 数秒の沈黙を破って、エーナトゲがもぞもぞ動き出す。

 幸いにもフォートアイランドの土よりはまだ固さがあったため、もがくほどめり込んでいくということはなかった。

 どうにかこうにか頭を引き抜いて、息も絶え絶えながら、ぬかるんだ土でパックされた顔面を拭った。肩で大きく息をして、足りない酸素を必死で補う。

 こんな仕方のないことで、思いもかけず生を実感し。次第に落ち着いてくると、何だか全てがアホらしくて、一筋の涙をこぼした。


「うう……。死ぬかと思ったわ……」


 どっと疲れた声で呟く。


「服が……しくしく」


 ずたずたになったローブに気付いて、泣くふりをする。半分くらいは本気で泣きそうだった。

 それから前を向き、もの言わず突き立っているたくさんのトゲを睨んで。


「あんたたち。ふざけるんじゃないわよ!」


 八つ当たりとばかり、力任せに周りのトゲを押しのけて、ゾンビのような風体で抜け出していった。

 トゲ地帯も果てて、ようやく普通のダンジョンと呼べるところに戻ったエーナは、ふうと一息。


「まあ、こういうこともあるわよね」


 いつまでも嘆いていては仕方ないと気を取り直して。

 周りをよく確認せずに一歩踏み出したところ、


「きゃあああああああああーーーーーー!」


 2コンボ。

 災難の女神に愛されているエーナは、再び「奈落」のトラップに嵌まって落ちた。



 ***



 地下52階。

 男はただ衝き動かされるまま、無限迷宮の攻略を続けていた。

 なぜかと問われれば、正直わからないと答えるしかないだろう。

 そこにダンジョンがあるからだと、気取ったことの一つは冗談で言えるかもしれないが。

 男はSランクの冒険者である。既に名は十分であり、見返りのために命を賭けてまで危険なダンジョンに挑む意味は小さい。

 もしかすると――男は考える。

 最近観戦した、大魔獣討伐祭の熱気に当てられたのかもしれない。

 いきなり現れて、たった一日でSランクをかっさらって辞めていったユウ・ホシミという男。彼を直接見たのは、その日が初めてだった。

 男がSランクを取るには、実に五年の歳月を要した。天の才能に恵まれた彼を見ると、殺意にも似た強い嫉妬を覚えたものだが。

 ユウ・ホシミと剣麗レオン。まさに伝説と言ってもいいだろう。

 二人の戦いが、そんな感情の全てを吹き飛ばしてしまった。

 既に感動などという感情はほど遠かったはずの彼であるが、心震えなかったと言えば嘘になる。

 あの戦いを観て、しばらくして。

 気が付くと男は、この無限迷宮に足を運んでいた。

 深部まで、限界まで挑んでやろうという、高揚感と焦燥感にも似た決意が今の男にはあった。あわよくば制覇さえ目指していた。


 しかし――思い知らされる。さすがにソロはきつかった。

 男の眼前では、巨大な青いカニに似た魔獣(以下、カニ)がカシンカシンと得意に鋏を鳴らしていた。

 幾多の冒険者を強力な鋏で葬り去ってきたベンディップ。その上位種。

 ベンディップ=ゾーク。

 いわゆる色違い魔獣と呼ばれるもので、現状では無限迷宮の深部のみで生息を確認されている。色が違うと侮るなかれ、下位種とは一つ桁違いの強さを持っていて、万全のSランク冒険者でもそれなりの苦戦を強いられる。

 まして休みなしで潜り続け、消耗を重ねたこの場にあっては。

 まだ行けると踏んでいた。判断が甘かった。気が逸り過ぎて、馬鹿をやってしまったか。

 男は死の可能性をも覚悟して、いかに逃げ切るかに思考を切り替えていた。

 そんな男を嘲笑うかのように、ベンディップ=ゾークは、キモい超速カニ歩きでぐるぐる取り囲むように動き、彼を翻弄する。

 何度か鋏が彼を千切ろうと襲いかかり、彼はやっとのことで避けて、代わりに地面が抉り取られる。

 そしてまた、自らを誇るように鋏が打ち鳴らされた。

 絶対絶命の窮地。

 だが男の目はまだ諦めてはいない。得意の戦術で勝機を見出そうと、指先を動かしかけた。

 そのとき――


「ぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああ!」


 突然、上から女の声が近付いてきた。

 まさか。そんなものが聞こえるのはおかしい。

 即座に思ったが、実際に聞こえてくるものは無視できず、男はカニを警戒しながら見上げた。

 深い闇を破って、女が落ちてくる。

 親方。空から女の子が!

 なんてロマンチックなボーイ・ミーツ・ガール展開になるはずもなく。なったとしても、ビジュアルはおっさん・ミーツ・三十路であるが。

 とにかく、落ちた。


「げべぼっ!」


 淑女にあるまじきおしとやかでない声を上げて、激突。

 頭から思い切りぶつかった。

 あまりに勢いが強烈だったのか、よほどの石頭だったのか。ベンディップはぐらついて足を畳み、その場に崩れ落ちた。

 そして動かなくなった。どうやらくたばってしまったようだ。


「…………は?」


 助かったらしいが、実感がない。わけがわからない。

 あっけに取られていた男は、とにかく状況を理解しようと女に目を向けて――


「いたたた……」


 何事もなかったかのように頭を押さえて痛がる彼女を見つけて、目を疑った。

 かなりの高さから落ちてきたことは想像できた。それだけならまだしも、ぶつかった相手が鋼よりも遥かに硬いと言われるベンディップ=ゾースである。しかも頭から。

 なのに、「いたたた」で済むものだろうか。

 戸惑う男よりも先に、彼の存在に気付いた女が声をかけた。醜態を見られたことにやや気恥ずかしさを覚えながら、口を開く。


「あはは。ごめんなさいね。驚かせちゃったわよね」

「……いやはや、驚いたってものじゃない」


 男は正直に首肯する。助かったという実感もようやく湧いてきて、作り笑みを浮かべる余裕も出てきた。


「こんなところまで平気で来るとは、ただ者じゃあないね。名前を伺ってもよろしいかな?」

「エーナよ」

「素敵な名前だねえ。ついでにファミリーネームも知れたら嬉しいのだが」


 ナンパ口調で付け足す彼に、エーナは答える。


「そんなものないわ。ただのエーナよ」


 私の生まれ故郷ではね、と言いそうになるのをエーナはこらえた。


「じゃああなたも頑張ってね」


 彼に興味もないので、手を振ってさっさと行ってしまおうとする彼女を、彼は血相を変えて引き留めた。


「おいおい。オレの名を聞く気はないのか?」

「……あなたは?」


 とにかく構ってくれオーラがすごいので、彼女は半眼で面倒臭そうに尋ねた。


「ルドラ・アーサム。Sランクの冒険者さ」


 ドヤ顔で言う彼。聞くと大抵の女子はすごいわと目をキラキラさせるものだが、もちろんエーナはそんな肩書に興味はない。


「そう。もういいかしら。行くわね」

「おい待て。そこは――」

「なによ?」


 カチリ。

 ちょっと不機嫌な顔をしたエーナが何かを踏むのと、ルドラが呼び止めるのが同時だった。

 二人を支えていた床が消失し、真っ暗闇が口を開けた。


「きさまああああああふざけるなああああああああああああ!」

「もういやああああああああああああああああああああああ!」


 本日三回目の「奈落」が、二人を襲った。

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