93「エーナ、冒険者ギルドへ行く」

 いつも通り活気溢れる街中を歩いていくうちに、徐々に気持ちが上向いてきたエーナは、確かにあのままレンクスについていかなかった方がよかったと思った。

 レジンバークの道は迷路のように入り組んでいて、しかも高低差がある。大通りと呼ぶべきものはトリグラーブに比べるとずっと少ない。

 そのせいで何度も迷子になり、しまいに空を飛んで確認するという裏技まで使ってしまうのが常だったが。ユイに付き添ってもらいながらしつこく行き来すれば、さすがにギルドへの道くらいは覚えていた。

 人は成長するのだ。生来のおっちょこちょいは、どれだけ生きても改善しないのであるが。


 冒険者ギルドも、いつもながら盛況だった。

 大魔獣討伐祭の収穫も一通り供給が終わって、肌寒くなってきたこの季節は、魔獣の毛皮など服の素材や、暖炉を動かす魔力石の人気が高まっている。

 需要の上昇に伴い、その類の討伐・採取系の依頼がびっしりと掲示板に並んでいた。難易度も手頃なものが多く、駆け出しから中級者までの冒険者には人気が高い。双方幸福な需給の一致である。

 当然良い値や条件を付けるものから順に依頼書は次々破り取られ、いつまでも残っているものは報酬のしょっぱいものや条件の厳しいものばかりだった。

 討伐系ならユイとともにS級魔獣を軽くひねり潰しているエーナは、そんな手頃な依頼には全く食指が動かず、のんびりと掲示板の端から端へ目を動かしていた。


「これなんかどうかしら」


 癖になってしまっている独り言を呟いてから、字面の響きが面白そうなものを一枚選んで、掲示から抜き取る。

 内容はこうだった。


 依頼「無限迷宮シャッダーガルンの制覇」 依頼人:ダンジョンマスター 場所:迷宮都市アルナディア 報酬:5000ジット


 依頼書は明らかに黄ばんでいて、長い間誰も取らなかったことがすぐに察せる。依頼人は実質匿名。そして成果に対して報酬があまりに安過ぎる。

 つまりは典型的な地雷クエを掴んでしまっているのだが、エーナは気付いていなかった。

 そのままぼったくりバーにでも連れていかれそうな呑気な顔で、カウンターへ。

 応対したのは、新人の受付嬢だった。

 ギルド名物、受付のお姉さんは、「旅行に行ってきます!」と鼻息を荒くしてフロンタイムへ渡っていき、帰ってくるのはもう一週間は先である。さあ何の旅行でしょうね。


「この依頼を受けたいのだけど」


 エーナは、依頼書と一緒に、『アセッド』の社員証兼認定証を見せた。これはミティの発案で、もしかすると今後従業員が増えていくかもしれないから、身分の証になるものを作るのですぅ! と意気込み、ユイが日本の運転免許証を参考にして、ぱぱっと作ってしまったものである。偽造防止のために魔力印が押されているが、これはサークリスの魔力鑑定書の仕組みをやはり参考にしたものである。片手間で作った割にはクオリティが高いものだった。

 ミティのような一般従業員は社員証のみを、エーナのような実力者には認定証を合わせて発行する決まりごとだ。

 社員証兼認定証をみた新人の顔が、ぱっと明るくなった。


「おお、アセッドの方ですね!」

「あら。私たちのこと、知ってるのかしら」

「もちろん存じておりますよ。先日は失くした指輪を拾って頂いて、ありがとうございました」

「いえいえ。人助けが私たちの仕事ですもの」


 依頼のことはあまり詳しくないエーナは、とりあえず適当に合わせておいたが、新人はいたく感激して頷いた。


「とても素晴らしいことです」


 つつがなく依頼は受けられそうな流れだった。

 この一年でユウとユイが築き上げた信頼は相当なもので、店が認定した人間であれば、冒険者でなくともA級相当の依頼まではほぼ無審査で受けられることになっている。そうでなくても、エーナが持ってきた依頼はフリーランクのものなので、断られる理由はないのだが。


「え、これは……」


 依頼書に目を通した新人が、目を点にしたまま固まる。

 いたずらとしか思えない内容にである。

 フリーランクの依頼には審査がないので、下手すると「うんこ」「恋人募集中」でも貼れてしまう。あまりにふざけたものは剥がしてしまうのだが、これは一応条件も明確で報酬まで書いてあるので、ぎりぎり依頼の体を成している。

 彼女の困惑を、それだけ高難度の依頼なのだろうと勘違いで受け取ったエーナは、得意気に尋ねた。


「難しいのかしら」

「ええ、それは、とても」


 未だ誰もクリアしたことがないダンジョンなのだから、聞かれた通りつい素直にそう答えてしまう。

 これが慣れている人なら、「絶対いたずらですよこれ」と軽く笑いながら指摘したものだが、新人にそこまでの器量はない。


「大丈夫よ。任せなさい! 私を誰だと思っているの」

「そう、ですね。そうですよね」


 きっとそうだ。この人は中身を理解して、あえて引き受けている。何か裏の狙いがあるのかもしれない。

 だってあのアセッドの認定者が、まさか知らずに受けようとしているなんて。そんな馬鹿な話があるはずがない。

 もし失敗したとしても、誰も困る案件ではないし……。

 新人は勝手に納得して、結局二人はすれ違ったままだった。


「掃除係のエーナよ。覚えておきなさい」

「あ、え? はい……」


 新人は急に不安になって怪訝な顔をしたが、エーナは気付かなかった。

 新人から依頼の詳細が書かれた紙を受け取って、それが何ら新しい情報を付け加えていないことを確認して――普通ならここでおかしいと思うのだが、エーナはまた知らずに目的地のところへ目を留めて呟いた。


「迷宮都市アルナディアか。ちょっとだけ行ったことがあるわね」


 元々『事態』を調査にしに来たエーナは、掃除婦をしながらもその使命を忘れてはいない。ユウたちを頼りにしつつも、全てを人任せにはせず自分で調査することもあった。そこで向かった先の一つが確かそんなところだった。

 だったら、転移魔法で行けるはずだと頷いて。

 実行した。


《コーレンタム》


 その言葉を最後に、エーナの姿は――


「消えた……」


 驚き目を丸くする新人は、しばらくその場から動けなかった。

 その後しばらく騒ぎになり、人づてに話を聞いたユイが頃合いを見計らってエーナさんを説教することになるのだが、それはまた別の話。



「よいしょっと。あっさり着いたわね」


 途中の道程をすっぱり飛ばして、いきなり無限迷宮の前に彼女はいた。転移先として指定したポイントが、たまたま目立つこの場所だった。

 星が口を開けているとしたら、こういうものだろうか。そんな感想を誰でも抱いてしまうほど、巨大な穴がぽっかりと口を開けている。

 入口はなだらかな傾斜になっているようだが、奥はすぐに暗くなってしまって何も見えない。絶えず中へ吸い込む方向に風が吹いていて、エーナの長髪はしきりに揺れた。

 一見すると、入ってしまうと飲み込まれて出られないのではとさえ思わせるほどそら恐ろしい見た目だが。

 意気揚々と乗り込んでいく冒険者たちと、疲れた顔や満足した顔で戻ってくる彼らが、あそこがブラックホールか何かではないことを教えてくれる。

 しかし、エーナは目の前の穴のことなど今は全く気にしておらず、思考は全く別の場所へ飛んでいて――


「……ユイちゃん、どこであんな高度な魔法技術身に付けたのかしらね」


 彼女が転移魔法を無詠唱で使っていた事実を唐突に意識させられて、今自分は詠唱「しなければならなかったこと」と対比して、ほとほと感心していた。


 エーナの出身世界における魔法体系は、通成魔法と呼ばれている。数々の同値な体系を含めると、宇宙では最も一般的に普及している魔法体系であり、習得難度もそれなりである。

 一方、ユイを始め、惑星エラネル――特にサークリスの魔法使い達が普段当たり前のように使っている魔法体系は、実は宇宙全体で見れば極めて珍しいものであり、魔素魔法と呼ばれている。

 魔素に限らないが、魔素を始めとする魔法要素から、イメージを介して直接魔法へと変換するやり方である。直接変換のため、属性変換ロス以外のロスを一切生じず、エネルギー変換が効率的なところに最大の長所がある。さらにイメージのみで完結する特性上、高速発動や無詠唱を容易にするという利点もある。

 だが裏を返せば、イメージの段階で構成をほぼ完了しなければならないということでもある。よほどしっかりできないと、正常な魔法の発動が至難を極める高等技術であった。

 実際、大人になってからの習得はほぼ不可能であり、小さい頃からこの方式に慣れ親しむか、ユウとユイのように(当時は無意識ながらでも)絶対記憶および習得の助けを借りねばならない。

 対して通成魔法では、難しい直接変換はしない。魔法の発動を安定化させるために、まず体内と外界とのチャネルを構成する。そしてチャネルに属性を付加し、予め指向させることによって、発動が容易な土壌を形成してから魔法自体の構成に移る。

 ただし安定化の代償として、行使する魔法の威力に応じてチャネルの構成・維持のための消費魔力――チャネリングロスが追加で発生する。しかもチャネルの構成分、一般的には魔素魔法より構成に時間がかかる。

 それでも、精霊という「よくわからないもの」を介して中間マージンをがっぽり持っていかれるこの世界の精霊魔法と比べるとかなり効率が良いのだが。

 同じ魔法要素を消費するなら、精霊魔法が1、通成魔法が2、魔素魔法が3くらいの威力の差がある。

 一見魔素魔法を使いこなすユイよりも、通成魔法を操るエーナの方が凄まじい魔法が使えるように見えるが、ただ地力の差が大きいというだけのことに他ならない。

 だから、ユイがそうであったように、エーナも実はユイの魔法には目を見張っていた。いや、少なからず成長に驚かされてはいたが、今改めて思い起こして、目を見張らされた。

 効率性、構成力、制御力、どれを取っても超一流の域に達している。

 ただ自分たちと「与えられた力」の差があり過ぎるだけで、「持っているもの」の使い方にかけては、だらだらと長く生きてきただけの自分たちより上なのではないかと。

 初めて会ったとき、素人も同然だった子が。

 たった十年。フェバルからすればゴミのような時間だ。

 それだけの間に、どれほどの経験を積めば。あそこまで自分を把握し、研ぎ澄ませることができるのか。

 いつもの緩んだところや、どこかあどけなさすら残る雰囲気の影に隠れてわかりにくいが、相当な修羅場をくぐり抜けてきたことは想像に難くなかった。


「あの子たち、普段は全然そんな素振り見せないのに。すごいわねえ」


 ひとしきり感心して、


「レンクスが守りたいって気持ち、ちょっとわかった気がするわね」


 フェバル、星級生命体。そうしたものの「レベルの違い」をよく知っている彼女は。

 あの二人が「人のまま」で目指している先が何か、「人としては」芸術的なレベルにまで高めてきた力は何のためか、もうとっくに理解が及んでいて。

「どこまでも無駄な努力」を続ける二人が、そこまでして頑なに守りたい「人の世界」を――できることなら、まだ夢を見たままでいさせてあげたいと思った。

 ――そんなものは、たった一つの指先で、ほんの少しの気まぐれで、容易く壊せるとしても。


「ふっふっふ。となれば、このダンジョンからも何か手がかりが掴めるかもしれないし。フェバルならこんなとこ、朝飯前よね。いくわよ! 制覇! 待ってなさい!」


 気合いを入れて洞窟をビシッと指さし、盛大な独り言を呟いた。

 ちなみにこのとき、突然何か叫んでポーズを決めた彼女は浮いて、周りの冒険者から白い目で見られていたりするのだが、たくましく鈍感な本人は気付いていない。

 そしてチートな身体スペックを贅沢に使って、これまでのどの挑戦者よりも速く洞窟へ駆け込んでいき――


「きゃあああああああああああああーーーーーーっ!」


 洞窟に入ってからわずか十秒で、奇跡的な悪運を見せつけた。

 これまでのどの挑戦者よりも早く、これまでのどの挑戦者も踏まなかった「奈落」の落とし穴トラップに引っかかって、真っ逆さまに落ちていった。

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