43「エーナさんがやって来た」
たまにユウの報告を受けながら、『アセッド』を切り盛りしていたある日のこと。
いつものようにテーブルに突っ伏してクソニート満喫していたレンクスが、ぴくりと眉をひそめて、上体を起こした。
口元にはだらしなくよだれが付いているが、それを袖で拭いつつ。
彼は神妙な顔でぽつりと言った。
「何だろうな。この世界の外から迫って来てるようだぜ。大きな力を持つ奴が」
「そうなの!?」
私には気が読めないが、こいつは気の扱いには長けているから、ユウと一緒で感じ取れるのだろう。
私は身構えた。レンクス基準で大きな力を持つというのだから、相当なもののはず。
「いや、それほどでもないか?」
少しだけ真面目な反応を示していたものの、近付いてくる反応をより正確に捉えたのか。
すぐにレンクスの表情からは、緊張が消え失せていた。
そればかりか。彼はなぜか、屈託のない笑顔を見せたのだった。
「なるほどねえ。この調子だとフォートアイランドに着陸しそうな勢いだな。なあユイ、迎えに行ってみようぜ」
「えっ、迎えに? 誰を?」
「行けばわかるさ」
レンクスは、にやにやした笑みを浮かべた。
まだ小さい頃の私たちをからかうときによくしていたような、ちょっぴりむかっとくるやつを。
「よっしゃ。さすがに飛んでいくより転移魔法の方が早いだろ。頼むぜ」
「あ、うん。ちょっと待って」
私は転移魔法の準備をするために、魔力を練り始めた。
すると、カウンターを拭いていたミティから声がかかる。
「お出かけですかぁ? またまた急ですね」
「うん。どのくらいになるかわからないけどね」
「かしこまりました~。お留守はお任せ下さいですぅ」
ミティはにこりとして、とんと胸を叩いた。
よし。もういつでも飛べる。
私は手を差し出した。
「レンクス。オッケーだよ。つかまって」
「おう。うひひ、今触れるぜ」
「……そんな手をわきわきしてたら置いていくよ」
どこに触る気なのよ、と軽く睨み付けると。
「へへ、いやあ冗談だって! 怖い顔すんなよ」
へらへらする変態はいつも通りスルーして。
私は彼の手を取ってあげず、肩を掴んで転移魔法を発動させた。
***
浮遊感に身を包まれたかと思うと。
もうそこは以前噴火を止めた観光地、フォートアイランドだった。
向こうには土口が見える。実は山の中腹にマーキングを施しておいたの。
ここなら見晴らしが良いから、何が来てもわかる。
さて。どんな人が来るのかと辺りを見回してみたけれど、まだどこにも人の姿は見当たらない。
「ちょっと来るタイミングが早過ぎたかな?」
「いや。ばっちりだぜ」
隣で腕組みしていたレンクスが、にっと不敵な面構えで空の一点を見上げていた。
つられて、私も空を窺う。
何も見えないけど、もう来てるのかな。
「……ぁぁぁ」
ん? 今、何か聞こえた?
「……ぁぁぁぁあああああああ」
気のせいじゃない。
上空から、誰かの声がかすかに届いてくる。
よく耳を澄ませてみると、女の声だった。
それも、結構前にどこかで聞いたことがあるような。懐かしいような。
『心の世界』に問い合わせて確かめるよりも早く、彼女の正体は迫真の悲鳴と共に明らかとなった。
「きぃゃあああああああああぁぁぁあああーーーーーーーーっ!」
あっ、あれは!? エーナさん!?
あのときとまったく同じままの姿。
思わず目を見張った。偶然にも、ここから近い。
いかにも魔法使い染みた格好をした金髪の女性が、涙と鼻水を撒き散らしながら、落ちていく。
忘れもしない。
16歳の誕生日、初めて正式にフェバルとなることを告げてきたのが彼女だ。
私とユウにとっては、レンクスと同じ大先輩のフェバルに当たる。
物悲しげでミステリアスな雰囲気が、とても印象に残る方だった。
そんな大先輩が。
えっと、あれ?
どうして、やけにみっともない悲鳴を上げて……?
「いやぁぁああああっ! ぼぶっ!」
べちゃ。
近くの山肌に、墜落した。
騒がしい悲鳴が、ぴたりと止む。
私はぽかんと口を開けていた。きっとよそから見ると、ものすごく間抜けに見えていたと思う。
だって。あまりにも。あまりにもイメージと違うんだもの。
とても同じ人とは思えない。
予想外の情けない彼女の姿を目の当たりにして、困惑から言葉が紡げなかった。
現実を直視できず、そろりと首を彼に向ける。
「ねえ……今の、エーナさん……だよね?」
「じゃねえかな。間違いなく」
クスクスと愉快そうに笑うレンクスは、しかしまったく驚いていない様子。
この人にとってエーナさんって、そもそもああいう感じなのだろうか。
何だか勝手なイメージが、音を立てて崩れていくような。
まあとにかく。
「寄ってみよう」
「おうよ」
やっぱり墜落場所は近かったみたい。
私たちは、ほどなく彼女を見つけた。
チーン。
あえて表すなら、そんな表現がまさにぴったりだった。
彼女は柔らかい斜面に、頭から垂直に突き刺さっていた。
せっかくのクールなローブが見事にべろんと裏返って、露わになったかわいいくまさんパンツが山風に揺られている。
そして、死にかけの虫のように、左足をヒクヒクと引きつらせていた。
とてつもない不意打ちを食らって、さすがに私も吹き出すのをこらえ切れなかった。
「ぷっ……ふふふ! あ、えーと。ごめんなさい」
「あっははは! だっせえええええええ!」
レンクスは指を差し、腹を抱えて思いっ切り爆笑している。
私はどうにか吹き笑いを抑え込んで、そんな彼を冷ややかな目で見つめた。
でもあんた。人のこと言えるの?
こっち来たときは同じように埋まってたくせに。
……まさか。これを見たいから急かしたんじゃないよね?
もはやそれが目的だったとしか思えないレンクスは、まだ笑い足りないようで。ついに両手まで叩き始めた。
エーナさんは、私の存在に気付いたらしい。
「だえぁ……いうもぉ? いうんもひょぉ?」
何を言ってるのか、さっぱりわからない。
頭が土に刺さったままなので、声がこもっていてよく聞こえないの。
しかし言いたいことはわかる。悲しいくらいにわかってしまう。
「ぶっははははは! ダメだ! お前よお、最高だぜ!」
「そももも、もむ。めんむふっ!」
むーむーうなって、どうにか抜け出そうと足を必死にばたばたさせるけれど。
そのたびにパンツのくまさんが、ちらっちらとこちらに無邪気な笑顔を向けてくる。
そして狙いはさっぱり上手くいかないようだった。
計算されたかのように素敵な力配分で、彼女はドリルが刺さるようにさらに地の底へ埋まっていく。
ついに万策尽きた彼女は、もごもご涙声で懇願した。
「たしゅけへぇぇぇ」
さすがにかわいそうかしら。そろそろ出してあげようかなと思ったところ。
笑い過ぎで目に浮かんだ涙をこすって、レンクスがついに動き出した。
彼女のひくひくしている左足を両手で掴むと、大根でも引き抜くように勢い任せで引っ張り出す。
髪が筆のように垂れ下がった、土塗れの金髪女が出土した。
「ぷはっ! ああ助かった! 死ぬかと思ったわ!」
見事なものよ。顔面が土パックされている。
そんな彼女に、レンクスはふっと口元を緩め。
どこか小馬鹿にしたようなスマイルを浮かべて告げた。
「ウェルカムトゥーラナソール」
奴の顔をまじまじ見るなり、エーナさんは逆さ吊りになったまま憤慨する。
「って、やっぱりレンクスじゃないの! なんですぐに助けてくれないのよっ!」
「面白かったんでつい」
彼は悪気もなくあっけらかんとして、こちらに同意の目を向けてくる。
エーナさんのじと目もこちらに移る。
私はどんな顔をしていいのかわからなくて、とりあえず苦笑いで誤魔化しておいた。
それからレンクスは、逆さになっていた彼女をひっくり返して降ろしてやると、顔にこびり付いている土も剥がしてあげた。
やっと素顔が拝めるようになる。
改めて見ると。エーナさんは、やっぱりエーナさんなのだった。
見間違いを一ミクロンくらい期待していたけど、そんなことはなかった。現実は非情ね。
彼女はこちらのことをちゃんと覚えているようだった。
どこか申し訳なさそうな、遠慮がちな笑顔で話しかけてくる。
「あなた、ユウよね? しばらくぶりね。と言っても、フェバルなんてみんなそんなものだけど」
「お久しぶりです。エーナさん」
私はぺこりと頭を下げた。
エーナさんは私を見て、感心していた。
「へえ。見ないうちに、随分女の子らしくなったものね。見違えたわよ」
レンクスが「いや」と口を挟む。
「女のユウが、旅を重ねるうち女の子らしくなっていったのはな。確かに事実なんだけどよ。こっちは正真正銘、最初から女の子の人格だ。前に話しただろ?」
「ああそうだったわね」と頷くエーナさんに、私は言った。
「どうも。中の人です。ユイと呼んで下さい」
「ユイちゃんね。よろしくね」
うんと彼女は納得しかけて、しかしはてと首を傾げた。
「待って。おかしくない? ユウの『心の世界』のことなら少しは知ってるわよ。私も能力で調べたから。でもあなた、外には出られないはずじゃないの?」
「それが。本当はそのはずなんですけど」
「ユウとユイ、今二人別々に分かれちまってるんだ」
「ええっ!? そんなことってあり得るの!?」
エーナさんは、仰天していた。
構わずレンクスは続ける。
「あってしまったんだな。この世界、ぶっちゃけかなりおかしいんだよ。許容性も馬鹿みたいに高いし、世界に変な穴は開くし、能力はつか――」
彼が最後まで言い終わる前に、彼女はやけに興奮した調子で口を差し挟む。
「そう! そうなのよ。おかしいのよ、この世界!」
「何だか妙に訳知り顔だな」
「ええ。【星占い】によると、とんでもないことが起こるって出てしまってね。それを調査するために、私はこの世界にやってきたの」
彼女はどうやら、強い懸念と使命感を持っているようだった。
「とすると、いつものあれ――フェバル覚醒予定者抹殺のお仕事ってわけじゃないのか」
「あれも大事だけどね。今回は別件よ」
エーナさんの声色に、真剣味が伴っていた。
私は気になって尋ねる。
「とんでもないことって言うのは?」
「それなのだけど。詳しいことはまだわからないの。とにかくこの世界でやばい『事態』が起こるって。それで大慌てで来ちゃったものだから」
『事態』。わざわざフェバルが強調して言うそれは、一体どれほどまずいことなのだろうか。
レンクスの言うことを信じるなら、エーナさん【星占い】は、それによって知れる内容に精度が低い部分はあれど、その精度においては決して外れることがないという。
なら。その『事態』というのは、必ず起こってしまうということなのかな。
何となく、私たちの『心の世界』に巣食うあの「闇」と関係があるような気がしてしまい、不安に駆られる。
「調べたいものが近くてはっきりしてるほど、私の能力は高い効果を発揮するわ。つまり、この世界でこそ真価を発揮するというわけね」
得意気な顔で、彼女は土塗れの魔女帽子をぴんと指先で弾いた。
「ちょうどいいわ。これからあなたたちにも協力してもらうわよ。早速【星占い】で……って、あれ? あれれ!?」
エーナさん、深刻な顔で唸り始めちゃった。
初めて使えないことに気付いたのでしょうね。それは焦るよね。
そんなエーナさん、最初は黙って真面目に念じていたのだけど。
そのうちやけくそになって、えいとか、やあとか、むんとか、とにかく色々な言葉で攻め立てて。
結局無駄だということがわかるまでに、へとへとになっていた。
あまりにむきになって続けるものだから、私たちも声をかけにくくて。
肩でゼーゼー息をするエーナさんは、とうとう頭を抱え、喚き叫んだ。
「あああ!? なぜ? どうしてよっ! どうして能力が使えないのおおおっ!?」
そんな彼女を生暖かい目で見つめるレンクスは。またふっと口元を緩め。
今度はどこか皮肉気なスマイルを浮かべて、手を差し伸べたのだった。
「ウェルカムトゥーラナソール」
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