42「ユイの心配事」

 私は時折ユウから報告を受けつつ、ちょくちょくユウの心を覗き見しつつ、ラナソールの日常をこなしていた。

 ミティに料理修行を付けてあげたり、レンクスのケツを叩いてごみ拾いに行かせたり。

 魔法が得意な私向きの依頼をてきぱきとこなしたり。夜にはお客さんに料理を振る舞い、レンクスのセクハラを適当にあしらったりして。

 未知の世界に遭遇して、どこか気を引き締めながら暮らしているユウに対して。

 こちらの暮らしはまったりそのものだった。


 ユウがトレヴァークの調査を開始してから、もう十日以上になるのか。 

 うん。やっぱりちょっと寂しいかな。ユウの肌が恋しく感じる。

 いけないよね。そんなこと言ったら、リルナさんなんてもっと寂しいはずだ。

 お姉ちゃんなんだからしっかりしないと。


 私はしかし、あることを思うと。

 どうしても不安に胸を駆られてしまうのだった。


 ……でもね。


 私がくっついていたいのは、寂しいだけじゃないの。

 それだけじゃないんだよ?


 最初は、ただ身体がユウの中へ戻りたがっているのかと思っていた。

 確かにユウとくっついていると、本来あるべきところにいるような気がして安心する。

 逆に側にいないと心が落ち着かないことがある。

 けどただそれだけなら、私がしっかりすれば済む話だと思っていた。

 でも、違うの。それだけじゃないの。

 最近、胸騒ぎのして仕方ないことがある。

 あなたはまだちっとも気付いていないけれど。


 あなたには言えないことがある。

 別に悪気があるわけじゃなくて。どうしても怖くて。

 だって、あのときと同じ匂いがするから。

 あなたが「それ」を認識したときに、万が一「それ」に触れてしまったときに。

 どうなってしまうかわからないから。


 あなたの中で「それ」は。

 あなたが気付かない内に、少しずつ、少しずつ。力を増している。

 このラナソールに来てから「それ」は、はっきりとは目に見えない速度で、しかし着実に膨れ上がってきている。


 私は見つけてしまった。


 あなたの心の中、奥深くに巣食っている底知れない「闇」を。

 それに秘められた計り知れない「力」を。


 黒の力。


 そうとしか形容のできない何か。

 これまでユウの培ってきたものとは、明確に性質を異にする何か。

 あまりにも物騒で、どこまでも冷たくて、恐ろしい。

 とても「それ」に触れる気にはなれなかった。

 触れた途端に、私は呑まれて掻き消されてしまうでしょう。

 でもどうして。

 私が中にいたときには、決して現れることはなかったのに。

 どうして、突然……。

 わからなかった。でもきっかけがあるとすれば。

 私がユウと分かれてしまった、そのことにあるとしか考えられなかった。

 こんなにおぞましく、あまりに似つかわしくないものがユウの中に巣食っている。

 そのことを思うだけで、身が震えるほど怖い。

 けど私は、初めて見るはずのそれをよく知っているような気がした。

 素直に胸に手を当ててみれば、明らかだった。


 ――まるで、ウィルの纏う力と同じじゃないかって。


 気が付いて、ぞっと悪寒が走った。

 すべてを凍てつかせるほどの冷たさが。どこまでも似ている。

 まるで兄弟のようにそっくりで。


 ……かつてトーマスというフェバルが、ウィルとユウは似ていると言っていた。


 とてもそうとは思えなかったけど。この力を見る限りは、あながちでたらめでないような気がする。

 むしろ的を射ているのではないかとすら。


 私はたまらなくなって、レンクスにこっそり相談してみた。

 でもあいつは、ひどくばつの悪い顔をするだけで。

 はっきりとしたことは何も言ってくれなかった。何も!


 どうして。

 どうしてフェバルはみんな、肝心なことは何も言ってくれないの!?


 憤慨したけれど、彼は申し訳なさそうな顔をして押し黙るばかりだった。

 でもそこには私への同情と強い思いやりが感じられたから、私もあまり強くは言えなかった。

 ただ一言、これだけは教えてくれた。


「ウィルが言っていた。本当のお前たちの力は、こんなものじゃないってな」

「あいつが、そんなことを……?」

「ああ。心の力は、使い方次第で黒にも白にもなる。白はお前たちが体験した通りだ。そしておそらく……黒がそれなんだろうな」

「あれが……!?」

「いずれにせよ、恐ろしい力だ。触れないに越したことはない」


 私はショックだった。

 白はまだ、わかる。自分を見失うのは怖いけど、まだわかる。

 あれは無秩序に心を繋げていった果てに現れてしまう力だから。

 でも!

 黒。あんなものが。

 あんなものが、ユウの本当の力だって言うの……!?

 頭ではいくら否定したくても。存在を認識したときから、嫌でもわかってしまうのだった。

「あれ」は突然現れたものではない。

 ずっと昔から『心の世界』において、極めて重要な位置を占めていた。

 おそらく、私たちが異世界へ旅立つその日よりも前から。

 ずっと。そこにあった。

 私たちは、ただ気付かなかっただけ。いや、知らない振りをしていただけだ。

 せっかく見えない振りをしていたのに。できていたのに。

 私というベールが剥がされることで、とうとう手に触れそうな位置にまで出て来てしまった。

 私たちは「それ」が何なのかさえ、まだ何もわからないというのに!


 今はまだ、何も起こってはいない。すぐに何かが起こりそうな気配もない。

 ユウはいつでも触れられるところにいる。

 あなたはいつも通り優しくて、あったかい。

 私だっていつも通り。

 ただ一人が二人になっただけ。それだけだ。

 だから何も心配はない。そうだと思いたい。


 ……でもユウ、言ってたよね。


 こんな甘えん坊で寂しがり屋の俺が独りでいたら、きっとすぐダメになってしまうって。

 わかるよ。あなたのことはずっと見てきたもの。

 あなたは孤独に耐えられない人。

 誰かが側にいるときは強いけれど、誰かが支えてあげなければ、本当に脆い。


 私は、それが怖い。本当に怖い。


 今はまだ、繋がっている。

 でも、この世界は普通じゃない。

 私たちはいつ切れるともしれない細い細い糸で、辛うじて繋がっているだけなのかもしれない。

 いる世界をも分かたれてしまったことで、その不安はますます強まっている。

 だから……もしも。

 私とあなたが、何かのきっかけで本当に離れ離れになってしまうことがあったとしたら。

 私があなたの側にいられない日が来てしまったら。

 私がいることで満足に抑えられていたものが、何かのきっかけで脆くも崩れてしまうのではないか。

 そのときこそ。あなたの力が、いよいよあなたに本物の牙を剥くのではないか。

 そんな気がしてならないの。

 血反吐を吐くよりも、ただ能力が暴走することよりも。

 もっと恐ろしい何かが。


 ――ううん。


 そこまでの嫌な考えを振り払うように、私は強く首を振った。


『心の世界』に巣食う「闇」と向き合って、戦う意志を固めた。


 大丈夫。大丈夫だよ。ユウ。

 私が支えるから。私が守るから。

 あなたから優しさを失わせることなんて、絶対にさせない。


 密かな決意を胸に、私はいつもと変わらない私を演じ続ける。

 ユウが私の心の奥深い部分までは、無遠慮に覗かないのを良いことに。

 今は、私だけの秘密。

 いつかまた、私とユウが一つに戻るその日まで。

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