33「俺のパンツ」

 レオンと別れ、三人で帰宅すると。

 いの一番にミティが出迎えてくれた。


「おかえりなさいですぅ! 皆さん、思ったよりお帰りが早かったですね」

「色々あってね。ちゃんとお留守番してくれたんだね。ありがとう」

「えへへ。そんな大したことじゃないですよぉ」


 ミティは俺に甘えを求めて、少し身をかがめ頭を差し出した。

 軽く撫でであげると、にへへとだらしなく口元を緩める。

 ユイが下唇を噛んで、羨ましそうにこちらを見ている。

 わかったよ。君は後でね。

 あ、ひとまず満足してくれた。

 スキンシップを済ませてから、すぐに尋ねた。


「俺たちがいない間、レジンバークの様子は何か変わりないか?」

「どうしたんですかぁ。そんな深刻な顔して。お仕事いっぱい溜まってる以外は、特にお変わりありませんよ」

「そうか。ならいいんだ」


 一安心する。念のため帰りに街の様子を眺めてから帰ったのだが、レジンバークは変わらず平和なようだ。

 ふう。久しぶりに気を張り詰めたら疲れたな。


「風呂にしよう。ユイも入るよな。どっちが先にする?」

「ユウが先でいいよ。私は時間かかるから」

「悪い。じゃあお言葉に甘えて」

「俺はいいや。寝る」


 レンクスが気怠そうな目でひらひらと手を振った。


「うん知ってた」

「上着お持ちしますね」


 ミティがささっと進み出て気遣いしてくれるので、俺は礼を言ってジャケットを手渡した。


「どうもな」


 着替えを取りに行くため二階に上がると、俺の部屋は綺麗に掃除されていた。

 床はつるつるてかてかと輝き、ちり一つもない。

 ひょこひょこ付いてきたミティがふんと鼻を膨らませて、部屋の中を手で指し示した。


「師匠たちがいない間、ピカピカにしておきました!」

「すごいじゃないか。そこまでしてもらわなくてもよかったのに。申し訳ないな」

「いえーそんなそんな。働く者として当然の務めですよぉ」


 胸を張ってそう言ってから、頭をすり寄せる。

 追加のなでなでをご所望らしいので、望みの通りにしてあげた。本当に積極的な子だよな。


「えへへ」


 後ろで指を咥えているユイ。

 後でたっぷり構うから、今は許してくれ。な。

 それにしても、君がそんなに焼きもち屋とは思わなかった。

 でもそうだよな。リルナと傍で付き合ってたときは、ずっと俺の横にいて全部を共有してたわけだから。

 こうして外に出なければ、焼きもちを焼く必要がなかったんだな。


 それからタンスを開けると、妙な違和感があった。


「あれ。パンツが一枚足りないような気がするんだけど」


 他の人ならすぐには気付かないかもしれないが、俺にはわかった。

 完全記憶能力があるから、足りないものがあればすぐにわかってしまうのだ。

 失くしたのは男物のしましまのボクサー風パンツだ。この世界でユイと分かれたから履くことができたものである。

 さりげに気に入ってるんだよなあれ。

 どこに行ったのだろう。出かける前にここは弄っていないはず。

 誰かが盗ったとか? ユイパンならともかく、俺のパンツがそんな需要あるとも思えないのだが。


「な、なな、なんのことですかぁ?」


 ここにあった。


「ミティ。正直に言ったらそれはあげよう。君かな?」

「はい! わたしですぅ! わたしがやりましたぁ!」

「よし。返せ」

「うえええ。そんなぁ! 騙したんですか!?」


 うん。ごめん。

 俺の知らないところでいかがわしい使い方されてると思うとね。さすがに。


「では……少しだけ、後ろを向いてていただけますか?」

「うん? どうして」

「いいからとっとと後ろを向きやがれぇですぅ!」

「わかったよ」


 たまにすごい口悪いよな。この子。

 言われた通りにしてしばらく待っていると、いいですよと声がかかる。

 振り向けば、彼女の手にはしっかりと俺のパンツが握られていた。

 彼女はその場から動いたわけではない。懐に隠し持っていたのだろうか。

 彼女を見つめるユイが、口を開けたまま固まり付いていた。

 一体どうしたって言うんだ。


「はい……です……」


 ミティは頬をほんのりと赤く染め、消え入りそうな声で俺にパンツを返却した。

 渡されたパンツは、妙に生暖かった。しかも変なシミまで付いている。

 そしてミティは、きゃーと小声を上げて両手で顔を覆っている。

 まさか。パンツを持つ俺の手が震えた。

 いやいや。それは。ないだろ。

 縋るようにユイへ目を向けるも、放心したままの反応が嫌に生々しい。


 え、マジで?


 真っ赤なミティの様子と、ほかほかパンツがありありと物語る確信めいた想像に、俺もフリーズしかけていた。

 しかしどう考えても、この状況で導き出される結論は一つしかない。

 こいつ。


 履 い て や が っ た !


「ちょっと……ミティ……。あなた、やっぱり度が過ぎてるよ……」


 我に返ったユイが、弱々しくミティを批判する。

 相手がレンクスならば変態だと弾き飛ばせるが、この美少女では性質が同じ行為でも気が引ける。


「ううう。だって好きだから仕方ないじゃないですか!」


 心に深くトゲが刺さる。

 まだ俺は君のことそんなに好きなわけじゃないのに。温度差がとても悲しい……!

 俺は何と言ってやればいいんだ。人のパンツは履かないでねと。

 馬鹿げている! あまりにも!

 ただただ何も言えず困惑していると。

 ユイは千尋の谷よりも深い溜め息を吐いて、豆腐の角でも傷付けず撫でるようにやんわりと言った。


「あのね……。好きなのはよくわかった。ごめんね。もう止めないし、何も言わないから……」


 かなり引き気味ではあるが。

 そんなユイのおかげで、俺もどうにか優しい言葉をかけることができた。


「わかった。うん。わかった。好きだもんね。君は悪くないよ」

「うぅ……」

「俺も好きな子のパンツの匂いは嗅ぎたいと思う。思うよ。思う。だから、大丈夫。君は悪くない」

「ユウさん……!」


 ミティがうるうるしている。そんなに感動的な流れだっただろうか。

 でももう何でもいい。とにかくこの場は収めないといけない気がする。

 彼女を悪者にしないハッピーエンドを目指せ。


「ミティ……!」


 俺はシミ付きパンツをポケットにしまい、両腕を広げた。

 何が何でも受け入れる体勢だ。勢いが勝ちのラナソールノリだ。

 ユイも巻き込み。三人で、ひしと抱き合った。


「パンツは嗅ぐだけにしようね……!」

「はい……師匠……!」


 俺は何を言っているのか。だがこれでいい。


 ――でも。待てよ。この流れは。


 直感が警鐘を鳴らす。


「オチ」が来る。


 まずい。非常にまずい。

 俺は咄嗟に叫んだ。


「急いで俺から離れろ! 二人とも! 素知らぬ顔をするんだ!」


 極めてシリアスな顔で諭すと、ユイとミティは渋々ながら即座に身を引いてくれた。

 素晴らしい動きだ。


 コンコンガチャ!


 一瞬の後に、それは訪れた。


「……ちっ」


 ガチャン。


「「…………」」


 ……セーフ。やれやれだ。


「一々律儀にドア閉めなくてもね」「ねえ」

「あの。あれは……何ですか?」


 ミティの何かよくわからないものを見た反応が新鮮だった。


「シルヴィアという生き物だよ」


 大丈夫だ。俺もよくわからない。


 ドアを開けると、またまた離れた位置でシルは下手くそな口笛を吹いていた。音がかすれている。


「シル。また冒険の依頼か?」

「ええ。そうよ」


 露骨にがっかりした顔で言うな。何を期待していたんだ。


「またパワーレスエリアにぶち当たっちゃってね。ぜひ一緒に来て欲しいのだけど。報酬はいつも通りで」

「いいだろう。そうなると、ユイはお留守番かな。ちょうどいい。ミティにみっちり料理修行でも付けてあげたらいいよ」

「そうね。ミティ、どう?」

「望むところですぅ!」


 ミティがやる気を出したところで、俺はシルに苦笑いした。


「すぐに行きたいところなんだけど。今帰って来たばかりでさ。風呂入ってからでも大丈夫かな」

「いいよ。ランドが少し向こうで退屈するだけだから」

「すまない。早めに上がるから」


 断りを入れてようやく風呂場に来られた俺は、長い長い溜め息を吐いた。

 家でさらに疲れるってどういうことなの。

 でもいいか。うやむやになってくれたし。


 ズボンを脱ぎ下ろすと、ぽとりと何かが抜け落ちた。


 ああ……そう言えばこれ、ポケットに突っ込んだままだったな。

 それを拾い上げる。

 うーん。流れで回収してしまったけど。

 いざ手にしてみると持て余すな。自分のパンツなのに持て余す。

 さすがに生肌の温もりは消えていたが。冷たくなったシミがまだくっきりと残っていた。

 ごくり。

 生唾が出て来て、呑み込む。

 ちょっとだけ。ちょっとだけね。

 好奇心が勝った。そっと鼻を近づけてみる。


 ――甘酸っぱい匂いがする。よっぽど興奮してたらしいな。


 ……ふっ。何やってんだか。


 ほらな。ミティ。同じだよ。

 俺も罪を背負った。これでおあいこだ。

 義理付き合い的な何かを果たして。

 だがそこまでだ。これ以上はしない。

 あとはそこの洗濯かごにでも突っ込んでおけば、じきにユイが洗って――


 ――なに!?


 嫌な気配に、ばっと視線を移すと――。


 シルヴィアが暗黒微笑を浮かべていた。


「ふふふ。見たわよ」

「まっ!」


 ひゅんっ!


 銀の後ろ髪を引いて、一瞬で視界から消える。


「待て! 違うっ! 違わないけど! 違う!」


 風呂場から顔だけ出したが、それまでだった。

 半裸の俺はなすすべもなく、彼女が風のように走り去っていくのを眺めることしかできなかった。

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