自殺衝動

「クロコダイル計画は成功した」

 兵隊が病院へ運ばれて数週間後、クロコダイルを使用したトカゲの尻尾は全て自滅した。俺は眠りの浅い日々が続き、小金井先生から精神安定剤と睡眠導入剤を再度処方されることになった。季節は巡り春がやってきていた。事務所の窓からは街路樹の青々とした葉が見えた。呑気なその光景に比べテレビではマスコミがこぞってクロコダイルの話題をニュースにとりあげていた。こういうのは確かステルスマーケティングとでもいうのだろうか。俺はぼんやりと霞のかかった頭で考えた。


「クロコダイルの宣伝としてマスコミを利用する。全国に拡散された情報は”確実に死ねるドラッグ”として私たちの元へ帰る。興味本位の者、本気で試してみたい者。客層はどうだっていい。通販での対策も抜かりない。融通の効かない国のレンタルサーバー数カ所で運営している。元の数は、はいた。追加分も原価が安く作りやすいからどこへいってもつくれる」

「・・・でも、いつかバレますよ」

 俺はやる気のない感じで答えた。安城はやれやれといった感じで言った。

「つまらないね。それでは、ひとつゲームをしないか?」

 安城は微笑み、ソファーにだらしなく座る俺の顔を覗き込んだ。

「ゲーム?」


「3ヶ月。それ以内に私が捕まれば誠司の勝ち。それを過ぎれば私の勝ち。私が勝ったら、そうですね、クロコダイルのレシピをバラ撒く。というのはどうでしょう?」

「俺が勝ったら?」

「おそらく、私もトカゲの尻尾になるな。捕まれば私は帰ってこれなくなるだろうから、私のもっている金を全て誠司にあげます。もちろん、誠司が情報を流したらゲームオーバーで誠司の負けだがね」


 どっちみち俺には勝ち目などないゲームだった。だが、俺が負けても問題ない。俺はこのゲームに乗ることにした。



   ¥



 このゲームは単なる賭ではない。安城は俺を試しているのだ。3ヶ月黙っていればそれで良し、口外するようなら殺す。レシピという奴も安城のことだ。改ざんするだろう。改ざんしたレシピが巷に溢れれば、不完全なドラッグが蔓延する。正規のルートで売買するドラッグはどうしても流通量が減るがよりプレミアがつくだろう。本当に商売上手な奴だ。



 家路へと帰る電車をホームで待っているなか、安城の言葉を思い返していた。

『このドラッグは所詮、きっかけに過ぎない。自殺者はクロコダイルを使い朦朧とした状態で次の行動に出るはずだ。使ったら最期、後には引き下がれないからね』

 直後、ホームのアナウンスが響いた。人身事故。再開は不明。俺はしかたなしに迂回することにした。代わりの電車に乗り込む。このとき俺は気付くべきだった。背後から俺をつけている奴の存在を。



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「お兄さん、暇? あたし、いまお金ないんだ。2万といいたいけど、1万でどう?」

 黒髪ショート。目がどこか切れ目の女子高生だった。身体はひとまわり小さいが胸はそこそこある。運動部よりの文化部といった印象だった。

「は? 俺のこと?」

 迂回した次の電車待ちで女が声をかけてきたのだ。駅のど真ん中で。これがゆとり世代と言う奴か。おれは上から下まで吟味して眺めた。


「お兄さん、変態? なめまわすんなら別のとこでしようよ」

 いきなり手を捕まれ引っ張っていく。帰宅する方とは逆の電車に乗り込むと女は俺の耳元で言った。

「断ればここで痴漢って叫ぶから」



 電車をしばらく乗り、下車した。鶯谷あたりでウロウロとしていた。振り払うことなど簡単にできた。だが、少しばかり現実を忘れたかった。非現実にある日常。毎日のことだが違った非日常も悪くない。そんな脳タリンなことを俺は考えていた。裏路地に入ると女は盛ったネコのように様子を変えた。

「ちょっと、我慢できなくなっちゃった。触って。スカートの上からじゃなくて」

 ショーツの谷間に指先をあわせる。湿り気のある暖かなそこをゆっくり擦る。女のあそこは剃っているようだった。邪魔な茂みはなくクリトリスの突起も指先で確認できた。息が上がり、呼吸が乱れる。やがて女は小さく呻き、さすっていた指先の湿度が増した。


「キスして」

 ルージュの口紅の奥にピンク色の舌が見えた。俺は黙って舌先を合わせる。女は慣れた舌先でこねくり回してきた。飴でもなめていたのか柑橘系の風味がした。女が手を俺の首元へまわす。すると、バチッとなにかが響いた。身体が動かない。膝から地面へと崩れ落ちた。



 次に目覚めたとき、俺はアパートの一室に監禁されていた。素人がやったことはすぐに分かった。縛りが甘い。だが縄がナイロンではなく麻のようなもののため、抜け出せない。そうこうしているうちにあの女が現れた。


「お兄さん、目が覚めた?」

 あの女だけではない、見る限り4人。同じ制服を着た女がいた。そのうちのひとりに目がいった。どこかで見たことがある。童顔、癖毛、・・・。

「無視しないでくれる? なぜ、ここにいるか分からない?」

 俺は視線を向けて言った。

「誰だよお前ら。最近のゆとりはスタンガン常備かよ」

 黒い靴下の足先で顔と腹を複数、蹴られた。次に踵で叩きつけるように頭を蹴られた。

「あたしたち、あんたのバラ撒いたクスリの被害者よ。ここにいるのは被害者と仲間。実名は言ったら探られるかもしれないから。そうね、仮にスタンガン常備してたし、あたしの名前はピカチュウでいいわ。あとの3人は、ニャース、オタチ、モココでいいわ」

 女が言うに、釣り目がちの女がニャース、おっとりした顔立ちの女がオタチ、どこかで見たことがある童顔、癖毛の女がモココらしい。


「それで、どうした? 用件はなんだ?」

「解毒剤だせよ」


「は?」

 俺は耳を疑った。

「あるわけねーだろ。テレビ見てないのか?」

「白を切るの? 仕方ないわね。ニャース持ってきて」

 ニャースと言われた女は一旦部屋を出ると数分後に戻ってきた。手には注射器があった。

「言わないとあんたに使ってもらうことになるけど?」

「まて、落ち着けよ。薬の解毒剤は本当にないんだ」

 俺は正直、焦っていた。馬鹿な奴ほど扱いに困る。そんなときモココが声をかけた。

「・・・やっぱり、やめようよ。こんなこと。解毒剤なんて本当になかったんだ。姉さんに訊いたこと、やっぱり本当だったんだ」

 モココの発言にピカチュウが不機嫌になった。

「じゃぁ、あたしたちどうしろっていうの? 黙って死ねっていいたいの?」

 ピカチュウ以外の3人は押し黙る。

「もう、・・・わかった。そうだ、こいつを利用しよう。クスリの製造方法を知れば・・」

 そこで部屋のドアがノックされた。一瞬、凍りつく室内。聞き覚えのある声が聞こえた。「カリンいるの? 私も考えたんだけど病院やっぱり行きましょう。薬をつかったのを責められるのはしかたないわよ。いっしょに付き添ってあげるから」

 間違いなかった。小金井先生の声だった。

「だめ、姉さんでてって。いま、取り込み中なの」

 しばらく無言のあと、小金井先生は言った。

「わかった。いつでも相談に乗るから。だから、ね。ひとりで抱え込まないで」

 それだけ言って、声はしなくなった。



 安堵の溜息のあと、ピカチュウは言った。

「で、どうするの? こい・・」

 今度は俺の携帯が鳴った。たぶん、というかこれは安城からだ。組織から支給されている携帯にはGPSがついている。安城が俺を監視? まさか? 俺はピカチュウに出たいと言ったが、ピカチュウは若干、ビビっているようだった。絶対に出るな、そのままにしろ。と言ってきた。数コールした後に、電話は鳴らなくなった。


「もう、イヤ。なんで私達がこんな目にあわなきゃいけないの!?」

 オタチが半ば発狂ぎみに叫んだ。声を抑えるようにニャースが言う。

「面倒くさい。おまえにクスリを注射する。自分が病人になれば、嫌でも解毒剤をみつけてくるでしょ」ピカチュウはまくし立てた。「オタチ、ニャース。最期に蹴り殺すか選んで」オタチとニャースは俺に近付き、見下ろしている目が完全に死んでいた。自殺者のそれと酷似していた。クロコダイルは自殺者を増やすためにあるのか、俺は訳がわからなくなった。上下左右に蹴られる。格闘ゲームのそれかサッカーのように。ふっと微笑んでしまった。代わりがわるで蹴りの連打を受けること数時間後。俺は意識が朦朧となっていた。



「死ねよ、クズ」

 ピカチュウはそう言って俺の手首を解いた。痣だらけの手首をつかむ。目にしたものは注射器だった。「や、めろ」俺はかろうじてそういった。だが、願いは聞き入れてはくれなかった。針が皮膚を突く。透明な液体が注ぎ込まれた。



   ¥



 気付くと俺はパトカーのなかにいた。窓の外をみると景色が歪んでみえる。隣のパトカーの後部座席では小金井先生が俯いていた。あの4人の女もいる。警官が俺に気付いてなにかいっているがよく聞き取れない。プールの後に耳がつまったような感じだ。身体がだるい。眠りたい。永遠に。この世界にいるのはもう、疲れた。俺は眠るように再度意識を失った。



 そこは病院のベッドのなかだった。ここは一体・・・。上半身を起こそうとして全身の筋肉が悲鳴をあげた。息をするのも辛い。俺はナースコールで看護婦を呼び、水をくれといった。一呼吸して安堵すると薬はまだ微かに残っていた。全身を見回すと痣だらけだった。青い痣、黒く変色した痣。それはクロコダイルによるそれではなく、あきらかになにかで付けられた痣だった。電話が鳴った。病室では遠慮してください。そういった、ナースを横目に構わず俺は電話に出た。安城からだった。


「大変だったね。誠司が折り返しもしないのは不思議に思って警察を向かわせた。ヤクザに転向した元お偉いに頼んだんだよ、これで貸しつくっちゃったね。注射された薬のことは気にしなくていい。少量だけだったのが幸いした。そこでゆっくりしてなさい。3ヶ月いろとは言わないが・・」

 そして、安城は笑いながら言った。



「ゲームは私の勝ちでいいかな?」

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