死に至る病

 自殺を希望する人間には共通するところがある。自分という個が嫌いになる自己嫌悪、それはもっともだが、一番の共通点は死を美化するところだ。人は産まれたときが人生という名においてピークなのだ。言い換えるなら無地のキャンバスにしよう。キャンバスは時と共に作り上げられる。それは自分が筆をとるときもあるが、大抵は他人が懇切に描くか、殴り書きのどちらかである。殴り書きが多ければ多いほど乱雑になると思われるがそうでもない。それが評価される場合もある。人生とはつまり、作品の良し悪しではなく誰がそれを評価するかということ。それしかないのだ。



「調子はどうですか? 誠司?」

「ええまあ、普通です」

 俺を評価してくれるただひとりの人間。安城秀樹。俺はこいつをテレビで見たことがある。見たことがあるというのはそっくりさんなのだが。テレ朝の相棒の杉下右京にそっくりなのだ。内面はまったく違うのだが。事務所に呼び出された俺は安城の言葉を待った。



「日本での自殺者は年間3万人超えだ。しかし、発表では”3万人超え”で留まっている。それはなぜか。検視官不足で見れる限界が3万人だからだ。私はその倍はいると思っている。もしこいつらを有効活用できるのならば、私はそう考えビジネスを企画し運用している。だが、これにも欠点はある。自殺者のほとんどは貧困だ。金になるのはほんの数パーセント。そこでだ、誠司、おまえを呼び出したのはこの新規開拓の手伝いをしてもらいたく呼んだ。私の計画は次のステップに行く。それを手伝って欲しい」

 それとはなにか? 俺は当然、了承した。


「次のステップは、貧困ビジネスだ。簡単にいうと、確実に死ねるドラッグ」

「そんなもの、あるんですか? 安楽死の薬なんて聞いたことないですけど」

「安楽死なんて生易しいものじゃない。こいつは確実に、相手を殺すドラッグだ」

 狭いビルの一室。事務所のそこで安城は俺を見据えて言った。

「合成麻薬クロコダイル」


「ロシアで流行しているこいつを使う。アヘンの3倍強力でヘロインの10分の1の値段で手に入る。中毒者の大半が1年以内に死亡し、平均して2~3年でほとんどの場合死亡する。これをバラ撒く」

 俺は息を飲んだ。噂には聞いたことがある。使用すると、皮膚、筋肉、骨、脳などが体内から壊死していく。しかし同時に鎮痛作用があるためその痛みに気付くことはない。クロコダイルという名前の由来は、使用者の身体の肉を腐らせ、まるでワニに噛まれたような身体になってしまうことから命名された、現にロシアを中心としてヨーロッパへ広がっている薬物だ。

「主な成分はリン酸、シンナー、ガソリン。比較的手に入れやすいものばかりだ。こいつを製造し、バラ撒く。もちろん、鎮痛剤も用意しておく。誠司には、いままで黙っていたがすでにある程度の数はつくってある。あとは、こいつを売るだけだ。ネットでの販売経路は私が受け持つ。その他はお前がやれ」



「・・いや、しかし。日本人がこれを受け入れますかね。自殺を美化するような人種なんですよ? できるだけ苦しむことなく死ぬことを目的にしてます」

「誠司、これを売るのが私たちの仕事だ。誰も手をつけていないこのときしかチャンスはない。ある程度、数がいけばそこで一旦、切り上げる。これは自殺のPRなんだよ。宣伝といってもいい。後は違う手段を考える。それに、売れないものを売るためにいま私たちがあるんじゃないのか?」

「はぁ・・」

「私たちは常に新しいことにチャレンジしなくてはならない。生き残れないからねぇ」

 苦笑いで返す俺。こうしてクロコダイル計画は始まった。



   ¥



「順を追って説明する。このパケを撒く。名前はなんだっていい。最近の流行にはおまえらのほうが詳しいからな。お前らに任せる。逆に統一感がないほうがいいかもな。これを都内主要箇所で無料で配るんだ。それらしい奴を絞って。1週間それをやったら、1週間配るな。それを3セットやるだけだ。パケの包み紙にはネット購入するためのアドレスが書いてある。絶対になくすなよ。いいな、じゃぁ、解散」


 これが見届人の仕事なのかと訊かれたら疑問だ。だが、組織に使われる以上、従わないわけにはいかない。兵隊と呼んでいる下っ端のなかでも信頼できる下っ端数十人で組んだ。もう、後には引き下がれない。


「あの、松本さん?」

「ん? なんだ?」

 兵隊のなかのひとりが訊いてきた。

「俺達もこれつかっていいんすか?」

「ざけんな。絶対つかうなよ。これはドラックじゃない。毒だ。死にたきゃ飲め」

「じゃー、なんでこんなもん配るんすか?」

「それは、あー」

 俺は正直、答えに迷った。なんと言ったらいいのか分からない。

「知らん。俺も下っ端だからな。はい、今日は解散、解散!」



 そして、月日は過ぎた。3セット終わり、2ヶ月が経った。そろそろ売上が出る頃だろう。結果的にどうなるか、たのしみではある。携帯が鳴った。安城からだった。

「誠司か。売上だが、そこそこだ。しばらくは通販だけでいく。そろそろニュースにもなるころかもな。気をつけろよ」


 そこで一方的に通話が途切れた。なにが気をつけろなのか。

 俺はその後、気付くことになる。



   ¥



「松本さん、松本さん!!」

 街をぶらついていた時、突然呼び止められた。誰かと思ったら、パケを配っていた兵隊のひとりだった。

「やばいんすよ、あいつ! なんか、皮膚の色が青くて、裂けてるんっす。手羽先をかじった後みたいに・・・」

 俺は手羽先という単語にビクッっとしたが、すぐに思い当たった。


「おまえ、なんで使った?」

「え? いや、俺じゃなくて・・」

「もういい、そいつんとこ行かせろ!」


 街を駆けた。いい歳こいた男ふたりがなにムキになって走ってんだ。畑から見たらそうだろう。俺はそいつにいってやりたかった。使ったことも問題だが、一番の問題点は、クロコダイルには解毒剤がないってことを。


 蒸れたアパートの一室にそいつは居た。ひとり、いや、複数。断面図といっていいだろう。釜や斧で斜めから切り落としたような傷だった。血は出ていない。アケビの身がパカッと割れるように内部から割れたものと思える。肉が腐っている奴もいる。声をかけても呂律がまわらないらしい。連れてきた奴に聞いたが食事もまともにとれていないしか言わない。どうしろってんだ、クソッ!! 死にたくもないやつが、使うなと言っただろうが。なぜ、こいつらはこうも馬鹿なのか。俺はその時、ふと思いだした。


『これは自殺のPRなんだよ。宣伝といってもいい』



「そういうことかよ。おい、ざっけんなよ!! 兵隊は兵隊ってか? これじゃまるで、トカゲのしっぽ・・切り・・・」

 トカゲの尻尾。俺もそのひとりなのだ。ため息をついた。久しぶりに。そして言った。



「病院つれていくぞ。救急車呼べ!」

「え、でも俺たちパケ配ってたし。薬も・・」

「馬鹿かおまえら。配ったことは言うな。こうなった経緯もな。絶対に。もし、おまえらが黙っていれば治療費の負担を少しもってやる。いいか、知らない奴にパケを渡された。中身は知らなかった。使ったらこんなナリになった。それだけ言え。分かったか?」

「は、はい」

「俺は、救急車には同乗できない。おまえがしっかりしないで誰がこいつらを守るんだ。仲間だろ、絶対になにがあろうと裏切るな。あとで連絡するから、俺は行く」

「ちょっと、松本さん!」

「あとで必ず、連絡するから」



 俺はそれだけ言って、アパートを抜けだした。

 駅近くの商店ビルに入っていく。周りに誰もいないことを確認すると安城に電話をかけた。1回目のコール。安城が出た。


「やはり、馬鹿は馬鹿か」

 今回ばかりは、安城の戯言につきあっていられない。

「救急車呼びました。これでいいんですよね?」

「ニュースになるだろうな。日本に合成麻薬クロコダイル上陸という見出しかな?」

「やつらの治療費もつようにしてくれないですか?」

「ありえない」


 安城は言った。

「トカゲの尻尾に払う金はないよ。なぜなら、トカゲの尻尾だからね」

「俺、降ります。今回だけは、もうできません。これじゃ、テロじゃないですか」

「いいさもう。十二分に宣伝になるだろうしね。誠司は通常の仕事に戻れ。それと、治療費なら誠司の借金に上乗せという形でなら出してやってもいいぞ。トカゲの尻尾どうしなかよくしなければね」

 俺は携帯を叩きつけたくなった。しかし、ここで叩きつけたら俺は確実に殺される。一度、組織に関わった以上、抜けることも反旗を翻すこともできない。これはどうしようもない規律なのだ。



「わかりました。借金に上乗せしてください。それで結構です」

「クロコダイルには・・」


 安城の電話を遮り、俺は言った。



「クロコダイルには治療法なんてない。死を待つ延命しか」


 俺は電話を一方的に叩き切った。

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