第11話

 三日が経ち、試合当日。

 試合会場には試合に挑む面々が集まっているが、そこに美鶴の姿はない。

 それだけでなく、美香達の人数は三人。規定にある四人と言う最低限度の人数を集められていないのだ。つまり、試合開始時点で自動的に敗北が決定する事を意味している。

 相良からすれば、全ては予定通り。これ以上、事を大きくしない為に裏で色々と動いたことが功を奏した事になる。唯一の懸念材料も姿を現さなかった。

「もう、待つだけ無駄だろ? お前らの負けでいいよな」

 美鶴が来ない可能性を考えて美香は最後まで残りの一人を探していた。

 だが、見つけることが出来なかった。確かに、こんな事に自分から関わり合いになろうとする人間など限られている事は美香も百も承知だ。しかし、まさかここまで声をかけても集まらないとは完全に予想の範囲外だった。

 認めたくはないが、相良の作戦勝ち。敗北を認めざるを得ない。

 試合開始まで十数分。まだ、時間はあるがその程度の時間ではどうしようもない。

「まだ、期限は来てないわよ? 何をそんなに焦っているのか教えて貰えない?」

 出来る事と言えば虚勢を張り、限界まで時間を引き延ばす事くらいだ。

 だが、いくら強気で出た所で状況は変わらない。唯一の希望は美鶴がここへ現れる事だが、それは限りなく低い。勝負になる以前の問題だ。

 しかし、最後まで希望を諦めるつもりは美香にはなかった。

 美香の背後にいる彼方は大きな欠伸をかき、何を考えているのか分からない。唯一、美香にとって救いと言えるのは薫が美香と同じように最後まで抗う事を望んでいる事だった。

「相良君、貴方がこんなルールを強いたんだから最後まで貴方も守るべきだよ。じゃなきゃ、このゲームそのものが成立しない事になるから」

 期限前に切り上げたのならば、そもそもの契約の方に正当性が無くなってしまう。

 元々、ボードゲームを好んで行う薫らしい切り口での攻め方だ。結んでしまった契約を盾に逆に絡め取る。相良としてはさっさと終わらせてしまいたいが、薫の交渉を無碍に扱う事も出来ない状況に軽く舌打ちすると苦々しい表情で彼女を睨み付ける。

「まぁ、それもそうね。一理あるわ。相良、アンタも自分の決めたルールを守らないと私が抜けてゲームの成立しなくするわよ。そうなったら、勝者なしの引き分けかしら?」

「更紗……。お前、ここに来てふざけるのも大概にしろよ……」

 如月更紗が何を考えているのか美香達には理解出来ない。ただ、更紗がここでこの発言をしたという事は、相良は約束通り試合開始時間まで待たなければならないという事だ。

 ここで更紗が抜けたら条件は同じ。勝負自体が本当の意味で無効試合になる。味方である筈の更紗の思わぬ行動に相良はさらに苛立ちを募らせるのだった。

 そんな相良の態度に更紗は溜息を吐いた。

 更紗としては当初の考えでは相良側に付くつもりはなかった。

 確かに美香にも非があったのは認める。だが、那月の戦力投入は上手く機能しているのだ。後は完全な思考の対立――。

 前を向いて歩み続ける人間と、その場に留まってしまっている人間。

 どちらかと言えば、更紗は前者と同じ考え方であると言える。

 それでも、美香と道を違えてまでこんな勝負に乗ったのは那月の今後を思ったからだ。三年の残りメンバーと違い、那月は一年。この結果がどうなろうと、美香や相良の残した物は確実に彼女に圧し掛かってくる。それを何とかする為に。

 更紗と相良は昔からの付き合い。何を考えているのか、言葉にされなくても大体は分かってしまう。今回の問題を起こした責任を一人で背負い、どうなったとしても出場辞退するだろう。

 そうなると、認められているとはいえ、推薦人の美香と対立した那月の間に入れる人間はいなくなる。美香が独断で引き入れた一年という事で色々と難しい立場にも関わらずだ。

 それが意味しているのは、ただでさえ強い風当たりがより強くなるという事。最悪の場合、まだ一年の有望株を完全に潰してしまうような結果をもたらしかねないという事だ。

 責任は美香にはない。相良にもない。那月の精神力の弱さ。自業自得とも言えるが、それではあまりにも身勝手に思えてしまう。

 そのような様々な要因を深く考慮した結果、更紗は相良の側に残ったのだった。

「更紗先輩――これ、一体どういうことなんですか。……勝負がどうとかって私、何も聞いてませんよ? どういう事なんですか!」

 那月には全てを秘密にし、時間までにこの会場に来るようにと指示していた。

 だから、戸惑うのも当然だ。なにせ、相手は尊敬している美香。その動揺も凄まじいものになっているのだろう。最悪の状態を想定し、相良は敢えて秘密にしていたのだが、返ってそれが那月を追い詰める結果となってしまったようだった。

 だが、ここで相良が那月に反論しては面倒な事態になってしまう。そんな余裕もあまりない。相良に出来るせめてもの事と言えば、何とか言い包めて事態を収拾する事くらいだ。

 そんな状況に更紗は面倒臭そうに再び大きなため息を吐いた。

「まぁ、落ち着きなさい。美香の問題に関わるのは気が引けるかも知れないけど、いい機会だと思わない? 本気の美香と戦える機会なんてまずないわよ? EWCでは去年、惨敗した全国団体の覇者ともぶつかる訳だし、自分の実力を知るにはいい機会でしょう?」

「それは……そうですが。……でも、こんなのいきなりだし、同じ舞台じゃないですよ。美香先輩側の人達と私達では決定的な差があるじゃないですか。そんな勝負対等じゃありません!」

 VWNシステムを経験しているかと言う決定的な差が存在している。百聞は一見に如かず。経験者と未経験者では絶対的な壁があるのだ。那月が指摘しているのはこの事である。

 そして、時間とは時に無慈悲だ。下らない言い争いをしている間も刻々と過ぎていく。

 気が付くと、予定時刻まで一分を切っていた。

 その事実に相良は小さくガッツポーズをすると、美香に宣言を促す。

「後、一分――もう、いいだろう。これ以上、待つ意味はどこにもない筈だぞ」

 相良の言葉に美香は反論する余地はなかった。まだ、僅かだが猶予は存在するがそんなモノは儚い希望。何の意味もないそこに希望を賭けるにはあまりに虚し過ぎるのだ。

 勝負は成り立たなかった。そう誰もが思い始めたその時、固く閉じられている扉が開き、一人の男子生徒が会場に乱入する。

「ようやく見つけた……。来いって言うなら場所ぐらい教えとけよ……」

 もう来ないと考えていた美鶴の登場に相良は大きく舌打ちをする。そして、ゆっくりと美鶴の目の前に立つと細い目を開け放ち睨み付ける。

「おい、ここに来たって事はその意味を理解していると考えていいんだよな?」

「手紙の件なら読みました。読んだ上でここに来る事を選びましたから……。確かに、相良先輩の思いも間違ってはないとは思います。けど、これだけ事が大きくなってしまった。その時点でもう単純な問題ではなくなってしまった事をお忘れではないですか?」

 確かに、もしもこれが学校側を巻き込んでいなかったのならば美鶴も出張るつもりはなかった。メンバー内で処理する事が可能だからだ。だが、もうそれで済む事態ではない。

 勝っても負けても、誰しもが傷付いてしまう事態に陥ってしまったのだ。

 試合を回避したところで大きな禍根を残してしまう。そんな状況で美香がメンバーの中に舞い戻ったとしても、それまで通りにはいかないだろう。それどころか、さらに悪化する可能性が高い。

 その上、相良がメンバーから抜ければチームとしての存続は致命的と言える。

 ならば、どうなったとしても試合を行い、愁いを残さないという道がベストな筈だ。・

「勝手にしろ……。だがな、俺たちは容赦しない。徹底的に叩き潰す」

 美鶴の覚悟を理解した相良はそれだけ言い残すと、美鶴を美香のメンバーの一人として承諾する。それが意味するのは、相良が試合を行う事を認めたという事だ。

 相良が認めたという事は更紗も自然と認め、残りのメンバーも必然的に参加を認める事になる。だが、ただ一人、那月だけはそれを断固として拒絶した。

「何しに来たのよ。アンタはここにいるべき人間じゃないでしょ!」

「お前がとやかく言うべき問題じゃない。黙ってろ」

 相良は那月の言葉を一言で押し退けると、美鶴を睨み付ける。

 美鶴も相良に対し、真っ向からの対立の意志を示すかのように睨み返した。

「それより、もう一度だけ確認するが、ここに来た事の意味を解ってるんだよな? ここに来て今更、何も知らずにただ来たって言うような事はないだろ」

「勝ちに来ました。それ以外にわざわざここへ来る理由が何かありますか?」

 美鶴のハッキリとした宣言に相良は何かを感じ取ったのか、それ以上の追及はしない。

 だが、納得していない那月は美鶴に食ってかかるのだった。

「ふざけないで! アンタが加わっても、勝負になる筈がないでしょ! 確かに、アンタの気持ちも解らなくはないけど、基礎も出来てない人間がここにいても足を引っ張るだけよ!」

 勝てる筈がない。負けたら恥を掻くのは美鶴だ。

 覆せない経験と言う差。それを思って、那月は美鶴が恥を掻かないように出場辞退を奨める。

 どう考えても、負ければ美鶴が原因と言う空気になる。もしも、美香の人生を棒に振るように事態になれば責任感の強い美鶴が何をするかわかったものではない。

 だが、美鶴からしてみればその那月の考えこそ、余計なお世話だった。

 何故なら、まだ勝負は始まってすらいないのだから――。

「まだ、始まってすらいないのになんで勝負にならないって決めつける? それに、人数が足らずそのまま敗北が決まってたんだ。どっちにしろ、変わらないだろう?」

 変わらない。その言葉に、間違いはない。

 それは美香の聞きたかった言葉であり、那月が最も聞きたくなかった言葉だ。それ故に思わず、那月は美鶴に掴みかかってしまう。

 だが、更紗が二人の間に入り、美鶴を掴もうとしたその手は阻まれる。

「落ち着きなさい……。勝負に参加するのは個人の自由。貴方がソレに対して、口を出すのは横暴よ。もっと、コモドに考えなさい」

「それは、そうですけど……でも、やっぱり納得できませんよ」

 更紗の言葉も理解出来る。だが、完全に腑に落ちている訳ではない那月は掴まれた腕を振り払うと、更紗を見つめる。

 生真面目故に並大抵の説得では那月は折れない。正論で攻めたとしても、この手の事には妥協点を見付け難い。それだけに、更紗は次の言葉をすぐには出せなかった。

「相良先輩。一つ、勝負しませんか? 今回の勝負の勝ち負けで」

 会場の空気が凍り付く。試合の支度をしていた相良の手が止まる。視線が美鶴の方へと集中する。だが、相良はただ一人、美鶴の方を振り向かない。

 それを了承と取った美鶴は相良に。いや、この場にいる全員にこう提案した。

「勝ったら、一つだけ出来る限りの命令をする。それを実行しなければならない。流石に、社会的に反する行為はナシにして貰いますが、どうでしょう?」

「俺がソレに乗る理由がどこにある?」

 元々、乗る気ではない。当然、その事を理解している美鶴も乗って来ないだろうという事は想定の範囲内。今のこの賭け金も相良からすれば、高過ぎるのだ。

 だからこそ、早期の内に勝負を行わずに終えるという道を選択した。そうすれば、互いにダメージが少ないからだ。だが、美鶴が加わる事でそれが破綻――。

 相良にそれを了承するだけの理由がある筈ない。確率論で言えば、美鶴達が負ける確率が遙かに高いのだ。それ故に、これ以上の掛け金釣り上げを了承する意味合いなど存在しない。

 しかし、美鶴にはそうしなければならない理由があった。

 相良の考えを捻じ曲げてまでこんな無謀な勝負を実施させる。それを選んだ意味が。

「対等ではないというのであれば、僕が勝った場合にのみでも結構です。なんなら、はっきりと僕の望みを言った方がいいですか?」

「お前の望みに興味はない。勝手にしろ」

 勝手にしろ。それは勝負に乗ったとも乗らないとも取れる言葉だ。

 確かに、この取り決めを追加するには対等ではない。白浜美鶴が何を考えているのか、見えて来ない。だが、その言葉に重みがある以上、勝てるだけの何かを用意して来た訳だ。

 更紗はその思いを尊重する事に決めると、相良の勝手にしろと言う言葉を自由と受け取り、美鶴に対して大きく頷いた。

「その条件、飲んで良いわ。その代わり、こちらも同じ条件を組む事――君もそれだけの事を言ってのけたんだから、その程度の覚悟はあるわよね」

「何、言ってるんですか……如月先輩……」

 美鶴が相良に対して取り決めを追加させたのは、相良に対して要求があったからだ。つまり、更紗から美鶴への要求も同様の事を意味している。それだけに、何を考えているのか那月には到底、理解する事が出来なかった。

 けれども、そんな那月の思いを無視して話は進んでいく。

「なんか、寒気がしますけど構いませんよ」

「そう、なら別に今回の事と関係なくてもいいのよね」

 他人の好意を利用するようなやり方を本来、更紗は好まない。

 だが、この状況で那月を納得させる為に背に腹は代えられない。ここで那月が抜けると言い出したら面倒な事になるからだ。

 妥当な落とし所を探した結果がこのざま。これ以上ややこしい状況になれば、ベターな終着点すら無くなりかねない。これ以外に選択肢は存在しなかった。

「さぁ、行くわよ。サクッと勝って貴方が彼をデートにでも誘えばいいんじゃない?」

 相良も薄々は勘付いているが、この勝負は思ったよりも厳しい戦いを強いられるかもしれない。――更紗にとっても、相良にとってもそれは嬉しい誤算だった。

 最も恐れていたのは美香が適当な人材を集めて、最悪の試合を演じる事。だが、これ程の事を言ってのけたのだ。それだけの自信がある事の現れである。

 ただ、例えそうであったとしても、手を抜くつもりはさらさらないが――。

「それで、決着は着いたのか? ルール上の規定はクリアした訳だし、そろそろ試合開始を宣言したいんだが……。まぁ、本当にそのメンツでいいのかは白浜の判断になるが……」

 試合開始時間という事もあり、今回の監督役の高倉が現れる。

 だが、その表情は重い。この試合そのものの正当性を疑うような顔だ。

 美香のチームは成績のみの観点から言っても、チーム力として相良と対等に渡り合えるとは教師として思えないからだ。だが、あくまで監督役。試合に対して、口出しをするのは本文から逸脱している。だからこそ、言葉にはしない。

 ただ、最終確認として事務的な流れで美香に確認するだけだ。

「構いません。これが今の私に出来るベストメンバーです。確かに癖は強いかもしれませんが、それでもそれぞれの個性を活かせれば十分に勝負できるチームだと思っています」

 その堂々とした美香の宣言に相良は何も言わない。

 相良が求めていたチームとしての総合力。歩む道は違えども、考えていた事は同じ。

 成績と言う概念に拘らないという根底からの脱却は少し、思う所があるもののその他の事に対しては否定する事は出来ない。だが、それでも認める訳にはいかなかった。

「準備もある。さっさと、行くぞ」

 相良はそれだけ言うと、更紗達を引き連れて別室へと姿を消した。美香もそれを合図に大型の電子モニターと拘束椅子のようなモノが設置された部屋へと移動する。

 そして、部屋に入ると美香は美鶴にその椅子のようなモノに座るように指示するのだった。

「これがネットに潜る為に創られた機械。まぁ、実際はもっと小型化出来る上に拘束する必要性は皆無らしいんだけど、安全面と試作段階って言う事もあり大型化、デモンストレーション等の要因があってこんな感じになったらしいわ」

 椅子に座った美鶴を美香は手慣れた手付きで固定していく。頭には脳波を調べるセンサー、手足には動かなくする為の布テープでの拘束。美鶴の中に不安が過ぎってしまうのも仕方が無かった。

「あの……これ、本当に大丈夫なの? 少し、不安なんだけど……」

 専用機器のあまりの容貌に薫は恐る恐る、美香に尋ねる。

 どう見ても、拘束椅子。電気が流れて感電死すると言われても、信じてしまいそうになるレベルなのだ。座らない薫が不安になるのも無理はない。

 だが、そんな薫の心配を他所に美香はにっこりとほほ笑むとこう断言する。

「大丈夫! 那っちゃんの時は危険な事はなかったから――強いて言えば、この拘束はネット内部で動いている時にその脳波に反応して現実の身体が動かないようにっていう保険だから」

「そろそろ、時間みたいですよ。美香先輩」

 試合前に気合を入れたのか、眼鏡を交換した彼方が美香に時間がない事を告げる。

 その言葉に、美香は機器の最終チェックを終えると、そっと美鶴の頬を撫でた。

「それじゃあ、いってらっしゃい。頑張って」

 美香は美鶴の座っていた座席をゆっくりと倒していく。そして、その座席が完全に倒れ、床と水平の状態になった時、美鶴の目の前は真っ白な光に包まれた。

 それと同時に、美鶴の意識は闇の底へゆっくりと落ちて行くのだった。


 一方、相良達はと言うと――完全にバラバラになっていた。

 今後の方針を崩され、その練り直しに苛立ちを隠せない相良、この試合そのものに複雑な気持ちを抱いている那月。本来、中核である二人が別の事を考えてしまっている。

 この勝負の結果に美香の将来が左右される。それだけ重い事であるだけに、那月は重傷といえるだろう。もしも、その事を引き摺るようであれば試合に出すべきではない。

 それを克服して、初めて一人前。それが、大人の世界だ。けれど、それを那月に――まだ、高校に進学したばかりの少女に求めるのは酷というものだろう。

 更紗はもう一人のメンバーである卜部へと目を向けるが、横目で二人の様子を確認するも何も行動を起こす気配はない。最初から気弱で他人の顔色を窺うタイプの人間である事を知っているだけに予測は出来ていたが、この重苦しい空気。思わず、溜息が出てしまう。

「ねぇ、相良。なんなら、私が出場を取りやめるって言えば貴方も美香に対しても責任を追及される事はないと思うんだけど? もしも、辞退しにくいなら」

 試合が行われなければ、最悪の事態は回避出来る。相良の内心を察しての更紗の言葉だ。だが、その言葉に相良は更紗を睨み付けた。

「試合はもう始まった。その時点で、その選択肢はない。それに、もしもその選択肢を選ぶのなら、今回の件の責任を取って俺がやるべきだ」

 今の状態でその選択をしてしまえば、周りからのその人間の見え方は最悪だ。その上、試合に勝っても負けても残る禍根が最悪の形で残留してしまう。

 だからこそ、もう試合に挑む以外に選択肢は残されていない。白浜美鶴と言う人間がこの試合に参戦してしまったが為に……。

「お前は目の前の事だけを考えてろ。――それから、岩倉の奴をフォローしておけ。俺の言葉は今のアイツの耳には届かないだろうからな」

 相良は更紗にそれだけ言うとそれ以上は何も語らず、試合の準備を始める。

 その背中に相良の覚悟を感じ取ると、更紗はそれ以上何も相良に提案する事は出来なかった。何故なら、受ける事に最も反対していた相良がこの試合を認めたのだ。それに対して、更紗が何も言える筈もない。

 出来る事と言えば、オペレーターとしての職務――没入する人間のサポートをする事だけだ。

 その仕事の中にはメンタルを支えるという事も含まれている。それに、今の那月にはこの問題の兆本人にしか見えない相良の言葉は焼け石に水だろう。

 この問題の負担が全て回って来ているようにも感じる事態に更紗は思わず、苦笑いを浮かべる。

「那月ちゃん――ちょっといいかな?」

 だが、返事はまったくない。

 那月にとって、美香は大事な先輩。そして、尊敬して止まないある種、崇拝の対象。周りの言葉など、聞いているような余裕がない程に精神的に思い詰めているのだろう。

 他人への干渉。――そして、誘導。更紗はソレがあまり好きではないのだが、覚悟を決めると深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

「貴方は貴方の全力を尽くせばいい。これから先だって、何度も理不尽な事はあるの。今回も、たまたまこんな形になってしまっただけで――」

「解ってますよ。でも、こんな形にしなくても良かったじゃないですか!」

 那月の叫びを更紗は大きく首を左右に振り、否定する。

 他に道は確かにあった。だが、それを選べるような人間はここには誰一人いなかった。

 何故なら、全てを一人に擦り付けて終わらせる事、それを見て見ぬふりをする事。

 そのどちらも誰一人として選べなかった。選ばなかったのだ。

「矜持――それが、貴方のその叫びに対する答えよ。貴方にもある筈よね?」

 那月は更紗の言葉に何も言い返す事は出来ない。那月にとっての矜持はこの場所が誰かを犠牲にして立っている以上、それに恥じぬ結果を示す事だ。それはつまり、美鶴には何があったとしても負ける訳にはいかないという事を意味していた。

 だが、それと同様。いや、それ以上に那月の中では美鶴の美香を思う気持ちを踏み躙る事が出来ないのだ。それが痛い程、理解出来てしまうだけに――。

 しかし、ここにいるのは美香が自分を見出してくれたから。だからこそ、その想いに答えなければならない。例え、相手が恩人である美香であったとしても――。

「分かってます。やりますよ! 手を抜くような真似だけは絶対にしません。例え、相手が美鶴であったとしても、それだけはするつもりはありません」

「そう……。なら、大丈夫そうね。それにしても、先輩としてはそのツンデレっぷりは少しだけ羨ましいわね。これで、出る所が出てたら完璧なんだけど……」

「それは確かに小さいかもしれませんけど……。って今、わざわざ言う必要ないじゃないですか!」

 那月は固定された手で何とか控えめな胸を隠そうとしながら、涙目で必死に更紗に訴える。そんな子供っぽい那月の微笑ましい様子に更紗は思わず笑みを浮かべてしまう。

「誰も胸の事は言ってないじゃない。ただ、那月ちゃんも女の子なんだからもう少し可愛らしさを見せてあげてもいいんじゃないかって指摘しただけよ」

 更紗は自分のPDAで時間を確認すると、睨み付けて来る那月の頭に脳波を調べるセンサーを手早く取り付け、そっと那月の頬を撫でた。

「そろそろ、時間ね。最後に一つだけアドバイスよ。――貴方は貴方の信念を貫けばいい」

 更紗は那月にそう告げると、装置の電源を入れる。起動するまでの時間は残りわずか。

 この戦いの命運は那月にかかっている。試合が始まれば、直接的な手助けは難しい。更紗は那月に微笑んでみせると、最後に一言。労いの言葉を送る。

「それじゃ、頑張って来なさい」

 那月は何かを言いたそうにしていたが、それよりも早く機械が起動してしまい、何も言う事が出来なかった。だが、これはこれで更紗にとっては幸運だった。

 那月にはこれから先も真直ぐに育って欲しい。それがここにいる全員の思いなのだ。

 これは私が背負うべきものだから――。更紗はそう自分に言い聞かせながら、横目で作業に没頭する相良の様子を確認する。

 試合中、仲の拗れてしまった二人の橋渡しをするのが更紗の仕事だ。

 つまり、二人の仲違いが試合に影響を与える可能性がある。その事を想像した更紗は心労でキリキリと痛む胃を落ち着かせる為に胃薬を服用するのだった。

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