第14話
話題になっていた神隠し事件も新たな失踪者も現れず、一週間も経つとほとぼりが冷めたのだろう。あれだけ大きな事件だったにも関わらず、今では人の口にすら立たない。
町に立ち込めていた淀んだ空気も今ではもう感じる事はない。人通りは相変わらず、少ないものの、こうして歩いているだけでもチラホラと人と出会う事が出来る。
こういう風景を見ていると、ようやく終わったと実感する事が出来た。
「お邪魔します。今、時間大丈夫ですか?」
一応、約束を取り付けてはいたものの、そう告げて白鷺古書店へと入店する。
相変わらず、客がいない。古本の独特な香りだけだ。
そんな静まり返った本棚の間を通り、奥の会計のいる場所まで辿り着く。すると、そこには予想通り、古本に熱中している四ノ宮の姿があった。
本を読み終わるまで待っていてもいいのだが、何分まだ用事が残っている。
四ノ宮の至福の時間を邪魔するのは悪いと思ったが、この場合は仕方がないか。
気付かないのが悪い。そう判断すると、僕は四ノ宮の前に立つと声をかける。
「こんにちは。声をかけたんですが、反応がなかったので勝手に入らせて貰いました」
「あっ……ごめんなさい。それで、今日はどういったご用件で……」
そう言えば、四ノ宮さんには明日、時間を取れるか。それを確認しただけで肝心の用件については一切、伝えていなかった。
電話で全てを話すよりも、口頭で話すべきと考えて語らなかったのだが、やはり用件くらいは伝えておいた方がよかったのかもしれない。
だが、今更そんな事を気にしても遅い。
僕は近くにあった椅子に腰を下ろすと、首を傾げる四ノ宮に一言こう告げた。
「事件は解決しました。もう、神隠しは起こりません。ただ……深山さんが発見されるかどうかについては保障しかねます。そればかりは残念ながら分かりません」
「解決したって……えっ? その……どういう事ですか?」
僕の言葉が良く分からないと言いたげに、四ノ宮は上目遣いで僕を見つめて来る。
だが、説明しようにも上手く説明する事が出来ない。掻い摘んで話すにしても難しい。
僕は頭を掻き、どうしたものかと考えていると四ノ宮はこう尋ねて来た。
「あの……この町の歴史について調べていたようですけど……何か、危ない事に首を突っ込んだり……したんでしょうか。もし、そうだったら……私……」
そう言えば、僕が何を調べていたのか漠然とではあるが見ていたんだった。
となれば、この村の歴史と米の収穫量の関係性についても気付いている可能性もあるとなれば――どうしたものだろうか。もう終わった事は言え、巻き込みたくはない。
「いえ、流石に僕だって危ない橋を渡ろうとはしませんよ。そんな事をしたら、色々と後が怖いですからね。……けど、色々と思い知る事にはなりましたけど」
四ノ宮には聞こえないようにそう呟くと、どこか上の空で天井を見上げた。
半分は嘘だが、残りの半分は本心。人の怨み辛みの積み重ね。それはかくも恐ろしい。
一人の人間の心を容易に狂わせてしまう。毒だ。あの少女は神隠しを起こそうとした加害者であったが、それと同時にこの町の歴史の中で利用され、闇に呑まれた被害者だった。
何が正しかったのか。今でも分からない。だが、あの時はあれしか道は選べなかった。
考えが甘いと言われればそれまでだ。けれど、もしかしたら少女を救えたのではないか。
そんな甘い幻想を抱いてしまう。無理だったと分かっていても。
「先輩は私には何も話して下さらないんですね……。私が深山さんに教えなければ、先輩がそんな風にボロボロになる事なんて……仕方ないですよね。すいません……」
僕の頬の絆創膏を見た四ノ宮さんはそう呟くと、俯いてしまう。
別に大した傷ではないと言ったのだが、手当てをすると言って聞かなかった妹の大袈裟なガーゼはこの為のモノだったという訳か。胸が痛い。
傷は男の勲章。そんな事を言いながらも、心配する人間がいる事も考えろ。それを思い知らせる為に、わざわざこんな小道具まで用意したという訳か。
「これは自業自得ですよ、四ノ宮さんが悪いわけじゃない。それに、僕は関わって良かったと思ってますから。感謝をしなければならないのは僕の方です」
僕は四ノ宮にそう告げると、そっと頭に手を置き、ぽんぽんと軽く叩いた。
すると、四ノ宮は見る見るうちに頬を紅く染め、更に俯いてしまう。
「あの……その……本当は……。いえ、なんでも……ないです」
何かを言いかけるが、それ以上は口にしない。いや、出来なかったか。
少しばかり思う所はあるが、これは四ノ宮自身の問題。僕が組みするべき問題ではない。それが、僕には話せないのだと言うのであれば、なおの事だ。
静まり返った中、僕の携帯の着信音がそれを打ち破るように鳴り響く。
メールを確認すると志津先輩から――恐らく、病院の方の面会が許可されたのだろう。
となれば、ここにあまり長居をする訳にもいかない。時間は無限にある訳ではない。
伝えるべき事は伝えた。それに面会時間を考えると、そろそろここを出た方がいいか。
「深山さんがどういう形で発見されるかは分かりません。けど、きっと見付かりますよ」
もはや、神隠し事件を起こしていた存在はいない。
事件の裏に何があったのか。それは全て闇の底に沈んでしまったが――。
「そう、ですね。それなら、本当に良かった……です」
本当に不器用だ。無理矢理、笑顔を作るにしてもそれはないだろう。
ただ、それが四ノ宮の良い所でもあるのだから、今はそれでいいか。
「では、また学校で……って、学年違いますから、会う機会なんて殆んどないですね」
「あの……時間がある時に部室にお邪魔してもいいですか?」
「構いませんよ。別に誰が来た所で拒むつもりはありませんから」
僕は四ノ宮にそう答えると、白鷺古書店を後にする。
ここから病院までは徒歩ではそれなりに距離がある。
今後も頻繁に病院へと足を運ぶとすれば、そろそろ自転車の買い時か。
まぁ、それ以前に自転車に乗れないのが問題なのだけど……。この年にもなって……。
そんな事を考えながら、遠くの山々から聞こえてくる夏を告げる蝉の鳴き声を聞きながら、徒歩で神籬夕が入院しているという病院へと急ぐのだった。
まだ、初夏ながら片道一時間近くの道のりを歩いて来た事もあり、病院に着く頃には汗が滝のように流れ落ちていた。これでは流石に毎日、見舞いに行くのは難しそうである。
病院内に入ると、クーラーが効いており、一気に汗が引いて行く。
志津先輩からのメールに書かれた病室を地図で探し出すと、病院内にあった売店で適当に見舞いの品を見繕い、まっすぐ指示された病室へと向かう。
神籬夕――いや、意識不明。身元不明で保護された女性と言うべきか。
そんな事を考えながら、神籬夕の眠る病室の前に辿り着くと、そこには扉の前で立ち尽くしている志津先輩の姿があった。
病室の名札には名前が書かれていない。そして、志津先輩はその名札を凝視している。
やはり、志津先輩にとっても今回の一件は終わっていないという事か。
「一週間ぶりですね。お元気そうで何よりです。あの時は随分と憔悴していましたから」
あの地下室で再会した志津先輩は酷く疲れ切っていて、いつもの覇気もなかった。
とてもか弱く見えた。普段が普段であるだけに、余計に。
だが、今の志津先輩は隈があるなど、多少の疲れは見られるものの少しずつではあるが回復している。身内なんだ。そう簡単に割り切れるものでもない。
「あぁ、君か。見舞いか? わざわざ、すまないな」
「いえ、僕の勝手ですからお気遣いなく。夕先輩も目が覚めた時、誰かが傍にいてくれた方が安心できると思いますからね。見知った誰かが」
「――そうだな。では、私はそろそろお暇しよう。君の邪魔をしても悪いからな」
志津先輩はそう告げると、病室の扉を僕へと譲り、帰ろうとする。
だが、僕はそんな志津先輩の手を掴み、この場に引き止めた。
志津先輩もわざわざ、どこに入院しているか突き止めて会いに来たのだ。夕先輩に。
「よろしいんですか? 会って行かなくても……。ようやく、見付かったのに」
「分かっているさ。会わなければならない事くらいな」
志津先輩の手が震えている。やっぱり、怖いのか。
いつ目を覚ますか分からない。目を覚ました時、どうなるか。それも解らない。
分からない事だらけで。だからこそ、不安で押し潰されそうになる。
特に神籬の内情。姉妹の間に存在した壁。
それらが余計に志津先輩の足を。決断を鈍らせているのだろう。
「少し話を聞いて貰ってもいいだろうか?」
「構いませんよ。話を聞いた後でも、面会は出来ますからね」
僕の言葉に小さく頷くと、志津先輩は僕を連れて休憩室へと場所を移した。
平日、時間も時間という事もあり休憩室には僕ら以外には姿が見えない。
志津先輩は二人分の席を確保すると、飲み物を買う為に自販機を見て回り始めた。
「そうだな。これにしよう。これをこうして、こうやればいいのか」
何やら、格闘している志津先輩を他所に僕はスポーツドリンクを買って席へと戻る。
帰りの事も考えた無難な選択だ。炭酸だと、喉が渇いて仕方がない。
そんな僕とは違い、志津先輩は紙コップのコーヒーを買って戻ってきた。
そして、それに志津先輩は一口、口を付けると苦笑いを浮かべる。
「甘いな。よく、こんなものを飲めるものだ。これなら、コーヒー牛乳の方がましだぞ」
「コーヒーですよね? それ……そんなに不味いんですか? ここのコーヒー?」
いくら紙コップのコーヒーだからと言って、そこまで飲めない物なのだろうか?
僕はそんな良く分からない志津先輩の反応に困惑していると、志津先輩は紙コップを机に置き、深い溜息を吐いた。そして、どこか遠い場所を見つめながらこう呟く。
「夕がよくこうやってコーヒーを飲んでいたのを思い出してな。真似してみたんだが、これでこのレベルだとしたら、これ以上のモノをよく飲めたものだと思うよ」
そう言えば、僕の前ではココアを飲むようにしていたが、夕先輩は基本的に重度の甘党だった。初めて会った時なんてその事にドン引きしていた覚えすらある。
「なんで、そんな真似るなんて事をしようだなんて? 何か、あったんですか?」
あったとすれば、やはり僕らが少女の怨霊と対決している間。
志津先輩の心を折ろうと色々と画策していた時だろう。恐らく、向こう側のやりそうな手として言えるならば、志津先輩の前に夕先輩の偽物を……。
「あぁ、あれが夢だったのか、私には見当もつかない。ただ、ひさしぶりに夕とじっくり腰を落ち着けて話が出来た気がする。色々と、な」
その嬉しそうな顔に僕はそれが偽物かも知れないという言葉を言う事が出来なかった。
少しずつ、変わろうとしている。夕先輩を理解しようと動き始めている。
それに水を差すなんて野暮な事だろう。志津先輩にとって、それは重要な事なのだ。
これまで、二人の間にあった溝を少しでも埋めていくために……。
「だが、足が動かないんだ。病室の前に立つと最後の一歩が踏み出せない……。本当に情けない。約束したと言うのに……。ずっと、待ち続けていると」
「こんな時、気の利いた一言でも言えると良いんですけど……すいません」
志津先輩の迷いも分かる。だが、それは時間が解決してくれるとも思えない。
だからと言って、僕が志津先輩の背中を押す為に適当な事を無責任には言えない。
僕はストローを取り出して、紙パックのジュースに差し込む。
そして、売店にて先程購入した見舞いの品を開けるとテーブルの上に置いた。
「ところで、食べますか? さっき、売店で買って来たんですけど」
「いや、ちょっと待ってくれ。何かおかしいだろ。確認するが、それは見舞いの品だよな」
「そうですよ。けど、最初から僕が自分で食べる気でいましたけどね。だから、選ぶときも自分の好物をわざわざ、買いましたから」
僕の言葉に、志津先輩は呆れてものも言えないというような顔をする。
だが、今日今すぐに夕先輩が目を覚ますなんて都合のいい事はない。これからずっと、目を覚まさない可能性の方が高いくらいだ。永遠に病室のベッドで眠り続ける。
だからこそ、病室で時間を過ごす為にこうして買って来た訳だ。時間を潰す為に。
夕先輩の為に買っても、それは夕先輩には届かないだろうから。
「それに、ほらせっかく買ったんですから、食べられなくするのももったいないでしょう? 結構、値が張ったので食べないなら僕が全部食べますよ」
元々、少ない小遣いから捻出して買ったのだ。
いらないと言うなら、わざわざ分けたりはしない。しかし、この焼き菓子……食べられなくはないのだが、ありきたりな味だ。今度は別の菓子にしよう。
そんな事を考えながら、こしあんの入った焼き菓子を頬張っていると、志津先輩も折れたのか焼き菓子を一つ取り、包装を外した。
「だが、まだ救いはあるのだろうな。聞いた話では、深山は発見された時、心神喪失状態でそちらの方の病院に入院になったらしい。失語症も患っていたと風の噂で聞いたよ」
「精神を病んでですか。結局、僕らは何の為に頑張ったんでしょうかね」
思わず、そんな言葉が漏れてしまう。
夕先輩も深山さんもいるだけ。元の生活を送る事が出来るか、僕らには見当もつかない。
夕先輩に至っては目覚めた所で、そこから始まる日常もまた、地獄。
本当にこうする事が正しかったのか、僕には分からない。
ただ、怨霊を除霊しなければ更に被害は広がり、取り返しのつかない事になったのもまた事実なのだ。どうしようもない自分の無力さに思わず、溜息が出てしまう。
「あれだな。この砂糖たっぷりのコーヒーもどきと焼き菓子は最悪の組み合わせだ」
「まぁ、あれですよね。渋みか苦みが欲しい所ですもんね」
「よく、こんなゲテモノじみたモノを飲めていたな。口の中がじゃりじゃり言いそうだ」
一気にコーヒーを飲み干すと、志津先輩は顔を顰めた。
そう言えば、喫茶店でもコーヒーをブラックで飲んでいた事を考えれば、流石に砂糖を入れて甘くなったコーヒーは許容範囲外と言う訳か。まぁ、僕も飲みたくはない。
「まぁ、あれだ。あの後、久し振りに母とも腰を落ち着けて話をしたんだ。神籬の家については色々と話してくれた。でも……夕に関しては欠片も覚えていなかったよ」
覚えていなかった。その言葉を確かめる術を僕らは持っていない。
ただ、一つだけはっきりと言えるのはあの母親が今回の一件に関わっていた。それだけ。
その本人が何一つとして覚えていないのなら――それで良かったのかも知れない。
真実を知る事が必ずしも、良いとは限らない。
「真実の大半が闇の中ですか。まぁ、思う所は僕にもありますが『仕方がない』この一言に尽きますね。本当に便利な言葉です」
ここで怨霊と話した会話、僕が手に入れた一つの可能性。
それらを提示したならば、志津先輩は確実に自分から関わろうとして来るだろう。
しかし、それは志津先輩の為にならない。これ以上、傷付くのを見たくない。
だから、僕はポケットの中に入れていたソレを出す事はしなかった。
あの時、あの地下室で見付けた。動物の骨らしき何かについては……。
「あぁ、そうだ。もう少ししたら、学校が再開してそこで通達があると思うのだが、どうやら郷土研究部は廃止になるらしいぞ。今回の件で部員がいない事が認知されたらしくな」
「これまで問題にならなかったのもあれですからね……。顧問もあった事ありませんし」
顧問にあった事もなければ、部員が足らなかった。それで問題にならなかった事がそもそもおかしいのだ、部室を引き渡せと言われて、断る事は無理だろう。
部室内の整理を考えると、明け渡しは二カ月前後を目処に――早期は難しそうである。
僕が今後の方針と作業日程を頭の中で組んでいると、志津先輩は焼き菓子を食べながらこう続ける。手には新たなコーヒーを握って。
「まぁ、話はまだ続いている。学校の教師側からあれだけ膨大な史料を死蔵させる事も問題だという声もあがっていてな。そこで、部員不足と顧問の件を一度に解決する上に他の部活動への示しも付ける事が出来る方法を私の方から提案させて貰った」
志津先輩はコーヒーを持ち、ゆっくりと立ち上がる。
「部活を委員会へ昇格。それと同時に一年生から委員を選出する。その間の委員長へ名目上、生徒会長である私が兼任。実務に関しては現部長である君に任せる。そして、新たに委員会顧問の選出を同時に学校側が行う。これで決着が着きそうだ」
「まだ、学校も再開していないのによく話し合いの場を持てましたね」
「一応は信頼されているからな。学校内の部活に関しては生徒会の管轄だ。それで、名目上は私に話を通したのだろう。お蔭で落ち込んでいる暇もなかったよ」
そう言うと、志津先輩は紙コップをゴミ箱へと捨て、休憩室を後にしようとする。
「それじゃ、そろそろ失礼するよ。ここに来るとは母様にも伝えていないのでな」
「良いんですか? 会って行かなくても?」
「私の分もあいつの顔を見て来てやってくれ。今の私では、夕には顔を見せられない。あいつの前でだけは神籬志津であり続けなければならないからな」
神籬志津であり続ける。その為にも、今は神籬夕に遭う訳にはいかないと言う事か。
会えば、きっとここで足踏みをしてしまって、一歩も前に進めなくなるから。
「それが、今日ハッキリと分かったよ。だから、今日の所は帰る」
「そうですか。まぁ、それが志津先輩の出した結論なら止めませんよ。それが、ただの逃げだったのなら、僕だって少しは小言を言わせて貰ったかもしれませんけどね」
僕の言葉に志津先輩は苦笑いをすると、そのまま何も言わず、立ち去った。
休憩室から志津先輩の後ろ姿が見えなくなると、僕も立ち上がる。
いつまでも、ここでこうして休憩していても仕方がない。
皆が皆、少しずつではあるが歩き始めようとしているのだ。
僕一人が今回の一件をこうして引き摺って動けなくなっている訳にはいかない。
あの時、何が正しかったのか。そんな事は誰にも分からないのだ。
魔女先輩がもしも、まだいたら……。
「考えるだけ無駄でしょう? 迷った所で何も解決しないものだってあるのよ」
「やっぱり、いたんですか。志津先輩はどうやら、気付いていなかったようですけど」
「あれだけ、自分の事で悩んでたら、手一杯で私達の事を気にかける余裕なんてないわよ」
「それって、やっぱり無理をしていたって事ですか。って、それって僕が全く悩んでないみたいですね。こう見えて、色々と今回の件で僕も傷付いたんだけどな」
僕は魔女先輩の言葉に思わず、苦笑いを浮かべてしまう。
あの少女を助けられなかった事。深山さん、夕先輩の件。その他諸々。
仮定の話でしかない。けれども、もっと早く異変に気付けていたら、違った今があった。
こんなに誰もが傷付かずに済んだんじゃないか。
そんな風に考えてしまうのだ。それが、愚かしいと分かっていても。
「貴方は他者の事を気遣ってそうやって、自分から真綿で首を絞めている。でも、彼女はこれから先に進む為に自分の事に必死になって苦しんでいる。その差よ」
「酷い例えですね。でも、間違っていないだけに何も言えませんけど」
僕はポケットから白骨化した動物の骨を取り出した。
「でも、まだ終わっていないかもしれないなら、考えてしまいますよ」
今回の一件、少女は『筋書き通り』と言った。
そして、そもそも少女には道祖神も神籬の祀っていた神を消す力もなかった。
この二つが密接に関わるかはまだ、断定出来ない。
だが、否定する事も難しい。真実と言う名のパンドラの箱を開けるまでは。
「この骨はその昔、儀式に使われた骨であって道祖神で発見した骨とは違うかもしれない。けど、それを否定しきる材料もないのなら、それもありえるじゃないですか」
魔女先輩は僕の言葉に肯定も否定もしない。
ただ、沈黙を貫いている。何も言わず、身動き一つしない。
僕もそれ以上は何も語らず、神籬夕の病室へと向かった。
重い扉の先には白い清潔なベッドに眠る神籬夕の姿。その細い腕には栄養剤らしき、点滴が今もポツポツと一定の間隔で落ちて来ている。
窓からは夕日が差し込み、その顔を茜色に染めているのだが、それが余計に彼女の弱々しさを余計に強調してしまっているようにも思えてしまう。
「これなら、花でも買って花瓶にいけるんだったかもしれないな」
誰も見舞いにこないのか、花瓶には何も活けられていない。
それどころか、小物一つない淋しい病室だ。まぁ、今の彼女は誰にも覚えられていないのだから、この物寂しい病室も仕方がないのかも知れない。
この病室を訪れるのは僕か、志津先輩くらいだ。
「それで、貴方はこのまま関わり続けるつもりなの? こちらに関わっても不幸になるだけだっていうのは理解したと思うのだけど?」
唐突に魔女先輩が口を開いた。
そんな事は理解している。関わる事で、知らなければ良かった事を知ってしまう事も。
だが、それでも僕には引く事の出来ない理由があった。絶対に引けない理由が。
「これを夕先輩が握ってたんです。何の意味もないただの布きれなのに……」
それは夕先輩が握っていたお守りの袋――僕が彼女に手渡したものだ。
僕はその何も入っていないお守り袋を力強く握りしめた。手から血が滲むほどに。
気休め程度になればいい。そう思って、渡したものに彼女は必死に縋っていた。
本当にもっと真剣に耳を傾けて置けば良かった。そう後悔してもしきれない。
「確かにそれはお守りでも何でもないわね。でも、それにどんな価値を見出すのかはその人次第よ。まぁ、私が何を言っても無意味そうだけどさ」
そう言い終わると、魔女先輩は僕の肩に手を回し、後ろからそっと抱き着いて来る。
「追い続ければ、きっと辿り着けるわ。いつか、貴方が追い求めているものにもね」
追い求めているか。まぁ、追うというよりも闇雲に彷徨っているという方が正しい気もするのだが……。道標なんてどこにもないのだ。
「それに、私って執念深いの。だから、狙った獲物は絶対に逃がさない。ってね」
魔女先輩は耳元でそう呟くと、軽く舌なめずりする。
「私も付き合わせて貰うわ。生憎、この町って食べ物には困らなそうだし、それにもしもいるとしたなら、きっとまた釣って来る筈よ」
まだ、終わっていない。これが始まりである。
僕はまだ怪奇現象に片足を突っ込んだだけの半端ものだ。
ただ、彼らを見る事が出来るだけ。それだけしか、僕にはする事が出来ない。
けれども、その僕にも薄らとではあるが、淀んだ何かが集まって来ている事は分かる。
口には出さないが、それが前兆であるのなら、また何か良からぬ何かが引き起こされる。
何せ、道祖神も神籬が祀っていたこの土地一帯の土地神もいなくなったのだ。
これ程、怪奇側の人間にとって都合のいい場所はない。
僕は夕先輩の頬を撫でると、魔女先輩の拘束を抜け出し、振り返った。
「釣って来るのなら、乗るまでですよ。してこないなら、虱潰しに探し出します」
それが僕の出した答えだ。これからも、怪奇側に関わり続けていく。
そして、今回の一件の主犯を表舞台に引きずり出す。それが僕の誓いだ。
「そう。だけど、本来、貴方が一人でそんな重荷を背負う必要性なんて、どこにもないと思うのよね。たった一人で……」
僕は魔女先輩の横を通り抜けると、病室から退室する手前で足を止めた。
確かにほんの一握りも、そう思わないと言えばそれは嘘になる。だが――。
「それなら、そもそも最初に僕にババを握り込ませたのは、そこに参加させたのは一体誰だったのか。っていう話でもしますか? ……魔女先輩?」
「あら、参加していなかったら良かったとは全く思っていないでしょう? それに最後までババを握りしめて放さなかったのは、そっちの責任だと思うのだけど?」
――まあ、その通りだ。結局、僕が関わらなかったとしても、誰かがババを引かなければならなかった。それならこの方が良かったはずだ。
誰かの事を忘れて、忘れていることにすら気付かずに失うよりは、ずっと。
「そう決めたのなら、頑張りなさい。私が言っても、聞く耳は持たないだろうし」
「それはお互い様ですよ。魔女先輩だってそうでしょうに」
ぼそりと、僕は呟くと足早に病院を後にする。
そうして、また日常と非日常の境界線を跨ぐのだ。
「ただいま。ちょっと、思ったより友達の病院が遠くて遅くなった」
そう言って家に入ると、奥からゆっくりと妹が歩いて来る足音がする。
連絡を入れなかったからだろう。すこしだけ、拗ねているのかもしれない。
僕はそんな有り触れた日常にどこか、ホッとした感覚を覚えるのだが、すぐにそんな考えは崩壊し、全身から冷汗が流れ始める。
何がおかしいのか。という小言から始まり、この一週間の鬱憤を一度にぶつけられる。
だが、何故だろう。別に嫌な気がするどころか、どこか安心感を覚える。
「分かったよ。次からは気を付ける」
僕はそう言って、いつものようにあしらうと、靴を脱ぐのだった。
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