第1章 変わってしまったこの世界
第1話 俺のうしろに席がある
「
僅かな躊躇と虚ろな意識が、相応の間を介入させる。さっきまで机に伏せて眠っていたからだろう、うまく頭が回らない。
「
声はなく、しかし肌で感じる教室の空気だけが確実に変わった。
張り詰めたそれはじんわりと環境音を遮断し、最後の力を振り絞るセミの声も今は耳に届かない。もう俺に、彼らの存在を証明することはできなかった。
やっと血が巡ってきて「ああ間違えてしまったな」と判った。寝起きで新学期の自己紹介に太刀打ちしようなどとは、全く愚かなものだった。
たしかに、俺みたいな奴が出身中学を述べているのもおかしなことだ。
俺みたいにダブった奴が。
そう、留年したのだ。
高校二年目にして高校二年生ではない。イニシャル「し」なのに渡辺の後ろ。出席番号四十番。それが俺だった。
必然的に窓際最後尾、いわゆる主人公席を牛耳ることになった。「留年すれば主人公になれる」というのは、なかなかのトリビアではないだろうか。
季節は秋。全国の高等教育機関が海外に感化され、九月入学が一般化したこのご時世。ここ私立船渡海高校も例外ではなかった。
秋とは言ってもそれは日本古来の暦の上での話だ。夏休みが明け数日が経っても暑さは一向に和らぐ気配がなく、相変わらずやかましい夏の虫も「最後まで燃え続けるぜ!」と大騒ぎを継続している。そこに半分死んだ顔の俺だ。
そして、そんな俺に向けられる世間の目は想像以上に冷たいようである。留年は冷房要らずでとてもエコだ。それを知ったのが今日であり、凶だった。
高校を出てしまえば、一年程度の年齢差などあってないようなものだと聞く。しかしこの世界では、話は別だ。奇異な目を向けられること請け合い。留年生は「普通」ではないのである。
何を言っても悪あがきでしかないので、必要事項を述べ席につく。クラス全員の自己紹介の完了である。
全くやれやれだぜ。なんて呑気に言ってしまえば昨今のラノベ主人公っぽいかも知れないが、実情はそんなに軽くなかった。こんな陰湿な雰囲気漂う空間で一年間、いや三年間か。本当にやっていけるのだろうか。
先生も、留年した奴をご丁寧かつ判りやすく一番後ろに持ってこなくてもよいものを。まあ、ある程度交友関係を築いたあとにバレて微妙な空気になるよりはマシか。変なあだ名とかつかないといいなあ、などと思っていた――のだが。
「
後ろから声が聞こえる。ああ、俺の後ろの席のやつの自己紹介か。
え?
後ろ?
ちょっと待て、自己紹介は終わったはずじゃ?
というか、そもそも俺の後ろに席なんてなかっただろ。
そんな疑問も、先生の一言ですぐに解決された。
「ごめんなさいね、苗加さん。今朝は机の手配遅れちゃって」
ああ、なるほど……。寝ている間、机の搬入があったのか。
苗加と名乗り、また呼ばれた少女は「いえ」と一言返す。というか、俺の後ろにいるってことは出席番号四十一番……いやまさか。机の手配が遅れたから一時的に一番後ろに配置されただけだろ。名前と出席番号が貼ってある机を並び替えるのは、気が遠くなる作業だろうし。
「留年したのでみなさんより年上ですが、私のことなど気にせず勉学にでも勤しんでくれればと思います。以上です」
……これマジ? お前がそれを言ったら留年について言及しなかった俺は潔くないみたいなビジョンが出来上がっちゃうじゃないですか。というか、マジで留年じゃないですか。
”ダブってるキャラ”すらダブってるとか、最悪だな。
一方はめっちゃ友達いるのに一方はいない、留年という言い訳がきかない、みたいになったらどうしよう。そんなの嫌だよぅ。
窓際最後尾をみすみす逃し、左遷型主人公にすらなり損ねた俺は、警戒レベルを高める。脳内では直感ブザーがやかましく警告音を響かせている。
しかし、苗加の挑発的発言は間違いなく全クラスメートのヘイトをかき集めたはずだ。今なら特大ヘイト玉でフリーザくらいなら倒せそうである。そういう意味で、俺はマシな留年生へ押し上げられたのではないだろうか? うん、ありがたい限りである。
入学初日から自ら挙手をして、見事ヒール役に抜擢されてしまった苗加羽込とは、いったいどんな人物なのだろう。ものぐさである俺もさすがに気になってきた。
立てこもり犯の家に突撃するかのごとく慎重に後ろを振り向くと、まさかのまさか。そいつは美少女――想像を超える絶世のそれだった。
ほんと、世を絶っちゃうくらいのオーラなの。こわいの。
身長は高校生女子にしては高い方で全体的にスラッとした出で立ちだ。清楚な印象を受けるが髪の色素は少し薄めで、横を向いたとき頭に小さなお団子を乗せているのが見えた。あら可愛い。窓際の列ということもありなかなか逆方向を向かないが、恐らく右側にはお団子がない。どうやら左だけ丸く纏めているようだ。あまり見ない髪型だな。
こんな普通の子が、ねえ。
いや、騙されてはいけない。いくら外面が良くても、ダブってる奴が普通なわけがないのだ。お前が言うなとか言ってはいけない。泣くから。
多分よくある容姿端麗だけど中身がクズで、語尾に「のだけれど」とかつけるあれだ。ふぅ、危なかった。間違った青春ラブコメとか始めちゃうとこだった。
俺はそいつを目の保養大賞に認定し、
(やっぱ最後尾が良かったな……)
などと思いながら彼女を眺めていた。これほどまでに五十音順に憎悪を抱いたことはない。
自己紹介であれば、その対象に目を向けるのは普通のことだ。しかも合法的にローアングル。素晴らしいね。
すると苗加がこちらを一瞥した。
今、ナチュラルに見下された? 世じゃなくて俺が絶たれちゃう? 絶俺の美女なの?
苗加も多くを語ることはなく、美しい所作で席に着いた。その端正なシルエットは、誰も口出しできないような、凛としたものであった。
自己紹介が完了すると、担任の
入学式前に「去年こんな先生いたっけかなぁ」と思ったが、やはり今年赴任してきたばかりらしい。クラスを持つのも初めてのことだそうだ。
疲れた様子なのも新年度のゴタゴタでいろんなストレスが溜まっていたからのだろう。
そんなこんなで、入学ではなく、進級でもなく、滞級の初日の日程が終了した。
* * *
なんなく高校一年生二年目の一日目を終えた俺はそそくさと帰路につk……ん?
早まる足に右手だけが遅れを取る。動かないよ?
見ると、誰かが俺の制服の袖を掴んでいる。
おっとこの人、人違いをしているな。だって俺の袖掴んでくる人なんてこの学校――少なくともこの学年にはいないもんね。
俺、ボッチだもんね!
人智を超えた処理速度で判断し歩みを進めようとすると、今度は左手まで動きを止める。やれやれ参ったぜ。
どうやら俺の中の闇のアレが俺の体にアレしているようだ(適当)。
静まれっ! じゃなかった。動けっ、俺の両腕!
「清水飛沫くん」
呼ばれてしまった。人違いの線は絶たれた。
「何ですか先生っ!」
ファサァっと爽やかな笑顔(個人の感想)で振り返ると、そこにいたのは先生ではなかった。
……は?
「なんで私を先生だと判断したのかを聞くと同情を禁じ得ないくらい悲しい事実を聞かされそうだからやめておくけど、ちょっとついて来てくれないかしら」
うわやばい。
ほら、だって、こういうのってトラブルのもとだからさ。入学初日から告白とかされて翌日クラスで噂になったりしたら、嫉妬する輩が大量に発生しちゃうじゃん?
あ、俺ボッチだったわ! 安心安心。
とにかく、危険だ。
なぜそう思ったかというと女の子が放課後、俺一人をどこかに呼びだそうとしていたから。もっと言うとそいつが留年していた同級生だったから。
もう危険な匂いプンプンする。そして顔もなんかプンプンしてる。怖い怖い怖い。
「素直に従って欲しいんだけど……。逃げないほうが長い目で見るとお得だと思うわよ。リスクも伴わないし」
リスクって何。リスクって何!
「長い目で見ると」とか怪しい骨董品を売りつける詐欺師のセリフだよ? ボクシッテルヨ。とても、とても逃げたい。
でも、これ多分ダメだわ。
――中略。そして体育館裏。
いや、もっと場所なかったのかよ。
「良いバイトがあるのよ。やらない?」
いきなり何を言い出すんだこいつは。
「そこで”はい、やります”と答える奴がいたら、真性のイエスマンだわな」
「ごめんなさい。順を追って話すわ」
そのセリフを言う順序自体が正しくないんだよなぁ。
二番目に持ってくると信憑性だだ下がりなんだよなぁ。
「まず聞きたいんだけど、あなたってなんで留年したのかしら」
順を追って話すためにまず最初にそれですかそうですか。
「お前に教える義理はないと思うけど」
「まあいいじゃないちょっとくらい。ほらほら、怖がらないでお姉さんに教えてご覧なさい。悪いようにはしないから」
突然の悪代官顔。いや、エロオヤジ顔? 何だこいつ。キャラつかめねぇ。
しかし、ここで俺の中の悪魔が囁く。これもいい機会なのかもしれない。俺もちょっと知りたかったし。この状況を使わせてもらおう。
「それはフェアなやり方じゃない。だから聞かせてもらうが」
逆の立場になった映像が頭をよぎり一瞬胸が傷む。
でも仕方ないよ。相手に尋ねるときはまず自分からだよ。
「お前は、何で留年したんだ」
「めっちゃバイトしていたのよ」
「アホか」
意味分からん。いや、ホント、意味分からん。
「正確に言うと派遣かしらね。日雇いの」
うっわ嘘くせぇ……。
いろいろツッコミたいが、とりあえずそれ法律上アウトでしょ……。どんな企業だ。
「じゃあ次はあなたの番……。さあ、ちょうだい……。情報を……。ありったけのあなたを私に……」
うわー、やめときゃよかったー。こいつの情報、聞くんじゃなかったー。
その手と顔やめろ。色々台無しだぞ、美少女よ。
うーん、でも言うしかないよな。信憑性はともかく、俺もこいつに留年理由尋ねちゃったんだし。でも俺の留年理由って……。まあいいか。
「引っ張っておいて申し訳ないが、面倒になってサボりすぎただけだよ」
うん、間違ってない。
「へえ。じゃあ何で面倒になったのかしら」
「それは……」
言い淀み、足元を見る。なんとなく答えたくない。
「何かゲームとかにハマってしまったとか?」
「特にないな」
「じゃあ、学ばなくてはいけないという社会へのアンチテーゼ」
「そんなコトする人間に見えるか?」
「知らないわ。あなたの存在知ったのも今日だし。それにもっと早く知っていたら……。いえ、なんでもないわ」
よくわからない奴だ。
いくつかの質問に否定を重ねたが、口から答えが出ることはない。何をそんなに躊躇しているのだろうか、俺は。
「じゃあ親の会社が倒産して……」
「もういいだろ。何もないんだよ。理由なんて」
面倒になった俺は、とうとう言ってしまった。だけどそこで、隠すことに意味なんかなかったことに改めて気づく。だってそうなんだよ。本当に。
「それが聞きたかったのよね」
「は?」
「何も理由がない。突然の倦怠感があなたを襲った。要はそういうことでしょう?」
「だから何なんだよ……」
実際こいつの言う通りだった。
回想。今年の春。
桜の散る景色がいとおかしなあの季節。突然この世のものとは思えない、今まで体験したことのないような感情が俺の中で芽生えた。それが俺の留年理由に当たる、最たるものだった。つまり、「倦怠感」。
そしてつい先週、それがさっぱり無くなった。何の前触れもなく突然に、だ。
それに苛まれていた間、俺はまるで俺では無いようだけどたしかに俺で、それでもって記憶も意識もしっかりあって……。
それに身を任せていれば当然、単位なんぞは欠席日数という重力に任せて自由落下するだけであった。やがて
要するに、気付いたら人生半分詰んでいた。
取り返しの付かないことをしてしまったのである。親には泣かれ、世間には蔑まれ、思い出したくないようなことが山ほどあって、それをこれから片付けていかなくちゃならない。そんな忙しい時に……。
「それって、何か秘密があると思わない?」
「秘密? お前、話聞いてたのか?」
「ええ聞いてたわ。あなたはこの半年間と少しの間、魔法的なやーつにかかっていた。そういう話だったわよね」
「何そのファンタジー……」
魔法的なやーつってなんだよ。設定ざっくりしすぎだろ。
でも、なるほど。
こいつ、痛いやつか……。
普通とは違う立ち位置の俺を格好のネタだと見て連れてきやがったな。潜伏期間の長い中二病だなぁ。
「もしそうならあなた、まだやり直せるわよ」
苗加がビシッとこちらに人差し指の先端を向ける。人を指さしてはいけません!
「何を言って……」
「前例があるの。あなたに似たような症状? と呼んでいいのかしら。まあそれに理由があって、治って、社会的立ち位置も回復したという例が」
「んなっ」
話に乗せられてすまし顔を崩してしまう俺はまだまだだね。疲れて思考が鈍っているんだろうな。そんな――
「そんなうまい話が、あるわけないだろ」
「それは私に言っているのかしら。それとも自分?」
苗加の問いかけに、俺はまた答えない。答えられない。適当な言葉で場を濁すこともできないくらいに、その問いは曖昧な答えを許してくれそうなものではなかった。
「まあ前者だと思って続けさせてもらうとね、今から私が提示する条件を呑めば、その可能性があるって話よ」
何なんだ。話した感じだと、面白いギャグお姉さん系同級生にしか見えないんだけど。その上不思議ちゃん? 本当につかめない。
だが、こいつが俺をこんなくだらない会話に付き合わせる理由はもっとわからないし、些細ではあるがたしかにこいつは自分の情報を提供した。めっちゃ嘘くさいけれど。
言いたくないであろうことをさらして、俺の信頼を得ようとした。俺はこの半年間のクズな自分を消し去って、人間として清らかでありたい。それなのにここで会話を無下に断ちきるのは、そんな人間がやることか。
――否。
「ああいいよ。言ってみろ」
「それはね、私と――」
「お前と、……どうすればいい」
息を呑む。
「私と…………」
心なしか苗加の頬が紅く染まったように見える。
一呼吸、二呼吸、そして三呼吸目で大きく息を吐くと、意を決したように彼女は俺に言った。
「一緒に、日雇いバイトをやりなさい。今、卑猥なこと」
「考えた奴がいるとすれば俺ではなく、このやりとりを見てる誰かだろうな」
ってか完全にわざとやってたじゃねぇか。俺は騙されない。変な期待なんかしてないもん!
「ってか働いて解決って、そんな胡散臭いこと信じられるかよ。それに立ち位置の回復も何も、俺はこのままで別に構わないんだよ」
二言目は、少し嘘だった。苗加羽込はそれを容易く見抜く。
「でもあなた、この学年に友達いないじゃない」
「うぐっ」
おいやめろいまそれかんけいないだろ。容易く見抜くだけにしといてください。ダメージ与える必要あった?
いやそれに、ボッチとはいってもね? 俺はどこぞのキャラクターみたいに友達できないことにかこつけて孤高を気取って悦に浸っているような悲しい奴とは違うし……。
留年したというちゃんとした理由があって、友達ほしいけどいない。コミュ力ないわけでもないし、敬遠されるようなこともしていない。ただ何となく常時つるむような友達を得ることができないっていうパターンだから。
つまりは……!
「俺は、ちゃんとしたボッチなんだよ」
「……かわいそう。どういう思考をして至った回答なのか第三者目線だと全く分からないわよ?」
俺のほうが悲しい奴だった件。
「で、でも、まだ新学期初日だし? 友達作りとかまだ全然間に合うしぃ……」
「あなたも見たでしょう? 今日時点でほとんど、教室内にグループ出来上がってたじゃない。仮に気づいていないんだとしたら、もう今後の流れもお察しね」
「は、はぁ? 気づいてたし。むしろ明日入ろうとしてるグループの値踏みしてたし。というか、ボッチという点ではお前も同じだろ。初っ端からあんな発言してさ」
「私は、ちゃんとした神だから」
「お前の思考回路のほうが遥かに理解不能だ!」
ちーん。俺たちはうなだれる。
お互い涙が溢れる前に強引に話の軌道を本筋へ戻す。俺は質問を重ねた。
「最後に一つ。お前、留年何回目だ」
「さすがに失礼ね……。一回目。そこは嘘偽り全くないわ」
まあそうですよね。容姿的にも。というかそこ以外は嘘偽りあるみたいな言い方したよね、今?
「そうか。情報ありがとう。だが生憎、この件は割の良いバイトで稼いだお金でも解決できなくてね。むしろ、そんな労働してる暇なくてね」
「いや、そういうことじゃ」
早く帰りたいという気持ちが自然と俺を早口にさせる。
少女に背を向けると、部活に勤しむ生徒たちの姿が目に入る。誰もこちらに目を向けることはないけど、案外丸見えなのね、ここ。
「まあ同じような立場のやつと知りあえてよかったよ。一年間よろしくな」
「ちょっと、そうじゃなくてバイトっていうのは」
何か言いかけた苗加羽込を背に、俺はそこを立ち去った。
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