第30話 核心はすぐそこに
また庇われてしまった。
六階が開発部じゃないかもしれないとは、まあ考えていた。
しかし、エレベーターのドアの真ん前で監視の目と鉢合わせしてしまったのは、本当に運がなかった。いや、もしかしたらこの階はただのオトリなのかもしれない。
「パスを持っていませんね。迷い込んだというわけでもないようですし」
真澄は俺を突き倒し、ドアが閉まるのと同時に
「六階じゃないってことは、開発部は多分地下二階! しぶくん! 行って!」
「でもっ……!」
清掃員が真澄の二の腕をつかむ。
「うっ」
真澄が呻きを上げたことから察するに、相当強い力のようだ。
続いて俺に近づいてこようとする清掃員を、なんと真澄は靴の裏で蹴り飛ばした。
「って、おい!」
思わず声を上げる。吹き飛ばされる清掃員。
「わたしね、中学から空手やってるの。だから大丈夫。行って」
ああ、それなら大丈夫……って、んなわけあるか。
母親の意識をぶっ飛ばすくらいの暴力はそれゆえだったのか。
「まて! それなら俺も」
「気づかれてエレベーターが止まったらおしまいだよ!」
「でも!」
「お願いしぶくん! 一回くらい、わたしを頼って。いつでも誰か助けを呼べるところにわたしはずっといた。でも頼ってほしいっていうのはつまり、委ねて、離れてほしいんだよ、しぶくん」
さっき固めたばっかりの決意が、それでも不安定に揺れ続ける。完全に自分に張り付くまでの時間、それは見た目以上に儚くも剥がれ落ちやすい。
どうして託しきれない。信じろよ、俺!
「大丈夫、何とかなる自信があるの。女の子らしくない立ち位置かもしれないけど……強くありたいの。わたしだって、しぶくんたちみたいに」
強くありたい。誰だってそうだ。人と人が生きる世界で、人はその責任感に追われ続ける。共に生きる仲間としての責任感だ。
彼女は、ずっと背負ってきたのかもしれない。俺が憑き続けたせいで。
「……わたった。頼んだ。全部だ。お前がここで何とかしれないと、俺は目的を達成できない。正真正銘のおまかせだ」
一定時間が立ち、自動で閉まるドア。こんなセリフを言いながらも、俺は情けなく座り続けている。
装備していたリーダーを外しながら前を見据えると
「美滝お姉ちゃんを頼んだよ、しぶくん」
と言い残す真澄。
なんだ、俺なんかよりよっぽど格好いいじゃないか。
真澄が着けていたリーダーは一般に流通しているオーソドックスなもので、それなりの重量がある。確かに戦うには邪魔かもしれない。
まずなんで戦闘してるのかって話だが。ドアの向こうでは女性同士のキャットファイトが繰り広げられていたのだろうか。
油断していたとはいえ、一男子高校生を軽々と押し倒したのだ。半年間あれば世界すら変わる。一人の人間くらい、簡単に変われるんだ。俺が真澄を知らない期間は少なく見積もっても三年間。
「変わったんだな、真澄も」
そのつぶやきは嬉しいようで、距離を実感するようで。
ポーンという短い音叉のような音とともにドアは完全に閉まり、エレベーターは可能への移動を始める。わずかだが、今起こっていることを考える時間を得た。
清掃員に暴力とか色々やばい気がするが、それは真澄も分かっていることだろう。知略化タイプだと思ってたけど、案外「細けぇこたぁ気にすんな」スタイルなんだろうか……。
侵入がバレてしまった以上、確かに今は細かいことを考えている暇はない。
それに先の一瞬で分かった。ここは普通じゃない。そもそもフロントの女性に教えられた六階に、開発部はなかったのだ。
真澄がなぜ地下二階だと言ったのか分からなかったが、今はそこに向かうしかなかった。
エレベーターは止まること無く稼働し続けた。清掃員にこれの動作を止める権限は、さすがにないらしい。
もしかしたら清掃員から上層部への連絡を真澄が阻止してくれているのかもしれない。
目的の地下二階に着くと、俺は走った。とにかく急げ。この逃げるような感覚、何回目だろう。
つくづく変な生活を送ってしまっているなと思う。
少し行くと、多くの人影が現れた。
その中の一人が、こちらを向いて言う。
「ん? 君は……だ、誰だっ!」
視認する。さっきの女性とは違う。やや歳をとった男たちがそこにいた。
「ここまでどうやって来たんだ。例の『運び魔』か?」
「いや違う、『運び魔』は確か女のはずだ」
運び魔? こいつら、羽込のことを知っているのか?
左手で炎のディスクを持ち、右手を前に構える。
「清水美滝に合わせてくれ」
俺は手っ取り早く要求を告げる。
侵入者への対応に焦っているのか、男たちは顔を青白くした。
俺の能力など知っているはずはないのだが、侵入している時点で普通のやつじゃないと認識したのだろう。
「で、出来るわけがないだろう!」
先ほどの男が大声で要求を拒否する。
その後ろ、部屋の奥の方にドアがあることに気づく。
「その奥にいるのか」
俺は聞く。
「く、クソッ」
男が悪態をつくと同時に机の裏に配置された緊急用ボタンを押すと、間髪入れずドタドタと多くの足音が聞こえてきた。
一瞬のうちにたくさんの警備員たちが、俺の前に立ちはだかり、行く手を拒んだ。
侵入者への対応としては妥当なものだが、それが答えのようである。
やましいことをしているのは、ほぼ間違いなかった。
「やっぱりあんたらが何人かの行方不明と絡んでるんだな」
さすがに一企業が人を殺すことは出来ないのか、銃器などは有していない。
今まで行方不明になった記者たちも、恐らく命を奪われてはいない……と信じたい。
盾を前に持ち、俺を取り囲もうとする男たち。どうやら勝ちを確信している様子だ。
俺はケースを開け、使えそうなディスクを四枚ほど取り出すと、
「うおおっ!!」
立て続けにそれらを出力した。
使ったのは今朝購入した市販のディスク。送風、黒インクスプレー、防犯用耐熱ガラスカプセル、七味唐辛子だ。ずいぶん家庭的で申し訳ない。ちなみにガラスカプセルは少々お高かった……。
俺はそれらを連続的に、繰り返し呼びだす。
自分はカプセルに入り、送風をもって周りの警備員たちに大量の黒インクと七味唐辛子を吹き飛ばし散布させた。
「な、なんだこれは」
空間に黒インクと粉末状の唐辛子が充満する。
最初はインクによる目眩ましだと思った警備員たちは愚かにもそれが収束したところでゴーグルを外し、後から降ってきた唐辛子にもだえ苦しむ。どうだ!
「うっ、痛っ、なんだこれは! くそっ、こんな小細工で……! ガキは何処だ!」
目を開けることが出来なくなった警備員たちは隊列を崩し、隙間を作る。
なんとも地味かつ嫌な攻撃で格好もつかないが、自分のお財布事情を考えるとこれくらいしか思いつかなかった。
いや、水素爆発とか、粉塵爆発とかやってやろうとも思ったのだが、さすがに怖いし。俺が。あと高い。化学薬品とかあまり詳しくないし……。何より未知の力だ。リスクは低いほうがいい。
カプセルにも若干のインクが付着したが、俺はいわば台風の目だったので視界はそれなりに良好だ。それを被ったままズルズルと奥のドアを通過すると、大きなマットレスやらを出力してそこを封鎖した。
あ、帰る時どかすの面倒くさ……。まあいいか。
カプセルを放り捨てる。それが何かにぶつかった音がした。
これは、商品の輸送に使う運搬車だろうか? そのロゴに、俺は見覚えがあった。
「AWAKI INC.……。株式会社アワキ……?」
印象的なマーク。その上に乗る刺々しいフォントをしたロゴ。
俺はこれを以前……。
いや、駄目だ。余計なことに気を取られている暇はない。微かな疑問を抱えながら、俺は先を急いだ。
次の部屋には、誰もいなかった。これはこれで奇妙だ。
あるのは机一つと椅子三つだけ。しかしその机の上に、俺は希望の光を見る。
あれは、美滝の髪留めだ! 二つのキューブに加えて花を型どった飾りがひとつという特徴的なデザインのヘアゴム。俺はあれを自宅のリビングで何度も見かけている。間違いない。
近い。そう思った。しかしその時。
ズン、と俺の頭を大きな衝撃が襲った。
何かで後頭部を叩かれた。誰か……いる?
「う……ぐ…………」
それほど強い衝撃ではなかった。
痛みでうずくまった俺に口元に、ハンカチが当てられる。
意識が遠のく。これは、睡眠薬?
薄れていく意識の中で、俺はそいつの顔を垣間見た。そして確認するようにその名を呼ぶ。
「羽……込…………?」
どうしてだ。一体、何が起こっている。どうしてお前が。
疑念の闇に覆い隠されるように、俺の視界は閉ざされた。
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