3-2 悪の第一歩は見た目から! 



 朝のHR前。ドアがけたたましく開くと共に教室内に響き渡る声があった。


「坂本悠馬! 道場破りに行くぞッ!」


「行かない」


 静まり返る教室。オレと銭形に一点集中するクラスメイトの視線。二日に渡っての教室乱入の珍事に朝っぱらから注目の的だ。

 このとてつもなくいたたまれない雰囲気の中で勝手構わず振る舞える銭形の度胸もここまで来れば大したものだ。


 銭形は教室に充満する微妙な空気など意にも介さずずかずかと目の前へやってくると、張り切り口調で喋りだした。


「次なる標的は柔道部だ。柔道と言えば大抵道場を破られるものと相場が決まっておるのだ。今に無力な一般生徒は恐怖に震えて泣き暮らす事となるだろう! ふははははっ」


「行かないからな」


 そっくり返って意味不明な主張をのたまう銭形。昨日で満足して大人しくなってくれないかという仄かな期待はもろくはかなく消え去った。……切ない。

 こんな切ない思いをするくらいならいっそ時間なんて止まって放課後が永遠に来なければいいのにとかロマンチストぶって考えてみたところで黒板の上に取り付けられたスピーカーから予鈴が鳴り響き、全力逃避を試みる思考を無情にも現実へと引きずり戻す。


「良いな悠馬、放課後は柔道場に集結だ!」


 一方的に言い付けくるりと背を向ける銭形。


「何度も言うが行かないぞ」


「ではまた後でな!」


 来た時同様ずかずかと音を立て帰っていく。


「だからオレは行かな――ああもう!!」


 本当に話を聞かねぇ奴だな!!


「なんか……大変だね、悠馬君……」


 隣からそっと労るように憐憫の目を向けてくるクラスメイトに。


「…………ははは……」


 オレはただひたすら乾いた笑いを返すのみだった。



◇◇◇



 目の前に掲げられた『柔道部』の看板をどんよりと見上げるオレの全身は沈鬱とした気分で満たされていた。

 勿論ここには銭形の暴走を止めるために来たのであって道場やぶりなんてものに参加する為にここに居るわけじゃない。断じてそんなつもりじゃない。

 くどいくらいに自分に言い聞かせて、今にも全てを放り出したい衝動に負けそうな自分を鼓舞する。

 隣の銭形は今日もきっちり柔道着を着込んでいる。まさかと思ったが、今度はどうやらちゃんと自分の物らしい。選択授業用に買った奴か。


「たのもーーーーーっ!! この道場は完全に包囲されている! 無駄な抵抗はやめ、直ちに悪の名のもと俺さまに傅くのだぁっ!」


 柔道部員を安易な嘘で暗黒面に引きずり込もうとするな。

 柔道部員は男女合わせて十人ほどがいた。なかなか真面目に部活動に専念している様子が窺えて好印象だ。これは何としても銭形という悪の魔の手から救ってやらないとな。

 柔道部から一人の女子生徒がこちらに近づいてくる。


「わたしは柔道部部長の友江よ。貴方たちは?」


「俺さまは驚天動地にして極悪無比な悪のリーダー銭形誠司さまだ!!」


 堂々名乗りをあげる銭形に相対して凛々しい柔道部部長の目に戸惑いの色が浮かぶ。――うん。気持ちはよーく判る。


「そっちは新しい生徒会長の坂本君だったよね。貴方も彼と同じ?」


 冗談じゃない。オレまで仲良く極悪呼ばわりされたんじゃたまったもんじゃない。


「オレはこいつのやることを見届けにきました。真面目に部活に励む生徒に迷惑をかけるような行為は見逃せないので」


 そう言って今のうちにはっきりと無関係なことと、何かあればむしろ取り締まるつもりな事を伝えておく。友江さんはしばし逡巡する表情を見せたが、やがて再びオレに向き直った。


「用件を聞こうか」


「この部活で最も強い奴を出して俺さまと勝負しろ! 俺さまが勝った暁にはこの柔道部の看板は頂いていく!!」


 答えたのは銭形だ。その内容に友江さんは驚いたように目を見開き、また少しの間思案を巡らせた後、小さく頷いた。


「判った。条件を飲もう」


「いいんですか!?」


 まさかの承諾に思わず声を張り上げる。


「ものすごく理不尽な要求ですよ!? 無理に飲む必要は……」


「もう古いし、看板くらい別に構わないわ」


 そ、そういう問題なのか……?


「フッ、商談成立だ! それで、俺さまの相手はどこにいる?」


「三年の山嵐先輩よ。まもなく部活に来ると思う」


 恐ろしいことに滞りなく話が進んでしまっている。こうなってはオレには手の出しようがない。互いに納得した上での勝負であれば生徒会としては何も口出しが出来ないからだ。

 山嵐先輩が柔道場に現れたのは間もなくのことだった。


「がはは。後輩ども、今日もビシバシ鍛えてやるぞ! おうそこの一年坊主、とっとと茶の一つも買ってこねぇか。相変わらず気の利かねえ後輩どもだな!」


 判りやすくがさつな物言いのその男は、体格も魁偉な大男だった。次に腰に結ばれた黒帯が目を引く。あまり詳しくはないが、他の部員を見てみても白や茶色ばかりで黒帯を締めているのはこの三年生だけだ。


「ふはは、おぬしが山嵐とやらか! この俺さまと勝――」


「山嵐先輩、わたしたちと勝負して下さい!」


 銭形を思いっきり遮る形で身を乗り出す友江さん。いやなんで友江さんまでそっち側!?


「部活を引退してからも度々やって来て横暴な振る舞いをする先輩には部員たちみんな迷惑しています。こちらが勝ったら先輩は今後一切わたしたちに口出ししないと約束して下さい」


「なんだとぉ友江ぇ? 後輩の分際で生意気な口をききやがって! 大体おめぇら県大会優勝の実力を持つこの俺に勝てると思ってんのかぁ?」


「確かに、わたしたちでは束で掛かっても先輩には敵わないでしょう。なので、こちらは強力な助っ人を頼みました」


「いやなんでそうなった!?」


 思わず口をついて出た抗議の声は誰にも届くことなく淋しく床の上を転がっていった。


「強力な助っ人だぁ? 後輩の癖にこの俺に歯向かおうなんざ生意気なんだよ友江ぇ!」


「フン、随分な大口だが俺さまにかか――」


「彼にかかれば先輩なんてすぐさま畳に沈めてあげます!」


「言うじゃねぇかこの野郎ぉ……!」


 山嵐先輩と友江さんの間でバチバチと激しい火花が散る。

 ところで件の強力な助っ人がさっきから全く蚊帳の外なんだが「おい、おぬしら、少しは俺さまの話も聞かぬか」とか喚く声すら二人の耳には届いていない。完全に二人だけのスポ根世界に入りきっている。

 …………オレ帰ってもいいかな?

 ひとしきり気の済むまで睨み合ってから、今度は山嵐先輩が口火を切った。


「でぇ? この俺の相手をするっつーのは何処のどいつだぁ?」


 あそこでちょっと傷ついて床にひたすら『の』の字を書いてるのが強力な助っ人ですよ。自分が人の話を聞かない割に無視されるのは普通に堪えるらしい。


「彼こそ天変地異にして極楽天国な強力な助っ人、銭形誠司君よ!」


 友江さん覚えてないから適当に言った。


「そんな訳で銭形君、貴方の類まれなる実力を先輩に見せつけてあげて頂戴」


 呼び掛けられて、それまでヤンキー座りでいじけていた銭形がスックと立ち上がり不敵に笑う。


「フフン、事情はよく判らぬが、要はそこのでくの坊を俺さまが倒せば良いのだろう? 簡単な事だ」


 おだてられてあっさり立ち直った。なんだかこいつの扱いがちょっと判ってきた気がする。


「何ぃ? おめぇ後輩の癖に生意気だぞ、プレパラートに挟んで捩り潰されたいのかボルボックス野郎がぁ!」


 その罵倒流行ってんの?


「ふはは、この俺さまがその自信をプレパラート諸共この手で砕いてやるわ!」


 それは誰でも割とたやすいんじゃないか。

 柔道場の中心で炎をバックに対峙する二人を見守るオレの胸中を占める気持ちはたったひとつ。

 …………あーはやく帰りたい。


===


次回、とりあえず踏み倒しておくべし!


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