2-3 悪事をするなら胸を張れ!


 なし崩し的に始まった向野中学剣道部 対 銭形の戦い。

 “試合”という言葉を使わないのは、明らかにこれが剣道のルールからは逸脱した争いだからだ。

 苛立ちも顕わに更衣室に向かった向野中学の面々が剣道着に着替えて――中村君はもちろん着替えがないので見学だ――戻ってくれば、銭形は相も変らぬ姿で道場の中心に仁王立ちで待っていた。

 正確には少しだけその見た目に変化があった。今の銭形は半端に着ていた防具類すらも一切着用していないという点だ。


「テメエ……戦う気がねえのかァ?!」


 空気をビリビリと震わせる恫喝に怯むそぶりも見せず、銭形はニヤリと挑発的に笑って言葉を返す。


「そんなものは当たる心配をする奴が着けるものだ」


 更に反論を挟む余地を与えず畳み掛ける。


「さぁどうした、一人ずつ叩きのめされるか、それともまとめて叩きのめされるか早く選べ! 全員で挑めばまだ当てる確率も上がると思うがな! ぬははははっ」


 ぎりりと歯ぎしりする音を立て、総堂が部員達に号令した。


「どうなってもいいってんだな……叩き潰せ!!」


 それを合図に、五人 対 一人の乱闘戦が始まった。

 それからは、こんな乱闘騒ぎに縁がないオレと鶴来はただひたすら呆気にとられるしかなかった。

 銭形は前言通り本当に一度も攻撃をその身体に受けることはなかった。躱し、払い、いなし、相手に散々追い回させて疲弊したところにすかさず竹刀を打ち込む。きちんと防具の有効面を打ってくるあたりがこれまた憎い。それで相手は大きく態勢を崩される。やがて疲労が限界に達したところで一人二人と立ち上がれず脱落していく者が現れた。


「テメエラ何やってる!! 相手はたった一人だぞ!」


 けしかける総堂自身も息が上がっている。

 人数差は五 対 一で、相手は剣道素人で、その上防具も付けてない。負ける筈は絶対にないのに、一体どうなってやがる――と。きっと総堂は考えていることだろう。

 その理屈が自らの置かれる状況を不利にしているとも気づかずに。


 部活では防具を着用しない相手に本気で打ち込むことはない。慣れない者が生身の人間に思い切った攻撃を当てようとすれば抵抗感が生まれる。動きが鈍重になるのは目に見えている。

 仮にその抵抗感をクリアしたとして、これまた多人数での戦いも通常の剣道にはない動きだ。一方的に暴力を振るうならともかく、こうも素早い相手に数の利を生かした戦法が取れるほどの利口さを持った奴は向野連中にはいないらしい。


 何よりも、向野連中が挑発に乗って自ら進んでルールを逸脱してしまったせいで、剣道素人であるはずの銭形を剣道のルールで縛ることが出来なくなった。これにより向野中学剣道部はルールに則った勝敗を主張することも出来ず銭形のラフプレーを甘んじて受け入れる他ない。そうなれば剣道の経験差などもはや意味がない。喧嘩慣れしていると噂の銭形の方に利があると言えるほどだ。

 試合より先に乱闘に雪崩れ込ませた銭形の挑発。判ってやったのだとしたら中々に抜け目がない奴だ。


「くそがぁぁぁっ、ナメやがってェェッ!!」


 自分たちが不利な立場にいることに気付いたか、それともいい加減痺れを切らしたか、とうとう総堂が竹刀を捨てて殴りかかった。

 つーか、非常に今更な気もするが剣道って確か礼儀を欠いた言動や振る舞いは負けになるんじゃなかったっけか? こいつら普段どんな試合をしてるんだ。

 飛び掛かる総堂に対し、銭形は今度は後ろに下がらなかった。

 見計らっていたかのように振りかぶられる腕を掴んだ次の瞬間、総堂の身体は宙で反転していた。その巨体が重い音をたてて床に沈み込む。

 速い――!


「フン――猪口才な、腕を磨いて出直してくるがいい!」


 華麗に背負い投げられ目を回す総堂を眼下に堂々啖呵を切る銭形。

 気がつけば。

 全ての向野中学剣道部員――ただし中村君を除く――は床に倒れ伏し、道場に立つのは泰平中学の生徒だけとなっていた。


「……やった……勝ったぞ。やった! 向野の奴等に勝った!!」


 ふと我に返った鶴来が堰を切ったようにはしゃぎ始める。

 向野中学生全員が気絶、或いは立つ気力もないほどにヘトヘトな有様で、剣道場に累々と人が転がる光景は中々に異様だ。そんな中、鶴来の歓声だけがやけに際立つ。


「やったー! 勝ったぞー! ザマミロヘッヘーン!」


 つーかお前も剣道部ならちったぁ慎みを持て。さっきから思ってたが割と向野といい勝負でろくでもねぇな!


「凄い、凄いよ銭形! お前マジ最強だな!」


「当然だ、ふははははっ!」


 そもそもの目的は剣道部への道場破りだったはずだが、鶴来に祭り上げられご機嫌な銭形はすっかり念頭から消えているようだ。そのまま鶴来と一緒に舞い上がっていればいいと思う。

 さて。オレの仕事はこの騒ぎの収集をつける事だ。

 ご満悦な二人に近づいていき、勝利の余韻に浸る銭形に努めてさりげなく、明るい調子で声をかける。


「お疲れさん。もう必要ないだろ、それ。脱いじまったらどうだ?」


 また余計なこと始める前に、という言葉は笑顔で飲み込んでおいた。



◇◇◇



「くぅぅ~……」


「いてぇ~……」


「クソッタレ! あいつら覚えてやがれ……絶対このままじゃ済まさねえ……!」


 校門へと向かう通路を、六つの人影がトボトボと歩いている。


「総堂さん、どうしてやりましょう?」


「全部あのイカレ野郎のせいですよ! そうだ、あいつが胴着を盗んで一方的に襲ってきたってこの学校にチクってやりましょう!」


「でもよ~中村。それじゃ俺らがいいようにボコられたクソ弱ぇやつらみたいじゃんかよ」


「だってあんなん剣道でも何でもねぇぜ! 普通に戦ってれば俺らが勝ってたに決まってるだろ!」


 うち一人は直接戦っていない分、鬱憤が溜まっているらしい。口には出さないが不甲斐ない仲間に多少の不満も覚えているようだ。


「そうだな……。胴着を盗んだことを指摘したらあの野郎が怒って殴りかかってきた。やむなく多人数で応戦したが、あくまでフェアプレーを貫く俺たちにルールを無視した暴力を一方的に振るってきた。――これでいこう」


「さすが総堂さん、判ってるぅ!」


 ……思わずフェアプレーを携帯端末で検索して調べてしまった。フェアプレーに土下座して謝れお前ら。



「それはやめておいた方がいいな」



 極めて非生産的な方向に盛り上がる総堂たちに水を差したのは――他でもない、このオレだ。

 まったく。反論の余地もない程ボロ負けして這う這うの体で剣道場を後にしたってのに早々にこれだ。つくづく性懲りのない奴等だな。


「ああん? 誰だぁ?」


「こいつ、そういやさっき道場にいた奴だぜ」


「ああ、特に何もせず隅にぼーっと突っ立ってたぜ」


 そこに触れるな、ただただあいつらと一緒くたに見られたくない一心で必死に他人を装ってたんだよ。我ながら涙ぐましい努力だ。

 とまあ、それはともかく。


「そんなこと教師にチクったら、あんたたちがしてたやましい事もみんなバレちまうぜ?」


「あ゛? いきなり何言ってやがる。悪いのはあのイカレ野郎だけだろうが!」


「そうか? それじゃあんたたち、ひとの学校の体育館裏で一体何やってたんだ?」


 向野中学一同が一瞬動揺したのが判った。


「――ど――どうでもいいだろがァそんなこと!!」


 うやむやにするように声を張り上げる総堂とは対称的にオレの態度は落ち着き、うすく笑みすら湛えている。総堂たちはその余裕のある態度に気圧されている。

 そう感じるようにオレは振る舞って・・・・・いるのだから・・・・・・


「良くはないな。本校に在籍する生徒・職員以外の来校者は窓口で訪問表に入出時間・氏名・所属・来訪先とその目的を記入する。または本校の者から同様の事項を記載した書類を事前に提出されている。その範囲を逸脱して本校の者が誰も把握していない場所を歩き回っていた場合、不審者として判断されることになる」


「なんだぁテメェは!? テメェにゃ関係ねーだろ!」


「この学校の生徒会長だ」


 相手の顔色が変わった。この泰平中学全校生徒の代表者といえる立場の人間が、いきなり目の前に立っているんだ。尻込みもしようものである。


「さて、説明してもらおうか。あんたたちが本当に体育館裏にいたんだとしたら、本校生徒会長であるオレはそれを問い質す責務がある。関係ないとは言わせないぜ?」


「……そんなところには行ってねぇよ」


 しらを切ってきたか。大いに結構。


「おかしいな、銭形は体育館裏で拾ったって言ってたぜ?」


「うっせぇな! 行ってねぇっつってんだろ! カバンだって俺らずっと自分で持ってんだよ!」


「いよいよおかしいな。それじゃいつどうやって胴着を盗んだってんだ?」


「く……ッ!」


 ……おいおい……。この程度でそんな追い詰められたような顔するなよ。

 安心しろ、逐一罪を糾弾してやるほどオレは正義漢じゃあない。


「――ああそうか。あの胴着は、中村君が銭形に貸してあげた・・・・・・んだな」


 思わぬ一言を聞き唖然とする一同。そんな反応にはさも気付いていないかのように、オレは一人喋り続ける。


「そうじゃなきゃ、ずっと手元に持ってた筈のカバンの中から胴着を持っていける筈ないもんな。あんたたちは校門からまっすぐ剣道場に来て、今日だけ助っ人に来てた銭形に胴着を貸して練習試合をした。そういうことなんだな?」


 間抜けのようにぽかんと口を開いていた総堂が徐々に神妙な顔つきになり、ごくりと唾を飲み込んだ。


「……ああ。そうだよ。貸してやったんだよ」


「部長!?」


「ウルセェッ! いいから行くぞテメェラ! チクショウが!」


 非難の声を上げる中村君を一喝し、総堂は他の部員を急き立て校門を出て行った。振り返りざまに捨て台詞を吐こうとしたところですかさず追撃。


「このことは忘れといてやるよ!」


 言いたいことを封じられた総堂はしばし開きかけた口を泳がし、遂には「クソがっ!」と吐き捨て遠ざかっていった。


「フン。ずいぶんと引き際が良いのだな」


 聞こえた声に振りかえれば、いつの間にか銭形が立っていた。


「……いたのか」


「もっと往生際悪く食い下がると思っていたが、おぬしに言いくるめられてあっさり身を引くとは」


「よっぽどやましい事情があったんだろ」


「やましい事情とはなんだ?」


「さてね。体育館裏は更衣室裏でもあるし、向野中学は男子校だし、大方そんなところじゃねぇの?」


 投げやりに答える。普通ならここで、なぜ真相を究明しないのか、なぜそのまま野放しにしたのか、といった言葉が返ってきそうなものだが、どこまでもブッ飛んだこの男の反応は違った。


「フン。堂々と悪事を働く覚悟もない者が半端なことをするから痛い目に合うのだ」


 いかにも偉そうにそんなことを言うもんだから。


「……ぶ……っ……あっははっ、なんだそれ、どんな理屈だよ!」


 オレは声をあげて笑っていた。後からどんどん込み上げる可笑しさに笑いを抑えようとして腹筋を痛めながら、壁に縋って、涙をぬぐって笑い続けた。


「面白くもないのに何をヘラヘラ笑っているのだ。不気味な奴め」


「そこでっ……そのセリフ……被せてくんのかよ……っ!」


 笑い死にさせる気か! その言葉に散々悩んだオレのシリアス返せ!!

 なんとか笑いの発作を沈めて痛む腹筋をさすりつつ、滲んだ目で銭形を見上げる。


「くく…っ……いやいやお、お前……すごいわ。お前の頭ん中一体どうなってんだよ。面白いわお前」


 我ながら不躾な言い草に機嫌を悪くするかとも思ったが、これまたそんなことはなかった。


「俺さまが面白いだと? ふむ……ではおぬし、面白くて笑うこともあるのだな」


「はぁ?」


「普段から面白くもないのに常ににやけているではないか」


「そりゃ人とコミュニケーション取る上での最低限の礼儀だ!」


 前に聞いた時は訳も判らず心をざわつかせた一言にも難なく言い返すことが出来る。自分でもこんなに笑ったのは初めてだ。周りが見たら驚くだろうな。なんせ自分自身でも驚いてるくらいなんだから。

 ああ。でも。


「……銭形。変なこと言うかもだけど」


「ふむ?」


「――笑うのって楽しいな」



===


次回、隠し味のリンゴと蜂蜜を忘るるなかれ


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