離れてしまった二人

とても寒い、1月のある昼下がり。


賑やかだった年末年始が嘘のように、街にはいつもの平穏な時間が流れる。



あるカフェでは、スラリとした長身の女性がひとり席に座り静かにカフェオレを飲んでいた。



高梨 アリシア 怜奈 、28歳。


アメリカ人と日本人のハーフの両親から生まれた彼女は、柔らかく茶色い髪と瞳、鼻筋の通った顔立ちをしている。


母のリサがファッションデザイナーと言うこともあり、幼い頃から母のデザインした洋服のモデルをしていた。


モデルを続けながら大学の写真科を卒業した後は、プロのカメラマンとしても活動している。


今日は、幼い頃からの親友の佐伯麻由と、このカフェで待ち合わせをしていた。



(マユ、遅いな…。また仕事、立て込んでるのかな?)


レナはチラリと腕時計を見た。



マユは最近創刊された女性向けファッション情報誌の編集長をしているため、仕事柄とても忙しいようで、待ち合わせに遅れたり予定をドタキャンなんて言うことも珍しくない。


(今日は会えるのかなぁ…。)



レナが少し不安に思っていると、店のドアが開き、黒髪をなびかせたスーツ姿の女性が急ぎ足で近付いてくる。


「レナごめん、お待たせ。」


「お疲れ様、マユ。」


マユはレナの向かいに座ると、ホットコーヒーをオーダーする。


「仕事、大丈夫だった?」


「うん、なんとかね。」


マユはコートを脱ぎながら答えた。



しばらくお互いの仕事の話をした後、マユがふと真剣な表情でレナに尋ねた。


「それで…レナ、もう決めたの?」


「うん…。」


それは、レナの事務所の先輩の須藤が仕事と生活の拠点をニューヨークに移すことになり、レナも一緒に行かないかと誘われていることについてだった。


「ニューヨークに行って…須藤さんと結婚、するの?」


「…うん、それもいいかなぁって…。」


「後悔、しない?」


「……。」


マユの問い掛けに、レナは答えられないでいた。


レナにはずっと心に引っ掛かっている人がいることを、マユは知っている。


「だって…もう、10年、だよ。」


「そうね…もうそんなになるんだ。」


二人は少しの間、黙りこむ。


「何も言わずに急にいなくなって、音沙汰もなくて…もう二度と会えないかも知れないじゃない…。」


「そうだね…。今頃どうしてんのかなぁ、片桐のヤツ。」


どこか遠い目をしてマユが呟く。


「もしかすると、キレイな奥さんもらって、幸せに暮らしてたりしてね…。」


そう言いながら、レナは彼といつも一緒にいた遠い昔に思いを馳せる。


「もう、待ちくたびれちゃった。それに…ユウとは元々、恋人とか将来の約束をしていたとか言うわけでもないし…。幼なじみってだけで…。」


「でも、10年も待ってたでしょ。」


「うん…。ただね、もしまた会えたら、突然いなくなった理由を聞きたかったの。私達、小さい頃からずっと一緒にいたのに、ユウがいなくなる少し前からは、知らない人同士みたいだったから…。」


幼なじみの片桐 悠は、マンションの隣同士で母親同士が仲が良かったこともあり、物心つく頃にはいつも一緒にいた。



背が高くて、誰よりも優しかったユウ。



極度の人見知りで、背が高く、ハーフと言うこともあって目立つ外見を同級生や上級生たちにからかわれることの多かったレナを、


“オレのレナをいじめるな!!”


子供の頃のユウは、よくそう言って守ってくれた。



中学生の時は、同じ吹奏楽部に入り、よく練習に付き合ってくれた。


同じ高校に進んだ後も、電車通学の途中で他校の男子生徒や見知らぬ大人から声を掛けられる事が多かったレナを守るため、いつも一緒に通学してくれた。



いつも笑って、大きな手で優しく頭を撫でてくれた、大好きだったユウ。


ギターが上手で、ギターを弾いているユウはとてもキラキラしていて、ユウのバンドのライブに行くのは本当に楽しかった。



それなのに。



レナにとって一番の理解者で、特別な存在だったユウが、あの日を境に、他人のように冷たくレナを避けるようになってしまった。


そして、何も言わずにレナの元から姿を消した。



ユウがいなくなってしまったあの日から10年もの時が過ぎ去り、レナは18歳の少女から大人の女性へと変わっていた。



だけど…レナには、あの頃と同じように、どうしても理解出来ないことがある。


「ねぇ、レナ。」


マユがコーヒーカップをソーサーの上に置く手元を見ながら、レナに問い掛ける。


「結婚を決めたってことは…あの答は、見つかったの?」


レナは苦笑いをして、首を横に振る。


「ううん…10年経っても、見つからない。」


レナはひとつ、小さく息をついた。


「恋の定義が、わからない。」


高校生の頃と同じレナの決まり文句に、マユも小さく声を上げて笑った。





茶色い髪の女の子が、上級生の男の子たちに囲まれている。


「オマエ、ガイジンなんだろう。」


「日本語、話せるのかよー。」


女の子は泣くことも怒ることもせず、ただ、じっと佇んでいる。


「こいつ、全然泣かないよな。」


「笑ったり怒ったりもしないから、ロボットなんじゃないのか。」


「ガイジンロボットだー!」


女の子は意地悪を言われても、その表情を崩さない。


そこへ、背の高い男の子が走ってきて、一番大柄な男の子を突き飛ばす。


「なんだよコイツ!!」


背の高い男の子は、女の子をかばうようにしてその前に立つと、他の上級生たちを睨み付け、今にも掴みかかりそうな勢いで叫ぶ。


「オレのレナをいじめるな!!」


「なんだとー!!」


上級生たちよりも背の高い男の子は、彼らを見下ろして、一歩、また一歩とにじり寄る。


「い、行こうぜ。」


「ああ、うん。」


男の子の迫力に圧倒された上級生たちは、逃げ出すようにその場から立ち去った。



上級生がいなくなると、彼はくるりと振り返り、優しい目で女の子を見た。


「大丈夫か、レナ。」


「うん…。」


少し哀しげな目をして黙っていた女の子が、彼を見て微笑んだ。


「ありがと…ユウ…。」


「オレがレナを守ってやるからな!誰かに意地悪されたら、オレが仕返ししてやるから大丈夫だぞ!!」


男の子が優しく頭を撫でると、女の子は、他の人には見せない穏やかな表情で、ニッコリ笑った。





「…レナ…。」



その男は、自分の寝言で、ふと目覚めた。


とあるマンションの一室。


見覚えのない薄暗い部屋で、ベッドに横たわっていることに気付く。


隣には、知らない女が裸で寝息をたてている。



(ああ…またやっちゃったんだ……。)



見ず知らずの、好きでもない女との情事の後、いつもならさっさと帰るのに、その日は最近立て込んでいた仕事の疲れからか、珍しくうたた寝してしまったらしい。



(帰ろう…。)



男は脱ぎ捨てた服を拾って身に着けると、さっさとその部屋を後にした。



歩きながらタバコに火をつけ、ため息混じりに煙を吐き出すと、さっき見た夢を思い出す。


(あれ…小学校の1年生ぐらいのことだったかなぁ…。)




“オレのレナをいじめるな!!”



“オレがレナを守ってやるからな!!”




幼かった頃の素直な自分と、幼かった頃の、大好きな彼女。


「レナ…笑ってたな…。」


ポツリと呟くと、またタバコに口をつける。



片桐 悠、28歳。



188cmの長身に長い手足、甘く整った顔立ち。


職業はプロのギタリスト。


言い寄ってくる女は、後を絶たない。


(いつもの夢と、違ったな…。)


好きでもない女を抱くと必ず見る夢。


それは…ずっと大事に守ってきた彼女を泣かせてしまったあの日の、怯えて涙を流す彼女の姿。



“こんなの、私の知ってるユウじゃない”



罪悪感と共に、鮮明に蘇る。


(今頃、どうしてるだろう。)





何も言わずに彼女の元を去り単身渡英した後、ミュージシャンとして充実した生活を送った。


二度と、日本に戻ることはない。


そう思いながら、10年が経った。


でも、仕事のため、再び日本へ戻ってきてしまった。



彼女が今、どこで何をしているのか。


もちろん、知らない。


誰かと結婚して、幸せに暮らしているのかも知れない。


自分のことなど、もう忘れてしまっていても、おかしくはない…。


そう思うと、確かめる勇気などなく、ただ記憶の中の18歳のままの、大好きだった彼女に夢の中で会うことだけが、彼に残された唯一の心の置き場だった。




(今更、会える訳がない…。)


幼なじみだった彼女と過ごした時間は、何よりも大切で幸せで、それでいて切なく、苦しくもあった。


(二度と、会うことはないんだろうな…。)



ユウは苦しげにため息をつくと、夜の街を自宅へと急ぐ。


夢の中でもいい。


レナに会いたい。


叶わなかった恋を胸の奥に大切に抱きしめながら、ユウはようやく帰りついた自宅のベッドに潜り込み、静かに呟いた。



「レナ…ごめん…。」








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