君を想う
あれあら1か月。
二人での生活にも慣れ、お互いの仕事は順調で、忙しい毎日を送っていた。
初めて体を重ねたあの日から、二人はユウのベッドで眠り、目覚めた時には隣に愛しい人の温もりがある幸せを噛みしめていた。
その日、久しぶりに二人の休みが一緒になり、天気もいいので、散歩がてら近所のスーパーへ歩いて買い物に出掛けることになった。
気が付けば二人は自然に手を繋ぎ笑っている。
スーパーに付くと、陳列棚に並ぶたくさんの食材を見ながらレナが尋ねる。
「今日の晩御飯、何食べたい?」
「うーん…オムライスがいいかな。」
「わかった。それとサラダも作ろうかな。」
歩きながら、今夜のメニューを相談する。
(新婚夫婦みたいだ…。)
ユウはカートを押しながら、一生懸命に食材を選ぶレナの横顔を微笑んで見ていた。
感情表現が苦手だったレナの表情が、最近豊かになったとユウは感じていた。
昔、レナとはずっと一緒にいたはずなのに、ユウの知らなかった表情がたくさんあって、新しい一面を知るほどにレナが愛しくなる。
(まだまだ、見たことのない表情がいっぱいあるんだろうな…。ずっと、隣で見てたい…。)
小さなホールケーキを見てレナが足を止める。
「このケーキ、美味しそう。」
「ホントだ、うまそう。買おうか。」
「うん。」
レナが、二人で食べても充分な大きさのチョコレートクリームのケーキをかごに入れる。
「あと、何買う?」
「ワイン買っちゃおうかな。ユウはビール?」
「うん。」
「ちょっと高いビール買っちゃう?」
「いいねぇ。」
お酒売り場で、白ワインとビールをいくつか選んでかごに入れ、レジへ向かう。
ユウはレナに会計を任せ、レジの先のスペースでレナを待っていた。
「あれ?ユウくん?!」
「えっ?!」
振り返ると、見覚えのあるような、ないような少し年上の美人っぽい女性が立っていて、親しげにユウに話し掛けて来る。
いつもユウにすり寄って来る女の子たちとは明らかにタイプの違う大人の女性だった。
「ああ、やっぱりそうだわ、久しぶり。」
「えっ?!ああ…。」
(誰だっけ…仕事関係の人?!)
「最近会えないから、どうしてるのかなーって思ってたんだ。まさかこんなところで会えるとは思ってなかった。」
その女性はユウの手を握り、指を絡める。
(まずい…このパターンは…まさか…。)
「ねぇ…これから、うち来ない?」
(やっぱり!!)
「いやいや…行かないから。」
「そんなこと言わないで、来てよ…ね?」
その女性は吐息混じりに色っぽく囁き、ユウの腕に自分の腕を絡めて、上目使いにユウを見た。
今までの女の子とは一味違う、大人の女の色気で迫って来る。
「離れて…。」
ユウが女性の手を振り払おうとした時、ユウを挟んで女性とは反対側の台の上に、ドン!!と衝撃が走る。
(ヤ、ヤバイ…。)
「オレ今はちゃんと付き合ってる彼女いるから。彼女以外の人とはもう、そういうことする気ないから。」
慌ててユウは女性の手を自分の腕からほどいた。
「ふうん…。」
女性は、ユウの隣で黙々と荷物を袋詰めしているレナを、値踏みするようにじっと見た。
「そっか、残念。じゃあまた、気が向いたら声かけてね。」
女性は笑ってそう言うと、ヒラヒラと手を振りながら去っていく。
ユウがそーっとレナの方を見ると、レナはただ感情の読み取れない表情で、最後の荷物を袋に詰め込んだ。
(絶対、怒ってるよ…。)
「レナ…。」
声を掛けようとするユウに対して、レナは無表情で一言だけ、低い声で呟く。
「荷物、持って。」
「…ハイ…。」
仕方なくユウは、荷物の入った買い物袋を両手に提げ、スタスタと先に歩くレナの後を追った。
家までの道のりは終始無言で、レナは一度もユウを見ようともしなかった。
(めちゃめちゃ怒ってる…。)
レナの背中を見ながら、ユウはそっとため息をついたのだった。
家に帰り、買ってきた物を冷蔵庫にしまうと、レナはついさっき買ったばかりのホールケーキとユウの缶ビールをテーブルに置いた。
(ん?まだ昼間だけど…。オレにビールを飲めと?)
ユウが不思議そうに見ていると、レナが食器棚からフォークとグラスをひとつずつ取りだし、イスに座る。
(まさか…。)
相変わらず無表情のまま、レナはグラスにビールを注ぎ、ゴクゴク飲んだ。
そして、一人で食べるには大きすぎるケーキをフォークですくって、パクパクと食べ始める。
グラスのビールを一気に飲み干すと、またグラスにビールを注ぎ、ケーキを無言で食べ進めた。
(これって…ヤケ食い?オレのビールでヤケ酒?!)
ユウがそんなレナの様子に呆気に取られていると、2本目のビールを開けてレナが言う。
「ユウにはあげない。私が全部食べる。ビールも私が全部飲む。」
「ええっ…。」
(レナ…もしかして…怒ってるって言うか、スネてる?!)
初めて見るレナの様子に、思わず吹き出しそうになるのを必死でこらえ、ユウはレナの隣に座った。
「ごめんって…。」
「知らない。」
(やっぱスネてる!!)
子供みたいにスネるレナがかわいくてたまらない。
「ごめん、今日はレナの言うこと、なんでも聞くから、許して?」
ユウは大袈裟に手を合わせて謝る。
「…お風呂の掃除、して。」
「わかった、他には?」
「…オムライス、作って。」
「うん、わかった。」
レナはまたビールを飲み干すと、ケーキを一口食べて、フォークを持つ手を止める。
そして、レナはケーキを5分の1ほど食べたところで立ち上がり、ケーキを箱に戻して冷蔵庫にしまい込んだ。
(もうお腹いっぱいになっちゃってんじゃん…。)
笑いをこらえながらユウがレナの様子を見ていると、レナがクルリと振り返る。
「ケーキ、食べないでよ。」
「ハイ。わかりました。」
(かわいい…かわいすぎる…。)
レナは缶に残っていたビールをグラスに注いで飲み干すと、少しフラついた足取りで自分の部屋に戻り、ドアを閉めた。
レナがリビングからいなくなると、ユウはこらえていたおかしさが我慢できなくなり、声をたてずに笑った。
(かわいい!!あんなレナ初めて見た!!あれって、もしかしてヤキモチ…?)
ひとしきり笑うと、ユウは上機嫌で立ち上がり、お風呂の掃除を始めた。
お風呂掃除をしながら、ユウはふと思う。
(ヤキモチ妬いてくれるってことは、レナがオレを好きだって思ってくれてるってことだよな…。)
昔からずっと、自分ばかりがレナのことを好きだと思っていた。
いつも、レナに嫌われたらどうしようと不安に思っていた。
付き合い出してからも、レナが他の誰かを好きなのかも知れないと不安になったり、自分のことを嫌いになってしまったのではないかと焦ったりしていた。
そして今も、いつももっとレナに愛されたい、もっと求めて欲しいと思う自分がいる。
でも、いろんな顔を見せてくれると言うことは、レナが心を許してくれているからだと思って嬉しくなる。
楽しそうに笑うレナや安心しきったように穏やかな表情のレナはもちろん、怒って無愛想になるレナも、子供みたいにスネる膨れっ面のレナも、ユウにとってはレナのすべてがかわいくて、愛しくてたまらない。
ユウはそんな自分を、重症だ、と思う。
ユウはお風呂掃除が終わるとキッチンに立ち、冷蔵庫からオムライスの材料を取り出した。
すると、レナがしまった食べかけのケーキが目に留まる。
(そんなにたくさん食べられないくせに、無理しちゃって…。)
子供のようにスネてケーキを頬張るレナの顔を思い出しながら、ユウはまたひとつ、レナの新たな一面を見られたことを嬉しく思った。
(オレ、愛されてるなぁ…。)
「レナ…。」
トントン、とドアをノックして声を掛けても、レナからの返事はなかった。
(もしかして…。)
そっとドアを開けると、ユウの思った通り、レナはベッドでスヤスヤと寝息をたてていた。
(やっぱり…。)
ベッドに近付くと、ユウは愛しげにレナの髪を撫でる。
(ホント、かわいいんだから…。)
ユウがレナの寝顔に見入っていると、レナのまつ毛が微かに揺れた。
「う…ん…。」
小さな声を上げ、レナがゆっくり目を開く。
「…おはよ。オムライス、できたよ。」
ユウが優しく声を掛けると、レナはゆっくりと起き上がる。
ぼんやりとベッドの上に座るレナのそばにユウも腰掛け、レナに水を差し出した。
「まだ怒ってる?」
ユウが尋ねると、レナは水を受け取ってゴクゴク飲んだ後、少し頬を膨らませた。
「別に、怒ってないもん。」
(かわいい…かわいすぎる!!)
ユウは、レナの頭を撫でながら優しく微笑む。
「他に、して欲しいこと、ある?今日はレナの言うこと、なんでも聞くから。」
するとレナは、まだ膨れっ面のままで、小さくユウをにらみつけた。
「なんでも?」
「うん、なんでも。」
ユウが優しく微笑むと、レナは静かに呟いた。
「目、閉じて。」
「ん?」
「いいから、目、閉じて。」
「…ハイ。」
(なんだろ…?ひっぱたかれる?!)
ユウが、レナに言われた通り目を閉じると、ほんの少し間があってから、ユウの唇に柔らかいものがそっと触れた。
(えっ?)
ほんの一瞬のできごとに、ユウが驚き目を開くと、頬を赤らめたレナが恥ずかしそうに目をそらしていた。
(今、レナから…キスしてくれた?!)
今までなかったできごとに驚きを隠せないでいるユウに、レナが呟く。
「ギュッて、して…。」
「…うん…。」
ユウはレナの背中に腕をまわすと、ギュッと抱きしめた。
「……キス、して…。」
「ん…。」
ユウは、優しくレナの唇にキスをする。
そっと唇が離れると、レナが恥ずかしそうに呟いた。
「もっと…して…。」
「うん…。」
ユウは、込み上げるレナへの愛しさを伝えるように、甘く優しく何度も唇を重ねた。
やがてキスがどんどん深くなると、レナはユウの背中に腕をまわし、ギュッと抱きしめた。
「ユウ…。」
「ん…?」
「こんな私は、嫌い…?」
「嫌いなわけないじゃん。怒ってるレナも、ヤキモチ妬いてスネてるレナも、かわいくてしょうがないのに…。」
ユウの“ヤキモチ妬いて”と言う言葉に、レナは目を丸くしてユウを見上げる。
「これ…ヤキモチ…?」
「そうじゃないの?ヤキモチ妬いてくれるってことは、レナがオレのこと好きだと思ってくれてるんだって思って、嬉しかったんだけど…。」
「うん…大好きだよ…。だから、ユウが他の女の人に抱きつかれてるのとか、触られてるのとか…すごくやだ…。私以外の女の人には、ユウに触れさせたくないって思ったり…。昔から、ユウが他の女の子と一緒にいるの見たり、噂を聞いたりすると、胸がモヤモヤして、苦しくて、イヤだった。」
「えっ?昔から?」
「うん…昔から。」
「それって…レナも昔からオレのこと、好きだと思ってくれてた…ってこと?」
「ユウのこと好きなんだって自覚したのは、ニューヨークに行く日の朝だったけど…昔から私、ユウと一緒にいると楽しくて、幸せで、ずっと一緒にいたいって、思ってた。」
「ホント…?」
「うん…昔からずっと、ユウと一緒にいたいって思ってたよ。」
ユウはレナの言葉が嬉しくて、思わずギュッと抱きしめた。
「めちゃめちゃ嬉しい…。ずっとオレばっかりがレナのこと好きなんだと思ってた。すごく遠回りしたけど、今、レナがオレのそばにいてくれて、ホントに幸せだ…。」
「私も…ユウといられて幸せだよ…。」
二人は額をくっ付けて微笑み合った。
その時、ユウはふと思い出す。
「そう言えば…レナが昔からよく言ってた、恋の定義って、一体なんだったの?」
「うん…最近、恋の定義に正解ってないのかなぁって思ってる。恋の定義は、人それぞれなのかもね。」
「レナの恋の定義は何?」
レナは、ユウの目を見てふわりと微笑む。
「私の恋の定義は、ユウ…だよ。」
レナは、ユウの手をギュッと握った。
「ユウと、一緒にいること…。ユウと一緒に過ごす時間全部…今までも、これからも…。」
そう言って、レナはニッコリ笑った。
「ユウの、恋の定義は?」
「オレ?オレの恋の定義は…。」
ユウは少し考えると、レナの手を取り、自分の胸に当てる。
「いつも、ずっと…レナを、想うこと…。他の誰よりも強く、レナを、想うこと…。」
そして二人は、どちらからともなく顔を寄せ合い、相手を想う気持ちを伝えるように優しく何度も唇を重ね合う。
静かに唇が離れると、レナはためらいがちに、ユウの首に手をまわし、甘いキスをした。
「ユウ、大好き…。」
初めてレナから自分を求めてくれたことが、ユウはたまらなく嬉しかった。
「レナ、愛してるよ…。」
そして二人は、愛しげに何度も唇を重ね、優しく互いの身体に触れ合い、大事そうに抱きしめ合った。
テーブルには、ユウが作った、冷めきったオムライスがふたつ。
そんなことも忘れてしまうほど、二人は何度も愛を確かめ合う。
ベッドの上には、二人の甘い囁き。
「ずっと一緒にいよう。」
そんな言葉を、交わしながら。
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