フユ・ソツギョウ

@mimori

第1話



~プロローグ~


 駐車されている車、自転車のサドル、公園や空き地などに薄く雪が積もり、小さな雪だるまが社宅のベランダにちらほらと見える。

 私は踏み荒らされていない僅かな雪の積もる車道の端を歩き、足に伝わる感触とそこから発せられる音を楽しみ、ふと、足を止めて、道をふさいだ大きな水溜りに顔を覗き込む。自然が作った青空の巨大な鏡。ポニーテールの髪が時々風に煽られながらチラチラと写る。黒い髪、黒い瞳。

私は、


「ごめんね」


 と言いながら水溜りの上を大きく跳躍し、何事もなかったかのように、また雪の上を歩き始める。




~第1章~


 誰もいない教室の中は、外の空気とはまた違う肌寒さを感じる。

(張り切って早く来過ぎたのかな?)

 自分の席に鞄を置いた後、教卓の方へ歩いていくと教卓の横に設置されたストーブを囲む金網に「彼」の鞄が立てかけられているのを発見する。

 私はうれしくなり、鞄の横にしゃがみ込みそっと触れると、雪だった滴が手に付く。

 私はそれを引き延ばしたりして楽みながら、ふと考える。

 いつも朝早くからサッカーの自主トレの為に学校へ来ているという情報は小耳にはしていたが、まさか今日も自主トレをするわけがない・・・・・・と思う。

「おはよう」

 振り向くとドアの前に男の人がいた。顔は薄暗くてはっきりしないけど、誰かはわかる。でも彼の学ラン姿を久々に見た気がする。

 朝、教室に来るときはいつも体操服かジャージ姿で、制服が常に鞄の中に入っている感じだった。

 性格はとてもおとなしく、クラスでもあまり目立たない感じなのだが、協調性がないわけではなく、彼がしゃべり出せば周りにいたみんなが自然に集まってくる感じだった。

「眠れなかったのかい?」

 教室の蛍光灯が次々と点灯し、全て点いたことを確認すると教室の電気のボタンから手を離す。

「う、うん」

 と彼女は小さく縦に首を振り

「今日は、大事な日だから」

 うつむきながら呟く。古くなった床の板が軋む音とともに彼が近づいてくるのが分かる。

 私の横にしゃがみ込む気配を感じて膝とおでこがくっつくぐらいに身体を丸める。でも気になり彼に気づかれないようにそっと顔を向けると




「先生から許可をもらってたんだよ」

 それを見計らっていたかのように私に向けて笑みを浮かべる。

 金網の隙間から手を突っ込んでストーブのひねりを回す彼。どうやら私の今までの行動を教室が寒いからだと勘違いしたみたいだ。

 しかし、この行動は逆効果だ。彼が隣にいるという緊張で、私の身体は先ほどから氷点下の世界に放り出された濡れタオルのように一瞬で固まってしまった。先ほどの笑顔で頭もヒートし、もう指一本動かすこともできない。

(彼に意識されたくない。存在を消したい・・・・・・!)

 ようやく戻った思考回路もまだ正常には作動していないみたいだ。

いや、いつも通りか。

 何とか動かすことの出来た頭を横へ動かし、彼の指の動きを見ていた。

 ストーブに火はついたものの、授業中赤々しく見える部分はまだ冷たい鉄の色をしている。

「……」

「……」

 少し体重移動させただけで軋む床。

 なんともいえない緊張感。

 私は彼から発せられる音を聞き逃さないようにとじっと待ち続ける。

「……それ」

「え?」

「髪を結ってるそれ、ミサンガだよね?」

 せっかく待ちかまえていたのに、彼からの質問に答えることができないで、下を向いてしまう。

(よりによってこれに対しての質問がくるなんて)

彼の腕が私の頭上へと移動し、ミサンガに手を触れるか触れないかの時に私は思わずビクッとしてしまう。

「・・・・・・ごめん」

 私は弁解をしようと小さな声で「あっ」といいながら顔を上げ彼の方を見る。

 彼は窓の外をじっと見ていた。そんな彼になんと言えばいいのかわからず、またうつむくしかなかった。

 ストーブが下の方から赤く光り出し、少し暖かさを感じてきた頃。

 彼が鞄を持ってゆっくりと立ち上がり、自分の席へと歩いていく。

 その後少ししてから、クラスメイト達が入ってくる。


 

 ああ、なんて馬鹿なのだろう。

 私は貴重なチャンスを逃してしまったのだ。








 



卒業は

 その時がくれば、やってくるものであり

 世には珍しい、遠く目に見える「別れ」である。

 だけど、人生の半分も生きていない彼らには、だからこそ

 とても見にくく

 図りにくく

 いつの間にかその時が来てしまい、後悔が次々とあらわになってくる。

 でも

 一度しかないのなら その日は





~第2章~


「誰もこないな」

 朝早く来過ぎた私達は在校生からのコサージュを貰ってなくて「今すぐコサージュを取りにいけ」と担任に言われ、職員室まで来たのだが、先ほどあわてた様子で教頭が出て行ったきり、職員室内は2人だった。

 職員室に人が居ない状態を見たのは久しぶりだった。


彼は今の状況を覚えているのだろうか?

「・・・どうした?」

そうあの日。

 猛暑が続いた学園生活で初めて体験する夏の雨の日を。

「ううん。・・・そうだね。どうしようか?」

 そうだ。今はそんなことを考えている時じゃなかった。早くしないと式が始まってしまう。

 コサージュが担任の机の上には置いておらず、他の先生の机の上には大量に置いてあったが、もしかするとまだ生徒に配っていないのかもしれないので、ここにも手を出すことができない。

 職員室内に一人でも先生がいれば訪ねることもできる。今から担任へ聞きに帰る? でも時間がもったいないような気がする。でも、

「まあ、いいでしょ」

と彼はその大量に置かれたコサージュから出来の良さそうな2つを拝借する。

「どうせ卒業だし、おこられる事もないさ」

と笑ったあと神妙な顔をし

「卒業おめでとうございます」

と一礼した。

「ありがとうございます」

 何がなんだか分かっていないまま礼を返す。彼は一つコサージュを机に置き、一つを持ち直し後ろのピンをはずす。

「・・・・・・いいかな?」

と聞いてくる彼の顔は少し困った感じ。

「ああ!」

ようやく何をしようとしているのかを理解した。そうか。

「よろしくお願いします」

 彼は「了解」と、はにかんだ笑顔をみせ

「じゃあ、服をこう・・・前に出して」

とTシャツの絵柄を見せる子供のような仕草をする。

 私がその通りにすると制服に手をかけピンを差し込む。

最後にピンを留めるところで苦戦し「あれ?」「お?」「もうちょい」とピンを留めるのに何度かミスしてから、私の胸に造花のバラが咲いた。

「よし。綺麗だ」

 彼は満足げにうなずき「そろそろ急ぐか」と自分のコサージュに手を伸ばそうとしたところで私も急いで手を伸ばし、先に手に入れる。

 私の機敏な行動に何事かと目を向ける彼を後目に

「おめでとうございます」

 と私は一礼する。

「・・・・・・どもども」

 私がなにをしようとしているのか察したらしく、少し照れた顔と右手を頭にやりながら浅く礼を返してくる。

 彼よりも動作は遅かったがミスは一度もしなかった。


 二人きりの職員室。


 廊下にでるために開けたドアから漏れてくる冷えきった空気が少し火照った身体包んでくれて気持ちいい。


「あ」 

「ん? どうしたの?」

「いや、何でもない」


 さっきまで忘れていたけど、

 ああ、やっぱり思い出すな。

 あの日のこと。


 彼との特別だった空間。



――――――――――――――



 その日は雨が降ったりやんだりを繰り返す変な天気だった。

 放課後になってもその天気は続き、部活は雨の日メニューになるのかと思っていたのだが、雨を理由に練習場所を男子に占拠され、校舎内も他の運動部に全てとられてしまい練習はなしになった。

 家に帰った後、ムシムシする外にわざわざ出て行く気にもなれず、家でゆっくりとくつろいでいたのだが……


 傘を差していれば雨の音がようやく分かるぐらいの小降りの雨。「一応女の子でしょう」母親に言われ、追加で傘をもっていかなくてはならなかった私は、右手には傘を、左手には今自分が持っていてはいけない鍵を持ち、学校へと引き返していた。

「……ああ、もう!」

 自分の中で「早く返したい」という気持ちと「そこまで急がなくても別に良いんだけど」という気持ちが入り混じり、早歩きよりも『気持ち早い歩き』で学校へと向かう。

 道をふさぐ水溜りがあるも何のその。かまわず勢い良く踏みつけ泥水が靴やハイソックスを汚すが、明日からの二連休「こんなもの洗ってしまえばどうにでもなる」とさらに歩くスピードを上げる。

 別にこの鍵がすぐに必要になることはないのはわかっているし、明日の朝練で一番に来ればいいだけなのだが

 何か嫌なのだ。


 雨も小降りのまま学校に到着し、鍵を返すために職員室へきたのだがドアをノックしても先生達の返事はなくて、仕方なく少しだけ職員室のドアを開ける。

 隙間から良く冷えた空気が外へとあふれ出してきた。

「私たちには節電だの環境問題だの言いながら……なにこれ」

 ドアを少しずつ開きながらその風を受ける。

 汗と雨のにじむ半袖の学校シャツ一枚の私には身震いするほどの寒さだ。

 もちろん本当にシャツ一枚というわけではなく、ブラも着けてはいるが防寒着としての役割など皆無に等しい。

 というか、逆に汗をしみこんで気持ち悪いし痒いわでそれどころではないというのが現実だ。

(早く家に帰ってシャワーを浴びたい)

 腕についていた雨や汗は顧問の先生の机に着く前には殆んど乾いたが、その代わりに寒イボが出来ていた。

 液晶のパソコンと出席簿、担当の教科書がドンと置かれているだけの何の変哲もない顧問の机に傘を立て掛け、一番下の引き出しを開ける。

 生徒達から没収したであろうマンガの山が無造作に積まれている横に、磁石で引っ付いた何かのキャラクターが手前に両手を伸ばしている。

(たしか初めて自分の娘からもらったプレゼントとか自慢していたっけな)

 そこにいつも鍵を丁寧にかけるように言われているので、ゆっくり丁寧にそこにかける。

 先生は男子の部活動顧問も兼ねており、普段はここにふたつ鍵がかかっているのだが、まだやっているのだろうか?

「……」

 エアコンの音

 パソコンのファンの音

 それだけだった。

 私は意味もなく椅子へ座り、上から順に次々と引き出しを開ける。今日渡されたプリントの残りや、昨年受け持っていたクラスの集合写真などが入っているがこれといって面白いものは入ってなかった。

「つまんないの」

 くるっと椅子と一緒に自分も回り「すたっ」と両足で着地しようと挑戦するも、椅子が低すぎて着地がうまくいかず「あらら」ともう一度椅子にもたれかかる。

「……なにしてんだ?」

「え?」


 2人が初めてしゃべった日だった。



(何なんだろう? これは何の罰ゲームなのか)

 最初、そう思った。

 なぜこんな恥ずかしい場所を気になっていた男の子に見られなければいけないのか。

 というか、ドアを開ける音とかでわかるはずなのに

「ドア開けっ放しだから誰か居んのかな? と思ったら」

 そうだった。

 換気してやろうと開けっ放しにしたんだった。

 何たる失態だ。

「あ、あの! 今日あついね」

「職員室は天国。というか寒いな」


「うん」

 全身泥まみれの彼は両腕を抱きながら、泥が跳ねた足をばたつかせる

 こんなに頑張っているんだ、他の女子部員には悪いが今日はいい事をした気分だ。

「あ! ごめん!」

 彼はあわてた様子で

「俺の泥、飛んじゃっただろ!?」

 私の太ももとスカートに点々とついた泥を見て彼は自分が足をばたつかせた所為だと思ってしまったらしい。


「あ! いいの、いいの! これは私のせいだから」

「?」

 彼にここまでの経緯と、職員室のドアを開けっ放しにした理由も話す。

 馬鹿なことを、って笑われてるのかな?

 チラッと彼の顔を盗み見ると、彼はやはり笑っていた。

「何か、思考回路が違うよな。面白いよ」

 ああ、私はバカだな。やっぱり。

「でも、そのおかげで良い場所見つけたけどな」



 入ってきたドアから2・3歩後ずさった廊下の真ん中。

「どうだ?」

 職員室から漏れた冷気と外の熱気とが混ざり合った空間がそこにはあった。

 それは職員室から出たばかりの私の体をゆっくりと暖める外の空気の一方で、前から熱くなりすぎないように冷気が身体に当たる。

 

「……プールのあとの服みたい」

「バスタオルとかな」

 ちょうど良い場所だった。


 本当に胸に何かに詰まったような、これ以上何も入らない感覚。

 でも、どこにあるかわからない「大きな穴」があるような不安な感覚がスッと押し寄せて 怖い。


え? 怖い?

 何でこんなこと感じるのだろう。思うのだろう。


「何してるんだ! 電気代がもったいないだろう。早く帰りなさい!」

 と、どこから現れたのか、体育教師から一喝。

 KYめ。だから嫌われるのだ。

「行こうか」

「うん」

「ねえ」

 廊下をいつもより早く、あの雨の日よりは遅い歩きでみんなの待つ集合場所まで向かう。

「ん?」

「卒業式のあとって、あいてる?」








 とても満たされた時間をすごした


 ただあの時、私と彼との距離は何人分ぐらい離れていたのか。

 職員室にいた時間。

 体温の違い。

 すべてを共有していたら

 私は

 彼の横に立つことが出来たのだろうか。













~第3章~


 卒業を待つ私達にとって、この時期はフリー。

 宿題など存在せず、自由に過ごすことができるというのは心が軽くなった感じ。

 そして、その時期に同じ3年生同士の『お泊り会』などと言うイベントも行われた。

 『我が家ルール』として普段のお泊り会は連休とテストで良い点数を取り、申請したときだけという家族ルールなのだが、この期間だけは何日家に帰らなくても、連絡さえ入れればOKといわれた。

 なので、バックとマイ枕を片手に何軒もの友人宅へと渡り歩いていた。

 枕が合図のお泊り会。

 枕を抱えて「えへへ」と笑えばOK。

 すでに沢山のお泊り仲間がいる場所へ構わず、単独であるときは友達と共に特攻する。

 寝る場所が無くなってしまった部屋で、みんなで空が明るくなるまでしゃべり尽くした日もあるし、仲の良い友達と二人で語り合った日もあった。

 一人暮らしの子の部屋を訪れ、喋っていたら隣人から怒られ、あとで隣人の悪口を囁きあい「でも悪いのは私達だよね」「卒業するのにね」と反省したり。

 卒業間近で新しい友に出会ったりと、とても充実した日々を送った。


 そんな日々も直ぐに過ぎて、おそらく今日がお泊り会、最終日。

 卒業式は2日後に控えていた。

 やはり最終日は一番良く知っている友達の家に行こうと思い、ちょっと日が落ちそうな頃を見計らい、家へと訪ねる。

 インターホンを鳴らし名乗ると、おばさんがドアを開けてくれて「自分の部屋にいますよ。どうぞ」と通してくれる。「おじゃまします」といいながら、私は勝手知ったるといった感じで階段を上り友人の部屋を目差す。

「きたよー」

 とドアを開けると先客がいた。

 友人はもうすでに敷かれた布団に寝そべり、その人は勉強机の椅子に座り「お、朋子です。はじめましてだよねー」と会釈する。それに私は「はい。どうも」と答える。

「ごめんね。この子人見知りするから」

と友人がフォローして「いいよ。いいよ」と朋子さんも言ってくれる。

(この期間でだいぶ人見知りも緩和されてきたと自分では思っている。でも、今日は2人で喋りたかったなと思って)

少し気まずい沈黙があるも、私が荷物を壁に寄せる頃には気にせず2人は話し始めた。

「そっちのクラス担任かわいいよね」

「代わりに副担任が鬼ハゲだよ」

「それは嫌だね」

私は会話には参加せず壁にもたれて座り枕を抱え、聞き役に徹して相槌を打っていた。

 だいぶ時が経った後

「そういえば、好きな人にミサンガを結ってプレゼントするっていうのはやったよね」

と友人が言い出した。

「なつかしー!」

と朋子さんが笑い、

「ほんとに、小学校の頃に一度流行ったんだけど、まさかまた流行るとはね」

 とミサンガを編むまねをする。

「手っ取り早く作れて、すぐ使ってもらえるからじゃない?」

「しかも、低コストで願いが叶う」

 2人が指を指しあい笑いあう。

「でもさ」と、私は体育座りで膝と一緒に枕を抱きかかえながら

「それって私たち作った人の願いじゃなく渡した相手の願いを叶える訳で、自分の願いが叶うわけではないんだよね?」

 と、そして

「それなら、自分で持っといて自分で願いを叶える方がいいよね」

 とも勢いで言ってしまう。さすがにそれには2人とも首をかしげ

「そうかな? ……う~ん。意見が分かれるんじゃない?」

「だね」

 と言い

「たしかに、自分の作ったミサンガで相手の思う人との恋が叶ったりしたら、へこむというか、複雑な気分だね」

「なら渡さない方がいいの?」

「…どうだろうね」

 こんな馬鹿で自己中心的な発言も検討してくれる。ありがたき友人とその友達。

「あとさ、少し話はかわるけど」

 朋子さんが椅子の上に両足をあげて体育座りになり

「絶対、編み終わっても渡せなかった人とかいるよね」

 と言い口に両手を当てて「どうしたんだろうね」とつぶやく。

「未だに持ってるんじゃないかな」

 と私が枕に口を当てながらホグホグと発言すると「ならさ」と朋子さんがいきなり立ち上がり、

「せっかく作ったんだから、渡すはずだったミサンガを身体のどこかに身に着けて告白したいよね。その人への思いもこもってるし、何らかのご利益あるんじゃないかな」

「成功したら、そのミサンガを渡すとか?」

 と私が言うと

「願いが叶ったのに?」

 と友人に突っ込みを入れられ、今度は3人で笑いあう。

「そのミサンガ何か宿ってそうだよね」



 そのあと「ってか、ミサンガって願いが叶った時に切れるんだよね?」と冷静になり、朋子さんとは徐々に仲良くなっていき、食事をいただき、また3人で他愛無い話をして眠くなって寝た。



 東の空に朝日が見え始めたころに友達の家を出た私は、持ってきていたバックを抱えて自宅への道を進む。

 どうしようもなく冷たくなった空気は寝起きの肌に辛かったが、息をするととても新鮮な空気を取りこむことが出来た。今までいた部屋の空気がどれだけ淀んでいたのか、とかを深く考えるわけでもなかったが、この時間帯の空気はすごく気持ちがいいと思う。深呼吸すると全身の細胞が入れ替わったような気持ちになった。

「……」

 全身が入れ替わったはずなのに、逆に顕わになってくる心の中があった。

 取り残された心。

 もう、残り少ない日にちの中でどうすればいいのか。

「……」

 でも、やっぱり、どんなに空気が澄んでいても、みんなと話していても、胸のつっかえは消えてくれなかった。

 決意できても、やっぱり後悔しか生まれないような気がしてしまう。



 春はもうすぐ。

 雪が降ることももう無くなり、この町は今は寒いが暖かさを取り戻していくだろう。

 澄んだ冷たい空気はいつまで続くのか。

 卒業までの時間はもう、ない。



――――――――――



 久しぶりに、自分の部屋でくつろぐ。

 冷え切った空気に窓には露がついていた。今日はこれから雨。天気予報によれば明日も雨。降り続く雨に、地面は暗く冷えきってしまいそう。

 私は窓の傍にある勉強机までやってくると、一番上の引き出しから木の箱を取り出す。昔お母さんから買ってもらった宝箱。

 私は宝箱を開き、ひとつの紐を手にする。その紐は赤と青と緑の3色から編みこまれていた。

 それを左手で握り右手を添えて、その上に額を乗せてそのミサンガに最後の祈りを込める。必死に込める。

 けれど、もう、こらえきることが出来ない。


 一粒。また一粒と滴が落ちる。


 気付いていた。ずっと。

 彼はいつも違うところを見ていた。

 ずっと見ていたのだ。そんなことぐらい分かる。


 彼がなぜ言い訳をしてでも朝早くに学校へ来るのか。

 なぜ熱心にある授業を受けていたのか。

 もしかしたら、サッカー部に入った理由だって。


 叶うはずのない恋だったのだ。

 初めから。


「ごめん……ごめんね」


 ごめんね。

 私のハツコイ。


 ベットで突っ伏して声を押し殺し泣き、そしてそのままもう一度深い眠りについた





 ずっと部屋で待っていた。

 どうすることも出来ず、活躍できると信じて待ち、

 ただ、彼女の想いと願いを聞いていた。

 こんな悲しい日が来ないことを心の底から願っていたが、僕には願うことしか出来なかった。

 明日。

 最初で最後、僕の役目は果たされることなく、終わる。










 朝。

 私は髪にミサンガを結いつける際、今までとは別のお願いをした。








~第4章~


 卒業式が滞りなく終わり、卒業生達は一度教室に戻り、持ち物をすべて持った後、在校生が作った花道を通りグランドで最後の時を過ごしていた。

 あたりには携帯やデジカメで写真を撮る人や、走り回っている男子、アイドル的人気のあった男子に詰めかける女子集団などがいた。ちなみにその男子の学ランボタンはもう既になく、ボタン強奪はYシャツに突入している。

「やあ、二日ぶり」

「朋子さん」

「まぬけだよね、あれ。女性達に身ぐるみをはがされていく良い男。そのうちパンツ一枚にされるんじゃない?」

「確かに」

2人で目線を向けると女の子達の行動はヒートアップし、ボタン以外も何かもらえるものはないかと取り囲み、必死で探している。

「その点、後輩のいる君はいいね。寄せ書き?」

「はい」

 ユニホームがバックからはみ出し、そこからカラフルな色使いで「頑張ってください」「サイコーでした」などが書かれている。

「朋子さんも良いですね。綺麗です」

「そう?」

 朋子さんの腕の中には花束、その中に1枚メッセージカードが裏返しに入っている。

「これは唯一の後輩からだよ」

 少し照れた笑いを見せる彼女。でも良く見ると彼女の目は少し赤くなっていた。

 卒業式なのだから当たり前なのかも。少しうらやましい。だって、私には今日の分の涙はもう用意されていない。

いろんな人へのお祝いの言葉は出てくるけど、やはり心のそこから祝っている感じがしない。

「そろそろ行くね。またね」

 と朋子さんと両手を振って別れ、私は校舎へと引き返す。

 こんな気分を感じていたくない。



 在校生達はそれぞれの教室に戻った後で、そこにはもう花道はなかった。

 そして約束の校舎裏へとたどり着く。

 左には桜並木が並び、右には旧校舎がそびえていて下は赤いレンガ造りの散歩道になっている。溝やでこぼこ以外の場所はもうすっかり乾いているが、周りに生えた草花にはまだ滴がついており、隙間からみえる土はまだ濡れている。

 風が吹くとまだ寒いが、手の甲が日の光を浴びて少し暖かい。



「ごめん。待ったかな?」

 私が来た道とは反対方向の校舎側から彼は小走りでやってきた。

「ううん。全然……あ」

 ちょうど目線を落とした先。

 あるはずのものがなくなっていた。

 やはりなくなっていた。

 分かっていたことだけど、胸の鼓動と軋みは止まらない。

「……第2ボタンが、無くなってるね」

「うん。ちょっとね」

 彼は頭を撫でながら困惑したような表情になる。

 一度下へ向いた顔が勢い良く上がり目線が私の瞳に戻ってくる。

 その時の顔は何か吹っ切れた表情になっていた。

「渡したんだ。お願いしますって」

 ああ、なぜだろう。

「困ることは分かっていたけど。実際困ってたし、でも、どうしても……って」

 彼が綺麗な顔で笑っている。

痛いはずなのに、寒いはずなのに、

「笑ってくれた。ありがとうって言ってくれたんだ」

 暖かくなった。

 良かったね、って思ってしまった。

 さっきまで心の底にあった苦味が、軋みがはがれていく。

「うん。よかったよ」

 何かを自己完結した彼がうなずき

「で、どうしようか?」

私の心の中にまた水が、昨日枯れたはずの水が、温水になって溜まり始める。決めていたセリフもそのお湯に溶かされもう私には何もない。物を考える脳みそも溶け始めている。

 ああ。

「卒業、おめでとうございます」

言えた。

 伝えた。

 彼も歯を見せた笑顔で

「ありがとう」

 と

「そっちもね」

 と言ってくれた。


 彼は帰っていった。

 その後姿はすがすがしい感じで、背筋が伸びきっていた。

 私も一度背伸びをする。


「……さて」

 なんだか頭が重たいし、鬱陶しいな。

「そういえば」

と右を向き教室の窓へと向かう。少し開いていた窓を開けると、そこには手作りのバックや何か作りかけの布などが置いてあった。少し周りを見渡す。

 見つけた。

 少し奥においてあった1本の「貸し出し用」と書かれた裁ちばさみをジャンプして手に入れる。

 そして私は躊躇することなく

「よっと」

 一度乱れた髪を片手でまとめて、ぐっとはさみに力を加える。

 ガリッガリッと一気に刃は進まず、少しずつ髪の毛が落ちていく。

 一気に切れるわけでもないと実感した私は一回一回ゆっくりと力を込める。

 ある程度の長さを切り終わった後、裁ちばさみの刃を見てみるとたくさんの刃こぼれがあった。

「もう使えないな。ごめん」

と最後にはさみを立てて毛先をちょいちょいと切っていく。

「ふう」

 と息を吐き頭を軽く振り、チクチクする首を少し手で払い、しゃがんで鞄を叩き、「よし」と立ち上がる。

はさみを元の場所よりも少し手前に直し、

少し肌寒い風を受けた後

「かーえろ、っと」

歩き始めた。


 日差しはますます強くなり、もう、どこにも雪は存在しない。







~エピローグ~


「お帰り」

 玄関のドアを開けるとお母さんがブーツを脱ぐのに手間取っていた。

 ようやく脱げ、私に視線を向けると驚いた顔を見せたあとに渋い顔になり

「脱げ」

 と言ってきた。



 玄関で上下の服を脱がされ下着だけになった。制服を見ると、後ろに様々な長さの髪の毛がたくさんついていた。

 私はお風呂場へと行くように言われ向かうと、そこには広げた新聞紙2枚の上にお風呂場の椅子が置かれてあった。

「さ。座って、座って」

と後ろから施され、脱いだ物を脱衣かごに入れてから椅子に座る。

「もっとこっちに寄りな!」

と空の浴槽から言われたので後ろに椅子を引きずる。

「あぁ、新聞紙が! まあ、いいや」と声が聞こえた後

「いきまっせ」

と髪にはさみを入れてくる。

 一発では切れず、何度も何度もガリッガリッと同じ束にはさみを入れる。「すごい。刃こぼれしてる」「段々って意外と難しい……」などいいながら少しずつ整えてくれる。

「……よし! 後ろはいいや。次、前!」


「泣いてないんだ」

「昨日、済ませました」

「…そうですか」


 髪の毛を落とさないように慎重に椅子の下の新聞を畳んでいく母。

「そのままシャワー浴びなさい。よく髪の毛洗いなさいよ」

「わかってるよ」

 下着も全て脱ぎ終わる頃に、新聞を回収し終わった母は少し笑って

「がんばったんだ」といった。

「うん? …まあ」

と曖昧に返事をしながらお風呂のドアを閉めて少しぬるめしたシャワーを出し頭から浴びる。


「私、がんばったんだ」

 シャワーを頭に浴びながら呟く、「ふっ」と笑ってしまう。

 その後の身体を洗っている最中もずっとニヤニヤしっぱなしだった。

 湯船に浸かり少し落ち着き始めたころに

 ため息混じりに大きな声で言う。

「あーあ、早く春になるといいな」



あれ?

 また涙があふれてきた。

 

……温かいな。


 



― 完 ―





































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