第7話

 帝奈との邂逅以降はさしたるイベントもなく、恙無くつつがなと言っても構わない形でミコは白百合ヶ丘学院での一日を終えた。

 そして現在、ミコと津々莉は登校時と同じく並んで下校している。


「いやぁ、明日葉あしたば先輩はだいぶミコのことを気に入ってたみたいだよね!」

「ご機嫌ですね、津々莉」

「そりゃね。いろいろなことを抜きにしても、生徒会役員なんてミコに押し付け——もとい代わって欲しかったから」


 つまりは戦略的な理由ではなく、単純にやりたくないだけ。

 素直過ぎる告白に思わずミコは苦笑した。


「全く貴女という人は……」


 流石に親友と言うにはあと一歩足りないものの、ただの友人では出ない——そんな何処かホッとするような空気が二人の間には流れていた。



 ——そんな時だった。


「これって!?」


 最初に気づいたのは津々莉だった。


 スイッチが切り替わったかの如く——

 ドロッとした体に纏わりつく、それでいてジリジリと肌を焦がすような空気。

 視野全体が赤みがかり、小春日和だったはずが寒気すら感じる。

 ありとあらゆる聞き覚えのある音は消え、代わりに耳鳴りのような、そして悲鳴のような音が小さく確かに響いている。 

 異界。

 そういっても差し支えない空間にも関わらず、そのベースに見知った風景があるグロテスクさ。

 それら全てがミコを責め立て、彼女は全身から滝のような汗を流していた。


「ミコ、落ち着いて!大きく深呼吸して!」

「——がはっ、げほっ……これは一体?」

「これは悪魔の力だ。でも、この前の奴じゃない!」


 冷静に見えるかもしれないが、津々莉も焦っていた。

 そもそも津々莉とアーシュはミコを——深児を悪魔たちの次王決定戦に直接関わらせる気はなかったのだ。謎の仮王については自分たちで対処し、深児には学園生活での津々莉の恋愛アシストに専念してもらう。そういった完全な線引きをする予定だったため、深児には(そして当然ミコにも)悪魔やその他常ならざる法則に従う事象についての知識を次王決定戦の概略以外はほとんど伝えてなかったのだ。

 

 しかし、これは完全に失策である。


 そもそも津々莉とアーシュに協力するということは、当然他の仮王との争いに巻き込まれる可能性を孕んでいる。


 戦闘には無関係?

 日常キャラ?

 あくまで学園における協力者?

 

 現実リアルを舐めるな馬鹿じゃないのか。弱点ウィークポイントから攻めるのは当然だし、敵を成長させる協力者を潰さないほうがどうかしている。


 では、何故誰も考えなかったのか。


 ずっと二人で行動してきた津々莉とアーシュは味方という存在が強みにも弱みにも成り得ることが頭から抜け落ちていた。

 佐奈は才能極振りの超芸術ビルド、この手のことに頭が回るわけがない。 

 では、ミコは——


(私は……目を背けていたというのですか?非日常に巻き込まれる可能性——そんなものあるはずないと。これは楽しく明るいだけの非日常で、負の側面は一切ないと。なんて愚かな!!しかし——)


 生まれて初めて命が狙われる。

 そんな最中、ミコの頭は高速に回転し始める。

 

「まずいまずいまずい……ミコ!完全に相手に先手を取られた!しかもミコが協力者でありながら何の異能ちからも持たないっていうこっちの情報は握られているみたい」


 津々莉とて決して切った張ったに慣れきっているわけではない。今まで仮王と戦う時は入念に準備していたし、そうでない時も少なくともアーシュが側にいた。だから津々莉も少なからず取り乱しながらミコを見遣った。


(失敗した?命を失うかもしれない?……でも、まだ私は死んでいません。ならやることは一つです。失敗から学び、情報を集め、対策を立てる……問題なし。平常運転いつもどおりでしかありません)

「……ミコ?」


 急に静かになり、周囲を睥睨しているミコの姿を訝しむ津々莉。

 しかし、あまりに落ち着いたミコの様子に津々莉も冷静さを取り戻し始めた。

 それを確認すると、ミコは口を開いた。


「不自然なほどに人通りもないですし、景色まで塗り替えられています。仮王の力とはここまで世界を歪め得るのですか?」

「確かにこれは変だ。仮王にこんなことが自由にでるのなら、私は一人目の仮王に負けてた。でも、この気配は確実に悪魔の力だ。他の異能なんかじゃない」

「そうですか……それならとりあえず待ってみますか」

「はあっ!?待つって何をっ!?」


 叫ぶ津々莉を黙殺し、ミコは自然体で腕を組んだ。

 あまつさえ、その口元には微笑すら浮かべている。


(綺麗……って、私は何を考えてるんだ!コイツは男なんだぞ!)


 一人心の中で悶絶している津々莉を他所に、ミコはこの事態を考察する。


(津々莉の感覚が確かなら、自分の力が優れていることを認識していない愚鈍でもない限り、本来私達に仕掛けない理由がありません。ならば、何か必ず理由があるはず)


 観察?——否、勝ち切れるなら必要無い。

 いたぶって遊んでいる?——否、ならばもっと直接的に攻撃される。

 条件の不足?——可能性あり、要検討。

 

 自問自答を繰り返すミコ。 


(相手が仕掛けてこない理由はともかく、勝機は恐らくアーシュさんが駆けつけてくれることぐらい。それでも勝てるか分かりませんが、私と津々莉では恐らく攻略の糸口を掴むことすら難しい……のでしょうが、趣味ではないですね)


 さて、と彼女はスマートフォンの時間表示を一度確認し、それを仕舞った(当然、外部に通じないことは確認済みである)。


「さて、きっかり三分。カップ麺ができるほどの時間を待っても、仕掛けてくる気配はありませんか」

「やっと喋ったなこいつ……って、ミコ!無闇に動いちゃダメだって」


 津々莉の行く手を遮るように、すっとミコが前に出る。

 彼女は軽くストレッチ、準備運動を済ませると静かに宣言した。 


「悪友の心得、第四条。主人公のためにヒントを掴むべし」


 ——疾走。

 ミコの翔ける速度は零から百へと一瞬で至り、津々莉は彼女の姿を見失いかけたほどである。

 ミコの向かう先は前でも後ろでもなく横——三メートルほどある塀。

 一般的に考えれば行き止まりだろう。 

 しかし、ミコにとっては違う。

 これが重要である。


(この状態が様子見ではなく、こちらに攻撃を仕掛けるための条件が何か足りていないためであると仮定します)


 例えば条件が「少しでも動いたら」とか「一体範囲から出たら」ならば、恐るるに足らずとミコは自己暗示をかける。そんな嵌り易い条件なら、少なくとも死にはしないだろう、と。

 ——等価交換。

 厳しい条件せいやくには、大きな効果たいかを。

 緩い条件せいやくには、僅かな効果たいかを。


 翻って、厳しい条件とは何だろうか?

 考えられるのは「ある場所を踏んだら」や「ある空間に入ったら」である。

 ならばそういった場所をどこに設定するのか?

 少なくとも通路——進路を選ぶにしろ退路を選ぶにしろ道路上だろう。

 畢竟、通常は通路足り得ない場所だけ通れば、当たる確率は少ないはずである。

 

(まあ、悪魔のルールたる魔法にどこまでこんな仮説が通じるのかは知りませんが)


 ミコは強くアスファルトを蹴って跳躍すると、塀の僅かに欠けている部分に足を掛け塀の上に半ば駆け上がるように登る。さらに前進するエネルギーを無理やり曲げ、塀の上を駆け出す。


「ミコは相変わらず凄いな!——動いた、そこっ!」


 襲撃者はともかく、津々莉はミコのこの動きに対して驚きはない。津々莉とミコは仮にも悪友。ミコが津々莉について知り尽くしているように、津々莉はミコについて知り尽くしているのだ。当然、ミコの趣味がパルクールであり、この程度の動作が可能であることは見知っているのだ。


 故に、ミコが自信に求める役割も分かっている。襲撃者がミコの予想外の動きに何らかのリアクションを起こした時、それを察知して攻撃するのが津々莉の役目である。

 そのため津々莉は足元にあった石に魔力を込めて握り締めていた(この手の技法は仮王の技としても曲芸に近く津々莉は興味もなかったのだが、前回の襲撃により必要性を痛感してなんとか物にしたばかりである)。


 そしてミコが塀を駆け出した時、周囲一帯を濃密かつ一様に満たしていた魔力が一箇所だけ不自然に揺らいだことを津々莉は察知したのだ。


 魔力を込めた石を、同じく魔力で身体を強化した津々莉が投擲する。

 イメージとしては投擲兵器というよりレーザー兵器。

 石は閃光と共に電柱を掠め、塀を貫通していた。


「くっ、逃げられた」


 気づけば景色は元に戻り、日常の喧騒が街に戻ってきていた。

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