第5話 感謝罪悪感
二階の探索を進める二人は、家庭科室に訪れていた。
元は調理や裁縫のための設備が整えられていたのだろうが、安全面も顧慮してか、そのほとんどは撤去され、全体的に片されていた。使えそうな、或いは身を守る武器になりそうなものなんて、当然ながら見つからない。
が、その教室の目立つところに何かが落ちているのを、舞夜が発見した。
「ネム、ネム、なんか落ちとる」
「本? いや、手帳か」
舞夜が拾い上げたそれは、厚めの手帳だった。学生が使うにしては高価な物に見える。二、三年間の予定が書きこめるものらしい。
ネムレスに言われるがままぱっと開いてみると、整ってはいるがどこか粗雑な印象を受ける文字が、四角い升目のあちこちを散らばるように埋めていた。ほとんどの予定は学校に関することで、些細な行事や、授業で出された課題の提出期限、小テストの範囲などである。
舞夜はなんとなく、これは自分の物ではない気がした。
「これネムレスの手帳っちゃう?」
「ほ、んとだ。なんでこんなとこに……。他の荷物は?」
きょろきょろするネムレスに許可を得てから、舞夜は最初のページからぱらぱらとその手帳をめくった。が、その手は五月の見開きですぐに止まる。
五月のページ全体を横切るように、緑の蛍光ペンで斜め線がくっきりと引かれていたのだ。
「これ落書きしたん? カラフルやね」
「いや……覚えがないんだけど」
「うわ、怖いなぁ。あ、でも、悪戯かもしれへんよ」
舞夜は再び手帳へと目を落とした。目立つが、悪意などがあるようには思えない。そこに書かれている予定自体も、平凡なものである。
強いて言えば、同じ色のペンで三十日と三十一日に月末テスト、と書かれているのに切羽詰まったものが感じられるが、その程度だ。
落書きが気になるのか、ネムレスはやけにじっとそれを見つめている。
「なんか気になる? 大丈夫? えっと、あの、ちょっとした悪戯やと思うよ。もしかしたら私がやったんかもしれんし。記憶無いけど」
「いや、さすがにこの辺は去年だし、覚えてないなと思って。今も五月だから、ちょうど一年前だな。……ま、いいか。他のとこも見てみる?」
ネムレスに伺いながらページをめくっていく。
手帳の内容は、どれも黒のボールペンだけで簡潔にまとめられていた。ネムレスの名前など書かれていないかと探してみたが、残念なことにそれらしいものは見当たらなかった。
「あ。ネム――」
「うん。顔剥ぎについて、俺が書いたメモだね。といっても、一般的な内容を纏めただけだから、珍しいことなんかは書いてないけど」
内容は要所だけ抑えられた端的なものだ。
『顔剥ぎ』は、恵まれた者(美人や金持ち)を羨んで、その顔を剥いで殺し、それに成りすます。
話が噛みあわなかったり、記憶違いがあったり……もしも貴方の周りで、普段と挙動が異なる者を見かけたら、もしかして――?
ついでに、狙われたくなければ、他者への自慢は控えた方がいい。という教訓まで添えられているのが、随分とそれらしい。
「記憶無い人はどう気付けばいいんやろ?」
「うーん。相手が喋った内容と、自分が前書いてた日記とかを照らし合わせるとか。もしくは、他の人に確認してもらうとか」
なるほど、と頷いている舞夜が現在何も持っていないことに気付くと、「まあ、今あっても使える情報ではないよね」とネムレスは付け加えた。
二人はそれから、何かないかと違うページを眺めることにした。
「字、綺麗やね。なんか雑っぽいけど、ちゃんと書いとるって感じ。……あ、中間テストやって。なんの中間かな。私も受けたんかなぁ?」
「これは中学の頃の予定だから、学校が違った舞夜がどうしたのかは分からないけど……たぶん受けたんじゃない? 俺、この時さ、そこそこ点数良かったんだ。ただテスト後に出す課題を途中までしかやってなくて、直前の休み時間も全部それに消えたっけ」
「うっかりしとったね。なんか、テストとか受けてきた気もするなぁ……」
舞夜は思い出に浸ろうとしたが、驚くぐらい薄ぼんやりとしている上に大して面白みも無いようなので、すぐ止めた。
「あ、見て。"帰りに旧校舎"やってー。これも、今みたいな感じ?」
「うん。この時は君も一緒だったね。それで、君がいきなり体操服忘れたって言い出してさ……」
二人はしばらく、思い出話に花を咲かせた。というより、ねだられてネムレスが咲かせた花を、舞夜がはしゃいぎながら眺めていた、といった方が正しいだろう。
ネムレスはあまり深くまで話したがらなかったが、舞夜が尋ねるとすぐさま答えを返してくれた。いい人なのだろう。おまけに詳細を進んで話したがらないのも、結局は舞夜のためなのだ。
どれくらい話していいのかなぁ、とどこか複雑そうな表情を浮かべるネムレスを見ていると、舞夜の胸の中はほっこりあったかくなった。
「……私な、もしかしたらネムって腹黒い人なんかもしれんなーって、ちょっとだけ思ったりしたよ」
「えっ、そ、そうなんだ。どうして?」
「なんか私をむりやり連れてきた、みたいなこと言っとったから、そんな風に見えやんのになって思って」
「……」
「でもそんなことないよな。ネムレスめっちゃ優しいし。それにな、なんかな、ネムレスの顔見るとるとな、ちょっとだけ安心すんの」
舞夜はにこにこしてそのまま感謝を告げる。
「いっぱい助けてくれてありがとう。ネムのお陰であんま怖ないよ」
ほがらかで一途な彼女の言葉とはまるで対照的に、ネムレスはきゅっと眉尻を下げた。彼は悲しさを噛み潰し、独りで堪えるかのような顔をした。
あまりにも辛そうな表情に、舞夜は面食らっておろおろした。腹黒と言ったせいなのか、感謝したせいなのか、とにかく泣きそうになられるとは思ってもみなかった。
「ご、ごめんな。あ、あのさ、ネムレスいい人って分かってさ、私、そばにおってくれて良かったって、それだけやったんやけど……」
「いや、ただちょっとびっくりして。そんな辛いとかじゃないんだ。俺こそ、その――ありがとう。ごめんな」
「う、うん」
ネムレスの思いもよらない反応に、舞夜は変なことは言い出すもんじゃないなぁ、と心の中でしみじみした。また一つ学習した気分である。
今の舞夜は、最悪記憶が戻ってこなくてもこうやって少しずつ学んでいけばいい、そんな楽観的な気持ちであった。その度このような居た堪れない、申し訳ない思いを人にさせるのは少し怖いが。
誤魔化すように、舞夜は周囲をぐるりと見回した。
「――えーっと、他はなんも無さそうやね。武器っぽいのとか、あったら良かったんやけど」
「次は理科室だね」
「えええー……理科室はやっぱ怖いなぁ」
正直授業で使ったことのない骨格標本や人体模型、何時できたのかも知れないホルマリン漬けのあれやこれや――。
自分が高校生であったことを思い出した、その記憶と繋がっていたのだろうか、校舎内の基本的な知識が、今の舞夜には存在していた。逆に言うと、それがまた彼女の恐怖心を煽っているのだが。
「あはは大丈夫だいじょーぶ。どうせここみたいに、全部綺麗に片付けられてるって」
気楽に笑うネムレスに背中を押されるように、舞夜は相変わらず不気味にくねった廊下を歩きだした。
「めっちゃ色々あるやん」
「あー、これは予想外だね」
理科室は今すぐにでも授業が開始できそうなほど、状態が良かった。舞夜にとっては不幸でしかないが。
並ぶ机と奥に重ねられた丸椅子、それからきちんと水道まで備えられている。お馴染み、人体模型と骨格標本は片隅の方に置いてあったため、それほどインパクトは無い。恐らく実験室も兼ねているのだろう、鍵のかかった棚には、名も忘れてしまったが見覚えはある器具が整然と並んでいる。
これだけ色々と揃っていれば、何かしら使えそうな道具もあるのかもしれないが、
「なんか悪意を感じる。なんやこれ。おかしない? なんかさぁ、おかしいって」
「この教室だけ、妙に普通だね。もしかしたら、あの狐面の罠かもしれないな。……どうする? 俺は、避けて別の部屋に行ってもいいと思うけど」
「いや調べよ。んでさっさと次行こ。私こっから早く脱出してお医者さん行って、頭の精密検査してもらうんや……」
華々しさはないが切実な思いとともに、舞夜はそっとフラグを立てた。
君がそう言うのなら、とネムレスは相変わらずさっさと進んで行くので、舞夜も慌てて後を追った。
「待って待って。ネムレスは強いからこの校舎も怖ないかもしれんけどな、私は弱いから結構怖いよ!?」
「あ、ごめん。でも、うーん、舞夜はとりあえず俺の後ろにいたらいいよ。このまま少しだけ、使えそうな物を探そうか」
「う、うん。それでいっぱい喋ろね。ネムも私にいっぱい喋ってな」
怖さを紛らわせるため、出来るだけでいいから舞夜は口を動かしていたかった。そうでなくては、見えない背後をどうしても意識してしまうからだ。
ネムレスが「分かった」と言いながら、少し笑ったのが分かった。
「じゃあ、……舞夜の記憶が、どれくらい戻ったか聞こうかな。さっき精密検査とか言ってたけど、そういう一般知識っていうか、そういうのは戻ってきてるの?」
「うん。体験してきたこととかは全然やけど、そういう知識系は結構戻ってきとるかも。あ、なんか聞いていいよ」
「じゃあ脳みそについて」
「脳みそにはっ……右脳と左脳がある」
「他は?」
「んとな、えっとな、……ネムレスって大雑把やよね」
話題の振り方が明らかに適当過ぎる。
ネムレスは「そうかなぁ」と言いながらその声は弾んでいて、舞夜の勘違いでなければ彼の口元はほころんでいた。
「褒めてへんよ。あと、その空の水槽はあんまり使えやんと思う」
「うーん、この角の部分の攻撃力とかいいと思うんだけどなぁ。やっぱり丸椅子の方がいいかも。薬品まではさすがに無さそうだし……。ハサミくらいなら、学校にもありそうなんだけどなぁ」
「ハサミかぁ。あ、この掃除ロッカーに箒とか、」
言いながら舞夜が、なんとはなしに掃除用具入れを開くと、
「え、」
中から、女が飛び出してきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます