合間の出来事(短編)

第37話 向こう側からの電話

 深夜、女が自室にいると電話がかかってきた。

 おかしいな、とは思ったが、親しい友人の、しかも同性からのものだったので、普通に通話に出ることにした。


「今、あんたの家の外にいるんだけどさ」


 明るい声だった。悪戯好きというわけではないが、突飛なところのある友人だったので、女ははいはい、と笑いながら、窓の前に移動した。

 彼女の部屋の窓からは、交差点が見えた。深夜には車も通らない。

 オレンジの灯りに照らされ、垂直な十字に交わるそこは、一種別世界のような不気味さを感じさせる。しんと静まり返って、まるで儀式でも執り行われるかのようだ。

 そこに人影が見えた。電柱や植え込みの暗がりに紛れていた。

 何故か少しぞっとしたが、友人が


「交差点の私、見える?」


 と聞いてきたので、彼女だろうと思った。それ以外に人がいそうにもなかったから。

 見えるけれど、ちょうど暗い位置にいるためよく分からない。

 困ってそう伝えるが彼女はそれには答えず、


「他にそこから見えるものってある?」


 と聞いてきた。

 質問の意図が分からない。戸惑って「スーパーとか?」と尋ね返す。


「他には?」


 夜なのに布団が干してある民家。赤い花ばかりの花壇。雑草の生えた駐車場。

 他にもつらつらと挙げながら、不思議に思って交差点の彼女に目をやる。相変わらず暗くて判別がつかない。

 いや。

 あえて、街灯が当たらない位置に立っているのか?


「スーパーの前の自動販売機は見える?」

「ううん、横の建物で見えない」

「ていうか今、部屋の電気消してるよね? 三階」

「寝る前だったから。ねぇ、なにを、」


「ああ」


 嘘のように低い声が囁く。


「見つけた」




 紫苑が一息に語り終えると、舞夜は変な顔をしていた。唇を横一文字に引いているのに、意志の挫けたような眉と目。

 そして一言だけ呟いた。


「こわい……」

「絶対死んでるパターンのやつだよな、これ! じゃあどっから話がきてんだって感じだけど……」


 相変わらず紫苑は笑顔で、悠々とした態度だった。

 だからこそ、自分ばかりへこたれているのも癪なのだ。そんな負けず嫌いを後押しに、舞夜は己を奮い立たせた。


「でも今こうやって分かったから、大丈夫」

「何が?」

「部屋の場所が分からんように、適当なこと教えたらいいんちゃう? なっ?」

「――この話、続きがあってさ」


 紫苑が声をひそめると、舞夜はへえぇ、と怯えたように息を吐いて身を引いた。死にかけの老山羊でも出さないだろう声だった。




――この話を知っていて。

 その「誰か」のところに、伝え聞いていた通り、不審な電話がかかってきた。

 時間帯は深夜。友人からであった。

 一連の流れを知っていたその誰かは、慎重に、カーテンの隙間から外を覗いた。確かに人影はあったが、視界が悪くてうまく捉えられない。

 電話の向こう、相手の声はまるきり友人のものだった。ちょっとした癖、イントネーションなどもそのまま同じ。

 もしかして本人なのではないか、と思いかけるほどそっくりなその声で、やはり、部屋の窓から見える景色を尋ねられた。

 思わず動揺したが、対処方法は分かっているわけだ。

 つとめて冷静に、でたらめな目印を伝える。


「部屋の電気、消えてる?」


 うん。

 と安堵に胸を撫で下ろしながら、頷いたところで、




「嘘吐き」


 耳元で、声がした。





 舞夜はその夜、自室でテレビを見ながらくつろいでいた。

 扇風機がゆるゆると首を振りながらそよ風を送ってくれる。風呂上りの火照った体に、パジャマの裾から入ってくるそれが心地よかった。

 ベッドを背凭れにしたまま、ふと時計をみるとそこそこの時間だった。遅くもないが、中高生にしてみれば寝るにはまだ早いくらいだろうか。しかし今夜は見たい番組もないし、就寝時間を早めたところで問題もない。

 そんなことを考えながら、ベッドにもたれかかったまま首だけをぐてんと動かしたところで、枕元で充電されている端末が目に入った。

 電話。


「……」


 日中に聞かされた紫苑の話を思い出し、舞夜は一人体を強ばらせた。

 しばらく夜半の沈黙のなか、彼女はじっとしていた。


 やがてその恐怖の波も落ち着くと、彼女はテレビのバラエティー番組にチャンネルを合わせた。途端、部屋中に巻き起こる笑いにほっとする。

 肩を撫で下ろし、そのままのそのそベッドにのぼり、綿毛布にくるまった。

 そうして毛布の裾を何度か握り、擦り寄って、いい感じに眠るための体勢を取ったとき。

 電話が鳴った。


「うわっ」


 舞夜の体がばね仕掛けのように跳ね、まどろみも温もりもどっかに吹っ飛んだ。

 ただテレビから聞こえる派手な演出音と、拍手、そして不快に揺れる心臓の音ばかりがうるさい。その着信音量は小さく、テレビの笑い声にも負ける程度だが。


「……」


 舞夜は震える手で、端末を取った。

 映るのは友人の名前、よく知る同級生の少女だった。

 が、舞夜は恐る恐る指を這わせると、通話を切ろうとした。仲の良い友人だ、明日謝ればいい。笑って許してくれるだろう、と。

 しかし。


(…………どうしよ)


 端末が、何一つ反応してくれない。

 何度通話を切ろうと試みても同じだった。いっそ電源を落としてしまえと思いきるが、やはりどうしようもない。何をしようとも、焦れたように手が汗をかくばかりで。

 電話が鳴り続ける。

 聞き慣れた着信音をどれだけ奏でられても、それに出る者はいない。

 舞夜は。


(……お母さんと寝よ!)


 意味があるのかはともかくマナーモードにし、ついでにそれを枕や布団で覆ってしまってから、忍者のように慎重な早足で母親の部屋へと移動した。


 高校生にもなって、と怒られたが、自分の部屋が暑くて寝られない、と訴えたら許してもらえた。エアコンがなくてよかった、と舞夜はしみじみ思った。


 なんだって親というのはこんなにも安心できるものなのだろう。布団を敷き、母親とあれやこれやと取り留めのないことを喋っているうちに、彼女はすっかり寝入っていた。

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