ウィルとリンカーの繋ぐ世界

endo

第1話 プロローグ


 ずぶ濡れになって身体に吸い付く衣服の感覚と、瑠璃色に煌めく腕輪が放った一閃が、何年経った今も僕の頭から離れない。

 人の記憶の初めはいつ頃なのだろう。生まれてすぐの記憶が残っている人もいるというけれど、僕の場合は、孤児院での六歳ごろの記憶だ。


 僕の親は、「バグ」という狂った獣に殺されてしまったと、孤児院のクレアさんから聞いた。

 大きな山脈の一部を切り開いたプレシア村は、山越えをするための拠点であって、多くの旅人が訪れる。しかし村自体は、森で狩りをしたり、野草を売ったりで切り盛りする数十人が暮らす程度の小村であった。

 孤児院は、そんな村の入り口の近くに、丸太を編んで建てられている。

 今考えると、孤児院というにはあまりにも小さい、気の優しい夫婦が、数人の子どもたちを世話する所だった。

 多くは、僕と同じように「バグ」によって親を亡くした子たちだったけれども、エルスは、少し事情が違っていた。


 光の加減では銀雪のような色をした長い髪と、少し垂れ下がった眦によって、初めて彼を見たときは、優しそうな印象を受けた。

 けれど、その瞳には輝きはなく、けだるく、憂鬱そうであった。

 彼は、雪のちらつく寒い日に、孤児院の前に捨てられていたとのことだった。誰が言ったか何て分からないけども、小さな村だから、そんな噂は一瞬で広まった。



 思い出されるのは、エルスが、狩場に向かう途中にある小高い丘で、村の子どもたちに雪玉をぶつけられていた光景だ。

 正義という言葉なんて知らなかったし、今だったら、一対多数なんて大丈夫かと、打算だって考えてしまいそうだ。

 けれど、その時の僕は、一人の男の子を寄ってたかって囃し立てるのに心底腹が立った。


「何やってんだ!」

 そう叫んで、一番背が高くて、体格の良い男の子の前に立つ。

 今見たら、子ども同士の喧嘩なんて、微笑ましいと感じるかもしれない。けれど、そのときの僕の心臓は、怒りと緊張と興奮とで、破裂しそうに激しく鼓動していた。

「なんだ、お前」

 背の高い男の子が僕を睨む。

「そうだ、邪魔するな!」

「『ばいじょ』の子どもに、バツを与えるんだ!」

 取り巻きの男の子たちも口々にいう。

 売女なんて言葉、今でもよく分からない。どこで聞いたことだか。大よそ、彼らの親たちの心無い噂話を断片的に聞きかじったのだろう。


「僕だって親はいない。それは僕たちがイケないわけじゃない。ダメなことでも、悪いことでもない!」

 とか、なんとか、言ったと思う。子どもの言葉だから、きっと拙いものだったと思うけども、相手は顔を真っ赤にして、拳を高く振り上げた。

 ――殴られる前に、あの鼻っ面に一発かましてやる!

 僕も身構えて拳を引く。

 その瞬間だった。


 僕ら全員は、冷たい大量の水を頭からかぶり、びしょ濡れになった。


 何が起こったか分からず、ふるえる体を両手で抱き、顔をあげる。

 澄み切った空気に舞い散る水滴が煌めく中、碧い光が目に飛び込んできた。

 見れば、超然と佇む一人の男。

 光は、男の身に着ける腕輪から発せられている。

 碧色の腕輪は、まるで緑柱石の宝石のように綺麗だった。



 その男は、プレシア村を訪れた旅人だった。

 各地を周り、バグを退治する「バスター」という仕事をしているらしい。

 彼にしてみれば、単なる気まぐれだったのかもしれない。

 しかし、颯爽と現れて僕らの喧嘩を止めたその人は、幼心に一瞬で尊敬と憧れの念を植え付けた。


 仕事に向かう途中だというその人は、あまり取り合ってくれなかったけれども、


・大量の水を一瞬で発生させたのは、「リンカー」と呼ばれる腕輪の力であること

・「リンカー」を使えるようになりたいのであれば、「マドラサ」という場所に行くこと


 を、教えてもらうことができた。



 旅人と別れた後、僕とエルスの二人は、孤児院への帰り道を歩いていた。

 衣服は既に、これまた旅人のリンカーの力で乾かしてもらっている。


「ありがとう……」

 しばらく黙していた銀髪の少年の初めての言葉だった。

「なんてことないよ。それより、ひどい奴らだね」

「仕方ないよ、ボクは、捨てられたんだから……」

 そういってまた、エルスは俯いた。

 表情は伺いしれなかったが、深い諦めの心が伝わってきた。

 そういえば、雪玉をぶつけられていたときも、声を出すことも無く、彼はただずっと耐えていた。

 僕が飛び出したのは、そんな姿が、可哀そうになったからだったのだろうか。

 同情、だったんだろうか。

 何と言っていいか分からず、また無言のまま僕たちは歩き続ける。


 見慣れた、寒風に長年さらされた木で作られた家が見えてきた時、エルスはぽつりと呟いた。

「君も、もうボクになんて構わない方がいいよ……」

「ッ! そんなことあるもんか!」

 反射的に叫んだ。

 何のために生まれてきたかなんて、分からない。世界にはきっと、もっともっと、大変なことだって多いだろう。

 それでも、生まれてきたからには、楽しまなきゃダメだ。

 いじめられて、諦めて、それで死んじゃうなんて、絶対ダメだ。


 すぐ先に見える孤児院を指して僕は言う。

「僕は、大きくなったら、この家を、もっと大きくするんだ。僕らのような、親をなくした子たちに、もっと世界は楽しいものなんだって、たくさん、教えてあげるんだ」

 無意識のうちエルスの前に立ち、彼の両手を握りしめていた。

「あの男の人が使ったの見ただろ? よく分からないけど、マドラサってところに行けば、使えるようになるんだ。きっと色んなことができるようになる。世界ってきっと、とっても楽しいんだよ」

 落ち込んでいる相手に対して、残酷なことを言っている気もした。

 自分の思っていたことを勢いで口にしただけで、彼の気持ちなんて何も考えていなかった。

 けれど、僕はエルスに、少しでも前向きになって欲しかった。

「ねぇ、君は、おっきくなったら、何かしたいことはないの?」

 僕の問いに、エルスは、ゆっくりと顔を上げた。

 背丈が同じくらいの僕たちは、同じ高さで視線が合う。

 陰鬱な瞳の色に、少しだけ灯がともったようにみえた。

「そしたら、ボクは……。君についていきたい」

 その目の端には、うっすらと涙が溜まっている。

 主体的な望みではないかもしれない。それでも、エルスが前を向いてくれたことが、僕はただ嬉しかった。

「うん! 改めてよろしく。エルス!」

 握った両手に力を込めて僕は言ったのだった。

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