金騎士 ガイ・ヴォルフハート

 ウィンチェスターの街の奥に位置するウィンチェスター城。

 ここは平野地帯の丘の上に築かれたいわゆる『平山城』だ。

 山の上に築かれた『山城』と比べると防衛力は落ちるが、その代わり城下町へのアクセスが良く経済発展には有利とされる。


 七王国時代が終わって防衛の要衝ではなく、経済の要衝であることに重きを置いてこのウィンチェスターに公爵の居城を移したのは先見の明があったのだろう。

 ウィンチェスターの街は急速に公都として機能し始めて、いまやブリトニア王国でも屈指の大都市となっていた。

 その発展の象徴とも言えるのがこのウィンチェスター城だ。

 

 アリエルとウィルたちは城に入るとそのまま客室に通された。

 アリエルと侍女たちはもちろん、ウィルや護衛の老騎士たちですら立派な客室に通された。なんでもアリエルには部屋の中で湯浴みの用意もあるようだ。

 風呂に入るという習慣がないではないが、お湯を沸かすには燃料である薪を使う。そして沸かしたお湯も時間が経てば冷えてしまう一時のものだ。普通はまとめて入浴するので個別に入れるのは贅沢なことだ。

 遠方からの客人をもてなす対応としては最上級のものだろう。

 それだけでなくウィルたち騎士にもサウナの用意がしてあった。


「ほれ、ウィル。お前も身体を拭くんじゃ」

「パンの匂いのしない風呂なんて初めてだ」


 ウィルの知っているサウナはパン焼き小屋の二階にあって、パンを焼く時の窯の熱を利用して入るものだ。パンを焼く時間になると鐘で知らせ、それを聞いた近隣の住民がこぞって集まりサウナに入って身体の垢を落とす。

 だからサウナと言ったらパンの匂いがセットで付いてくるとウィルは思っていた。

 しかしこの城の風呂は部屋の真ん中に轟々と燃え盛る囲炉裏があり、そこで熱せられた石に水をぶっかけて蒸気を発生させるミストサウナだ。

 パンのついでにサウナに入るのではない、サウナに入るためのサウナなのだ。

 パンの匂いがするワケもない。


「でもなんか匂いがするね」


 ウィルが鼻をひくつかせると、老騎士が箒のように束ねられた枝を持ってきた。


「コイツの匂いじゃろ。白樺らしいな」


 老騎士は中にいたサクソン人の案内役から教えてもらった通りにそれで自分の身体を軽く叩いた。


「こうして身体を叩くと血の巡りがよくなるそうじゃ」

「ほう、さすがは交易都市。色々と珍しいもんがあるのう」


 老騎士たちは素直に関心して交代しながら身体をぺちぺちと叩く。

 老体と言えどもさすがに騎士をしているだけあってその身体は引き締まっている。だが寄る年波には適わず、かつてははち切れんばかりであった筋肉も萎み、余った皮がたるんでいた。

 案内役のサクソン人の男はそんな老騎士たちを見て、見下すような視線を向けてきた。

 ウィルはそれに気づき嫌な気分になった。


「おおかた自分たちの発展をひけらかしたいのだろう」


 一人の老騎士がウィルのまだ細い引き締まった身体を白樺の箒でぺちぺちと叩く。


「目を曇らすなよ。凄いと思えば素直に感心すれば良い」


 いまだ不満気なウィルの顔に、老騎士は白樺の箒をぺちっと叩き付けた。


「……わかった」


 胸にもやもやとした気持ちは残ったが、ウィルはそれを飲み込むことにした。


 翌朝、アリエルはウィンチェスターにいるウェセックスの貴族たちと面会をしていた。交通手段が船か馬車しかないブリトニアにおいて貴人と面会できる機会というのは限られている。そして貴族というのは人脈が生命線なのだ。

 そこへ、隣の公爵領の若き領主アリエノールというとびっきりのVIPが来ているのだ。このチャンスを逃すようでは貴族失格である。


 そしてアリエルもまた、新米領主である。人脈は喉から手が出るほど欲しい。

 なので多少面倒でもここで面会を断る理由はないのだ。

 顔を繋ぎ、誼を結び、可能であれば領内に事業を誘致する。

 しかし、だからといってコーンウォールの資源や土地を安売りしてはいけない。

 非常に難しい政治的判断の伴う面会だ。それでもアリエルは立派にその役目を果たしていた。ウィルの前とは違う、公爵としてのアリエルがそこに居た。


 その間、ウィルは側にいることが出来ず、下賜される予定の鎧の採寸をしていた。

 実際に見につけてみて身体にフィットするように微調整するのだ。

 今すぐ着るわけでもないし、微調整ぐらいならコーンウォールの鍛冶師でも可能なので必要ない、とウィルは思ったのだが、ウィンチェスター城の鍛冶師は無言のまま一切譲らず調整が完了するまでウィルを離さなかった。


 その日の晩、コーンウォール公爵アリエノール・コーンウォール・ペンドラゴンを歓迎する宴が開かれることになった。

 これは最初から予定されていたものだ。

 鎧一式のお礼は既に個別に面会して済ませてあるが、対外的にコーンウォール公爵とウェセックス公爵が懇意である、と示すためにも大勢の前でお礼を言う必要があるのだ。そうしたパフォーマンスも含めて宴がおこなわれる。


 アリエルは祖母がここ一番という時に着たという古いが伝統あるドレスを、ウィルや老騎士たちはコーンウォールの円卓騎士団の騎士団服を着て出席することにした。

 アリエルのドレスは、濃蒼で光沢のある生地を使ったドレスで、肩を露出して大きく開いた胸元には豊かな胸をより強調して魅力的に見せる効果もある。


 普通の貴婦人は胸と腰との落差を出すためにコルセットで胴を苦しいぐらいに締めあげてを作るのだが、元から優美な曲線をえがくアリエルの腰はそこまでの締め上げを必要とせず皮製の腰当で軽く締めているだけだ。しかしそれだけでも更にバストとウェストの差が強調されていた。


 袖や胸元には古代ピクト人とダーナ人の使った伝統的なケルト紋様が刺繍されて、二つの種族の融和を意味している。蔦が絡まったようなその紋様はシンプルながらもすっきりとしたアクセントを与えている。

 胸元から足元まである前掛けには複雑な蝶の刺繍が施されていて目を引いた。

 流行と比べると古いデザインなのだが、その精緻な刺繍と貴重な生地は国宝といって差し支えないほどの一品だ。古い新しいを超えた美しさがある。


 ウィルたちの騎士服も伝統のデザインだがそこまで凝った作りではない。

 アリエルのドレスよりも淡い青色の生地のコートと白色のシャツを組み合わせたシンプルなデザインだ。

 襟や袖口にドレスと同じケルト紋様が飾り布で再現されているくらいだ。

 老騎士たちがこの騎士服を着込むと不思議とよぼよぼした印象が消えてピシっとした感じがするから不思議だ。一種の制服マジックだろう。

 心なしか老侍女たちの視線も熱い気がする。


「ウィルもカッコいいよ」

「無理に褒めなくていいよ。似合ってないの分かってるし」


 アリエルの絶賛にウィルは不貞腐れたように返事をする。

 ウィルは十四歳にしてはやや身長が低く、また身体も引き締まっているが細い。

 なのでどう見ても、子供が本格的な騎士服を着てゴッコ遊びをしているようにしか見えないのだ。

 素直に喜ばないウィルにアリエルは頬を膨らます。


「もう、最近ウィルは素直じゃない!」

「そんな顔しないでよ。せっかく綺麗になったのに台無しだよ」


 ウィルがそう言うとアリエルはすぐに満面の笑みを浮かべる。

 そしてそれを老侍女と老騎士が微笑ましそうに見守る。いつもの光景だ。


 アリエル歓迎の宴はウィンチェスター城の大広間でおこなわれた。

 体育館ほどの広さの大きな広間に二十人以上が座れる長机がいくつも並べられてそこに様々な料理が並んでいる。港もあるウィンチェスターの街だからか、肉だけでなく多くの魚料理も並んでいた。


 本来こうした宴で魚料理が出されることはない。この時代、魚は肉よりも劣った食材として認知されており、庶民の食べるモノと思われていたからだ。

 食材の高級さは天上に近いモノが高級とされた。

 植物でも地中に生える野菜が一番下等、枝になる果実が上等となっている。

 獣も土を掘り返す豚が一番下等で、鹿、猪と地上に住まう獣が続いて、もっとも高級とされたのは空を飛ぶ鳥、雉や鴨だった。

 また四大元素によっても格付けされて、植物などの『土』が下等、次に魚などの『水』、次に獣や鳥などの『風』、最も上等なのは幻獣などの『火』とされた。


 そうして考えると宴に魚料理が並ぶというのは肉を満足に用意できなかった、と白状するに等しく侮られる要因となる。

 だがそんな文句を言わせないほどに並んでいる魚料理は美味しそうだった。

 見たこともない調理方法やふんだんに使われた香辛料、多くの貴族たちをしても未知の料理でそれだけでも関心を集めていた。

 ましてやウェセックス公爵には実績がある。ウィンチェスターの街を始めとする革新的な統治手法によって自領を繁栄に導いた公爵が貧相な魚料理を出すはずがない。

 そうした信用もあって料理は驚きをもって迎えられ、一口食べた貴族から絶賛の声が出ると次々とその味の虜になる者が続出した。


 アリエルは目の前の食事を美味しくいただきながらも舌打ちしたい気持ちだった。

 ウェセックス公爵領に入って以来、ずっとこの調子だ。

 直接的にこちらを恫喝するような迂闊な真似はしてこないが、間接的に武力や経済力、文化の繁栄を見せ付けてくる。

 領主になったばかりの新米にガツンと現実を見せて優位を築こうという意思がみえみえだ。それでもアリエルはそんな感情を露とも見せずに完璧な笑顔で微笑む。


「エゼルバルド様、わたくしのためにこのような素晴らしい宴を開いていただきありがとうございます」


 これこそがアリエルが『亡国の花』と称えられる必殺のスマイルだ。

 これをまともに見た男は、既婚・独身の区別なくアリエルに甘くなるという効果がある。しかしアリエルの隣にいる人物には効果がないようだ。


「喜んでもらえて光栄ですな。アリエノール殿は私の友人の娘でもある。これからも私を父と思って頼ってくだされ。はっはっはっ!」


 この宴の主催者、『熊公爵』エゼルバルド・ウェセックス・ベアクラウンは熊のような丸い耳をピコピコと動かしながら豪快に笑った。

 熊のような見た目とその武勇から『熊公爵』と渾名されるエゼルバルドは、その無骨な見た目に反して頭も回る。ただ武力のみが自慢の乱暴者ならここまで経済で自領を発展させることは出来ない。

 必殺の武器が効かないことにアリエルは気持ちを引き締めた。

 もとよりただプレゼントのお礼を言って終わるとは思っていない。

 エゼルバルドは何か目的があってこの宴を開いたはずだ。それを見極めないうちに安心することは出来ない。


「ありがとうございます。エゼルバルド様の助力が得られるのならこれほど心強いことはありません。ところでこの変わった魚料理は大変美味しいですね」


 ある程度は相手の好意を喜びつつも言質をとられるような約束はしない。この辺りの腹芸は祖母に散々叩き込まれたものだ。


「うむ、ワシも最初は魚料理など、と馬鹿にしておったのだが、中々どうしてこれが美味い。海の向こうの神聖帝国で普及している調理法だそうだ」


 アリエルは神聖帝国という名前に顔を引きつらせそうになる。

 心の中で『このジジイ!』とおよそ令嬢らしからぬ怨嗟の声を上げる。

 神聖帝国とは正式名称『ロムルスレムス神聖帝国』と言い、かつてこのブリトニアの地を含む周辺地域を支配していた伝説的な大帝国だ。

 その文化や技術はその時代から百年以上経った今でも追いついていないと言われる偉大な帝国だ。帝位継承者の内紛によって国が二つに割れ、弱体化したことでその支配地域をかなり縮小したが、その高い技術と文化によっていまだに大きな影響力を持つ大国である。


 つまり文化・芸術の発信地として注目される国なのだ。

 この魚料理はそんな国で生まれた調理法だと言う。

 もしアリエルが古い常識に捕らわれて「宴の席で魚料理を出すなんて」と批難していたら「実は神聖帝国で流行している調理法なのです」と話を続けられて大恥をかくところだった、というワケだ。油断も隙もあったものではない。


「神聖帝国と言えば、近々エゼルウルフ陛下が巡礼に赴くらしいですね。エグバード大王の時代よりの悲願ですから、成功して欲しいものです」


 アリエルは内心の動揺を隠しつつも、素知らぬ顔で世間話をする。

 するとそれにエゼルバルドはちょっと驚いた顔をした。

 大方、領地に引きこもって世間の情報を知らないとでも思っていたのだろう。

 二人の公爵は表面上は穏やかな笑みを浮かべながら、バチバチと火花を散らしていた。


 一方、ウィルはと言うと公爵と同じ席には着けないので老騎士たちと一緒の席でひたすら料理を食べていた。

 というのも周りにいる老騎士が「これも食べろ、あれも食べろ」とかいがいしく食べ物をウィルの下まで運んでくるからだ。

 なぜか老人は若者にたくさん食べさせようとする。

 身体は小さいが大食漢であるウィルは目の前に大量に積まれる料理に、嫌な顔ひとつせずに黙々と食べ続けた。単純に美味しかったのもあるが。

 それでもチラチラとアリエルの様子を伺うのは忘れない。

 少しでも異変があれば即座に駆けつけるためだ。

 今の所、アリエルはエゼルバルドと和やかに会話をしているようだった。


 しかし、急に大広間がざわざわと騒がしくなった。

 その騒めきを引き連れるようにして黒と金の騎士服を纏ったサクソン人の青年が楯を持って宴の中央をつかつかと歩いていく。

 宴の参加者の好奇の視線を一身に浴びつつも堂々とした様子でエゼルバルドの前まで行くと無言で跪いた。

 エゼルバルドはそんな青年を満足げに見つめると手を叩き周囲の注目を集めた。


「皆の者、我が自慢の『騎士王』が到着したぞ!」


 エゼルバルドの言葉に、青年は持っていた楯を頭上に掲げた。

 楯にもは二十七もの紋章が所狭しと刻まれている。

 これは全てこの青年が紋章試合で奪った紋章なのだろう。


 『騎士王』とは紋章試合における最優秀騎士の事だ。

 一年の間、紋章試合で最も活躍し、最も多くの紋章を奪った者に与えられる名誉ある称号だ。


 青年は楯をぐるりと大広間中の客に見せる、そして近づいてきた侍従に渡した。

 灰色の髪をした怜悧な美貌を持つ青年に大広間の客は釘づけになった。

 ピンととがった狼のような獣耳は先だけが黒く染まっていてサクソン人の中でもひと際目立つ。黄金色に近い瞳は辺りを支配するような意志を秘めた強い視線を放っていた。

 誰かが、ほう、とため息をついた。

 エゼルバルドは青年をアリエルの前まで連れて行った。


「アリエノール殿、ワシの自慢の騎士を紹介させてくれ。この者は我が騎士団の団長を務める最も強き騎士、ガイ・ヴォルフハートだ」

「ガイと申します。月の女神のような美しい令嬢にお会い出来て光栄です」


 さらりと言ってアリエルの手を取り、その甲に口付けをした。


「……アリエノール・コーンウォール・ペンドラゴンです。騎士王となるような強い騎士にお会い出来て光栄ですわ」


 アリエルは固い表情で言葉を返した。

 本当ならば令嬢としてではなく、公爵としての立場を強調して触らせないつもりであったのに一瞬の隙を突かれて手を取られてしまったのだ。

 ウィルはこのガイという騎士に危険な香りを感じて、食事を中断して状況を注視した。

 今までアリエルに求婚してきた騎士たちとは一線を画する雰囲気がガイにはあった。


「どうだ、アリエノール殿。ガイのような強い騎士ならば貴女の伴侶にふさわしいのではないかな? 伯爵の身分だが、釣り合わぬという程でもあるまい」


 そしてエゼルバルドの言葉にアリエルは盛大に顔をしかめそうになる。

 なるほど、そう来たか、と。

 アリエルは「ウィルに勝てる騎士以外とは結婚しない」と公言している。

 しかしそれは言ってみれば戯言の類だ。

 公爵令嬢の結婚相手をそんな理由で決めて良いわけがない。

 普通の令嬢ならば政治的な理由によって近隣の領主の息子、あるいは他国の王子などと結婚するものだ。もちろん自国の王子なら言う事はないだろう。


 しかしアリエルは公爵である。嫁ぐわけにはいかない。

 そうなると結婚相手は自分よりも格下である必要がある。同格や格上と婚姻した場合、コーンウォールの地が相手に奪われてしまうからだ。

 出来ればコーンウォールの有力貴族の息子との結婚が望ましい。だが、現在コーンウォールにアリエルと年齢の釣り合うちょうどいい青年貴族が不在だ。

 アリエルのワガママで結婚していないような形になっているが、実際はしたくても出来ないのが真相なのだ。


 そこにエゼルバルドは切り込んできた。

 戯言である「ウィルよりも強い騎士」という条件を『騎士王』に選ばれる程の騎士であるならば周囲は納得するだろう。

 問題になるのはガイがサクソン人でウェセックス公爵領の人間という事だが、それも彼が伯爵という事で解決してしまう。

 公爵と伯爵が結婚した場合、当然伯爵は入り婿という形になる。

 その場合はウェセックス公爵の騎士団長を辞してコーンウォールに骨を埋めるワケだ。

 将来有望な『騎士王』にも選ばれる騎士団長を引き抜く形での結婚。コーンウォールにとっては大きな利益だ。人種の違いというハンデを越えるのに充分な理由となるだろう。


 対外的には文句のつけようがない婚姻で、一見するとエゼルバルド側が大幅に譲歩した形にも見える。非常に断りづらい案件だ。


「まぁ、光栄です。でもダメです。『騎士王』と言ってもウィルが出場していないのですもの。ウィルが出場していれば『騎士王』になったのはきっとウィルでしたわ」


 そこでアリエルはわざと政治の分からない愚かな令嬢のフリをすることにした。

 こうなっては戯言の方を押し通すしかない。

 確かにガイは婚姻相手としては申し分ない条件を備えている。

 だが一番の問題は、エゼルバルドの紐付きという事だ。

 今のところウェセックスとの関係は良好と言える状態だ。だが安心して良いという程の関係でもない。入り婿と言う名のスパイを送られてはたまらない。


「おお、これは手厳しい! アリエノール嬢は相変わらずですなぁ」


 大げさな調子で嘆くフリをするエゼルバルドを見てその思いを強くする。

 抜け目なく呼び方を「アリエノール嬢」と政治の分からぬ令嬢扱いすることも忘れない。

 こんな野心的な男の部下を夫に迎えるわけにはいかない。

 アリエルはエゼルバルドを睨み付けたくなる気持ちを抑えて笑顔を浮かべる。

 するとそれまで黙っていたガイが獲物を見つけた狼のような表情をした。


「アリエノール嬢、でしたら今年度は是非ともご自慢の騎士殿を出場させていただきたい」

「それは……」

「おお、確かにな。ワシも噂に聞く無敗の少年騎士殿とガイの対決を見てみたいものだ。なぁ、皆もそう思うだろう?」


 そう言ってエゼルバルドが周りの客に声をかけると大歓声が返ってきた。

 最初からこの流れに持っていくつもりだったようだ。

 アリエルは手をきつく握りしめる。

 ガイからの求婚を政治的な理由によって断っていれば、こんな馬鹿な誘いに乗る必要はない。しかし、アリエルは戯言を押し通してしまった。

 いまさら真っ当な理由でこの誘いを断る事は出来ない。そのように誘導されてしまった。

 唯一の突破口はウィルが未だに騎士見習いスクワイアであることだが。


「そういえば少年騎士殿はまだ見習いスクワイアであったな。せっかくだ、皆の前でアリエノール殿が騎士叙勲されてはどうかな?」


 当然、エゼルバルドはそう言い出した。


「おい、誰か! 少年騎士の鎧と剣を持て! それと司祭殿をお呼びしろ!」


 アリエルの返答も確認せずに次々と人を呼ぶ。

 それを見てアリエルは反射的にエゼルバルドに手を伸ばした。

 肩を掴んで「止めなさい!」と叫ぼうとしたのだ。

 しかしその手がエゼルバルドに届く前に小さな手が掴み取った。


「……ウィル」


 いつの間にかアリエルの隣にいたウィルは小さく頷いた。


「大丈夫、俺を騎士にして。アリエル」


 ウィルは泣きそうな顔のアリエルの手をぎゅっと握った。

 アリエルはその手の温もりを感じながら目を瞑り、覚悟を決めた。


「エゼルバルド様、司祭は不要です。騎士叙勲はコーンウォール式で行います!」


 すべてを思い通りにはさせない。アリエルは毅然とした態度で言い放った。


                  ◇


 宴の会場は片付けられて大広間の中央には宴の客が全員集まっていた。

 一段高い貴賓席のあった場所に玉座が据えられて、その前に剣を持ったアリエルが立っている。毅然とした態度で立つその姿は戦女神のように凛々しい。

 その前でウィルは下賜された板金鎧を身に付けて、立膝の状態で頭を垂れている。

 ヘルムは着けておらず横に置いてある。

 鎧はブルーメタリックに輝く鎧で、縁にケルト模様を彫刻してある見事なモノだった。

 これは老騎士たちが一人一人順番に装着させてくれたものだ。

 こんな場で強引に行われる騎士叙勲だが、これで彼らの仲間になると思うとウィルは震えるような喜びに包まれた。

 サクソン人たちが固唾を飲んで見守る中、アリエルは手に持った剣を頭上に掲げた。


「ウィリアム・ライオスピア。貴方の叙勲に際して言葉を贈ります。これから貴方は『戦う者』となります。この身分には大きな力がありますが、同時に大きな責任が伴います。常に弱き者を護りなさい。敵に背を見せず、人を騙さず、謙虚になりなさい。己を高め、信念に従い、誇りを持って不義に立ち向かいなさい。そうすれば貴方は真の騎士となるでしょう」


 そう言うとアリエルは掲げた剣の腹をウィルの方に向けて、ウィルの左肩をぽんと叩き、右肩もぽんと叩く。

 そしてその剣を鞘に納めると横にして持つ。

 ウィルは顔を上げてアリエルの両手の内側から手を入れて剣を受け取った。

 これで主人であるアリエルから『剣』という戦う力を与えられた事になり、正式にウィルはアリエルの騎士となったのだ。

 老騎士たちが拍手をして、ウィルは立ち上がり騎士叙勲は完了した、ハズだった。


「おや、『誇りモットー』の宣誓はしないのかね?」


 拍手を遮るようにエゼルバルドの不思議そうな声が響く。

 アリエルは怪訝な表情を浮かべた。


「ウェセックスでは騎士叙勲の最後に騎士が自身の『誇りモットー』を宣誓するのだよ。コーンウォールでは無いのかね?」


 その言葉にウィルは戸惑い、アリエルは顔を青褪めた。

 どこまでもこちらを貶めようとする。

 おそらくエゼルバルドはウィルが誇りモットーを持っていないことも知っているのだろう。それを分かっていてこんなことを言ってきているのだ。


「閣下、どうやらコーンウォール式では誇りモットーの宣誓は無いようですな。しかし彼は私のライバルとなる騎士、是非とも教えていただきたい」


 エゼルバルドの言葉にガイが乗っかってきた。

 そしてその長身でもってウィルの頭上から見下ろしてきた。


「私の誇りモットーは『より高みへ』だ。覚えておくといい」


 まるで挑発するようにガイが言う。


「さぁ、貴公の誇りモットーを教えてくれ」


 その瞳は言えるものなら言ってみろ、と雄弁に語っていた。

 一瞬、適当にでっち上げた誇りモットーを言ってやろうか、という気持ちが湧きあがった。しかしウィルはその考えを打ち消す、たった今、人を騙すなと言葉を贈られたばかりだ、その場しのぎの嘘はつきたくない。

 ウィルは手をきつく握りしめながら、絞り出すように応えた。


「俺の誇りモットーは……まだ……無い」


 ざわざわと周りの客が戸惑いの声を上げる。

 サクソン人の騎士たちは大きな声で「騎士なのに誇りもないとは」と騒ぎ立てる。

 ガイはわざとらしく驚いた演技をすると首を振る。


「……なるほど、私の好敵手は『誇りのない騎士』殿というわけだ」


 その言葉に周りの人間は蔑んだような視線をウィルに向けはじめた。

 騎士とは名誉を重んじる身分であり、職業だ。

 その一番最初において、ウィルの名誉は地に落ちてしまった。


 だがウィルにとって最も辛かったのは、横でアリエルが哀しんでいる事だ。

 そしてそれは自分に誇りモットーが無いためだと分かった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る