赤弓杯決勝戦
審判が恐る恐るシグルズの勝利を宣言すると、静まり返っていた観客は爆発したように歓声を上げた。
一時はゴームソンに逆転負けをする、と思われただけに勝利の反動は大きい。
まるで優勝したかのようにシグルズの名を呼んでいる。
シグルズはゴームソンに絞められた首をさすりながらも声援に応えて手を振った。
ゴームソンは完全に気を失っているようで数人がかりで荷車に乗せて運ばれていった。
格闘術を使ったとはいえ、あの巨体を投げ飛ばすとはかなりの力だ。
「対策はあるの?」
ロジェが不安そうにウィルに問いかける。
今までもウィルより力の強い相手と戦ったことはある。
それでも相手は馬上という強力だが、不安定な場所におり、やり方次第で落馬させるのは可能だった。
しかしシグルズの戦法は身体ほとんど隠れるような大盾で攻撃してきた相手を吹き飛ばす。
あの大盾を避けて槍を通すのは困難だろう。
「まぁ、なんとかなるよ」
しかしウィルはいつもの気楽な口調でロジェに答える。
巨人の国に行ったり、ヨークの街を襲撃から守ったり、と回り道もしたがこの赤弓杯で優勝すれば大紋章のパーツ「
そして相手は最初にヨークに来た時に見かけた精鋭集団『赤弓騎士団』の団長。
相手にとって不足はない。
ウィルの口元には自然と笑みがこぼれた。
◇
決勝戦の前に少しの休憩が入れられた。
元々、連続で試合をする予定でもなかったが、シグルズを回復させるために長めにとったのだろう。
負傷したのがウィルだったら予定通りの休憩だったはずだ。
ちょっと姑息な気もするが、大会で地元の騎士を贔屓するのはよくあることだ。
中には判定を甘くするような大会もあるぐらいなので、この程度の贔屓なら可愛いものだろう。
それに休憩が長い分にはウィルも助かる話だ。
そんな理由もあって、体力、気力ともに回復したウィルとシグルズの試合が始まろうとしていた。
決勝戦だけあって観客は満員で、貴賓席にはヨーク領主のエイリークの姿もある。
ウィルが見ているのに気づくとへらり、と笑った。
相変わらず胡散臭い男だ、とウィルは思った。
エイリークの思惑としては、シグルズに優勝させて赤弓騎士団の強さをアピールしたいはずだ。
そしてそのためには、ウィルとゴームソンを戦わせた方が楽だったはず。
組み合わせは厳正な抽選によって決められる、と言われているが、それを馬鹿正直に守っている大会は少ない。
エイリークにも組み合わせは簡単に操作できたはずだ。
それなのに、シグルズは決勝の前にゴームソンに当たり、ウィルは何の障害もなく決勝戦に来ることが出来てしまった。
ゴームソン自身もウィルと戦うことを熱望していたのだから、一回戦でウィルとゴームソンを当てて、その後はなるべく連続して試合をさせて疲労したウィルと当てることもできたのだ。
よほどシグルズの強さに信頼をおいているのか。
それとも他に理由があるのか。
「まぁ、戦ってみれば分かるか」
ウィルは分からない事を考えるのはやめて兜のバイザーをかしゃん、と下ろした。
反対側の入場門には大盾を構えて紅に染色された甲冑に身を包んだシグルズがいる。
二人は審判の合図と同時に駆け出した。
ウィルはいつも通りに騎槍を相手の胸元に向けてぴたり、と構える。
そしてシグルズも今までの試合同様に、槍はやや下方に向けて持っているだけで構えず、代わりに大盾を前面に持ってきて構える。
まるで壁が迫ってくるような圧迫感だ。
そして実際それは間違いではない、あの大盾を不用意に突けば巨人と渡り合えるような怪力で押されて攻撃した側が吹き飛ばされてしまう。
だがウィルは変わらずシグルズの胸元、つまり大盾に阻まれるコースを維持したまま馬を走らせる。
シグルズはまた今までどおりに激突の瞬間に備えて大盾の後ろに完全に隠れるようにして構えた。
それを確認した瞬間、ウィルは素早く騎槍の先端を逸らした。
二人の騎士はまったく接触せずにすれ違った。
ウィルはすぐに馬を減速させるとなるべく鋭く旋回を始めた。
普通の試合なら騎士と騎士の間には隔壁があり、ある程度進まないと向きを変えるようなスペースはない。
しかし落馬後も戦いが続く赤弓杯の試合場には隔壁がない。
だからこうしてすぐに旋回を始めることが出来るのだ。
シグルズは自分の盾に衝撃がこなかったことを不審がりつつも旋回している。
その速度は別段遅いわけではなかったが、最初から素早く旋回しようとしていたウィルと比べると格段に遅かった。
シグルズがまだ半分も向きを変えないうちに、ウィルは既に向きを変え終えており、再び槍を構えて再突撃した。
ウィルが迫ってくることに気づいたシグルズが慌てて馬を旋回させようとしているが、止まっているときならともかく走りながらではそう素早く旋回は出来ない。
シグルズがモタついている間にもウィルはどんどん迫る。
ウィルの騎槍が当たる寸前にシグルズは上半身を捻って何とか大盾で防御した。
ガァン、と激しい音が響いてウィルの騎槍が砕け散る。
いくらシグルズの大盾が大きく、その力が強くても、不安定な体勢で受けた防御ではウィルの槍を押し返すことは出来なかった。
シグルズは馬上でぐるりと回転して大盾ごと落馬した。
観客席から大きなため息が漏れる。
ゴームソンに引き続きシグルズが為す術なく落馬させられたのがショックなのだろう。
しかしウィルはむしろ舌打ちしたい気持ちだった。
出来ればこの攻撃で大盾は弾き飛ばしておきたかった。
シグルズの怪力は巨人であるゴームソンと渡り合えるほどの異常なものだ。
たとえこちらが騎乗しているという有利があってもあの大盾を持ったままでは勝つのは難しい。
ゴームソンに攻め立てられても防ぎきるばかりか、最後には攻撃を弾き返したのだ。
いくら騎乗していてもウィルの貧弱な力ではびくともしないだろう。
だからといって下馬してしまえばそれこそ勝ち目はない。
巨人の英雄ゴームとの戦いの際は、ゴームの巨体のおかげで懐に潜り込むという戦法が使えた。
だがシグルズは人間だ。
確かに長身でウィルからしたら頭ひとつ以上大きいが、懐にもぐりこめるほどの大きさではない。
「まぁ、でも攻めないわけにもいかないか」
ウィルは
シグルズは既に受身を取って立ち上がっているが、徒歩だ、急ぐ必要はないのでゆっくりと旋回して狙いをさだめると一気に加速して騎乗したまま襲いかかる。
ギィン、とウィルの剣はシグルズの大盾の上を滑る。
反撃を受けないように浅く攻撃したが、それでも力を抜いて攻撃したわけでもない。
ましてやウィルは騎乗しており、馬上から勢いをつけた状態で攻撃したのだ。
それなのにシグルズは片手で大盾を構えてあっさり防いだ。
しかも、もう片方の手には剣が握られて、ウィルがもっと深く攻撃したら手痛い反撃を受けていただろう。
ウィルはそのまま走り去りつつも剣を持つ手を見た。
たった一回の攻撃だったが、腕に痺れがはしっている。
頑丈な大盾を叩いたのだから当然なのだが、それにしてもその反動が凄まじい。
おそらく防御の際に大盾を押し込んで反動を増やしているのだろう。
これは長期戦になるのはまずい。
ただでさえ身体の小さなウィルは持久力も劣る。
もちろん並の騎士なら自分よりも身体の大きな相手でも負けないつもりだが、大会の上位に残るような強い騎士相手だとその体格差を埋めることは出来ない。
ウィルは少し考えながらゆっくり旋回すると、再びシグルズに突進した。
このままではまずいとは言え、攻めずに逃げ回るわけにもいかない。
今度は角度を変えて攻撃するが、危なげなく防がれる。
同時に大盾がすっとどけられて、そこから銀光がはしった。
ウィルは慌てて盾でそれを防ぐ。
左腕を凄まじい衝撃が襲い、引っ張られるように弾ける。
なんとか落馬しないようにバランスを取ったが、とんでもない力だ。
先ほどと同じように反撃を警戒して浅めに飛び込んだというの、もう対応してきた。
さすが巨人と戦う最前線の街の騎士団団長だ。
生半可な腕ではない。
それからウィルは攻撃しているのに追い詰められるというおかしな状況に陥った。
攻撃するたびにシグルズの反応が鋭くなるので、どんどん浅くしか攻撃できなくなる。
そして攻撃したとしても防御に弾かれて、剣を握る腕が痺れてくる。
盾を持っている左腕はもっと酷い状態だ。
手綱を握っているのですら辛くなってきた。
それでもウィルは相変わらず同じようにシグルズに攻撃を仕掛ける。
二人の体力の状況は変わっているが、戦う姿は変わらない。
まるで同じやりとりを繰り返すような戦いだ。
観客席からは同じような展開に飽きた客から罵声のようなものも聞こえる。
ウィルはそんな声を無視してまた同じように斬りかかる。
そして十何度目かについにシグルズの攻撃によってウィルの盾は吹き飛ばされる。
左腕の痺れは限界で盾を手放してしまったのだ。
しかしシグルズは追撃してこない。
ウィルがまだ騎乗している、と言うこともあるが、堅実な性格なのだろう。
確実に仕留められると確信するまでは迂闊に攻めてこない。
そのおかげで隙を突くのが非常に困難だ。
だからといって攻撃をせずにいるわけにもいかない。
騎乗した者が攻撃せずに逃げ回るとペナルティを受けるのだ。
いままでと同じようにウィルが馬を走らせる。
そしていままでと同じようにシグルズが大盾を構える。
いままでと違うのはウィルにはもう盾がなく、反撃を防御できないことだ。
ウィルが剣を振り下ろすと今までで一番強烈な防御をされる。
ウィルの剣は弾かれて宙を舞った。
シグルズは大盾をどけて、攻撃を放とうとしてくる。
その瞬間、ウィルは馬上からその身を投げ出してシグルズに飛びかかった。
「何っ!」
ぶつかると同時にシグルズの驚く声が兜越しに聞こえた。
後はもう滅茶苦茶だ。
何せ馬を疾走させた状態から飛びついたのだ。
その勢いは凄まじく、さすがのシグルズもウィルと一緒に地面に転がった。
ウィルの視界はぐるぐると回り、平衡感覚は狂う。
もつれ合うようにして地面に転がる二人。
シグルズはまさかウィルがそんな捨て身の特攻をするとは思わず混乱している。
逆にウィルは頭の中だけは冷静だった。
もうこの方法しかシグルズの鉄壁の守りを崩す方法が思いつかなかったのだ。
しかしだからといって余裕があるわけではない。
飛びつくところまでは狙い通りだが、後はその場まかせのアドリブだ。
どのように転がるかなんて制御できるはずもない。
気をつけることは一点のみ、なるべく冷静を保ち、動ける時に的確に動くこと、それだけだ。
ぐるぐると回る視界の中で、ウィルはひたすらに「その時」を待っていた。
無限にも思える一瞬の時が過ぎて、ようやく勢いが弱まる。
ウィルはその瞬間、兜を素早く脱ぎ捨てて視界を確保、周りの状況を確認する。
近くにあるのは、シグルズの大盾、倒れたシグルズ、脱げたシグルズの兜。
ウィルは迷わず倒れているシグルズに駆け寄ると、その身体に馬乗りになった。
まだ混乱しているシグルズから剣を奪い、その喉元に突きつける。
「降参、してくれる?」
「……何故即座に攻撃しなかった」
手加減されたと感じたのか、シグルズは不機嫌な声だ。
ウィルとしては手加減したつもりはない、そんな余裕はなかった。
だがシグルズの言うように降参など促さず問答無用で攻撃した方が確実だ。
それでもそれはウィルには出来なかった。
「女の子は傷つけちゃいけないって爺ちゃんが言ってたから、かな?」
ウィルはシグルズの問いかけに困ったように笑う。
そう赤弓騎士団団長シグルズは女だった。
「な、何を言っている! わ、私は男だ!」
「うん、確かに今まで気づかなかったけど、でも女の子なんでしょ?」
その長身と怪力で分からなかったが、先ほど絡み合った際に匂いで分かった。
ウィルのあまり役に立たない特技のひとつだ。
汗の匂いを嗅げば男か女か分かる。
「――あの怪力を見ただろう、私は女ではない」
しかしシグルズは頑なに女だと認めようとしない。
降参を迫ったことよりも、女だと言われたことの方が我慢ならないという有様だ。
ウィルは不思議そうに首を傾げる。
女であることと、力が強いことに何の関係があるのか分からない。
だがどうやらシグルズの中では『女の子=力が弱い』という図式があるらしい。
そしてそれが反転して『力が強い=女ではない』となっているようだ。
しかしウィルにはそれが不思議だった。
「力が強いと女の子じゃないの? 関係なくない?」
「……えっ」
「だって、女の子なんでしょ?」
確かに一般的に女の子は力が弱いものだ、しかしそれは大多数は、ということであって全ての女の子が、というわけではない。
ウィルの周りにはそうした例外の女の子がいるのだ。
女なのに公爵のアリエル、女なのに紋章官のロジェ。
サラは割りと一般的な女の子と言えるが、ウィルの周りではむしろ少数派だ。
シグルズのゴームソンに匹敵する怪力は確かに規格外だが、だからと言ってそれのせいで女の子じゃない、というのはおかしな話だとウィルは思うのだ。
「うーん、俺にはシグルズが女の子じゃない理由が分からない」
「……本当に、そう思うのか?」
シグルズが女であることはウィルの中では確定事項だ。
むしろシグルズがそれを認めない理由が分からない。
「巨人と同じぐらい怪力の女なんて、おかしいだろ?」
「女らしくはないかもね」
「だったら」
「でも、女の子だってことに変わりはないよね」
「――そ、それはっ」
「だって、女の子なんでしょ?」
ウィルの言葉にシグルズは目を大きく見開き、息を飲んだ。
しばらく考え込むように黙っていたが、やがて、ふっと身体の力を抜いた。
「降参だ、そう確かに私は女だな」
「そりゃそうだよ。当たり前じゃない」
「そうか、当たり前か」
シグルズは未だに不思議そうにしているウィルに柔らかい笑みを浮かべた。
その表情はとても魅力的で、これを見たら誰もがシグルズが女の子と分かるだろう。
ウィルはちょっと照れくさくなって、そそくさとシグルズの身体の上からどく。
そして手を差し出した。
「別に女の子だからって手は抜いてないからね。倒すの凄い大変だった」
「……ふふふ、ありがとう。君のような騎士にそう言われると嬉しいよ」
シグルズはウィルの手を借りて立ち上がるとそのまま握手をして、勝利を讃えるようにウィルの手を上に掲げた。
それを見た審判が慌ててウィルの勝利を宣言する。
観客席は静まり返っている。
ずっと同じような展開の続く単調な試合から、急転直下の試合展開だ、混乱するのも無理はない。
しかし貴賓席の方からぱちぱち、と拍手の音が聞こえてくる。
ウィルがそちらをみると、アリエルが満面の笑みを浮かべて立ち上がって拍手している。
隣に居たサラも慌てて立ち上がり、興奮した表情で拍手をした。
次に呆けた表情をしていたエイリークが困った表情で拍手をする。
こうなると一気に拍手が伝播していく。
最初戸惑ったような拍手がぱらぱらと響くだけだったが、やがてそれは大きな波となって試合場中を包み込んだ。
「うわっ」
ウィルが試合場の様子をぼーっと見ていたら、急にシグルズがウィルを肩車した。
その様子を見て観客達は更に大きな拍手をして、歓声をあげて囃し立てる。
「軽いな、こんな軽い男の子が私に勝ったのか」
「不満?」
「いや、嬉しいんだ。変だな、巨人に勝ったことよりも、君に負けたことの方が嬉しいなんて」
シグルズは嬉しそうウィルを肩に乗せたままぐるぐると回る。
確かにウィルは体格も小さく、女性なみに体重は軽い。
しかし今は甲冑も着ているのだ、それなのにシグルズは気にした様子もない。
これで女性だというのだから確かに規格外だろう。
乗っているウィルは目が回るのでやめて欲しいのだが、シグルズは楽しそうにくるくる回ってはしゃいでいる。
そうしていると普通の女の子という感じがする。
「俺はシグルズに勝てて嬉しいよ。ホントに強かった」
「ふふふ、そうか。私は強かったか」
シグルズは上機嫌に笑うとようやくウィルを降ろす。
そして真面目な表情を浮かべると手を差し出してきた。
「騎士ウィリアム・ライオスピア殿、貴殿と戦えたこと光栄に思う」
ウィルは照れくさくなって頭を掻いた。
それからおずおずと手を差し出した。
「赤弓騎士団団長シグルズ殿、貴方はとても強かった。また戦える日を楽しみにしています」
二人が再び握手を交わすと試合場に再び割れんばかりの拍手が巻き起こった。
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