たった三人の戦争

 考えている暇などない。目の前の敵は待ってくれなどしないのだ。


「見せてちょうだい。あなたたちの力を」


 女がこちらに手を翳すと、彼女の掌から炎の球が放たれる。ヨイヤミの指示を仰ぐことは出来ない。ここからは、自分を信じて戦うしかないのだ。


「くっ……」


 アカツキは地面に転がりながら女の攻撃を避ける。アカツキのすぐ近くを過ぎ去る炎の球は、アカツキの肌をジリジリと焦がしていく。


 自分が生み出す炎に熱を感じたことがなかったので感覚が麻痺していたが、炎は本来熱いものなのだ。それを改めて実感させられる。


 地面に転がった勢いで肌に擦り傷が残ったが、そんなものを気にしている余裕もなく、視界の先では次々と状況が動いていく。


「やらせるか!!」


 敵と同様にヨイヤミも炎の球を繰り出し、女の攻撃に応戦する。炎の球の打ち合いが始まり、二人はお互いの球を避けながら次々と放っていく。


 二人の流れ弾が周囲の木々をも巻き込み、枝葉は焼け落ち、その身を黒く燃やした幹だけが後に残る。


 その木の幹が自分の姿と被り、背筋を悪寒が駆け抜ける。自分がいつ、同じような姿になってもおかしくはないのだ。


 周囲を覆い尽くす熱気とは裏腹に、脚がまるで極寒の地にいるように震え、身動きが取れなくなる。


 その正体が恐怖だと気付くのに、一体どれだけの時間が掛かったのだろうか。


「いつまで、そこでジッとしているつもり?」


 ヨイヤミに向いていた牙が、突然こちらへと襲い掛かる。


 震える脚を必死に叩き起こし、無様にも地面を這いながら、どうにか攻撃をかわす。


 あの炎は容易に自らの身体を焼き尽くす。


 皮膚は垂れ落ち、内臓は溶け、最後に残るのは骨と灰。


 誰が殺さずに相手を倒す方法があるだ。自分の考えの甘さに辟易する。


 相手に気など遣っていれば、一瞬で消し炭ではないか。


「アカツキっ!!しっかりせんか」


 ヨイヤミからの叱咤で、ようやく身体が多少の感覚を取り戻す。


 動かなければならない。自分はあそこに立っている木々とは違うのだ。


「喰らえっ!!」


 アカツキも二人に負けじと掌を胸の前に差し出すと、そこから炎の球を繰り出す。


 女はアカツキの攻撃に向けて自らの魔法をぶつけて、いとも容易く相殺する。


「なんだい、その攻撃は?」


 まだまだ殺意が足りない。殺意を魔法に昇華し、相手の魔力を上回らなければ、殺されるのはこちらなのだ。


「うわあああああああああああ」


 アカツキは地面を蹴って、女に接近する。殺意と狂気が頭の中で入り混じり、何が自分の背中を押しているのかわからない。


 アカツキが自分の元に走り込んでくるのを見て、女はアカツキに意識を向ける。


 その瞬間をヨイヤミは見逃さなかった。


 ヨイヤミはこれまでよりも大きな魔力をその掌に込め、魔力は形を成してヨイヤミの手の中に現れる。


 殺意は形を成し、より鋭利で攻撃的なものへと姿を変える。


 ヨイヤミの手に握られていたのは、槍の形をした炎。その先は鋭く尖り、容易に命を刈り取る形をしている。


 女は接近するアカツキに向き合い地面に掌を付けると、そこから這い上がるように炎が生み出され、アカツキの前に炎の壁が出来上がる。


 だが、勢いづいた身体はそう簡単には止まらない。アカツキはそのまま炎の壁に自ら突っ込み、身体中を炎に焼かれる。


「熱い、熱い、痛い、熱い、痛い……」


 肌がジリジリと焦げていくのを感じる。熱は痛みへと転換し、身体中を犯していく。


 それは身体を焼き尽くす前に、恐怖と言う名の熱で心をも燃やし始め、内側から徐々に侵食していく。


 死にたくない、死にたくない、死にたくない……。


 こんなところで死ぬ訳にはいかない。アカツキを満たしていたのは、その思いだけだった。


 気付いた時には、自分の手には刀が握られていた。


 それがどういう意味を持っていたのか、その時のアカツキにはわからなかった。


 だがアカツキはただ必死に、その刀で炎を振り払うように周囲に向けて刀を振り回した。


 その瞬間、アカツキを包んでいた炎が、まるで幻影だったかのように跡形もなく掻き消える。


「何が?」


 女も思わず目を丸くして、一体何が起きたのか、それを確かめる為にアカツキを凝視する。


「そこや!!」


 今までなりを潜めていたヨイヤミが、そこで突如動いた。


 手の中で暖めていた炎の槍を、ヨイヤミは女に向けて投げつけた。


 そこには一切の躊躇がなく、その槍が女を貫けば、そこで一つの命が散るのだとは到底思えない程の勢いだった。


 だが、そう簡単にはいかない。


 女は咄嗟に、ヨイヤミから走る炎の槍に向けて魔力の塊をぶつけた。


 戦いが始まる前にヨイヤミが教えてくれた、いざという時の対処法。


 しかし、大きな魔力の衝突は衝撃波を生み、その勢いで女は吹き飛ばされる。


 女は地面に叩きつけられ、転がりながら何とか体勢立て直す。


 狂気の滲む女の額から一筋の血が流れる。女はそれを零れ落ちる前に、艶めかしく舌で嘗め取る。


「少しはやるじゃない」


 どうやら全く堪えていないらしい。むしろ、戦いが楽しくなってきたというような表情にすら見える。


 それに比べて、こちらの二人の表情には一切の余裕がない。既に多少息が荒れており、目で見てわかる程に肩を上下に揺らしている。


「それにしても、さっきはどうやって私の魔法を消したの?一切魔力を感じなかったのだけれど」


 そんなの、やった本人にすらわからなかった。ただその時は必死で、今この手の中にある刀を振り回したら、気付いた時には相手の魔法が消えていたのだ。


「あら、答えてはくれないの?」


 答えないのではなく、答えられないのだ。だが、相手はそれをこちらの敵意と捉えたのか、既に攻撃の準備を始めていた。


「答えてくれないなら、今度はこっちから行くわ」


 女の掌から、今度は炎がまるで意志を持っているかのように、アカツキたちに向かって伸びてきた。


 二人はお互いに距離を取りその攻撃から逃れようとするが、女が炎を持つ右手を手繰ると、炎は鞭のようにしなりながらアカツキを追いかける。


「やばっ!!」


 予測していなかった動きに、アカツキの足場は覚束なくなり、そのまま地面を転げまわる。


 そんなアカツキを相手が待ってくれる訳もなく、炎の鞭は倒れ込んだアカツキへと襲い掛かる。


 だが、アカツキの身が炎の鞭に焦がされることはなかった。


 腕が勝手に動いている感覚だった。まるで自意識から逃れ、他の誰かに身体を操られているような感覚だ。


 アカツキの腕は炎の鞭に向けて、無意識に刀を振り下ろしており、そして先程と同じように、炎の鞭は跡形もなく消え去った。


 女は楽しそうに口角を吊り上げ、アカツキの右手に握られた刀へと視線を移す。


 そんな女の元に、拳に炎を纏ったヨイヤミが接近した。


「余所見すんなやっ」


 完全に不意を突いたように思われた。隙を突いたと確信したヨイヤミは思わず言葉が口をついて出た。


 だが、ヨイヤミは女の意識の範疇に捉えられており、女はその拳を避けると、がら空きになったヨイヤミの懐に向けて左手を突き刺した。


「ヨイヤミっ!!」


 ローブの下から伸びる左手に握られていたのは小さなナイフ。その刃が、躊躇なくヨイヤミの脇腹を斬り裂いた。


「かはっ……」


 ヨイヤミは自分の勢いを殺すこともできず、体勢を崩したまま地面に転がり込み、脇腹を抑えて地面に伏す。


「おいっ、大丈夫か」


 アカツキは女など意識の外に放り投げて、ヨイヤミの元へと駆け寄る。それがどんなに危険な行為なのかも考えずに。


「資質持ちの武器は、何も魔法だけじゃないのよ」


 意外なことに、女はそこですぐに動くことはなく、まるでこちらの様子を覗うように、こちらを眺めながら刃をチラつかせていた。


 その刃はヨイヤミの血で赤く染まっており、ヨイヤミが受けた傷が浅くないことを物語っている。


 女は挑発するように、その刃から滴る血を舌で嘗めると、恍惚な笑みを浮かべる。


「ああ、この味……。戦っている、生きているって感じがする味だわ」


 女の狂気が繰り広げられている合間に、ヨイヤミが唸りながら身体を起こす。


「ヨイヤミ……」


 アカツキは咄嗟に彼の名を呼びながら肩を貸す。


「そんな情けない声で呼ぶな。これくらいなんてことないわ」


 アカツキはその言葉を聞いて、思わず安堵の吐息を漏らす。それが本心なのか、強がりなのかも考えようともせず。


「それよりも、アカツキ。原理はわからんけど、その刀、魔力を消す力があるみたいやな」


 アカツキはコクリと首を縦に振る。今は原理など必要としない。その事実こそが何よりの力なのだ。


「その力があれば、僕らにもまだ勝機がある」


 そう告げたヨイヤミは、女に聞こえないようにアカツキに耳打ちをする。


「わかった」


 ヨイヤミが立てた作戦を、アカツキは迷いなく受け入れる。


 どうせ考える力など無いのだから、ヨイヤミを信じて動いた方が、まだ戦えるだろう。


 早く戦いを終わらせて、ヨイヤミの手当てをしなければならないのだ。


 アカツキはヨイヤミの前に立ち、女に向けて刀の切っ先を向ける。それは戦う覚悟を決めた意思表示。


 もう逃げはしない。その切っ先で誰かを傷つけることになろうとも、戦う覚悟を、いや、誰かを殺す覚悟を、アカツキは自らの心に固く結んだ。


「あら、ようやくやる気になったの?」


 自分に戦う意思がなかったことなど、目の前の女からしたらお見通しなのだ。戦う覚悟がなかったからこそ、この街から逃げ出そうとしていたのだから。


 けれど、それも全てが無駄になった。自分が思っているよりも、この世界は悪意に満ちている。


「誰も傷つけさせないために、俺はあんたと戦う覚悟を決めた。ヨイヤミを護るために、俺は……」


 その先の言葉を、口にすることはできなかった。思い描いていることと、実際に言葉にするのとでは、その身に降りかかる責任の重みが違う。


「少しはいい眼つきをするようになったじゃない。でも、まだまだね……」


 刀を握る掌が小さく震える。他の誰にも気づかれないように、アカツキは柄を握る掌に力を入れた。


 その言葉を口にできない時点で、本当は自分でも気付いていた。自分の覚悟が未だに揺れていることに。


 それでも、もう退くことなどできはしない。


「やってやる!!」


 両手で柄を握り直したアカツキが、地面を蹴って女の元へと走り出す。


 それは命を捨てた特攻のように、無防備な接近だ。


 女の掌から、灼熱の炎球が迸る。


 アカツキに向けて一直線に走る炎球に向けて、アカツキは刀を振り下ろす。炎球を模っていた魔力は霧散し、魔法が形を成していられなくなる。


 何度も、何度も、繰り出される炎球に向けて、アカツキは刀を振り下ろし、その距離を刻一刻と詰めていく。


「やっぱりその力厄介ね」


 珍しく女の顔に焦りが滲む。資質持ちにとって魔法が意味をなさなくなれば、それはただの人間と何も変わらないのだ。そうなれば、出来ることなど限られてしまう。


 アカツキにもわからない。どうして、その刀が魔法を斬ることができるのか。


 だが、今はそんなことはどうでもいい。


 アカツキの中に、覚えのない焦燥感が湧き上がる。攻めているのはアカツキのはずなのに、どうして自分はこんなにも焦っているのか。


 答えは簡単だ。女との距離を詰める度に、『死』という現実もまた近づいてくるのだ。


「迷うな」


 アカツキは自分に言い聞かせるように叫びながら、力強く炎球縦に斬り裂いた。


 消え失せた炎の先に、女の顔が映し出される。もう、一歩でも踏み出せば、その切っ先は女の身を斬り裂ける距離。


 アカツキの脳裏に、赤い光景が蘇る。その先に見えるのは、深紅の海に沈むシリウスの姿。


 迷えば、再び同じ光景を目にすることになる。


 アカツキは勢いよく刀を振り上げ、その一歩を踏み出す。


 ヨイヤミと女の顔が同時に浮かび上がり、アカツキの中の天秤が片方に沈んでいく。


「覚悟を決めろ」


 自らに暗示を掛け、アカツキは刀を振り下ろす。その先に広がるのは深紅の惨劇。そこに沈むのが、敵か味方か……。


 その答えは、どちらでもなかった。アカツキの切っ先は女の目と鼻の先で、小刻みに震えながら止まっていた。


 女は眼を見開き、自らの目の前で鈍く光る刀を凝視していた。彼女の意識はそこにしかなかっただろう。それが幸いした。


 今度は無言で、自らの存在を掻き消しながら、ヨイヤミは女とアカツキの間に割って入った。


 一瞬、彼女の唇が歪んだような気がした。凝視しなければわからないほどに。


 しかし、視線は相手の顎だけに注がれ、それ以外の邪念を蚊帳の外へと放り出す。


「今度こそっ!!」


 そして女の顎に目掛けて、その拳を高く突き上げた。


 ヨイヤミの拳は喰い込むように女の顎を捉え、女の身体は勢いで浮かび上がった。


 それがこの戦いの決定打となった。


 女はそのまま地面へと仰向けに倒れ込む。


 顎を殴られた女の脳は激しく揺さぶられ、意識を保つことすらままならない。


 一瞬しがみついていた彼女の意識も、すぐに力無くその身を離れ、彼女はゆっくりとその眼を閉じた。


「倒したのか……?」


 自分の目の前で何が起こったのか、まだはっきりとしていないアカツキは、呆然としたまま倒れた女の姿を眺めていた。


 どこか覚束ない足取りで、ヨイヤミは女の元へ歩み寄る。


 そしておもむろにローブを剥ぐと、右の手の甲に刻まれた六芒星の印へと、自らの掌を翳す。


 淡い紫色の光が女の手の甲を包み込み、やがて、彼女の手の甲から浮かび上がった六芒星の印は、ガラスが割れるように砕け、まるでそこに何もなかったかのように跡形もなく消し飛んだ。


「もう、いいのか……?」


 恐る恐る尋ねるアカツキに、ゆっくりとヨイヤミは振り返る。とても久しぶりにお互いの視線を合わせたような気がする。


 だがそれよりも、尋常でない程に浮かぶヨイヤミの額の汗に視線が奪われる。


「ああ、これで…………」


 それ以上の言葉を紡ぐことなく、ヨイヤミは地面へと伏した。


「えっ……」


 目の前の現実と幻想が折り重なり、深紅の海に沈むヨイヤミがアカツキの視界を覆い尽くす。


「あ……、ああ…………」


 地面に膝を付き、両手で頭を抱え、声にならない声を漏らす。また、同じことに……。


 違う、そうじゃない。


 アカツキは必死に首を振って、幻想と現実を乖離させる。この深紅の光景は現実ではないと。それは、ただの過去の呪いだと。


 ゆっくりと瞼を開くと、そこには脇腹を抑えて倒れ込むヨイヤミの姿があった。そこには、深紅の海など存在してはいなかった。


 アカツキは思わず安堵の吐息を漏らす。だがそれも、一瞬のことだった。


 アカツキは眼にしたのだ。ヨイヤミが羽織っていたローブが真っ赤に染まっていることを。


 一刻を争う状況であることに変わりはないのだ。


「絶対に助けるから」


 アカツキはヨイヤミを抱き抱え、その場を後にする。力と意識を失った女をその場に置いて……。

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