第6話 暴力行為・危険物の持ち込みはおやめください その2

 翌日、美鳥の学校にミロクが編入することになった。迅速に手続きが進んだのは、無論アンドレイの力による。すぐに叶えたほうが美鳥も喜ぶというだけでなく、準備や予備知識なしに学校へ入るほうが中途で挫折しやすくなるという計算もあった。

 朝のホームルームの時間、美鳥のクラスの教室のドアが開かれる。そして、執事服のアンドレイが、何食わぬ顔で教壇に立つ。教室が少しざわつく。

 生徒の一人が「あー、セバスチャンじゃん」と教室中に聞こえよがしに言った。

 アンドレイは、咳払いして「私の名前はアンドレイです」と訂正してから、

「今日から、怪我をした阪本先生に変わり、校長である私が直々にこのクラスを受け持ちます」

 えー。やったー。まじでー。さまざまな一言コメントが生徒らから上がる。

「加えて、転校生を紹介します。留学生のミロクさんです」

 メイド服ではなく、セーラー服に身を包んだミロクがアンドレイの横に近寄る。

「ミロクです。よろしくお願いします。遠い、遠い国から来ました。この世界――じゃなくて、この国にはあまり慣れていませんが、よろしくおねがいします」

 ミロクが美鳥の後ろの空席に着くと、

「私は校長の職務が忙しいので、副担任を設けることにしました。四天王先生」

 だぶだぶの白衣に黒ぶちメガネを掛けたダーモンが肩で風を切りながら偉そうに教壇に上がる。

「おっす、私が四天王多聞ダーモンだ。お前たちの生活指導を行う。私の命令は絶対だ。文句は、九九が言えるようになってから言え。お前たち、七の段はちゃんと言えるか? 私は言えるぞ」

 教室には、『自慢するところかよ』とツッコむべきか、更に『七の段ってなんだっけ?』とボケるべきか、そばにいる校長がいずれかを行うのを待つべきか、という色々な思惑が渦巻き、生徒たちはフリーズ状態に陥った。

「と、四天王先生はなかなか個性的で面白い方なのですぐに打ち解けられると思います。では一限の科目、頑張ってください」

 ミロクにとって、授業は王室の生活以上に退屈であった。どの教科もよくわからない。

 ミロクはこくりこくりと船を漕ぎ、夢と現を行ったり来たり。ただ、目の前にいる美鳥も堂々と寝ていたので罪悪感はさほどなかった。

 昼休み、ミロクは美鳥と一緒に購買部でパンを買いに行く。

 店員のおばちゃんの周りに人垣ができている。目当てのパンを争奪するだけでなく、支払いのおばちゃんの争奪戦が繰り広げられている。

「ものすごい人ですね」

「ミロクちゃんにはここで買い物をするのはハードルが高すぎるかな。ダッシュかフライングしないとまともなものは買えないよ」

 そう言っていると、

「ゴルァ」

 という声が聞こえて、

「お前らきちんと並ばんか! 退学にするぞッ」

 と竹刀をパシパシと床に叩きつけ、白衣のダーモンが生徒を恫喝していた。

生徒は三列縦隊になり、スムーズに列が消化されていく。

「ほら、こっちのほうがいいだろう」

 ダーモンは、そう満足気に言いながら自分は堂々と列の横から割り込み、颯爽と焼きそばパンを三つ買っていた。

 美鳥とミロクの順番はダーモンのお陰ですぐに来たが、残っていたのはラスクやコッペパンなどの不人気商品だけだった。

「どうしますか?」

「これで我慢しよっか……」

 美鳥とミロクが苦笑いしていると、

「なんだ、二人とも何も買えなかったのか。仕方ないな、ちょうどここにパンが三つあるから二人に一つずつ恵んでやろう」

 ダーモンはそういうと、

「一緒に食べようと言いたいところだが、私は仕事が忙しいから。私のように優秀な者だと校長からいっぱい仕事が回ってくるのだ。フハハハハ」

 と上機嫌でアンドレイがいる校長室へと踵を返す。

 二人が「ありがとう」というのに反応することなく、ダーモンは、焼きそばパンを歩き食いしながら片手で竹刀を振り回して「この動き、どんな技名にしよう? 直角斬りとかはどうか」と呟いた。


「四天王先生。どうして手元に食べかけの焼きそばパン一つしかないのですか? 私の昼食を買いに行ってくれたのですよね? 『することがないから仕事をくれ』と言ったのは四天王先生ですよね」

 資料に目を落としたままアンドレイはダーモンに尋ねた。

 ダーモンは、はっとした顔をして、急いで焼きそばパンを口につっこんだ。

「誰も食べかけのパンを奪おうなんてしませんよ……」

 アンドレイは呆れ顔をダーモンに向けた。

「師匠は(モゴモゴ)ダイエットした方がいいと(モゴッモゴッ)思ったんだもん」

「師匠というのは私のことですか。ダーモン様に力を授ける立場ですから間違いではありませんが、学校では『校長』とお呼びください。ダイエットは私には無用なものです。太りも痩せもしませんから。まあ今回の昼食の件は目を瞑りましょう。私に迷惑をかけるのは一向に構いませんからね。ただ、生徒には絶対危害を加えないように。体罰も禁止ですのでお忘れなく」

「わかりました、師匠。じゃなくて師匠ッ」


 美鳥とミロクは、ダーモンから貰ったパンを片手に一緒に食べる場所を探していた。ミロクは教室でも構わなかったが、「天気もいいから中庭でたべよっか」という美鳥の提案に従った。

 中庭のベンチから、少し離れたところで男子生徒三人がサッカーボールで蹴鞠のようにパスを回す遊びをしているのが見える。ミロクは、美鳥が焼きそばパンを丸かじりするのを見て、自分も同じように、焼きそばをこぼしてスカートに落ちないように手を下に添えながら丸かじりした。

「そういえば、ミロクちゃん、部活はなにかするの?」

「部活?」

「えっと、部活ってのは生徒同士だけで好きな運動したり、絵を描いたり、音楽をしたりするグループ活動みたいなものだよ」

「美鳥さんも部活してるんですか?」

「私は、メイド喫茶があるから部活には入ってないよ」

「じゃあ、私も遠慮しておきます」

「うーん。メイド喫茶ですることは決まってるからなぁ。やっぱりミロクちゃんは部活したほうがいいよ」

「そうですか。じゃあ、やってみます」

 ミロクは、美鳥のアドバイスに従うほかない。

 食事も終わった二人は、少しおしゃべりしてから、学校の構内を軽くぐるっと周る。茶道部のお茶室の前を通る。美鳥は小さな声で、

「茶道部は、多分元の世界に戻って役には立たないだろうし。本物の留学生には人気だけど、ミロクちゃんは留学生じゃないし。おっきな声では言えないけど、正直こっちの世界でもあまり役に立たないというか、留学予定のある人には役に立つけど、それ以外は微妙かな」

 ミロクは、そうなんですか、としか言えない。

「吹奏楽部は、練習バリバリでバイトも禁止だしな~。運動系はダメだよね」

 ミロクは、そうですね、と話を合わせる。

「書道部は……。ミロクちゃんって、漢字書けたっけ?」

「読めるんですが、書けないんですよ。なぜか。ひらがなは練習したから大丈夫ですよ」

「がんばったんだねぇ。エライエライ」

 美鳥はミロクのブロンドの頭を撫でた。

「入れそうな部活無いなぁ……」

 美鳥がつぶやいた時、ミロクは掲示板をじっと見ていた。

「これはどうですか?」

 掲示板に貼られていた『手芸部 部員募集』を指さした。

「いいねぇ。ってこんな部あったんだね。誰が入ってるんだろう。昼休みも活動してるみたいだから、部室覗いていこうか」

 非運動系の部室が集まっている科学館・別棟へ行く。

 ミロクは鍵の掛かっていたドアを開けようとしていた。

「ミロクちゃん、そこは『文芸部』だよ。手芸部じゃないよ。もしかして文芸部のほうが良かった?」

「いえ、あ、普通に間違えました」

 ミロクは顔から火が出そうだった。

文芸部の隣に手芸部があった。部屋に人がいるのが、ドアのガラスから漏れた光とミシンの駆動する音で分かった。

 美鳥がノックして、返事がある前にドアを開けた。顔だけドアの隙間から出すようにして「お邪魔しま~す」「失礼します」と中の様子を覗う。

 部屋には裸のマネキンがドアの前に衝立のように三体並んで立ちふさがっていた。右のマネキンはアオザイを着ていた。真ん中のは裸に腰エプロンだけだった。最後の一体は赤いトサカの付いたヘルムを被っていた。

 マネキンの隙間から、学ランの男子生徒がミシンを動かしているのが見える。

「はい。どうぞ~」

 美鳥もミロクも部室の中に入る。部室は、窓二つほどの幅しか無い細長い造りで、壁際にズラッと机が並んでいる。物置部屋を間借りしているような部室だった。ミロクは少し緊張していた。

「これは何?」

 美鳥が、ヘルムを指差し尋ねた。男子生徒は少し笑って立ち上がり、ヘルムを被って、

「これはコリント式ヘルムだよ。ギリシャ・ローマ時代の歩兵のヘルムだね。もちろん偽物だけど。去年に演劇部のために作ったんだ。それで君たちは何か御用。なにか制作の依頼?」

 男子生徒はコリント式ヘルムを被ったまま話す。

「いえ、どんな活動をしてるのか見に来たんです」

「もしかして、入部希望者?」

「はい。そうです」

「まだ決めたわけではないですけど。部員は他にはいないの?」

 美鳥が尋ねると

「僕一人だよ。だから僕が部長。江口と言います。よろしくね。ところで、もしかして、ちょっと前にパン屋で食パンを沢山買ってませんでした?」

「ええ。どうしてそのことご存知なの?」

 ミロクは少し警戒した。

「僕、そのときレジしてましたから」

 コリント式ヘルムを脱ぎ、ウニのような頭が見えた時、ようやくミロクは若い研修中の店員のことを思い出した。

「あ、ジャムお兄さん!」

 小瓶のジャムをこっそりサービスしてくれた店員だった。

「なに? そのみたいなアダ名?」

 美鳥はそういったが、誰も反応しなかった。

「こんなところで会えるとは思いませんでした。でもどうして今まで見なかったんだろう。髪の色といい、結構目立ちそうなのに」

 少し蚊帳の外になりかけた美鳥が

「今日転校してきたばかりの留学生なんですよ」

 と教える。

 テーブルの上に、ニットのイチゴが置いてあった。美鳥が「これは何?」と聞くと、「これはアクリルのたわしだよ。洗剤が要らないエコなたわしになる」

「へー」と美鳥がそのイチゴ型たわしを手に取ると

「赤い毛糸が余ってたから作ってみたんだけど、後でイチゴが苦手になってしまってね。妹に『イチゴって毛穴の手入れしてない鼻みたい』って言われて以来、イチゴが鼻にしか見えないんだ。おかしいよね」

 ミロクは、この江口という人はイチゴ嫌いを伝染させるつもりなのだろうか、と思った。

「で、このまま使われないのも解いてしまうのも可哀想だから、良かったら貰ってくれない?」

「もらいます。もらえるものなら何でも。ありがとうございます」

 美鳥は、ミロクに「これ、家で使おうか」と言って笑った。

「ところで、二人は手芸の経験とかあるの?」

 ミロクは「全然ありません」といい、美鳥は「コスプレ衣装なら作ったことあるよ」と胸を張った。

「そのたわし程度なら、初心者でも一週間もあれば本を見ずに作れるようになるよ」

 ミロクは、「本当ですか?」と少し信じられなかったが、作れるようになれば楽しいだろうなと感じた。

「この手芸部は、僕が去年先生に無理言って作ったんだ。家庭科の授業で手芸やったらハマってしまってね」

 部室には江口部長が作ったのだろう作品が壁に吊るされていた。妖精のような緑色の少し透けた衣装やニットのポンチョ、タイダイに染められたハンカチのような布が目に止まった。他にも飾りきれないものがダンボール箱に入れられているようであった。

「これ全部一人で作るなんてすごいですよね」

 ミロクは感心した。

「いつの間にか増えちゃって。でも部員は全然増えなくて廃部寸前なんだ。自分で言うのも変だけど、男子は手芸なんていうのには興味が無いからね。それに、男一人しか居ない、新しい部に女の子は入りにくいみたいだし。本当に困ってて。存在感を出すために他の部と共同してみたりしたけど、やっぱり誰も来なくてね」

 江口部長は、コリント式ヘルムを少し見つめてから、恥ずかしそうに頭を掻いた。

「だからよかったら是非――」

「入ります! 本当に初心者なのですがいいんでしょうか」

「もちろん! 喜んで。って本当に嬉しいです!」

 江口はミロクの手を強く握って喜んだ。

「あっ。ごめんなさい。変なつもりはなくて」

 江口はミロクの手を離した。

「いえ。大丈夫です。意外と手が大きいんですね」

 とミロクは、自分でもどうしてそんなことを言ったのかわからない、妙なことを言った。

「そ、そうかな」

 江口は自分の手を見た。ミロクも自分の小さな手を見た。

その後、鼻歌まじりに引き出しから入部届の用紙を取り出し、

「一応、この紙に学年と名前を書いてね」

 とボールペンと一緒にミロクと美鳥に渡した。ミロクはぎこちなく、ひらがなで名前を書き、江口に入部届を提出した。

「ミロクちゃんは来たばかりの留学生で感じは苦手なんです」

 美鳥がフォローする。「なるほど」と江口は納得した。

 江口に美鳥も入部届を提出した。

「ありがとう。本当に助かるよ。何かわからないことがあったらいつでも聞きに来てね」

予鈴が鳴る。

「あ、もう教室に戻らないとね」

 江口は、慌ただしく片付けをはじめた。

「部屋閉めるから、先に戻っていいよ」

「じゃあ、お先に失礼します」

 二人は部室を出た。


 ダーモンは、校長室の来客用ソファに座り、ローテーブルに広げた算数のドリルを解いていた。アンドレイは、黒革の椅子に腰掛けて水晶玉を通して美鳥とミロクが部室を出る様子を見ていた。

「ミロク様が手芸部に入るのは理解できますが、美鳥まで入部したのは想定外でした」

「ミロクだけ入ったら、男と女の二人きりだもん。気を使ったんだろう。男はオオカミウオ。危険なんだもん」

 ダーモンは計算するのに飽きて、ドリルの隅のイラストに落書きをしていた。少女のイラストの隣に、禿げ上がり腹巻をした中年男を描き、吹き出しには『おじょうちゃん、パンツ何色。うへへへへ』と書いてある。

「ですからミロク様が元の世界に帰った後、美鳥と二人きりになってしまいます」

「ああ。それは危ない。美鳥に手を出したらこの男子、絶対に死ぬんだもん」

「殺しはしませんよ。そんな生ぬるいことするわけないじゃないですか」

 アンドレイは鋭い眼光を放った。

「どうしました? 震えて」

「怖い。師匠、じゃなくて校長。怖いんだもん」

 ダーモンは鳥肌になっていた。一度戦ったダーモンはアンドレイの圧倒的な強さをよく知っている。

「でもこの世界に来る異世界のバカどもが全員メス人間なのは、あの小娘を守るためなのか?」

「さあ? 私が作ったシステムではないので。敷設した『赤毛の魔女』の意図はわかりません」

「その『赤毛の魔女』って奴も美鳥のことが大事だったのかな?」

「さぁ? 『赤毛の魔女』のことはわかりません。ただ、私と赤毛の魔女が戦う過程で美鳥の両親の命を奪ったのは確かです。ですから、赤毛の魔女にも罪悪感はあったのかもしれません」

「だから校長は親バカなんだもん」

 アンドレイはゴホンと咳払いした。

「それにしても、江口君がミロク様の手を握ったのには驚きました」

「手芸部だけに手が速いんだね」

 ダーモンがドヤ顔で言った。

「何か上手いことを言ったつもりかもしれませんが、どこにも上手い要素はないですよ」

 アンドレイがツッコんだ。

「さて、ミロク様が学校生活に慣れそうだというのは朗報、ということにしておきましょう。手芸部ならば文芸部よりも『生活力』なるものに繋がるでしょうし。ミロク様には、当分メイド喫茶ではなく、部活に精を出してもらいましょう」

「それは大反対。大事な戦力が減るんだもん、お店が困る」

「大丈夫です。ミロク様が抜けた分はダーモン様に頑張ってもらいますから。四天王の力を持ってすれば余裕ですよね」

「この魔界四天王ダーモン様にかかれば小娘の一人や二人の穴を埋めるなど造作も無いことよ、ククク」

「ではよろしくお願いします」

「乗せられた~。卑怯モンだもん~」


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