第4話 強制途中下車(インターセプト)その4

 アンドレイは、ミロクの部屋を三回ノックして入った。ミロクの部屋は、アンドレイが少し前にレイアウトしたのとは著しく異なる状態になっていた。残念な気持ちになった。

 アンドレイはミロクの乗車券に書かれていた有効条件が『一人で生きていける生活力を身につける』というものだったのを思い出す。

(与えられた環境に無理に適応するのではなく、自分の好みに変えることも大切ですから、よしとしましょう)

 カーテンを開き窓を開け、新鮮な空気と太陽の光を部屋に取り込む。白い枕の上でミロクの金色の髪が輝く。

「おはようございます。お疲れかもしれませんが、規則正しい生活は新しい環境に慣れる上でも大切でございます」

 ミロクがムクリと起き上がると、一瞬ここがどこかわからないといった表情をした。列車に乗って異世界に来たという事が夢ではなかったことに、ミロクが酷く驚愕し混乱していることは、異世界での初めての朝の様子を今まで幾人も見てきたアンドレイにとって想像に難くなかった。

 しばらく呆然とした後ようやく、ミロクは「おはようございます」とこたえた。

「朝食の準備はもう出来ております」

「あのう。今日は何を着ればよろしいので?」

「タンスにお召し物は用意しておりますのでお好きなモノをどうぞ」

 クローゼット化された押し入れを開けると、そこには、メイド服が並んでいた。

(また美鳥の仕業ですね……まあいいでしょう)

 アンドレイが部屋を出ようとすると、

「私、一人で服を着たことがないので、手伝っていただけませんか?」

 アンドレイは魔法でミロクに服を着せようと思ったが、ミロクが元の世界に戻るためには、生活力をつけてもらわねばならないことを思い出し、

「今日は特別手伝って差し上げますが、以後はお一人で出来るよう練習なさって下さい」

 アンドレイは、ミロクの着替えを手伝い終わると、

「私はこれで。一階でお待ちしております」

 と部屋を出た。

(生活力を付けさせるのは、魔法では難しい分、お帰りになるのはダーモン様より遅れるかもしれませんね)

 そう思うと同時に、『生活力』という、漠然として、客観的でなく、非論理的で、恣意により改変されうる指標は、アンドレイにとって極めて把握しにくく、その裏側にいる『赤毛の魔女』という理不尽を想起させるのに十分であった。アンドレイは数マイクロ秒、硬直した。


 共同リビングと部屋続きの共同食堂に降りてきたミロクが、ダーモンを見て、蛇に睨まれたカエルのごとく硬直した。

 ダーモンも赤と黒のチェックのゴスロリ衣装をまとい、毒蛇・ヤマカガシのように捕食者としての鋭い目で観察する。

 食事の終わった美鳥はソファで眠り、ダーモンは、食卓に着いたまま新聞紙を広げていた。

「あ、あの人、大丈夫ですか? 昨日セバスチャンさんと戦ってた人ですよね」

 ミロクは小声で尋ねる。

「ダーモン様のことならば心配いりませんよ。あと、私の名前はアンドレイです」

 ミロクは、ヤンキーに目を付けられた気弱な転校生のようにおどおどと伏し目がちに着席し、カップに注がれた紅茶に口を付けた。

「ダーモン様、あまりミロク様を凝視するのはおやめ下さい。異世界人同士仲良くなれるよう互いに気を配っていただかねば困ります。相手の気持になって考えることも、強くなるため重要な訓練なのですから」

「仕方ねぇな」

 ダーモンは不満そうに、新聞紙に目を落とした。ミロクはほっと息をついた。

「ダーモン様。この世界の情報を集めようという心構えは殊勝ですが、上下逆さまですよ」

「わかっている。ちょっと間違えただけだ」

(ダーモン様は知力も足りないので、そちらもどうにかせねば、四天王の上司を説得するのは難しいでしょうね)

 アンドレイは、ミロクもダーモンも、すぐには元の世界に戻れない、戻るべきではない異世界人だと把握した。

 この新入り二人をどうするべきか、アンドレイは少し頭を悩ませた。まずは暴力的傾向がみられるダーモンを手なずけるべく、

「ダーモン様、信じられないと思いますが、語尾を『ダモン』に変えると魔力が二倍になりますよ」

 アンドレイはそういうと、ダーモンは、

「そんなバカなことあるわけないんだもん」

 とわりと乗りの良い対応をした。アンドレイはそれに応えて指をパチンと鳴らした。

ダーモンから剥奪した魔力を二倍にして返す。

「すごい。信じられないっ」

 ダーモンは、自分の手を、そして体を見つめ、魔力の高まりを実感する。

 が、語尾に『ダモン』を付けるのを忘れたことに気づき、

「すごいんダモン。信じられないモン」

 と言い直した。力を失うのは嫌なのだろう。

 がしかし、

「やっぱりこんなバカみたいな語尾は嫌だ」

 ダーモンはアンドレイに抗議した。

 アンドレイは、再びダーモンの力を剥奪した。

「ヒドイんだもん!」

 再びアンドレイは魔力をダーモンに与えると

「こうやってお前は私をおもちゃにしようとしてるのはわかっているんダモンね」

「語尾云々は美鳥からのリクエストです。私にそのような趣味嗜好はございません」

「ぶっころしてやるんだもん!」

 ダーモンは、ソファーでまた寝ている美鳥のほうへ体を向けた。

「それはダメですね。もしそんなことをしたら、元の世界に帰れなくなります。元の世界に戻る列車は、乗車券に美鳥が印を押さねば呼べませんので」

「ムムッ、そいつは大切にしないとな。必要な人材だもん」

「さようでございます」

 アンドレイは、食卓のもう一人の異世界人・ミロクに目を移す。食事は終わっていたが、じっと空の食器を見つめていた。

「どうかなさいました? ミロク様」

 アンドレイが声をかけると同時に、急にミロクは「帰りたい!」と泣きはじめた。

 アンドレイは、ホームシックだろうと思った。異世界人は初日は、まるで夢でも見ているような気分なのか、混乱はするが、取り乱すことは少ない。けれども、数日すると、容易に逃れ得ぬ異世界に来てしまったという現実を直視し絶望感にさいなままれる事例は多い。ミロクも例に漏れなかった。

「外の空気をお吸いになる方がいいかもしれませんね。私と一緒に、いや、私よりもディー様に案内してもらうのがよろしいかもしれませんね。異世界人の先輩から教わることも多いでしょうし」

 ミロクが「しゃあねえなぁ」というので、アンドレイがミロクの方へ視線を向けると「しゃあないんダモン」と言い直した。

「出かける前に、使った食器はご自分で片付けて頂きますよう心よりお願い申し上げます」

 アンドレイは美鳥を起こしながら言った。ミロクもダーモンも共同生活が始まったことを感じ始めていた。


 結局ディーを含めた五人総出で町に出かけることになった。

 ディーは、

「この家の周囲には何もないんだよね」

 ピンク頭髪&黒ジャージのディー、執事服のアンドレイ、メイド服のミロク、ゴスロリ姿のダーモン、セーラー服の美鳥。この五人パーティが近所をそぞろ歩いても冷ややかな視線を浴びることはない。

「だれも居ないのか? だれも居ないのか、だもん?」

 美鳥が「なにその語尾! 変なの~」と笑った。

 ダーモンは「お前がそうしろって言ったんだもん!」と怒った。

「語尾に『だもん』をつけにくいときは無理しなくても構いませんよ」

「そういう大事なことは早く言って!」

 怒りにまかせてアンドレイに襲いかかろうとするダーモンの顔面を、執事服が左手一本で鷲掴みにして沈黙させる。

 怯えるメイド服。それをなだめるセーラー服。気にせず平常運転の黒ジャージは、

「で、ココらへんに人が少ないのは……なんでだっけ?」

 と町の住民がいない理由を思い出そうとしていた。

「お忘れになったのですか」

「いやー、ゴメンネ。結構前に聞いたけど。オレ、ボクシングでアタマ結構打たれてるから。記憶がよく飛んじゃって。あははは」

「では、私が簡単に説明しましょう。昔私がこの世界にやってきたときに、少し暴れました。この辺り一帯を破壊しまわったんですよ。それで住民の方は恐れをなして移転されて、今も謎の天変地異の起きる呪われた土地だといってあまり近づく人がいなくなったわけです」

 アンドレイの手から解放されたダーモンが涙を目に浮かべている。ミロクが心配そうに様子をうかがうが、まだダーモンに声をかけるには至らない。

「まあ、部外者がいない方がオレたちは住みやすいじゃん。むしろオレたちが部外者だけどな」

 ディーが言う。

「買い物や学校は列車に乗って隣町まで行かないといけないけどね」

 美鳥が残念そうにいう。

「では隣町に参りましょう」

 五人は駅に向かう。無人駅なので改札も素通りである。アンドレイは時刻表を頭に記憶しているので、列車到着時刻ちょうどに駅についた。ワインレッドのディーゼル列車が停っている。運転手一人だけで、乗客は居なかった。もちろん魔術とは関わりはない。普通の運転手であり、普通の列車である。

「絶ッ対ッ乗らないんだもん!」

 ダーモンがその場から逃げようとしたので、アンドレイが手を掴んで引き止める。

「アレに乗ったら死ぬんだもん。嫌だもん!」

 アンドレイが驚くくらいの、必死の火事場の馬鹿力でダーモンが暴れた。

 魔術の列車とこの列車を混同しているのは明らかだった。

 ディーが、やれやれと腰に手を当てて、

「落ち着けって。この列車に乗っても大丈夫だ。死んだりしないから」

「お前たちなんか信用出来ない! どうせ乗ってから扉が閉まりそうになったら、お前たちだけで飛び降りるってわかってるんだもん!」

 困り顔の運転手が「出しますよ」と告げたので、アンドレイは、駄々をこねる幼児に対応する母親のように、

「では、ダーモン様は留守番してて下さい。行きましょう」

 四人が乗り込み、乗車券を発行してもらう。それが終わると車掌のいないワンマンの列車が発車した。

 ダーモンが憎らしげに列車にいる四人を睨んでいた。美鳥が楽しそうに手を振っていると、突如ダーモンがホームを走り始めた。

「おー、走ってる走ってる、って、線路の上走ってるよ!」

 ディーが驚く。ダーモンは陸上選手のような美しいフォームで走っていた。身体能力はアンドレイの前ではチリにも等しいが、それでも常人を超えている。

 列車に付かず離れずの等速で、列車の進行方向の右後方を疾走している。

「暇な時、仮想の忍者を車窓に走らせるよね」

 美鳥がニヤニヤして言った。

「私はそんなことしません」

「セバスチャンは、忍者派じゃなくて、マリオ派?」

「いえ、そんな空想自体しません」

「セバスチャンの嘘つき、かっこつけ、ナルシスト」

 そういう美鳥のそばで、ミロクが心配そうにアンドレイに尋ねた。

「ダーモンさんをあのまま走らせていいんですか?」

「線路内への侵入はいけませんので、中に入れたいところですが、それも無賃乗車なのでダメです」

「じゃあどうするの?」

 美鳥がいうので、

「ダーモン様には、空想マリオになってもらいます。初プレイなのでうまくいかないかもしれません」

 アンドレイは、右人差し指を車外を走るダーモンに向けると、ダーモンの体が少しずつ宙に浮かび始めた。

 ダーモンと列車の距離は変わらない。ダーモンは中空でじたばたとしていて、それを見た美鳥が、指をさして笑った。

「あれじゃあ、マリオじゃなくてグラデュウスだよね。でもあれは右スクロールか。左スクロールのシューティングゲームってあんまり無いよね。ダーモンちゃんを左側に移動できない?」

「左側だと運転席から見えてしまいますので……。それにもうすぐトンネルですので、列車の上部に移動させねばいけません」

 アンドレイがそう言い終わったちょうどその時、車内から光が消えた。ほんの三十秒ほどで列車はトンネルを抜けた。今までとは違う車窓の風景が見える。美鳥たちの町にはないタワーマンションや現代建築のビルが並んでいた。

 ダーモンの姿が車窓から見えない。

 ミロクが「ダーモンさん、大丈夫かなぁ」と心配した。アンドレイは指をクイッと動かした。

 少しやつれた顔のダーモンが列車の右後方に浮いているのが目視できるようになった。

「ゴスロリで空飛ぶシューティングって、東方っぽいよね」

 美鳥のコメントに対して誰も反応しなかった。この世界に来たばかりのミロクはともかくとして、ディーもアンドレイもさほどゲームの知識は無かった。

 価値あるデータとしてアンドレイが格納しているのは『桃太郎電鉄』や『電車でGo』など鉄道関係のものだけだった。

「もうそろそろ着きます。お忘れ物のないようお気をつけて下さい」

 列車が減速するとともに、ダーモンを線路の外の一般道に下ろした。

よろよろと歩いているダーモンの姿はすぐに駅舎の建物の影で見えなくなった。

 列車が停まる。四人は降車した。

 列車は回送に変わった。改札へ向かいながら、

「帰りの列車は三時間後です。それを逃すと更に三時間後です。万が一、私や美鳥からはぐれた場合にはこの駅で待ち合わせしましょう」

 アンドレイがそう言い終わるときに、少し煤を顔に付けたダーモンが、乗り物酔いのせいからか蒼い顔で、「吐きそう……」と呟くと、アンドレイは

「駅員がおがくずを使う様子を観察するのも悪くないですね」

「見たくないよ!」

 ディーと美鳥がアンドレイに抗議した。アンドレイは少し残念に思いながら、

「仕方ありません。全員揃いましたし、時間も無いので行きましょう」

 ミロクがダーモンの顔をハンカチで拭いてあげながら、

「ダーモンさんを休ませたほうが……」

 というので、アンドレイは、ダーモンの魔力を倍増させた。

「これでいいでしょう? ダーモン様」

「あの程度でへこたれる私じゃないもん」

「じゃあ帰りも飛んでいただきましょうか」

「勘弁してだもん」

 

 五人は、執事服のアンドレイを先頭に町を歩く。人数が人数なのでゾロゾロと、ノロノロと観光客のように歩く。美鳥たちのボロアパートの周囲とは違い、人がたくさんいる。

 三つ編みの金髪でメイド服のミロクが、

「私達が異世界から来たってバレてませんか? みんなジロジロこっちを見てきますよ」

「いえ、流石に異世界人だとは気づいていないでしょう」

 美鳥が

「でも住んでる世界が違うって思われてるかもね」

 と笑った。美鳥はセーラー服で黒髪を後で束ねただけのごく普通な格好だが、この五人が集まっていると学校の制服ですら、なにかのコスプレのようにも見えた。

 ゴスロリでツインテールのダーモンが、「良い匂いがする!」と叫んだ。

「あそこのパン屋ですね。いつも朝食のパンを買っているところです。人数も増えましたし、今日あたり買い込んで置く必要がありますね」

 そのパン屋は、教会の礼拝堂をそのまま利用した店舗で、片持ち梁ハンマービームトラスの天井は高く、純白の壁と相まって荘厳さを醸していた。

 アンドレイは、ダーモンとミロクを連れて店内に入った。黒ジャージのディーと美鳥は、近くにあった服屋のショーウィンドウを見てから来るという。

「二人にはお金の使い方や日常に必要な物について多少覚えておいてもらわないといけません。生活力を付けねばならないミロク様は特に。ああ、ダーモン様、パンは手づかみしてはいけませんし、代金を払う前に食べるのはおやめ下さい」

 アンドレイは、『研修・江口』のバッチの付いた、男子の店員を呼び、ダーモンの粗相をまず詫びた。ウニのようにツンツンとした髪型のこの店員は「子供さん等にはよくあることですから、慣れてますよ」と気を使ってくれた。

 アンドレイが彼に、ミロクにパン屋でのマナーのイロハを教えてあげて欲しいと頼むと、店員はミロクとアンドレイの姿にようやく気づいて少し驚いた様子だったが快諾してくれた。

 アンドレイは、糖分を前に半ば野生児と化したダーモンをワンツーマンで調教する。

「ダーモン様は、少し前頭葉の働きが鈍いようですから、小脳で、つまり体で覚えてもらったほうが早いでしょう――」

 

 丸焦げになり軽く煙をぷすぷすと体から上げているダーモンを小脇に抱えたアンドレイは、店員からのレクチャーを受け終わったミロクに財布を渡して、

「フランスパンを二本、食パンを四斤、クロワッサンを二十個ほど、買って頂きましょう」

 ミロクがパンを探していたときに、美鳥とディーが店内に入ってきた。

「なんか焼いたスルメイカの匂いがする……ここではイカも焼くのか」

 ディーはそう言いつつも興味はすぐに別のところに移る。

「メロンパンだ! でも減量中だしな……」というと、

「メロンパンなんて名称は邪道中の邪道だわ。サンライズと呼ぶべきよ」

 美鳥が若干キレ気味に店員に聞こえよがしに言った。先ほどの研修中の男子店員は、パンを袋に詰めながら苦笑いした。アンドレイが

「確かに兵庫県や広島県の一部ではサンライズ、日の出の太陽という景気の良い名称で呼ばれていますが、一般的にはメロンパンですね」

 と知識を披露しても、美鳥は「このパンのどこをどう見たらメロンなのよ。ディーさんこれ、メロンに見える?」

 学校の友達にはあまり賛同されないので、〝偏見の少ない〟異世界人に意見を求めるのが美鳥のクセであった。

「メロンには見えねーかも……」

 ディーは賛同を示した。

 美鳥は「そうでしょう」と満足気だった。

 朦朧とした意識で話を聞いていたダーモンが、アンドレイに抱えられたまま、美鳥たちの話に割り込もうと、

「でも日の出の太陽にも見えな……」

 慌ててディーがダーモンの口を閉じた。確かにディーにも、その種類のパンが日の出(サンライズ)の形には見えなかった。けれど、美鳥を不快にさせても仕方がないのである。

「正しいことが多数決でゆがめられるような世界は腐ってるわ」

 美鳥はパンばさみをカチカチと鳴らし、サンライズ(メロンパン)をトレーに入れた。

「そうだよね……」とディーは作り笑いをした。

 ミロクがレジで支払いをしていたら、先ほどの男子店員が小さな声で

「沢山買って頂きましたし、お客さんはかわいいので、これはおまけします」

 と赤い顔をして、小さなジャムの瓶を袋に入れた。

 ミロクは店員に小声でありがとうと言った。

 

 美鳥は笑顔でアンドレイに提案する。

「さ~て、ミロクちゃんも買い物の仕方がわかってきたことだし、今度はお金を使う方じゃなくて、逆に稼ぐ方を覚えてもらおうよ」

「そういたしましょう」

 アンドレイたちは、ズンズンと街を闊歩して、雑居ビルへ入る。狭いエレベータに五人が乗り込み三階に向かう。エレベータに怯えるミロクの手を美鳥は握って安心させる。

ドアが開いてすぐ『メイド喫茶アザーワールズ』という看板とメイド服を来た人形が立っているのが目に入る。

「では今からここに入店致しますが、客としてではなく、従業員として働いて頂きます。ただ、ダーモン様に接客はまだ無理でしょうから、しなくて結構です」

「また私だけ除け者にするつもりだな。その手には乗らないんだもん。私に出来ぬことなどないことを見せつけてやるんだもん」

 ダーモンが先頭を切って店に入っていった。

「ダーモンって、もしかして天邪鬼? なら意外と扱いやすいかもな」

 ディーが笑った。

「ツインテールだからね」

 美鳥が笑いながら言う。アンドレイはこのような記号的解釈は偏見と誤認識の元だと思ったが口にしなかった。

 メイド喫茶に入ると、

「おかえりなさいませ、お嬢様!」とメイド服の店員二人が深々とお辞儀をした。

 ミロクが、いかがわしい店でなくて良かった、と小声で言った後、

「私が王女だというのがバレてしまっているようなのですが、大丈夫ですか?」

 と心配していたが、美鳥は、

「誰に対してもそういう接客するところだから大丈夫だよ」

 と笑った。

「はじめまして、鏡の国から来たアリスです。よろしくお願いします。お嬢様」といったのは、背の低いメイドだった。もう一人のメイドは、片目に眼帯をしていた。

「アルダの中つ国から来たベアトリスです。よろしくお願いします」

「海底魔境の四天王の一人、ダーモンだ。よろしく……ってコイツらも同類!?」

 と驚いていたが、美鳥が

「違うよ。〝この世界に迷い込んだ異世界人が生活費を稼ぐためにメイドカフェでバイトしている〟っていう設定で働いてもらってるだけだよ」

 と笑いながら説明した。

「つまりそういうわけでミロク様、ダーモン様には生活費をここで稼いで頂きます」

 アンドレイを見つけたメイド二人が、

「セバスチャン様、美鳥様、おはようございます」

 と挨拶したので、

「ちなみにこの店のオーナーは美鳥で、私は支配人でございます」

 アンドレイはダーモンとミロクに説明した。

「やはり今日は休日ですから、ご主人様もお嬢様も大勢いらしてますね」

 アンドレイは盛況ぶりに感心する。

「ちょうどよかった! こっちはミロクちゃん、なんとか国の王女様だよ」

と紹介し、二人をスタッフルームに連れていく。ディーも「ちょっとだけ手伝おう。ここで働くと結構痩せるからな。変な汗かくから」と美鳥についていく。

 美鳥もディーもメイド服に着替え、接客に励む。

 意外なことにダーモンは人気だった。ツインテールというのはマンガのように似合う人は実際には少なく希少性があるためか、客に写真をよくせがまれていた。

ダーモンは

「賤しい愚民どもめ。一番高いメニューを注文するなら考えてやらんでもないんだもん」

 と高飛車な接客をするも、客(ご主人様)たちは機嫌よく要求に応えてくれる。

 美鳥が、

「異世界人ってみ~んな可愛い子ばかりだからこういうところで働くのは楽だよね」

 記録を更新してゆく売上を見ながらアンドレイに言う。

「異世界の方々は全員女性の姿に変換させられますが、性格はそのままなので決して扱いは楽ではございません」

 どういう意図で『赤毛の魔女』がこのような魔術を組み入れたのか謎だったが、女性の姿なので美鳥が襲われるなどの心配がない点、アンドレイにとって好都合であった。

「でもディーさん、もうすぐ試合だし、勝って元の世界に帰っちゃうかもしれないね」

「ええ、それは良いことだと思いますが」

「さみしいよ」

 ミロクが聞く。

「どうして元の世界に帰るには、条件が付いてるんでしょう?」

 アンドレイは「さあ? その意図はわかりません」としか答えられなかった。

「セバスチャンさんの魔法では無いのですか?」

「いえ、私の魔術ではございません」

 ミロクには『赤毛の魔女』のことは詳しく説明していなかったことを思い出し確認する。

「そうなんですか……」

 美鳥は、

「きっと、異世界に来た人は、そこで旅をして成長して元の世界に帰る、っていうのが物語のセオリーだからだよ。だから勝てない拳闘士のディーさんは『ボクシングで勝利すること』が、お姫様のミロクちゃんには『生活力を付けること』が条件になってるんだよ」

 という独自説を展開した。アンドレイはその説の可能性を否定はしない。もっとも、子供が語る夢の話を聞くかのように、ただ否定しないだけである。

 ミロクもダーモンも思いの外よく働いていた。

 アンドレイとしては、ミロクとダーモンに店の雰囲気を掴んでもらえればよく、すぐに帰宅する予定だったが、ダーモンの強引なセールスでメイド喫茶の売上が伸びていくので、帰りの電車を遅らせた。結局その日の普通の最終列車――とはいえ、午後九時台である――に乗った。

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