ヴィオラチェウスの帰還

@sound

序章

第1話 召喚



 よい子、よい子

 生まれておいで

 赤と青の混じった子

 夜明けと夕暮れ 橋渡しの子

 新たな 空の 柱の一つ









 頭に響く鐘の音に、はっと目を覚ます。

 居眠りをしていた教室には、もう誰も残っていない。

 夕焼けがまぶしくて目をすがめ、開いていた口元をぬぐった。

 あぶない。暗くなるまで寝過ごすとか勘弁だ。夜の学校ちょう恐い。

 机の横にかけてあった指定の通学鞄に教科書類を突っ込んで、欠伸をしながら立ち上がった。


「一年! さっさと動けオラァ!」

「ハイ!」


 グラウンドの横を通ると、野球部の一年が先輩にしごかれていた。

 そういえば、同じクラスの野球部部長が「今年の一年は鈍い。つーかとろい」と嘆いていた。


「真面目なんだけど。真面目なんだけど、なんかユルイ……」


 とは、また別の部員の言葉だ。


 理不尽に偉ぶりたい性格の奴らじゃないので、後輩の指導も悩んだらしい。悩んで、悩んで、そのうちぷっつんした。結果、例年通り、体育会系・鉄の上下関係に到ったと。

 先輩はなかなかに大変である。が、帰宅部の俺には関係ない。

 いつも通り、三十分かかる道を徒歩で帰る。

 自転車通学の許可がおりないわけじゃないけど、早く帰り着くのが嫌で、徒歩通学も三年目だ。


「ただいまー」


 帰宅の挨拶に、返事なんかない。ただの癖だ。

 陽が落ちて真っ暗い家の電気を手探りでつけて、二階の部屋へ。

 制服を着換えてから、もう一度一階に下りて洗濯機にシャツを放り込む。

 親は帰らない。片方は出張、もう片方は夜勤だ。


 いつものこと。食わせてもらってるだけ、文句はない。


 ただ淡々と飯の用意をして、一人で食って、洗濯機を回している間に風呂に入る。

 洗濯物を干して、あとは寝るだけだ。宿題の類は放課後、学校で済ませてある。

 俺の日常は、単調で、曖昧だった。

 大きな不満はない。ただ、どうしようもない違和感が拭えない。

 自分はここにいていいのか。

 漠然とした不安が、ずっと心に巣食っていた。












「進路、どうするの」


 珍しく顔を会わせた母親が、朝の挨拶も抜きに訊いてきた。

 いや、顔を会わせたというには語弊がある。母親はこちらに背を向けて、目も合わないのだ。

 俺は食パンをオーブントースターに放り込んでから答えた。


「特待で通らなきゃ、就職で希望出してある。どっちにしても高校卒業したら、家、出るから」


 母親はそれ以上訊かず、そう、とだけ言った。

 お互い会話はなく、気まずい。この空気が苦手で、大嫌いだった。

 なんとなく、母親の感情の変化がわかる。俺に対してそっけない態度を取って、それを後悔している。後悔というよりは、罪悪感か。

 自分が「良い母親でいられない」ことへの。


(別に――)


 無償の愛なんてなくていい。俺を養うのも大変だろう。

 養育を放り出されたことなんてないんだから、それだけでいいんだ。

 自分の腹を痛めた子を虐待する親だって珍しくない世の中だ。

 それが他人の子なら、愛情を持てというのも酷だろう。少なくとも、うちの両親は努力したと思う。その結果駄目なら、駄目でいい。しょうがない。

 愛情は押し売りするもんじゃないし、されるもんでもない。

 「愛するべき」と当たり前に言う風潮が嫌いだ。「べき」ってなんだよ。義務化なんて反吐が出る。


 だから、養子を愛せない罪悪感や葛藤を、見せつけないでくれと思う。

 頼むから。

 でなきゃ俺は、自分をどう思えばいいんだ。


「おはよう」


 家を出て、簡易的な門を閉めたところで、声をかけられた。

 見ると、県内でもお嬢様学校として有名な私立校の制服を着た女子が立っている。

 名前は化野咲あだしのさき。二軒先の家の娘で、いわゆる幼馴染というやつだ。

 小学校時代から可愛いと評判だった化野は、高校に入って綺麗になった。髪は黒く、スカートの長さも規定通り。地味な装いのはずなのに、元が良いのか、目を引く容姿をしていた。


「おはよう」


 気怠い挨拶だったが、化野はにっこりと笑った。

 彼女はなぜだか、高校が別になった今でも、わざわざ朝の挨拶をしにくる。

 高校の友人からはうらやましがられたりしたが、正直、俺は彼女が苦手だった。


千早ちはや君、今日は遅かったね」

「……ああ、ちょっと」

「進路、決めた?」

「まあ、それなりに」

「それなりって、なに」

「どうなっても、家は出る」


 冷たく聞こえたのかもしれない。化野は黙り込んだ。

 しばらくお互いに無言だったが、それを破ったのは化野だった。


「あの、千早君さ。おばさん、心配してたんだけど。千早君、何も相談してくれないって」

「そう」

「千早く……、千早君!」


 彼女を無視して行こうとしたら、駆け寄ってきた化野に腕を掴まれた。

 振り払うわけにもいかず、足を止めて振り返る。


「言いたいことは言って。おばさんたちだって、言ってくんなきゃわからないと思うよ」


 化野は、うちの事情を知っている。その上、うちの母親と仲が良かった。

 化野は良い子だ。明るくて、朗らかで、誰にでも声をかける世話焼きだ。

 母にとって、俺よりも化野の方が可愛いかったんだと思う。今でも、化野に愚痴をこぼすらしい。


「もしかして、まだ気にしてる? おばさんたちは、気にしてほしくないと思うよ。血の繋がりとか、家族って、それだけじゃないと思うし……」

「…………」

 

 正直、こいつのこういう所はすげぇと思う。

 他人の家の、複雑な事情に首突っ込んで、ずけずけ物を言うなどと。


「そうかもな」


 俺は曖昧に返して、化野の力が緩んだのをこれ幸いと歩き出した。

 化野の登校路とは真逆だから、追いかけて来られる心配はない。

 ちら、と振り返ると、眉尻を下げた顔の化野がいたが、もう話すことはなかった。

 化野は良い子だ。明るくて、朗らかで。

 俺の家の心配をするくらいの、世話焼き。

 でも、彼女の純粋な好意が、痛い。

 自分でも不思議だった。

 彼女の性格が嫌いだとか、合わないとか、そういうことはない。苦手意識はあっても、嫌悪感はないのだ。

 それこそ小学校に上がる前は、一緒に転げまわって遊んでいた。

 なのに、彼女の親切心が、壁一枚隔てたように遠かった。















 この家に来たのは五つの頃。

 両親は子供のいない夫婦で、本当は特別養子縁組を望んでいたのだが、それが叶わず、俺を引き取った。

 本当の親は知らない。赤ん坊の時に拾われたらしく、見つけて貰えなければ畑で死んでいたらしい。

 洒落しゃれにならん話だけど、記憶はないし苦しんでもいないから、それはいい。

 ただ、髪が生まれつきの赤毛で、周囲からは浮いていた。浮いているくらいなら良かったのだが、中学時代、先生たちに目を付けられてしまった。

 医者の診断書を提出してもネチネチ言ってくる人がいたもんで、ついにはストレスが爆発して、そいつの目の前で刈り上げた。

 あの時にバリカン貸してくれた野球部の顧問には、卒業するまで良くしてもらった。

 俺野球部じゃなかったけど。

 とまあ、時には反抗期らしい態度を取りながらも、高校三年の歳まで来たわけだ。

 ちなみに、髪は高校入学時に黒染めした。白髪しらがめ用のヤツで。

 この先は、進路がどうでも、家を出ることを決めている。少し距離を置いた方が、両親とも良い関係になれる気がしていた。





 キーン、コーン、カーン、コーン……。


 独特な学校の鐘の音にはっと顔を上げる。ぼうっとしていた。

 いつもの登校路ではなく、川沿いにある、畑の前を通っている。どうやら、無意識に拾われた時の話を思い出して、足が向いたらしい。

 いくつもうねがある畑は芋が植えられていて、近所の幼稚園の子が芋掘りをさせてもらうようだ。それだけならよくある話だが、その畑の奥には、人一人がギリギリ通れる大きさの鳥居があった。俺はその鳥居の前で拾われたらしい。

 ちなみに、拾われた時の状況を知っているのは、捨てられていた俺を見つけて警察に届け、一時面倒を見ていてくれたらしい老夫婦がいたからだ。何の偶然か、俺が両親に引き取られた時、近所に住んでいたのがその老夫婦で、俺の赤毛を覚えていてくれたのか、声をかけてくれた。

 すでに夫婦ともに亡くなったが、良い人たちだった。


 キーン、コーン、カーン、コーン……。


 まずい。本鈴が鳴ってしまった。

 鞄を抱え直して走る体勢に入る。

 瞬間、聞こえた音。


 しゃん、しゃん、しゃん。


 タンバリンに似た、それよりもっと重い金属音が、鐘の合間に聞こえる。

 ぞっと背筋が冷えた。

 おいおい、ホラーは勘弁だよ。

 恐ろしい時に限って、正体を確認したくなるのは人間の性なのか。


 俺は、鳥居を、見た。

 それは鳥居じゃなくなっていた。分厚い石の扉が代わりにあった。


 ――いらえたまえ。いざ、ここへ。


 ぶわり、と鳥肌が立った。

 澄んだ声。女の。ひどく懐かしいような、その響き。

 空が、青と赤の、混じった色に変わる。

 朝焼けか、夕暮れか。いや、待て、今はどっちでもないはずだ。

 急に背後から強い風が吹いて、体が押され、つんのめった。


 「ふざけんなよ……っ!」


 恐ろしさが訳の分からないモノに対する怒りに変わって、激情のまま怒鳴った。

 喉が痛むくらい声を張ったのに、風の音にかき消される。

 強風の中、目を開くと、すぐ目の前に扉が迫っていた。扉は開いていて、向こう側は闇だ。


「くそっ」


 風に押され、扉に倒れ込む。

 痛みはない。そのかわり、水に飛び込む衝撃があった。

 体にまとわりつく、やわい感触。

 じわじわと骨の髄まで染みてくる錯覚に耐えきれず、息を吐くと、ごぽりと音がした。

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