第17話 タヌキ(ウサギ)
夜、ナルセンからメールが届く。
たぶん昼休みからずっと書いてたんだろうと思う長文だったけど、わたしは目を通す気にならず、そのまま削除してしまう。気づいてしまった。教師と生徒は禁断の恋だけど、わたしがナルセンに恋してない。
「……」
デート、やめよっかな。
「おにい」
枕に顔を埋めてつぶやく。
タケシに言われたことが頭の中でグルグルしてた。わたしはおにいが好きなのかな。双子で、兄妹だから、考えたこともなかった。これは本当だ。告白されたときには女装されて考えることもできなかった。これも本当だ。
でも、好きかと言われれば好きだ。
「ただいまー」
一階からおにいの声がする。
バイトを終えて帰ってきた。昼間、担任教師を手で満足させたとは思えないぐらいに普通に。バイト先で女装のことはなんと言われたのだろう。特に問題にならないのだろうか。
「……」
出迎えに行きたくなる気持ちを抑えて、わたしは目を閉じて寝たフリをする。なんでわたしが悩まなきゃいけないんだろう。理不尽だ。
惚れたが悪いか。
ヒロヒロが薦めてくれた本、太宰治が書いたお伽草紙の中の一編、カチカチ山で、タヌキがウサギに向かって言うセリフだ。
おっさんのタヌキが、美少女のウサギに惚れてる。惚れてるからウサギを疑わなくて、泥の船にも乗ってしまう。そして最後は思いっきり沈められる。ウサギはタヌキを沈めることになんの躊躇いもない。婆汁とか作る気持ち悪いおっさんだからだ。美少女はおっさんに同情しない。
わたしがウサギのはずだ。
気持ち悪い女装の兄が担任教師とわたしのフリをしてセックスするって言うならカメラを持って撮影して上げたいぐらいにはウサギのはずだ。双子で同じ姿じゃなかったら、ネットに動画を流して全世界の人に見てもらってもいいぐらいにはウサギのはずだ。
好きだと告白する時点でもうアウトなのに、近親相姦だけはできないとか、気持ち悪すぎる。兄妹じゃなかったら、家族がまとめて変態じゃなかったら、背中を焼いて、傷口にカラシ味噌を塗って、泥の船に乗せて沈めてる。
わたしがウサギだ。
コンコン。
「リツ?」
部屋のドアをノックして、おにいが中に入ってくる。起こそうとしてるはずだけど、なぜか足音を殺して。静かに近付いてくる。
呼吸が荒い。
「……」
わたしは寝たフリのまま。
「パートの麦田さん。あの人がまたシフォンケーキを焼きすぎたってお裾分けしれくれたんだ。リツ、前、食べたときおいしいって言ってただろ? 母さんが紅茶を煎れてくれてるから。一緒に下で食べよう?」
「……」
しゃべりながら近付いてきたおにいの手が、ベッドの上におかれ、スプリングが軋む。背を向けて横になるわたしの顔を見ようと覆い被さってるのだと思う。
「リツ。怒ってるのか?」
「……」
わたしは答えない。
麦田さん、会ったことがある。
小さい子供のいるシングルマザーで、早朝のコンビニでも働いてる。そんな人がシフォンケーキを焼きすぎるなんてことが何度もある訳がない。生活だってそんなに楽じゃないはず、その人がなぜそんなことをするか。
『センくんの妹のリツさんね?』
『はい』
夏休みのことだった。
『本当に双子なのね。よく似てるわ』
別におにいのバイトを見るために店に行ったわけではなく、普通に買い物をしてたわたしに、麦田さんは話しかけてきた。
妙にフレンドリーな笑顔で。
『可愛いから、モテるでしょう?』
『そーですか?』
まだモテ期はきていない。
『北高の子は真面目だから恋愛してる時間もないしら? センくんもアルバイトと勉強で遊んでいる時間がなさそうだけど』
『そーですね』
わたしは察した。
『カノジョとかはいたことないですよ、セン』
『そうなの?』
麦田さんは嬉しさを隠しきれずに笑った。
『真面目でよく働いて、賢い。想ってる女の子も多いでしょうに、もったいないわね。青春は一度きりなのに』
センを狙ってる。
わたしは麦田さんの横顔を見ながら思った。
年は二十一歳、五歳の子持ち。おにいから後で聞いた話でそれは確信に変わる。思っていた以上に本気みたいで、自分のことを赤裸々に語ってた。かなり深いところまで。
十六歳で妊娠して、結婚して、一年で離婚。
それから一人で子供を育てて頑張ってる。
でも、人生に明るい展望はない。子供は可愛いけど、だんだん別れた旦那に似てきてる。バカな男だった。勉強もできなくて、怠け者で、救いようがない。どうしようもない男だった。
だから子供は立派に育てたい。
それには、立派な父親が必要になる。子育てを手伝って欲しい訳じゃない。子供の手本になって、人に誇れる仕事をしてくれる。自慢できるお父さんがいればいいのに。年齢なんか気にしない。子供が好きで、真面目で、働き者で、賢ければ言うことはない。
エグい。
生活に追われたシングルマザーが、センを掴むことで一発逆転を狙ってる。自分がそうだったように、十六歳の少年なら誑かせる。うまくやれる。自分のテリトリーに迷い込んできた獲物だと思ってる。
おいしいシフォンケーキ。
甘すぎない、でも確実に甘いエサ。
「リツ」
「……」
でも、おにいはエサに引っかからない。
目の前でわたしが目を瞑っても、こうして寝ていても、決して手を出してこない。もうわかってる。誘惑には負けない。だから、自分でわたしになろうとする。自制心が極端なんだ。
「タヌキ寝入りは止せよ」
「……っ!」
わたしはバッと起きあがっておにいに頭突き。
「っだぁ!?」
おにいが悶絶した。
「タヌキじゃないよ! わたし、タヌキじゃない! ウサギだもん! おにいがタヌキでしょ! このタヌキ! ターヌーキーっ!」
なにを言ってるんだろ。
「意味がわからん」
おにいはわたしにデコピンした。
「オレがタヌキなら、リツもタヌキだ。双子なんだからな。ブタならブタだし、ウサギならウサギ、別の生き物ってことはない」
「……んー」
意味もわかってない癖に、わかったようなことを言う。そんなおにいは嫌いだ。誘惑に負けないのは強いってことじゃない。誘惑が効かなければ、罠が仕掛けられ、その次には実力行使だ。近いうちに麦田さんに押し倒されても知らない。
タヌキ汁にされればいい。
「後悔するよ」
言えるのはそれだけだ。
告白したときにキスしていれば、今ここでわたしを襲っていれば、おにいは幸せになれた。好きな女の子とラブラブでイチャイチャでエロエロでエスエムな日々が送れた。なのに、くだらない我慢をするから、シングルマザーの毒牙にかかって、バカな男の子供のお父さんを演じることになる。もう決定だ。
麦田さんの子供におばさんとか言われたらたぶんわたしはキレる。お年玉だってあげない。いじわるする。おかしとか取り上げる。ゲームとか勝手にデータ消す。やった宿題を隠しちゃう。シフォンケーキは独り占めだ。
「後悔するような時間か? 八時以降は食べないとか言うタイプだったっけ? リツはもうちょっと体重を増やしてくれていいんだぞ? オレの方が食事制限で死ぬんだから」
「死ね! タヌキ死すべし!」
わたしは枕を振り回す。
「待て、なにを怒ってんだよ」
勝手にしてる女装の苦労なんて知らない。
本当はウサギがタヌキに惚れてたのかも。
カチカチ山を読んで、わたしはヒロヒロにそう感想を言った。ウサギが美少女だからって、タヌキがおっさんで気持ち悪いからってここまで残酷にならないよ。
気持ち悪いのに好きになったから。
美少女の自分が、タヌキなんかと思うから。
殺してしまえば。
殺してしまいさえすれば。
好きだったなんてだれにも疑われない。
「おにい」
「ん?」
「死なないで」
「バカか?」
わたしはバカだ。
どうして素直になれないんだろう。
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