∠46 かくしごと

あれから涼子にもせがまれ、光る膝を見せてしまった。


今後何が起きてもおかしくないと説明したが、二人は最後まで味方でいてくれると約束してくれた。三人の絆は以前にも増して強くなった。


イルカはこんな日々がずっと続けばいいと暢気に考えていた。教室に入るまでは。


まず目に付いたのは、怒りに燃える少女の瞳。イルカにまっすぐ据えられている。そこから烈火のように強い感情が押し寄せてくる。


「あんたのせいで……!」


普段は温厚なはずの委員長、衣笠小町が、イルカにつかみかかってきた。宇美と光太郎が助けに入るがもみくちゃになって、机と椅子をなぎ倒した。


経緯の一端は、すぐに判明した。

宇美が人から伝え聞いた話によると、イルカにそそのかされた諸矢が事故にあったことが原因らしい。


イルカの虚言でドローンを探していた諸矢が車道に出た折、バイクにひかれそうになった。不幸中の幸いで、足を捻挫しただけですんだ。ところが、諸矢はサッカーの特体生として入学した身分である。退学とまではいかないが肩身は狭いと誰もが思う。


「マラソン出なくてすむし、朝練はさぼれる。いいことずくめや」


当の本人はどこ吹く風、飄々と松葉杖をついて歩いている。


小町が何故感情的になったのか、イルカには知る由もないが、後ろめたさだけが残った。


「あの小町って女、菱川君のこと好きなんでしょ。つまらない嫉妬だわ」


小町に劣等感を抱いていた宇美は躊躇なく決めつける。涼子は少し慎重に事態を把握しようとしていた。


「それだけならいいけどね。敵はそんなにやさしくないと思うけど」


学食でのイルカは、スプーンを握ったまま一度も皿に手をつけていない。自分の行為の浅はかさと、無軌道な敵意におののき、思考が停止してしまっている。


「菱川君は気にしてないって言ってるし、元気出してよ姫」


「そこが問題。菱川諸矢は弱みにつけこんでイルカを籠絡しようとするかもしれない」


涼子の推理に宇美はうなる。ありえそうな展開だ。イルカを守れるのは家来の自分たちだけだと気を引き締める。


「あらら、お揃いで。一緒してええかな」


噂をすれば影とばかりに諸矢が現れた。イルカは宇美たちの返事を待たずに頷いてしまった。


「この度は……」


「あー、もうええて。そういう辛気くさいのは。それよりイルカちゃんに朗報や」


どこまでも朗らかな諸矢に圧倒され、誰も口が出せずにいる。


イルカは放心状態のまま首を傾げた。


「ろーほー……?」


「そそ。イルカちゃん、ガラス玉探してるって言ってたやろ」


イルカは確かに人体模型の片目を探しているが、諸矢に話したかどうかは忘れてしまった。


「俺、見つけた。一緒に見に行こう」


イルカは諸矢に促され、席を立つ。恐れていた事態が間近に迫っていた。それなのに宇美たちは動けない。異性の経験値がゼロに近い二人には荷が勝ちすぎる。痺れ薬を飲んだように無意味に痙攣して時間が過ぎた。


校舎の白い壁の上部を、諸矢は指さした。イルカは放心状態で正面にしか目が向かないが、何か重要なものがあるのは理解できた。


諸矢が指す先には、木っ端のような鳥の巣がこびりついている。燕が一羽、尾を叩くように飛んできて巣に留まった。


「あそこにあるのが見えてん。光っててな、つい目が吸い寄せられて事故にあってしまったというわけ」


諸矢はイルカの肩をさりげなく抱きながら数歩下がる。離れたいのに罪悪感から断れない。声が出ない。


「こっからじゃ見え辛いかなあ。もうちょっと側に」


「そのくらいにしてもらおうか」


イルカの危険信号をどうやって受信したのか、光太郎が現れる。影のような動きにもかかわらず、派手な髪色が目を引く。眼光はいつになく鋭く、狼のようだ。


「へえ……、出歯亀がよう言うな」


「否定はしないが、イルカが嫌がっている」


イルカは諸矢の腕から逃れ、光太郎に抱き止められた。


「こらお熱いことで。俺はただ、イルカちゃんの捜し物を教えて上げただけだやで」


「そうかもしれないが、お前の言葉は偽りだらけだ」


そう言うと、光太郎は助走をつけ、垂直の壁を駆けあがった。難なく三メートル近い高さにある鳥の巣の側に張り付くと、巣の中を漁った。


やがて滑るように降りてくると、苦笑いする諸矢の眼前に手をつきつける。光太郎の手のひらには粉っぽい白いものがこびりついていた。


「鳥の糞しかなかったぞ。どこかで聞いた話だ。貴公子が宝目当てに鳥の巣を漁る。結果は大けがだ」


「驚いた。八角君は運動神経だけでなくユーモアのセンスもあるんやな。なんやったっけそれ。あー、確か竹取物語」


「命が惜しかったらもうイルカに近づくな」


強い警告にも諸矢は怯まず、逆に光太郎の目をのぞきこむ。

 

「は? なんでそんなん言われなきゃならんわけ。イルカちゃんはあんたのものってわけでもないやろ」


一触即発の空気を救ったのは、二人に挟まれたイルカだった。光太郎が側にいることで、冷静さを取り戻したのだ。


「……、もう喧嘩は止めて下さい。諸矢殿、嘘をついたのは何故ですか」


諸矢は光太郎から離れ、自分を落ち着かせるために息を吐いた。


「悪気はなかってん。最近イルカちゃん元気なかったから、励まそうと」


「やり方ってものがあるだろ」


光太郎が小声で毒づくが、イルカは無視して諸矢に念を押す。


「お気持ちはありがたいですが、もう嘘はつかないで下さいね。私も肝に銘じますから」


「わかったよ。でもイルカちゃんは隠し事すんのはズルくない?」


「秘密のない女の子はつまらないですよ?」


上目遣いで煙に巻くイルカの態度を、光太郎は苦い顔で見つめていた。イルカはその視線に気づいて、少し胸を痛めた。


「……、忠告はしたからな」


痺れを切らした光太郎がその場を離れると、イルカは諸矢から距離を取った。光太郎に助けてくれたお礼を言いそびれた。昔は自分が助けていたのに、逆の立場になってしまった。悪い気はしない。むしろ……



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