ex3 輝夜の膝

イルカの不思議な力に初めて気づいたこーたろーは、ありのままの彼女を受け入れただろうか。


夏の盛り、こーたろーは、イルカの家に遊びに行った。


イルカの家は市内でも有数の豪邸で、幼なじみのこーたろーですら、屋敷の正確な規模を知らなかった。


縁側でイルカと並んで座り、交互に団扇をあおいだ。


「あおげあおげ」


「あおげあおげ」


ねじを巻くような蝉の声、からからと悲鳴を上げそうな乾いた地面。吐き気を催すような熱さの下でも、二人はぴったりと寄り添って離れない。


こんがり焼けた肌のこーたろーは、イルカの乳白色の肌をちらちらと見やった。紫外線ですら、彼女の体を傷つけることはできないのである。


「あ!」


不埒な視線を咎めるためか、イルカが声を発する。こーたろーは、ぎくりと身を固くする。元々、イルカの側でいつもネズミのように小さくなっているのが常のなのだ。


イルカはもったいぶった様子で、こう囁いた。


「スイカがあるんですよ。食べたいですか」


こーたろーが、かくかくと頷くと、イルカはふくふくと笑って台所に走っていった。


イルカが去ってから、ある問題に気づいた。スイカは丸い。イルカが直視するのは困難であろう。自分が行って手助けするのがいいが、無断で屋敷の中を歩くと爺に怒られる。媼はやさしいが、爺は怖い。


「お待たせしました」


優柔不断で腰を上げずにいると、イルカが戻ってきてしまった。重たそうな四角い箱を抱えてきた。


わざわざスイカを箱に入れるとは、金持ちらしい趣向だなと、こーたろーは得心した。


「ん?」


間近で見ると、違和感が募った。


箱らしきものが、こーたろーの目の前に置かれた。箱は、緑色で、黒い稲妻型の線が対角線上に走っている。押してみると、程良い弾力が返ってきた。


「これスイカじゃん!」


驚愕を込めてこーたろーは四角いスイカを叩いた。反響も、こぎ味良い音もスイカと同様だ。角がせり出しているので、箱と見間違ったのだ。


「世にも珍しい四角いスイカ。どうぞ召し上がれ」


イルカが茶目っ気たっぷりに、包丁を入れると、果汁滴る赤い断面が現れた。口に含むと、濃縮された甘露が広がった。


「四角いスイカなんて初めて見た。金持ちってすげえなあ」


感嘆しながら、種を飛ばしていると、イルカの表情が陰る。


「どうした?」


「こーたろーは、私がお金持ちの家の子だから一緒にいるのですか?」


「そんなわけねえだろ」


「じゃあどうしてですか。どうして一緒にいるのですか」


イルカが力づくで無理やり連れ回すからだ。とは白状できず、無難な答えに落ち着く。


「家来だからだよ」


イルカは喜ぶどころか、顔を伏せたままだ。具合が悪いのかとこーたろーはいぶかる。


「その家来にお話したいことがあります」


いつもの冗談とも本気とも取れないよた話とは明らかに雰囲気が違った。重大な秘密が開示されようとしていたのである。


イルカに案内された蔵の中には、二層構造になっており、小さな明かり取りから夏の陽光が差し込んでいた。


蔵の古めかしい錠が開けられた時、いよいよ引き返せない所に来たことが、察せられた。


風通しの悪い蔵の中には、骨董らしきものが散乱している。鎧兜に、書画、壷、埃を被っているものの名のある作品群であることが伺えた。慣れないこーたろーは動きがぎこちなくなる。


「は、話って何だよ、イルカ」


緊張ぎみにこーたろーは、催促した。あらぬ期待を寄せながら。


「これを見てください」


イルカは側にあった青磁の壷を持ち上げた。壷の大きさは一メートルほどもあり、イルカの体軸は安定しない。細腕には過ぎた仕事だ。


「お、おい、気をつけろ。落としたら大変だ」


注意を促すこーたろーの意に反し、イルカは、ぱっと壷から手を離した。


イルカの手から滑り落ちた壷は豪気な音と共に亀裂を生じ、原型を止めることなく破砕した。


「何やってんだ! うわあ……」


こーたろーは目を覆った。イルカのイタズラは爺の逆鱗に触れることは必至。庇おうか、されど、とばっちりは辛い。


「まあ、なんて顔をしてるのです、こーたろー。ここからが本番ですよ」


イルカは挑発するように、こーたろーを流し見た。


「私から、目を離さないでください」


これから信じがたい光景を目の当たりにするこーたろーだったが、同時にイルカのこの言葉は彼の深層心理に深く刻み込まれた。


イルカの膝が仄かに白い輝きを帯びる。薄暗いからよけいに瞠目に値した。イルカは壷の破片を拾い上げ、膝に押し当てた。


途端、床の上の破片が、息を吹き返したように跳ね回る。かちゃかちゃと、涼しい音が笑っているようだ。


そうこするうち、破片が残らず立体的に組み合わされ、一部の隙もなく面を象る。


そこにあったのは、破砕される前の、青みを帯びた壷だった。複雑な紋様も整然と現れていた。


こーたろーは何度も目をこすり、イルカと壷を見比べる。


日頃、威張っているイルカが、かえって小さくなっている。


こーたろーは、丁重に壷を持ち上げ、すべりやすい本体をとくと検分した。手にかかる重さも、冷たい表面も本物に間違いない。


「私の膝には不思議な力があるの」


イルカはようやくこーたろーに抱えていた秘密を打ち明けてくれた。


イルカの膝に触れた物体は如何様にも変化する。壊れた壷を元に戻したり、丸いスイカを四角くしたり、イルカはある程度コントロールできるらしい。


「そういえば、怪我した時もお前の膝に触れると楽になるんだ。そのせいか」


イルカはスカートをぎゅと握った。この頃はよっぽどのことがないと膝に触れさせてくれなくなった。理由を訊ねても怒り出すので真相は謎である。


「絶対内緒ですよ。翁にバレると怒られるから」


「うん……」


こーたろーも翁の脅威を恐れている。門限を破った際には、こーたろーまで正座させられ、説教されたこともある。今もいきなり翁が蔵にやってくるのを想像しただけで腿の辺りがもぞもぞした。


壷を元の目立たない場所に戻して、イルカとこーたろーは蔵を出た。白さを増した世界は以前と違って見えた。


蔵にはそれから何度も誘われ、絵巻物を広げては物語を聞かされた。絢爛な物語は唐突な悲劇で終わるのだが、イルカは憧れを込めて語りに没頭する。


曰く、輝夜姫は、地球のものではない。齢を重ねると月に嫁に行くのだ。


イルカが当の輝夜姫本人だとは、露ほども信じられなかった。

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