18/なかったことになる

 しばらく、意識が途切れていたと思う。


 ジョーは、抱えていた進藤真由美がまだ息をしていることに安堵すると、状況の把握に努めた。これは、やはり学校の三階の一部が倒壊して、自分達は二階に落下してきたのか。周囲には破壊されたコンクリートが散乱している。


「ジョー君の『ジョー』は、日本語読みすると、『温情』の『じょう』なのよね。なんか、思い出しちゃった」


 少し離れた壁の所に、腰を下ろしてアスミがもたれ掛かっていた。ジョーは静かに進藤真由美を床に下すと、アスミの元に駆けよる。アスミは腹部を押さえ、口からは血を流している。呼吸が少し乱れている。


 運び出すか。救急車を呼ぶか。だが問題として、おそらくまだ近くに牛人がいる。


「しくじっちゃったな。ジョー君には風結界ふうけっかいで二階にいて貰って、インヘルベリア先生はその間に始末しちゃって、何もなかったように帰って来るって、算段だったのに」

「アスミ。あまり喋らない方がいい。呼吸を意識して整えて」


 遠方の闇から、ズシリと体重が乗った足音が聴こえてくる。やはり、牛人も二階に落下してきている。


「進藤さんを連れて逃げて。私は大丈夫。なかったことになるから」


 アスミは虚ろな瞳で、自分では理解していることを淡々と披露するように語る。


「この出来事は、ジョー君にとってはファンタジーよね。っていうか、現実なのか夢なのかまだ判別もついてないって勢いよね。それでイイの。私が負けちゃうとね、とてもこの街にとってとか、世界にとってとか、大切なものはあいつに奪われちゃうんだけど。それでもそれなりに、世界は回っていく気もしてるの。ちゃんと、こういう世界の後始末をする人たちっていうのもいるのよ。明日になれば、倒壊した三階にも何か理由はついていて、この学校から講師が一人去って、女子生徒は事故か何かで死んじゃって。そんな感じになってると思う。だから結局、私が消えるだけだから、そこは気にしないで」


 宮澤ジョーは、どちらかというとこの国の高校生としては少数の、クラシック音楽を嗜む人間であった。アスミの声の音を聴きながら、そういえば管楽器は、楽しそうに響く時もあれば、悲しそうに響く時もあるな。ただじゃあ、本当の奏者の気持ちはどうなのか。その点が聴き手に委ねられるのだとしたら、自分はできるだけその人の本当の気持ちに寄り添いたい。たまにそんなことを考えていたのを思い出した。


 ジョーは立ち上がった。

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