エピローグ(後)/あの日からのお帰り
百色ちゃんにフロッピーディスクを差し込むと、私は
遠くに、見慣れた星――地球が見える。
ここは、宇宙?
これが百色ちゃんの能力?
分からない。今の私は全宇宙であるような気もするし、宮澤アスミという儚い固体であるような気もする。
そんな私がまなざしを向ける先にあるのは、戦艦陸奥・
崩れかかっているその船に、夫はいた。
体が燃えている。
そう、全て全うして、燃え尽きて、やりきったんだね。
おかげで。
七年経った今でも、「世界」も私も生きてるんだよ。
でも。
――もう一度だけ。
涙がこぼれた。
贅沢過ぎるって思っちゃうけど。
さっきまでクリスマス・イヴだったんだから、ちょっとだけ自分に甘くしちゃうなら。
立ち上がってほしい。
世界のためじゃなくて。
私のために。
――自分を「欠陥商品」と呼んでいた女の、精一杯の「自分を大切に」。
だって、彼女の幸せにはたぶん、ただ彼が必用なのだから。
人間、最後の最後にはそうすることしかできないように。
この広大なる宇宙の片隅で、
◇◇◇
声が聞こえた気がした。
何か、眠っていた、ような?
ここは、戦艦陸奥・朧? 爆沈したんじゃ? 燃えているけど、まだ残っている?
ええと、さっき陸奥との連続攻撃でデビルを倒して。
あれ? 陸奥の姿はないな。
倒れ込んでいたのか、俺。
いかん。ちょっとカッコいいとか思っちゃったかもだけど。
そうだ、俺が死んだら、悲しんでくれる人がいるんだった。
俺はバカだから、また何か間違っていたんじゃないか?
思い直さないと、な。
アスミ、志麻、父さん、母さん、姉ちゃん、アンナお
俺を待っていてくれる人たちがいる。
だったら、最後まで生き残る努力をしなきゃな。
俺は顔を上げた。
見知った「
「ジョー、左胸のポケット。こんな時にごめんなさい。妙に、気になるのです」
ヴォーちゃんの指摘で思い出す。
そういえば、「広瀬川灯明邀撃作戦」の発動前に、志麻から渡されたフロッピーディスクを入れておいたんだった。
かこん。
と、音が鳴って。
どういうことなのか、フロッピーディスクから、物理法則を無視して大きな四角い何かが出てきた。
ぬとんとした目に四角い体、見覚えがある。
「百色ちゃんじゃん」
「フロッピーディスクに記録されたテキストが、僕をここに呼び寄せた」
相変わらずの、ダンディーな声。
何だか、ジョーの助力者であるような雰囲気である。
「やったぜ志麻さん。最後の最後に、一番重要なものを準備しておいてくれる。そういうヤツだよ、おまえ」
静かに、志麻がフロッピーディスクに記録していた、
---
…………
王子さまは、ぼくのきいたことには、なんにも答えません。が、つづけて、こういいました。
「ぼくも、きょう、うちに帰るよ……」
それから、かなしそうに――
「でも、きみんとこより、もっともっと遠いところなんだ……もっともっとほねがおれるんだ……」
王子さまがこういうのでは、その身の上に、なにか、なみたいていでないことが、もちあがっているにちがいありません。でぼくは、赤んぼうでもだくように、しっかとだきしめましたが、王子さまのからだは、どこかの深い
---
朗読しているのは、誰だろう?
---
「たいせつなことはね、目に見えないんだよ……」
「うん、そうだね……」
「花だっておんなじだよ。もし、きみが、どこかの星にある花がすきだったら、夜、空を見あげるたのしさったらないよ。どの星も、みんな、花でいっぱいだからねえ」
---
---
「夜になったら、星をながめておくれよ。ぼくんちは、とてもちっぽけだから、どこにぼくの星があるのか、きみに見せるわけにはいかないんだ。だけど、そのほうがいいよ。きみは、ぼくの星を、星のうちの、どれか一つだと思ってながめるからね。すると、きみは、どの星も、ながめるのがすきになるよ。星がみんな、きみの友だちになるわけさ。それから、ぼく、きみにおくりものを一つあげる……」
王子さまは、また
---
暗闇というものが、人間にとって不調和なものではないかのように、「存在」にとっての「温かさ」を周囲に伝え始めて。
---
「ぼっちゃん、ぼっちゃん、ぼく、その
「これが、ぼくの、いまいったおくりものさ。ぼくたちが水をのんだときと、おんなじだろう」
---
胸の内の灰色と光は、同時にあっても別に良いような気もしてきて。
---
「ぼくも星をながめるんだ。星がみんな、
参考文献:サン=テグジュペリ作 内藤濯訳『星の王子さま』(岩波書店)
---
これ、『星の王子さま』だ。
「フロッピーディスクを志麻ちゃんがジョー君に渡した事象と、志麻ちゃんがアスミちゃんに渡した事象は、同時に成立しているんだ。
記録されているテキストは同じ。二と一が同時に成立しているから、別たれたかもしれない二は、結びつけることもできるんだ」
「百色ちゃんって、結局何なの?」
「僕は神さまだよ」
「大きく出たな」
「君の街の、郷里の神さまだけどね。
大きいといえば大きいし、小さいといえば小さい。それらは同義さ。大天の神様と道端の
なるほど、そういうものか。
「さて。ある運命律では、君は既にここで死んでいる。また別の運命律では、生きる。
そして、君が死ぬ運命律と生きる運命律は、同時に存在している」
同時に存在する、ということ。今では何となく腑に落ちている。たとえば、ひい
「二つの運命律はお互いが無関係というわけでもなく、互いに関係し合ってもいる」
「どちらの事象にしろなかったことにすることはできないけれど。旅立つことで、運命律を空白にすることはできる
一つの運命律は、川だとイメージしてもらいたい。その川に、ブラックホールみたいな穴が空いて、その中に君が入ってみるんだ。そうすると、穴に入っている間は、『流れ』は空白となる。
空白は虚無だが、可能性でもある。その可能性の中には、『流れ』がどこまでか進んだ時点で、君がアスミさんと再会できる未来もあるだろう。いつか、どこかで」
「旅か。空白の向こう側は、どんな感じなんだ?」
「『
「じいちゃんの歴史を六十年ほど辿ったからな。もう、百年とか千年でも、おまけみたいな感じだ。行くよ」
「この力は
「みんなって?」
「大神様とか、大仏様とか、
旅の果てに帰りたい場所がある。それは、ありがたいことだ。
全員分の居場所をつくるって決めた。
全員だからな。俺も俺の居場所に帰らないと。
「明日は美しいものだと思うから。たとえ何年かかっても、俺はアスミという座標に向かうよ」
満足そうに笑うと、百色ちゃんがゆっくりと開き始めた。
ああ、ぬとんとした「四角い何か」くらいに思ってたけど、百色ちゃんって扉だったのか。
よいしょっと。
傍らに倒れていた大きなヤツを抱える。
「デビルも連れて行くのかい」
「そういう風に生きていくって決めたからな。それに、『拡大』というこいつの志向性を他者を踏みにじらないカタチで全うしていける『世界』も、どこかにはある気がするんだ。デビルにとっての、居場所だな」
それじゃ、家路につくとするか。
少し、遠回りになるかもは知れないけれど。
ジョー、ユイリィ・ネクロス・ヴァルケニオン・デビル、ヴォーちゃんの三人は、百色ちゃんという「扉」の中へと入っていった。
◇◇◇
忘我からの帰還。
アスミが再び顔を上げると、もう百色ちゃんはいなかった。
広瀬川の、流れる優しい音だけが聴こえている。
この虚構めいた、出来事。
『世界』の方が応えてくれるかは、分からないけれど。でも、「確か」にこの胸にある。
百色ちゃんの気配が消えた代わりに、アスミに訪れた「感知」。
「S市」に現れた、藤色の存在変動律。
懐かしい、存在変動律。
空港の方だ。
冷静になれば、すぐに分かる。
電車を使って、街に帰ってくるとしたら、N町駅でしょ。
走れば、ここから10分だ。
アスミは立ち上がって、走る。
走る。
――人形の体で。
走る。
――この不可思議な「たましい」というものが求めている場所へ。
走る。
――たとえこの身が最初からなかったのだとしても。
走る。
――私はあなたと出会う。そんな気がしたりもして。
やがて、ユメのアカリめいた街灯の下へ辿り着く。
ああ。N町駅前の広場。ここで誰かが誰かを待っていて。出会って。そして、もう一度……
その時、駅は薄いケムリめいた雪に包まれていて。
本当に何気ない感じで、彼は改札口から出てきた。
おおう。そんな、普通な。
「アスミ、ただいま」
「本当に、お帰りだよ、もう」
「『
雪の光が降り注いでいる。
「道標があれば、辿り着けるものなんだな。やっぱり、アスミのところへ帰りたいと思って」
光満ちる夕べ。あなたが笑った。
私は抱きついた。
本当に帰ってきた。えらいよ。それが、一番。
私、泣いてる。
嬉し涙なんだよ。
信じられる? 不幸せだと思っていた。私が、嬉しくて泣いてるなんて。
幸せかどうかは、まだ分からないけれど。
この年月の中で。
――一つだけ、確かなこと。
私には、愛する人ができた。
/『非幸福者同盟』・完
おまけ・エピローグへ続く
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