263/広瀬川灯明邀撃戦線2~偽者の聖女

 彼の搭はパリのどこからでも見られる。



(――なるほど、私は私、か。戦艦じゃない方のあなたも良いことを言う)



 彼の搭の姿は世界中の人間に記憶されている。



(――高く、遠く。尖塔を作り。大聖堂を作り。次へ。次へ。もっと。もっと。人類の希求の果てに私は建造された。当時としては、世界最高だったんだから!)



 彼の搭の構造は、時を超えて創造者たちを触発し、数多の作品に描かれて記号としてこの世界を駆けた。



(――だけどね。天を求めたのは、決して支配するためでも奪うためでもない。その高き眺望する視点で、「余裕」を分け与えるためなんだ)



 全長324メートル。「S市」広瀬川上空に「エッフェル塔」は物理的に・・・・現れた。


突撃シャルジュ!」


 姫騎士の方のエッフェル塔が声をあげると、巨大なる構築物――本物の「エッフェル塔」はヴァルケニオンめがけて高速の落下を開始する。



(――高い場所から見なければ見過ごしてしまうような、零れ落ちそうな人達のために。それが――)



 「エッフェル塔」には佳良な蒼いオーラが込められている。パリの潤沢なオントロジカをまるっと引き連れて、この東方の島国は「S市」に現界しているのだ。



(――私たちが信じた。「自由」だ!)



 船上のヴァルケニオンは、向いくる「エッフェル塔」めがけて左の掌を突きだした。


 圧倒的な援軍――「エッフェル塔」を前にしても、動揺する素振りはない。何故なら――


「『地球ザ・ストロ最強のンゲスト存在・マン』」


 世界に記されていないゆえに知悉することができなかった先ほどの「蝦夷の女」とは違う。「エッフェル塔」は、歴史に名を残す存在である。ヴァルケニオンの能力の前に、恐れることは何もない。


「エッフェル塔、その存在よりも……」


 検索と知悉が完了する。まごうことなき、世界の歴史に記された「エッフェル塔」であった。あとは、返しの右拳を撃ち込めば「存在の破壊」は完成する。ヴァルケニオンがこれまで破壊してきた数多の歴史建造物のように、「エッフェル塔」でさえ砕け散る。


 しかし、ヴァルケニオンの戦闘勘のようなものが、右拳を撃ち込む前に一瞬の疑念をもたらした。


(これが本物の『エッフェル塔』だとしたら、あの姫騎士は何だ?)


 当の姫騎士は、低空で跳躍し、もうヴァルケニオンの目の前まで迫ってきていた。


「『エッフェル塔』は囮だよ!」


 姫騎士はヴァルケニオンの腹部を穿うがつ突きの体勢に入っている。


(私の方が、「概念武装」というわけ!)


 ヴァルケニオンは「エッフェル塔」に能力を行使するのを取りやめ、即座に姫騎士の対応に入った。エッフェル塔が想定していたよりも、数瞬速い!


「貴様の名は!」


 ヴァルケニオンの両眼が黄緑色の光を放つと、姫騎士に対する知悉が開始される。検索が完了するのは、一瞬であった。


「ジャンヌ・ダルク!」


 返しの右拳が既に迫っている。


「その存在よりも、我は強い!」


 姫騎士の特攻を、ヴァルケニオンのボディーブローが迎撃する形になった。


 概念武装――姫騎士・聖女ジャンヌ・ダルクという存在は粉々に……


 ならない!


「『偶像化エペ・されるデ・ラ・前の少女ピュセル・の剣リベルテ』!」


 最強の能力であるとしても、知悉という行為を通して「認識」が関与する以上、「ズレ」が生じ得る。人間の認識は完璧ではない。


 エッフェル塔が繰り出した概念武装たる彼女は、「ジャンヌ・ダルク」ではあったけれど、「オルレアンの聖女」ではない。


 主の啓示を受け取る前の、ただの・・・少女なのだ。藤原陽毬を「蝦夷の女」と呼称するなら、彼女は歴史に記される前の「ドンレミ村の少女」に過ぎない。


 その僅かなヴァルケニオンの認識の「ズレ」が、「破壊」を半分に押しとどめた。


 半壊する少女の剣がヴァルケニオンの腹部を捉えた。



――貫ける。



 攻防を目にしていた陽毬も、概念武装の送り主である塔の「エッフェル塔」もそう確信した時。



――バラバラに砕け散ったのは、「ドンレミ村の少女の剣」の方だった。



 「地球ザ・ストロ最強のンゲスト存在・マン」による破壊ではない。これは何か別の……。


 単純に、「あまりに硬いものに、剣を突きたててしまったら、剣が砕ける」という道理の結果というような破壊である。


 二つの、フランスという国にまつわる喪失。


 概念武装として顕現した姫騎士――半壊したドンレミ村の少女ジャンヌ・ダルクは光の粒子に還元されていずこかへと還ってゆく。


 姫騎士を送り出した本体の「エッフェル塔」も、「S市」に現れたのは一時の幻だったとでもいうように、蒼い光に包まれて消滅してゆく。


 代わりに、流れゆく七艘のうちの一つに立体魔法陣が現れて、金髪のお姉さんが現界した。こちらは、建造物じつぞうではなく、いつもの偶像の方のエッフェル塔である。


 策が破れ、当惑の表情で見上げる陽毬とエッフェル塔に向かって、ヴァルケニオンが言い放った。


「『地球アルティナ最硬のードルグ・パ城壁ンデモニウム』」


 薄い不定形の光の壁が、ヴァルケニオンを取り囲むように明滅している。


「あんたの、二つ目の本質能力エッセンテティア、ということ?」

「しかり……『地球上の全ての攻撃を遮断する』能力……我が第二本質能力エッセンテティアだ」

「第…二?」

「ただの敵対者であれば、『地球ザ・ストロ最強のンゲスト存在・マン』で十分であろう。だが、『ときのカッシーラー』――我を一時封じた『不可思議な力』……かつて、似たことがあった」


 「楼閣」の世界で。スヴャトの記憶を通して過去のヴァルケニオンとの戦いを見ていたジョーも、知りえていない事柄をヴァルケニオンは語り出した。


「一九六三年のスヴャトポルクにまつわる『不可思議な光』との邂逅は我の歩みに汚辱を残した。我は更なる『進展』を求めた。そして果たした。次ぐ二〇〇七年の再戦では奴が自棄じきに至ったために、使う機会がなかった。しかし」


 一九六三年のアルティナードルグ城での戦いから、二〇〇七年の再戦までスヴャトポルク――宮澤みやざわ新和しんわは「S市」で穏やかな「日常」を過ごした。


 そして二〇〇七年の「過去」の結末から現在の二〇一三年まで、孫のジョーと宮澤家の人々にも温かい「日常」が存在した。


 しかし、宮澤家の人々が「日常」を生きている間に、ヴァルケニオンは驚異的なスピードで「進展」を求め続け、成長していたとしたら?


 つまり、今、目の前で立ちはだかる二〇一三年のヴァルケニオンは、一九六三年よりも、二〇〇七年よりも、強いのだ。


「そして、現在に至る。空瀬からせアスミ。あれは、スヴャトポルクの、『不可思議な光』に通ずる者だな?」


 堪えきれない、というように、ヴァルケニオンは薄い笑みを浮かべた。


 強靭なる男からフツフツと伝わってくる感情は、「喜び」である。


 己の全てを使えるということ。


 自分の本徒に魂の核心から従う時。それを実現できると知った時。歓喜、充足、そして栄光への意志が人間に訪れる。


「我が全身全霊をもって、大いなる世界の『誤謬ごびゅう』を正す時がきた!」


 ヴァルケニオンは大きく右腕を天に、左腕を地に、傲倨ごうきょたる構えをとった。おそらくはこれが、彼の本来の構えである。


「先に知らしめておこう。我の本質能力エッセンテティアは第三まである。第三本質能力エッセンテティアの名は、『破滅カタストロフ』」


 大王の言述に迷いはない。


「何故、自分の能力を明かす?」


 エッフェル塔が疑念を向けると。


「我が、聖戦が始まったことを直覚したのだ。正しく設計されたこの世界にあってはならない存在。乱れ、攪拌(かくはん)を起こす存在。スヴャトポルクの縁者は『悪』である。一切の憂いなく、正道で我は『悪』を消し去る」


 正義の王の弁舌が加速する。


「我が獲得してきた、地球全体の結界領域を一世紀維持できる量のオントロジカを制限なく炸裂させるのだ。『破滅カタストロフ』は焦土を導く本質能力エッセンテティアである」


 無謬むびゅうを求め。己の本質を求め、彼はこの思想に到達した。


「なるほど。ヒロシマ。ナガサキ。先の大戦で起こった大いなる破壊は、この国においてであったな。だが、原子力すら過去へと流れてゆく。世界はあれからさらに進展しているのだ。次の、未来のエネルギーはオントロジカである。既に破壊の手法もさらなる進展を遂げているのだ。ならば何故、我がそれを手中に収めないだろうか? オントロジカル・バースト――それこそが現行世界における最大の破壊である。この都市に……この国に存在する『悪』の氾濫が手遅れであるならば、我は再び正義の雷で全てを焼き払おうぞ」


 この地を生きた人間として。先の大戦の時代も生きた人間として。陽毬は問うた。


「人を、この街を生きる普通の人々を、何だと思っているのです?」


 ヴァルケニオンは僅かに眉間に皺をよせ、目を細めた。人より長く生きている。世界で最も強く生きてきた。数え切れぬ戦場を駆け、惨忍を、残虐を、虐殺を目撃し、実行してきた真実の王は。あらゆる澱みを濾過ろかした、貴重な美の一滴を見つめんとしているかのよう。


 ヴァルケニオンが信じるものがある。これが、真実の王が地球という星に、人類という種に下した、結論である。


「類まれなる体術を身につけた女よ。歴史に名を刻まれたエッフェル塔よ。共に優れた側の存在だ。おまえ達だって、どこかで思っていたはずだ。死んだ方が、消えた方が世界のためになる。愚かな人間も沢山いるということを」


 陽毬とエッフェル塔は、大王の言に何も返答はしなかった。


 しばしの沈黙。


 川のせせらぎだけが聴こえた僅かな時間の後に。


 彼女たちの代わりに、とでもいうように……。


「あー、やっぱりあなた、苦手だな、改めて」


 涼風に乗って、「声」が響いてきた。


「私なんて、愚かオブ愚か……みたいな女だしな!」


 自虐の言動とは裏腹に、「声」は誇りのようなものを携えていた。「声」の主なりの、確信が伝わってくる。


 流れゆく七艘の船は、広瀬川中域の広瀬橋をくぐり、下流域に到達していた。


 陽毬が「声」が伝わってきた南岸の河川敷を見やると。



――川に沿って、幾多あまたの人々が佇んでいた。



 車掌さん。


 主婦さん。


 自転車屋さん。



――職種、性別、年齢は様々。



 女王のごとき気品を携えた女子。


 涼やかな瞳をした車椅子の女性。


 夏場に赤いマフラーをした女子と、彼女と相似の、内に宿した幾多の技術がはみ出し気味の男子という組み合わせの兄妹。



――姿も佇まいも、それぞれの事情も様々。



 なんだか2メートルくらいの大きな人。


 仕込み杖を手にした老人。


 ボディがメカメカしい人(?)。



――なんかちょっと変わった感じの人(?)々も。



 小柄なニンジャ装束の少女。


 謎のCGっぽい何か。


 エトセトラ。エトセトラ。


 「S市」にいるみなさん。い続けていたみなみなさん。


 陽毬の視線の先を、いつか七夕の日にすれ違った気がする人達の姿が流れてゆく。


 「声」の主は続ける。


「ホンモノの聖女様は『この世全ての犠牲』を救うため、彼女にしかできない使命に向かっているからね。ここは、ニセモノの私がおあつらえ向きってこと」


 シンボリックな刺繍が施されたケープをはためかせているのは、「祝韻旋律」の聖女・中谷理華ではない。長い枯茶色の髪を束ねたサイドテールが揺れている。行き届いた所作でも所々に微妙に隙があるのはご愛嬌。綺麗な顔立ちなれど、高嶺の花かと思えばどこかその辺りにいそうな親しみやすい少女像。――「声」の主は山川やまかわ志麻しまだった。


「志麻さん? 沿岸部で待機している手筈では!?」


 陽毬が現れたこの地の「守人もりびと」の姿を仰望ぎょうぼうすると。


「アスミが立てた作戦だからね。アドリブ感が出てくるのは想定済みよ!」


 たとえば、2011年の震災の頃、孤立した地域に助けに向かった人達。


 あるいは、その後の繰り返される日々の中で、仮設住宅にお弁当を配り続けている人達。


 または、先の8月12日の真実大王襲来時に、被害を最小限に抑えるために奮闘した人達。


 彼・彼女たちはアスミが語ったところの「収奪者側にも、守人側にも加勢はしないが、『まだオントロジカの存在を世間に公表すべきでない』という点で一致している集団の人間たち」であった。


 全てが「祝韻旋律」に属するわけでもない。


 普段は、戦ったりなんてしないで「日常」を生きている。


 ただ、ここに集まった人々には共有した気持ちが一つだけある。本当にこの街が危なくなった時は、必ず手助けに現れるってこと。


 みなさん。「境界」を縫うように生きる、みなみなさん! 本日。不干渉の方針はちょっとだけ破っちゃうぞ。


 街の「日常」を守る者もまた、「日常」に組み込まれている。


 どこかで、誰かが、あなたを大切だって思ってる。


 どこかの、誰かが、あなたが困った時には来てくれる。


 あえて、言おう。


 ここは。ここが。百色の七夕の街。列島は北の方に位置する「S市」である。


「すわ、あなたは『戦争』かしら? また『災害』なのかしら? 関係ないわ。何度『破綻的な出来事』がやってきたとしても、今日もこの街の『日常』は続いてゆくのだから。朝餉あさげのために炉に火が灯る前に。通勤電車が動き出す前に。ケリをつけてしまいましょう。みなさん、ご準備を!」


 集まった「境界領域者」たちの一人――太っちょのオジサンが、古びた洗濯機を持ち上げた。頭上まで掲げる姿はパワフルで、これはデブっていてもその体の大部分は筋肉だ!


 彼だけじゃない。現れたみなみなさんは、歪んだ冷蔵庫、籠が壊れた自転車、動かなくなったロボット掃除機、様々な「ゴミ」を。もう少し取り繕った言葉でいうなら「リサイクル品」あるいは「中古品」を手にしていた。


 あるいは映るのか映らないのか分からないブラウン管のテレビが。


 あるいはフレームが変形したバイクが。


 あるいは画面が割れてるスマートフォンが。


 次々に、川を流れる七艘の船に向かって投げられてゆく。


 すると、各々の「リサイクル品」・「中古品」、そして「欠陥商品」は蒼い光を放ち始めて……。


 高速で、「組変わって」ゆく!



――山川志麻という少女によぎった想念。



 コミュ障歴は長かった。


 今でも、はい聖女の代行です! なんて謎な私の声かけ一つで集まってくれた街のみなみなさんに、仲間意識があるかと言ったらちょっと微妙で。


 それでも、今は感じることができるくすぐったい気持ちがある。


(そういえば、宮澤君に連れて行ってもらったんだった)


 地下のメイド喫茶で、歌ったなぁ。


 オリジナル曲なんてないから、パロディ、カラオケ、アドリブ、軽薄なステージ。それでもお客さんたちが喝采を送ってくれたのは、何故だったのだろう。


 というか。


 宮澤君、宮澤君のお姉さん、宮澤君のひいお祖父さんはイイとして。


 もう一人、一緒に歌って踊ってくれたあのメイドのお姉さんは誰だったんだろう?


 思い出すと、笑みがこぼれる。


 馬鹿馬鹿しい。くだらない。意味のない時間だったのかもしれない。


 だけど。


 歌えないよりは、歌える街がイイ。


 すれ違った、愚かな隣人と、助け合える街がイイ。


 笑い合える街がイイ。


 それくらいには、今はアスミが信じた「街アカリ」を私も愛せるよ。


(「消えた方が世界のためになる」と言ったか。上等だよ)


 彼女が初めて感じた、見知らぬ他人を動機とする"怒り"を、「壊す」ためじゃなくてもう一度「創る」ための力に換えて。


 両掌を天にかざした。


 舞う中古品たちに向けて、"愛を編み込むように"志麻は唱えた。


「『機構的なリ・エンゲー再契約ジメント』!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る