最終話「大楼閣と古の戦艦」

262/広瀬川灯明邀撃戦線1~蝦夷(エミシ)の女

 最終話「大楼閣だいろうかくいにしえの戦艦」


  ///


 炎の中にいた。


 この郷里が焼かれたのは、もう何度目だろう。


 大きな震災があった。


 先の大戦での大空襲があった。


 けれど、この炎は、もっと昔の――。


陽毬ひまりさん」


 名を呼ばれて女が振り返ると、自分と瓜二つの姿をした少女が佇んでいた。


「陽毬さんは、どうしてそれほどの名を持ちながら、歴史に刻まれない生き方を選んだのでしょう?」


 ジョーのひい祖母・宮澤みやざわ陽毬ひまりは胸に手を当てると、写身うつしみの少女に返した。


「戦艦陸奥むつさん。誰にも知られていないということが、いつか役に立つことがある。そう思ったのです」


 それは、歴史に名を刻まれた戦艦陸奥とは、異なる存在の在り方である。


 ジョーのひい祖父・宮澤みやざわ兵司ひょうじは宮澤流柔術を伝承するものであった。


 しかし、ジョーに繋がる歴史はそれだけではない。


 ジョーのひい祖母・宮澤陽毬には、ひい祖父・兵司と結婚する前の、秘される歴史が存在するからだ。


 陽毬が幻視する炎は、一一八九年に東北の地を焼いた炎である。


 東北の地に黄金の浄土を願った一族――奥州おうしゅう藤原ふじわら氏が滅びた炎である。



――誰にも話したことはないのですが。



 陽毬の旧姓は「藤原」。


 黄金を求めて東北の地に散らばった奥州藤原氏の隠密たち――その一人を先祖に持つ者である。


 あらゆる表層のカテゴライズを彼女は拒否した。


 伝説にも、歴史にも、物語にもその名は残らない。


 もし、「世界」が彼女を記すことがあるのなら、ただ「蝦夷エミシの女」とだけ。


 「藤原」の姫の座を手放して、草莽そうもうの民として郷里を愛した「とある女」。今、抜刀す――。


  ///


 鞘走りの音は、遅れて聴こえてきた。


 先に仕掛けたのは陽毬である。


 神速の抜刀術を前に、ヴァルケニオンは僅かに身を引いた。


 常人ならば気づいた時には両断されている一刀であったが、ヴァルケニオンは皮一枚の所で見切ってみせる。


 陽毬は振り抜いた刀を今度は超速で再び納刀する。


 しかし二太刀目が鞘から放たれる前に、ヴァルケニオンの左掌の「捕縛」が陽毬を捉える。


 ここまでは――八月十二日の戦艦陸奥と真実大王との攻防と同じ。


 しかし。


 ここで、ヴァルケニオンに困惑の表情が浮かぶ。


 彼の本質能力エッセンテティアを使用しても、目の前の女の存在を知悉ちしつすることができなかったのだ。


「貴様、戦艦陸奥ではないな。世界を覆う我が『網』でも素性がはかれぬ存在――何者だ?」

「私は、通りすがりの無銘の女。何事も成さなかった女ゆえ、世界に何も刻まれていない。そんなこともありましょう」


 玲瓏れいろうな声で告げた陽毬の様子は、何らかの正統性を受け継いできた姫のごとし。


 真実大王ヴァルケニオンには告げぬ真実を語るなら、彼女の真名しんめい藤原フジワラノ陽毬ヒマリ――隠密とはいえ、紛れもなく奥州藤原四代の血を引く者であった。


 されど、陽毬はそんなことは語らない。


 淑とした姫の高貴さはすぐに消えて、今度は戦闘の最中なのにひたすら陽気に。


「アイ・アム・ア・ジャパニーズ・ニンジャ!」


 言い放ち、抜刀術の第二撃をヴァルケニオンに向かって撃ち放つ。


 八月十二日の戦いでアスミが推定した「地球ザ・ストロ最強のンゲスト存在・マン」の弱点は「――地球全てを『検索』した上で相手がどんな存在かを『知悉』してからでなければ、『破壊』のプロセスに移れない」というものであった。


 だとするならば、歴史に記されぬ――「検索」することができない存在である藤原陽毬には、「地球ザ・ストロ最強のンゲスト存在・マン」は効かない。


「くだらぬ!」


 陽毬の第二刀、これもヴァルケニオンに紙一重でかわされる。


 ここで第三刀を放つ前に、陽毬はバックステップで間合いを取った。


 ヴァルケニオンがその僅かの「間」で拳をためる。


 渾身の右拳の一撃がくる。一九六三年にスヴャトポルクに撃ちこんだ一撃。二〇一三年八月十二日にジョーに撃ち込んだ一撃である。


 たとえ「地球ザ・ストロ最強のンゲスト存在・マン」が無効化されるとしても、今の陽毬はただの女。強力な物理攻撃の前には砕け散ってしまうだろう。


 ヴァルケニオンの魔拳が撃ち放たれた刹那、陽毬は全身の力を脱力し、さながら綿になった。


 拳が陽毬をとらえる。あらゆる防壁を粉砕する一撃であったが……。陽毬はその拳の動力の分、自分の身体も後方に下がり、さながら拳に「乗った」。彼女が伝承する身体術の奥義であった。


 綿には拳は効かぬ。刃も効かぬ。陽毬が身に付けている歴史に秘された闘術は、剛柔併せ持つ類のものであったのだ。


 しかしこのやわらの技も万能ではない。ヴァルケニオンの類なき前進する力を一身に受けた陽毬という綿は飛ばされる。暴風に運ばれるように、遠く、遠く舞った。


 舞って、舞って。気がつけば、国道まで出てきていた。


(好都合!)


 この戦いで陽毬が目指すのは、広瀬川である。


 アスミが立案した「広瀬川ひろせがわ灯明とうみょう邀撃ようげき作戦さくせん」において、まずはこちらが陣を張った戦場にヴァルケニオンを誘い出す。その先鋒を陽毬は任されたのだ。


(押し込みます!)



――知りますまい。誰にも語られぬまま、磨き上げ、伝えられた術式ゆえ、検索できますまい。



 陽毬は懐から徽章きしょうをもう一つ取り出した。描かれたるは「宝相華ほうそうげ鎹山かすがいやま」、奥州藤原氏と縁ある北方の金色堂の寺紋じもんであった。


 紋章が蒼い光を放って弾けると、さらなる一刀の日本刀に変幻する。


 蝦夷の女は菊の銀刀と藤の黄金刀を両手に構えて。


 ジョーのひい祖父・宮澤兵司は、柔術使いであったが――。


「右手に日の本の陽光を。左手に蝦夷の憂愁を。いざ、天地和合を成さん!」


 このひい祖母・藤原陽毬が伝承したる闘術――否、忍術の呼称は、藤宮ふじみや相和そうわりゅう――二刀剣術。


 菊が舞い、藤は踊り、今、想像上の宝相華が咲く。


双児そうじの竜のアギト!」


 陽毬が突きだした二刀から、赤竜と青竜が飛び出してくる。


 それは、オントロジカを利用した攻撃と解釈されるのかもしれない。しかし、古き平安の世、鎌倉の世にあっては、紛れもなく神秘の魔剣の類であった。


 この日、「S市」の空を双児で相似の竜が翔んだ。


 二匹の竜は、相補い合いながら、大きな力でヴァルケニオンを運んでいく。


 天まで舞った陽毬とヴァルケニオンは、そのまま上空を飛翔し、移動してゆく。


「カアァッ!」


 ヴァルケニオンの怒声と共に周囲に稲妻が走り、二頭の竜が爆散した時、陽毬とヴァルケニオンは既に「S市」は宮澤橋の上空にいた。この下はもう――広瀬川である。


 何者が手配したものなのか、上流より七そうの船が流れてくる。


 その一艘に陽毬が、異なる一艘にヴァルケニオンがそれぞれ着地する。


「問う。何の名も持たぬ者が、何故ここまでの力を持っている?」

「私の力ではないでしょう。私は『本当の強さ』を借りているだけ」

「『本当の強さ』だと?」

「何度、炎に焼かれても、途切れないものもある。それが、『本当の強さ』です」

「その手の戯言を語った者は、全て我の前に敗れていった――」


 川を流れる船の上という不安定な足場であったが、関係ないとばかりにヴァルケニオンは再び右拳を撃ち出すモーションに入った。


 大王は跳躍し、船から船へと強襲アサルトする。


 上方から落ちる右拳は、さながら爆撃のようだった。


 陽毬は今度も「綿」の体術で大王の一撃をいなそうとするが。


「進めッ!」


 大王が一喝すると、拳にさらなる動力が追加される。その推進力、「綿」ごと焼き殺す近代兵器のごとし。――今度は陽毬の体術でも殺しきれない!


 陽毬はその身を吹き飛ばされて、あわや広瀬川に落下するところであったが。


 その綿の身の下に、ちょうどこれまでと異なるもう一艘の船が辿り着いた。


「ヨっ」


 っと、気軽な感じで船から助っ人は現れた。


 吹き飛ばされた陽毬を受けとめたのは、柔らかな金糸の髪の女性である。


 ブルーを基調とした貴人の装い。彼女は既に現界し、流れいずる船の中の一艘に横たわって予め待機していたのだ。――エッフェル塔だった。


 東方は偏角の国。かつては陸奥国と呼ばれた土地を流れる清流の中で、蒼穹のドレスが揺れている。


 不安定な足場でも、皮のブーツから伸びた足はバランスを失わない。セクシーなふくらはぎから太腿ふとももへのラインを経由して、久方ひさかたそらの色をした軍服ワンピースへ。包容力がある胸は、今は陽毬の頭を抱きとめている。


 澄んだブルーの瞳で傷ついた陽毬に慈愛のまなざしを落としながら、左サイドで束ねている金色の髪をキラキラと風に揺らしている。


 エッフェル塔が受け止めた華奢きゃしゃな和装の女の口元から、血が流れていた。「陽毬」でいる間は、体の方も人間に近いものになっているらしい。それは「弱く」なっていることでもあるのだが。


 赤い、紅い血がしたたり落ちる。


 エッフェル塔が陽毬の口元の血を、人指し指で優しく拭う。


「ありがとうございます」

「やっぱり、あなた、姿は同じだけど違うんだね」


 陽毬が纏っている気品と朗らかさは、「戦い」が本徒であった陸奥とは少し違う。刃を手にしていても、陽毬はあくまで「日常」に属する者なのだ。


「ねぇ。東方のニンジャさん。戦艦の方の"アイツ"にはもう会えないのかな?」


 エッフェル塔の問いに陽毬は左胸に手をあてて応えた。


「戦艦陸奥さんは、ここに"い"ます」


 奥州の地を流れ続けた広瀬川の香りに包まれながら。


「おそらくもう、陸奥さんは陸奥さんなのだと思います。あなたが、始まりは『構築物コンストラクテッド・歴史図書館ヒストリア』によってカンナの『たましい』で擬人化された存在だったとしても、やはり同時に一つのエッフェル塔という存在であるように」

「なるほど、アイデンティティ(―自己同一性)、か。大事だね。『自由』の基本になるものだね」


 エッフェル塔は凛と抜剣する。剣はこれまでの「偶像化されたエペ・デ・乙女の剣ラ・ピュセル」と似ているが、どこかが違う。


「"アイツ"。七夕の日に『奈』という字を書いていた。実りをもたらすとか、そんな意味なんだって? "アイツ"の願い事、ホンモノだったのかな?」

「ホンモノでしょう」

「"アイツ"のこと、けっこう好きだったんだ。私はもう会うことはないかもしれないから、『たましい』があなたの中にいるのなら伝えておいて」


 同じで湯で温まった数奇な逢瀬に、静かな祝福を。


「この巡る世界の中で、私は塔で、アンタは船で。もしまた何かの縁で逢うことがあったなら、一緒にお酒でも飲みましょうってね!」


 七夕の日、エッフェル塔が短冊に書いた言葉は「余裕」であった。


(そーゆうこと。世界から零れ落ちたあなたが渇いていたなら、潤沢な水を携えて駆けつける。それが私――フランスという国の理想さ)


 広瀬川の水面にオントロジカの光が立ち昇る。


 蒼穹。どこまでも、蒼い、蒼い、光がカナタから運ばれてくる。


 立ち昇るアオの蛍火ほたるびの中で、真実の王はエッフェル塔と向かいあった。


「先日より光の量が多い。本気という訳か。懸命に撤退したものだと思っていたがな。世界四大オントロジカ集積地たるフランスはパリ。焦らずとも順に収奪に向かったものを」

「あなたも『自由』で私も『自由』。だけど、フランスの『自由』はあなたとはちょっと違う。譲れない一線も、あるのさ」


 アオの光は昭光しょうこうとなった。地球上でもっとも多くのオントロジカを獲得したヴァルケニオンという男をして、その光量、瞠目どうもくに値する。


「貴様、実体か」



――この日、数時間だけフランスのパリからエッフェル塔が消えた。



 戦艦陸奥も、ヴォストーク1号も、既にこの世界から失われた存在だから、これはできない。未だ常世に聳え立つ、エッフェル塔わたしだけができる。



---


 自分が信じる大切な何かのために、自分の全てを賭けるなんてお笑い草だ。


 いつからそんな世の中になったのだろう?


 でも。


 古めかしい見解だと貶められようと、このイマになっても言うよ。



――フランスは、自由リネンのために全てを賭けられる国である。


---



 今、この世界を吹き荒れている――より強く、より速く、より優れた存在のみを求める――強大なる真実の暴風を前にして。


 東方の蝦夷エミシの末裔の女と並び立ったは、西方世界の極点たる自由の塔である。


 立ち昇る蒼きオントロジカの流光りゅうこうを一身に受けて輝きながら、陽々たるお姉さんは言い放った。


「最近のコンセプトは、ファンに逢いに来てくれる実像アイドル。建造百二十四年でもハートは女の子。エッフェル塔、だよ」

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