225/ジョーVSひぃじーじ
――表へ出ろい。
謎のX。己の祖父の存在をジョーが問うと、ひい祖父はそう返した。
ひい祖父のアパートの近くの公園に移動すると、時刻はそろそろ夜十時を回ろうかという頃で、
ひい祖父は、柔術の道着を纏っている。向い合うと、場に「気」が凛と満ちる。
「不思議な力はなしじゃ」
「ひぃじーじ。やっぱり何か、知ってるんだな」
裸足で砂の地面を噛み、ひい祖父が近づいてくる。
がっちりとそのまま組合い、立ち会いが始まった。
「来い」
ジョーが右組手で、ひい祖父が左組手なので、いわゆる「ケンカ四つ」の組手になる。
まずジョーが右の背負い投げを仕掛けたが、ひい祖父は重心を落としてそれを正面から受け止めた。投げることどころか浮かすこともできない。ズシンとジョーの背中がひい祖父の体にぶつかる。道着越しに、ひい祖父の血潮が、生命の息吹が伝わってくる。
ならばと、ひい祖父の右手を払って、今度は逆方向へ回転する。道着を着た人間の
しかしだ。ひい祖父はジョーの左方向の回転に逆らわずにジョーを抱え込むと、捨て身になり、そのままジョーと共に空中で一回転。自身の背を地面につきながらも、ジョーの仕掛けた技の勢いを利用して、逆にジョーを宙に放り投げた。変則の裏投げと帯取り返しを合わせたような近代柔道にはない技である。
派手に飛ばされたジョーは、何とか空中で体の半分だけ制御を取り戻し、地面に落ちる寸前に肩で受身を取った。
一方のひい祖父も、捨て身で地面に背をついたダメージを受けている。時間をかけてゆっくりと立ち上がってくる。
「ジョーよ。柔道のこと。無駄だったと思っておるだろ」
それは、無駄というか。
「俺は、勝てなかったからな」
その道で祝福は受けられなかった身の上だとは思ってる。
「奥義は、覚えているか」
ジョーは頷いた。ひい祖父との柔術の稽古に打ち込んだ幼い頃に、それは確かに伝授されていた。
「『
ひい祖父は頷き返した。
「構えい。今から儂は、虎で龍になるからな」
膝を柔らかく落として、奥義の使用に適した構えを取りながら、心に僅かな迷いが生まれる。
何故なら、宮澤流柔術奥義・虎龍決破は、ジョーが柔道の全国大会の時に使っていた技でもあったから。それでも、あの試合は勝てなかったのだ。
ひい祖父が向かってきた。
左のフェイントから、右へとジョーを中心に円形に高速旋回する。右に残像、左には風。その動き、電光石火のごとし。老人のそれではない。否、人間のそれではない。
迷いを含んだ心でも、身体に刻まれた過去の練習の集積に導かれるようにジョーの心が動いた。今まで経験したことがない、ひい祖父の稲妻のごときスピードに、ジョーはぴったりと付いていく。
両者が交差する刹那。ジョーは、ひい祖父の腹部に左拳をあてた。確かに、拳越しにひい祖父の臓腑の感触を感じた。
だが、そこまでだ。
(あの時と同じだ)
拳をあてるだけでは、人は倒れない。ジョーは次の瞬間にはひい祖父の背負い投げで地面に叩きつけられていた。
あの最後の柔道の試合の時も、虎龍決破で先に相手に触れることはできた。だが、それだけでは何も起こらない。次の瞬間、ジョーは投げ飛ばされて敗北したのだ。
「良い、虎龍決破であった」
地面から見上げたひい祖父の顏は満足そうだった。
「俺、まだこの奥義の意味が分からない」
ゆっくりと立ち上がる。今夜の立ち会いはここまでのようだ。
虎龍決破では、無意識を相手の波長に合わせて、どんな動きにも付いて行く。そして、「必ず相手より先に相手に触れることができる」という奥義だ。
しかし、あの時も、今も、触れるだけでは相手を倒すことができないのだ。
「その時は意味がないと思ったことでも。後になってそれはやはり必要だったのだと分かる。そんなこともあるぞい」
さて。と前置きしてひい祖父は語り始めた。
「新和の件じゃったな」
「新和、それが俺の
「お前がその鍵を受け取ったのなら、儂からはもう何も言うことはない。扉の場所だけ教えてやる。そこでお前は、もう一度出合い、そして選ぶことになるじゃろう」
そうして、ある
ジョーの記憶にある、その「扉」があるという住所の位置は。
(「紫の館」があった場所だ)
それでも、もう一度行ってみる。
「ひぃじーじ、ありがとう」
そう伝えて、ジョーは走り出した。
自分という存在と世界について知るまで、あと少し。
ジョーのひい祖父・宮澤兵司が辿り着いた気持ちについて。
戦艦陸奥の爆沈と共に飛散した自分の心が、その過去を呪わずにここまで生きてこられたのは。その後の人生を、ジョーのひい祖母・陽毬が側で一緒に生きてくれていたからだろう。
(扉の向こうでどんな過去が待っていても、お前は自分の未来を選んで良い)
運命のランデブーポイントに向かうジョーの背中には、彼の全てを肯定する温かいまなざしだけが向けられていた。
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