月面のジーニアス
石田リンネ
第一章 皇帝のクソ野郎!
1話目
2XXX年、人類は宇宙へ更なる進出を果たした。
宇宙工科大学、通称『月面カレッジ』では、宇宙技術者を目指す天才中の天才が集まり、日々勉学に励んでいる。
船外活動機『ストームブルー』の搭乗訓練後の生徒達が通る訓練用の
通称『スイムウォーク』と呼ばれる月面上独特の歩き方は、その名の通り水の中にいるような、ゆっくりとしたストロークで一歩一歩が長い。
「あー……このカレッジにはラッキースケベが存在しねぇ」
ディック・デイルは目の前をすいすいとスイムウォークで歩く女生徒のスカートの中身を見ながらも嘆いた。スイムウォークはかなり前方へと身体が傾き、後方に位置していたらスカートの中もばっちり見える。
「ラッキースケベ?」
隣を歩いていたケイ・シノハラが訊けば、憤慨したようにディックは頷いた。
「スカートが風でまくれあがって、『きゃー!』って事件は発生しないってこと。オレはこのカレッジに来てから重力というもののありがたみがわかったぜ」
なるほどね、とケイは苦笑した。ディックの隣を歩いているケイにも、スイムウォークで歩いている女生徒のスカートの中身はきちんと見えている。しかしその中身は男の憧れである白いレースやら水色の縞模様で彩られた女性用下着ではなかった。
制服の試着の段階で、スイムウォークをしたら下着が見えてしまうことは判明する。ならスカートに工夫が施されてしまうのは当然のことだ。
結果、この月面カレッジの女性用制服のスカートは、短めのスパッツと一体化したものと改良された。スカートがまくれ上がっても見えるのはスパッツ。女性の圧倒的な支持率と対照的に、男性は圧倒的な不満率である。
「セリアも乗るかー?」
「あ、はい! 乗ります!」
男生徒三人と女生徒一人で加重エレベーターに乗り込んだ。三分かけてゆっくりとスペースポートから月面カレッジの講義エリアまでを移動する加重エレベーターは、徐々に重力を内部に加え、降りる頃には1Gとなる。
「――ラッキーを待つ必然性はあるのか?」
先程のディックの『ラッキースケベ』発言にツァーリがもの申した。真後ろを歩いていたから聞こえていたらしい。そりゃまあ……と意図が読めず曖昧に返事をしたディックを一瞥し、乗り合わせた女生徒のセリアを見る。
「セリア、胸を触るぞ。嫌なら今から三秒以内に断れ」
「え!?」
「ツァーリ!?」
セリアと呼ばれた女生徒はツァーリと同じNES校出身だ。
陽光に照らされた雪原のような輝く白銀のセミロングは、動く度にさらさらと音を立てる。透明度の高い薄紫の大きな瞳は宝石のように輝き、長い睫毛は瞬きをすると影を落とす。柔らかできめ細やかな乳白色の肌に、ほっそりとした華奢な身体。指先はマニキュアを塗っていないのにほんのりと桜色に染まっている。
幻想的な絵画の中から抜け出してきたかのような容姿を持つセリア・カッリネンが、このカレッジの美人ランキングトップ3に入るのは当然だった。
そんな美少女相手にとんでもないセクハラ宣言をしたツァーリに、加重エレベーター内に乗り合わせた皆が驚き、固まる。しかしツァーリは無情にもカウントをスリーツーワンと淡々とこなし、右手を伸ばした。
「ひぇっ……あ、あぅう!?」
伸びた右手はセリアのささやかな胸を掴む。むんず、というほど強くはない。しかしぽす、というほどソフトタッチでもない。指の間から胸の膨らみがわずかにはみ出るような、しっかりと、でも痛い程ではない、そんな強さでむっちりと掴んだ。
「ラッキーを待たなくても、スケベをすればいいだろう。こういう風に」
「いやいやいや! 何それェ!?」
「ぅあうあ……」
セクハラ発言をかました男は
「それさあ、ツァーリだけが許されるんじゃない?」
「……あのぅ……ううう」
プラチナブロンドに碧眼で長身のモデルも霞むイケメン、その顔にときめいた女生徒達がひそひそ話用に
そんなひたすら顔だけでもててしまうツァーリになら『スケベ』をされても許せる女生徒は大量にいるだろう。だがそんな顔を持っている男は滅多にいるものではない。
「きちんと許可とればいいだろう、とれなかったら素直に引き下がれ」
「僕らはツァーリと違うから、お願いしただけで平手喰らうよ」
「ぇえっと……あぅ……」
そうこうしているうちに加重エレベーターがポーンと音を立て、講義エリアに着いたことを知らせた。
「でさ」
ケイがツァーリとセリアを見てあの〜と手を挙げる。
「いつまで掴んでるの?」
加重エレベーターにいた三分間、ツァーリの右手はセリアの胸を掴んだままだった。
「あぅ……そ、そろそろ、離してくださぃ……」
蚊が鳴くような声でセリアはやっと自己主張に成功した。
「聞いた!? あのツァーリが白昼堂々美人の大きな胸をこう揉んであんあん言わせたんだって!」
大きなのところで胸を強調し、揉んでのところで卑猥に手を動かし、あんあんのところで身体をくねらせたのはセリアの友人であるメディア部の部長、リジーだった。昼休みの食堂は騒がしく、リジーの行動に注目する人はいない。
「……いつの間にわたし、大きな胸になってしまったんでしょう……」
ささやかな胸をさすって、同じテーブルのセリアはため息をつく。ぼそぼそとした美味しくないフライドポテトをかじり、もう一つため息をついた。
「セリアいっつもツァーリの後ろにくっついてるじゃん。現場を見た?」
「見た……というか……」
掴まれたというか。
伝言ゲームは『皇帝がいつも後ろをくっついて歩いているあのコギト・エルゴ・スムの胸を掴んだ』と正確に始まったはずなのに、人を伝わる度に歪み、ついには『皇帝が美人の大きな胸を揉んであんあん言わせた』までになってしまったらしい。
「そうそう、後ろくっついてるそれね。私また訊かれたわ。ツァーリはコギト・エルゴ・スムを苛めてるの? って」
同じテーブルにいたセリアの友人ユーファ・シュウが呆れたように見てくる。
エーヴェルトが
「わたし苛められてません。……その、ツァーリは足が速いので、横を歩いていてもいつの間にか後ろになってしまって……」
ツァーリとセリアは殆ど同じ講義をとっているので、一緒に移動することが多い。最初は隣を歩いていても、いつの間にかななめ後ろ、ついには真後ろを歩くことになる。置いて行かれないよう必死に足を動かし小走りになっているセリアを見て、舎弟にされてんの? 苛められてるの? と勘違いする者は多々存在する。
「女に歩調を合わせない男って好きじゃないわ」
ユーファは近くのテーブルで昼食を美味しくなさそうに食べているツァーリをちらりと見て言う。月面カレッジの非公式アンケートミスコン一位を取ったスタイル抜群の美人であるユーファが言えば、その通りでございますとセリアとリジーは頭を下げたくなった。
「――行くぞ」
そのツァーリが昼食を終えたらしく、セリアのテーブルまでやって来た。セリアは勢いよく立ち上がり、残したポテトはリジーの皿に食べてと移す。トレーを持って必死にツァーリの後についていくセリアは、どう見てもただのツァーリの舎弟だ。
「そんな急ぐ授業あったっけ? セリアって一ヶ月前に
セリア達、月面カレッジの生徒が目指している宇宙技術者は、大きく三つに分類される。
航路の計算をして宇宙船を動かす
この三つの資格は、FランクからAランクまであり、試験に合格して実習時間を満たすとランクをとれる。
Aランクを一つとった生徒を通称シングルと呼ぶが、そのシングルでさえ卒業生の二割しかいない超難関資格だ。Aランクを二つとったダブルになればその年の卒業生の数人となり、Aランクを三つとったトリプルともなれば、その年の卒業生の中にいないことの方が多い。
セリアとツァーリはこの三つのAランクを卒業の一年半前にとり、
「あの二人、
ユーファはコーヒーのカップをがちりと音を立ててソーサーへ戻した。
リジーはセリア達の背中を見てひえーと驚く。
「うはー、流っ石うちのツートップ。そんなん卒業して配属先で自然にとるヤツじゃん。まーだ努力するんだ」
「ええ、凄いわね」
努力を怠らぬ二人の姿は、この月面カレッジの生徒の完璧なる理想だ。誰もがあの二人に続け、と目標にしている。
「……いっそ
ユーファは自分にだけ聞こえる重たい呟きを吐いた。
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