Section3-2 夕闇の通り魔

 期末テストが近いこともすっぱり忘れ、ゲームセンターでひたすら遊び倒した紘也たちが帰路についたのは、午後七時を回った頃だった。夏場の頑張り過ぎる太陽も休眠するために沈みかけ、住宅地を鮮やかなオレンジ色に染めている。

「紘也、女の子と同棲するのはどういう気分だ?」

 前振りなく投げかけられた孝一の問いに、紘也は危うく噴き出しそうになるのを気合いで抑え込んだ。

「お、女の子といっても見かけだけの蛇だぞ? なにを期待するっていうんだ?」

「あたしゃドラゴンです! なにやらを七つ揃えたら願いが叶うほどドラゴンです!」

 意味のわからん叫びが後ろから飛んできた。女子三人で和気藹々と談笑していたはずなのに、なんという地獄耳だ。

「ははは、訊いただけさ。でも、いい娘だとは思うぞ、彼女」

「人外に欲情なんてしねえよ。欲しいなら孝一にやるよ」

「……いや、ちょっと遠慮させてもらう」

「フン、妖魔と結ばれることなんてありえないわ。それで正解。せいぜい契約幻獣として扱き使うことね」

 ゲーセンでの戦利品を詰めた袋を両手いっぱいに抱えた香雅里が会話に割り込んできた。

「いいのか、こっちに来て。女子同士で話してたんじゃないのか?」

「鷺嶋さんはいいけど、妖魔となんか話したくないわよ。それに、あなたはあの空間に溶け込める自信ある?」

 言われて、紘也と孝一は後ろの会話に聞き耳を立てる。


「そこでにんじんさんが活躍するのです」

「いえいえ、やっぱりそこはフングスとマンドラゴラが重要になるかと」

「ほえ? ふんぐす? まんどら?」

「幻獣界でもメジャーな野菜の二つだよ」

「おぉ~、それは是非食べてみたいよぅ。きっと舌がとろけるんだね」

「んもう口の中でジュバババドッカーンって弾けるよ。今度持ってくるよ。こっちにいる知り合いのエルフに森を焼き払うって言えば喜んで献上してくれるから」

「ウロちゃん、乱暴はよくないよぅ。でも、これでおいしいカレーができそうだよぅ」


「カレーの話かよっ!? フングスって毒キノコだぞ誰を殺す気だ!?」

 スルースキル上級者の紘也でも突っ込まずにはいられなかった。香雅里を見ると、『どう? ツッコミが追いつきそうにないでしょ?』と言いたげに肩を竦めている。

「会話内容が異次元過ぎだな」

 孝一もまさかカレーの話だとは思わなかったようだ。

「紘也くん紘也くん、愛沙ちゃんと相談したんだけど、今度みんなでカレーパーティーをやろうってことになったよ」

「きっと楽しいよぅ」

 ウロと愛沙が駆け足で寄ってきた。どうやら殺されるのは紘也たちらしい。

「材料にフングスとマンドラゴラは禁止な」

「メイン素材を抜くなんて紘也くん頭大丈夫? あっ、アルラウネの方がよかった?」

「そっちこそ大丈夫かと俺は問いたい。あとアルラウネもダメだ」

 いくらカレーが万能でもそんな食材(?)までフォローできるとは思えない。食えば冗談抜きで死ねる。阻止、もしくは厨房の監視は必須だ。

「私は参加しないわよ」

「そんなぁ、かがりんもやろうよぅ」

「馴れ馴れしく呼ばないで!」

「お忙しいのかな? だったらカガリちゃんがお暇な時に合わせるよぅ」

「ああもう寄るな触るな抱きつくなぁあっ!!」

 ウロと愛沙に両脇から張りつかれ、香雅里は恥ずかしさに赤面して叫んでいた。

「!?」

 その時、唐突にウロが香雅里から飛び退いた。彼女はまなじりを吊り上げ、なにかを探すように周囲をキョロキョロと見回し始める。

「ウロ、どうし――!?」

 訊ねようとして、紘也も気がついた。忍び寄るように静かな、しかし大量の気配。やがてそれはキーキーと耳障りな獣の鳴き声へと変化する。

 ――幻獣だ。

「上よ!」

 香雅里の叫びに、バッ! と紘也たちは天を見上げた。そこには、夥しい数の黒い影が夕空一面に飛び交っていた。鼠と豚を足して二で割ったような姿に悪魔を彷彿とさせる大きな翼――蝙蝠だ。それも普通の蝙蝠より遥かにでかい。中型犬くらいある。

「やったぎゃ、ウロボロスとその契約者をみっけたぎゃ」

「みっけたみっけた♪」

「……でも、気づかれた」

 巨大蝙蝠たちの中に小学生くらいの少女が三人、周囲の蝙蝠と同じ翼を生やして浮かんでいた。彼女たちは背丈も顔立ちも服装もコピーペーストしたみたいに瓜二つ。違うところと言えば、短めの髪を結っている位置が喋った順に右、後ろ、左というだけ。

「なんだ、あれは……?」

「はわわわわわ、たくさんいるよぅ」

 孝一と愛沙は恟然としていた。紘也もあまりの数の多さに戦慄する。十や二十ではない。目測だが五十匹は超えている。ふと、朝のニュースで見た吸血殺人を思い出した。

「アレはジャイアントバットだね」

 ウロが呟く。幻獣ジャイアントバット。麻痺毒のある牙で動物の自由を奪い、その間に全身の血液を吸い尽くす蝙蝠型幻獣だ。あの少女三人は『人化』しているようだが、同種だろう。こいつらが吸血殺人の犯人で間違いなさそうだ。

「気づかれたのならば先手必勝だぎゃ! 者どもやってしまえい! だぎゃ!」

「やっちゃえやっちゃえ♪」

「……ウロボロスと契約者は旦那様の物。生け捕り」

 恐らくリーダー格であろう少女たちの命令に従い、飛び交っていた無数のジャイアントバットが紘也たちに向かって音もなく滑空してくる。

「来るわ! あなたたちは下がってなさい!」

 ゲーセンの袋を放り捨て、香雅里が護符から宝剣〈天之秘剣・冰迦理〉を取り出す。それから二体の紙サムライを召喚し、後ろに退避する紘也たちの護衛を命じる。

 ウロもどことも知れない空間から〈竜鱗の剣〉――またの名はアホらし過ぎて口にしたくない――を取り出し、群がる巨大蝙蝠をばっさばっさと斬り落としていく。

 キーキーと悲鳴を上げて消滅するジャイアントバット。その向こうでは香雅里に斬られ、全身氷漬けとなった仲間が粉々に砕け散っている。

 二人の攻撃はまさに一撃必倒。ウロや香雅里が剣を振るうたび、確実に一体以上のジャイアントバットが消滅している。この二人がいれば頼もしいことこの上ない。

 ジャイアントバットはそこまで強くない。紘也たちを守っている式神でも軽く斬り捨てられる程度だ。

 だが、いかんせん数が多い。

 群れを成していた点はウィル・オ・ウィスプと同じだが、機動力が圧倒的に違う。

 ウロが唸る。

「むう、こう多いと面倒だね。ジャイアントバットは雑魚だけど、世界の幻獣TCGでも群れるから厄介なんだよ。――かがりん、もっと式神出せないの?」

「無理よ。これで全部なの。他の式神はあなたに倒されたから」

「んもう、もっといっぱい用意しときなよ使えないなぁ」

「悪かったわね! あなたこそ一瞬で殲滅できるような術とかないの?」

「全力で魔力弾をぶっ放ちましょうか? こう近いとあたしらまで吹っ飛ぶけど」

「一匹ずつ、着実に片づけるわよ!」

 作戦会議をしながらも二人は巨大蝙蝠の数を減らす手を止めない。たぶんウロだけだと、ここまで余裕を持って紘也たちを守ることはできなかっただろう。息ピッタリとまでは言えないが、香雅里と友達になることは共闘という意味で利があったのだ。

「ムッキャーッ、なにやってんだぎゃあんたたち! たった二匹相手に!」

「なにやってんだなにやってんだ♪」

「……主要攻撃対象変更。契約者を重点」

 左サイドテールの少女が冷静に指示を出す。すると、ウロと香雅里を攻撃していたジャイアントバットたちが分散し、紘也たちの方へ雪崩飛んできた。

「させないよ!」

 ウロが群がるジャイアントバットを薙ぎ倒して地面を蹴る。

「……それはこっちの台詞」

 と、そこに蝙蝠娘三人が立ち塞がった。もちろん、そんなことで止まるウロボロスではない。大剣を大振りに構え、敵三人を一度に斬り飛ばす――ことはできなかった。

「させないさせない♪」

「これでもくらうぎゃ!」


 キィイイイイイイイイイイイイイィィィィィィィィィィィィィィィィィィン!


 蝙蝠娘たちが口を大きく開けたかと思えば、直接脳へと響くような奇声を発した。途端、ウロは頭を押さえて片膝をつく。彼女の直線状にいる香雅里も同様に苦しんでいる。

 超音波。

 音は聞こえるが紘也たちに影響はない。音波に込められた魔力が前方にしか飛ばないからだろう。

 ウロは歯を食いしばって呻いている。〝再生〟と〈竜鱗の鎧〉という防御力を持ってしても、音による攻撃までは防げないのだ。

 しかし、彼女の心配をしている暇など紘也にはなかった。

「あわわわわわわ~っ! こ、こっち来ないでぇ~」

 香雅里の式神をくぐり抜けてきた一匹が愛沙を狙う。愛沙は手で頭を庇ってしゃがみ込む。彼女の首筋に、麻痺毒のある牙が突き立てられた――かのように思えた。

 寸でのところで孝一がカバンの角でジャイアントバットを殴り飛ばしたのだ。蒼洋高校指定のカバンが角の堅い物でよかった。いざって時に武器になる。

「紘也!」

 孝一が叫ぶ。殴り飛ばしたジャイアントバットの軌道上に紘也はいた。孝一の意図を一瞬で悟る。

「はぁっ!」

 紘也は裂帛の気合いと共にカバンをジャイアントバットの頭部にぶち込んだ。例の分厚い魔術書とか入っているから相当効くはずだ。

 アスファルトにしたたか叩きつけられた巨大蝙蝠は「キギャ」と変な悲鳴を上げたきり動かなくなった。それからすぐに光の粒子となって霧散する。

 倒した! と歓喜する余裕は与えてくれなかった。

 振り返ると、香雅里の式神が二体ともやられたところだった。数が増えて対処しきれなくなったのだ。邪魔者がいなくなり、巨大蝙蝠の群れは全て紘也へと攻めてくる。優先度の低い孝一と愛沙は後回しというわけか。

 紘也だけ狙われるのであれば逃げればいい。逃げ切れるかはわからないが、ここにいて孝一と愛沙をこれ以上巻き込むわけにもいかない。

 そう考え、紘也が踵を返そうとしたその時――

「!?」

 突如、黄金の閃光が紘也の鼻先を掠めて天へと昇った。よく見るとそれは光ではなく、ウロボロスの鱗で鍛えたとかいう剣――〈竜鱗の剣〉の剣身だった。

 ぐにょり、と剣身が意思を持っているかのように動く。そして紘也を襲おうとしていたジャイアントバットを数瞬で一掃した。

「これは……」

 剣身の根元を目で辿る。三十メートルほど離れた位置に持ち主がいた。その周囲ではコテンパンにボコられた蝙蝠娘たちが目を回して倒れている。

「フッフッフ、実はこの〈ウロボロカリバー〉はあたしの意思で〝無限〟に伸ばせて自在に操ることができるんですよ!」

 勝ち誇ったように胸を張るウロ。特に大きくも小さくもない胸が控えめに揺れた。

「いやぁ、危ないとこだったね紘也くん」

「言っとくが、お前の剣が一番危なかったからな!」

 まだ少し鼻がヒリヒリする。それにしてもあの剣にまだチート能力があったとは……そのうちビームでも出るんじゃなかろうか。

 指揮官を失ったジャイアントバットたちは夕空を所在なげに旋回している。襲ってくる気配はない。

 紘也は孝一と愛沙の安否を確認し、ウロと香雅里の下へ歩み寄る。

「ウロ、超音波は大丈夫だったのか?」

「ん? ああ、こいつらが息切れした瞬間フルボッコにしたから問題ないよ」

 蝙蝠娘はマヌケだった。というか、消滅していないということはまだ生きているということだ。止めは刺さないのだろうか?

 紘也の不思議そうな顔を読み取ったのか、香雅里が説明してくれた。

「こいつらが言ってたでしょ。〝旦那様〟って。つまり、この妖魔たちにも主がいるってこと。その辺りを聞き出すために生かしてるの」

「主って、契約者ってことか?」

「さあ? それはわからないわ。たとえ魔術師だったとしても、人を襲わせるような奴は排除しなければならないわね。というわけで、この妖魔の身柄は葛木家で預かるわ。たぶん、数日前から起こってる吸血事件の、ようやく見つけた重要な手がかりだから」

 確か葛木家は世界魔術師連盟に加入しているはずだ。連盟はいわゆる悪の魔術師や魔術結社を潰すことも行っている。だったら、ここから先は彼女たちの仕事だ。

「つ、捕まるわけにはいかないぎゃ」

「にげろにげろ♪」

「……任務失敗。旦那様に怒られる」

 いつの間にか意識を取り戻していた蝙蝠娘たちが翼を大きく広げていた。

「「逃がすかっ!」」

 ウロと香雅里が声を揃えて剣を振るう。だが、生き残っていたジャイアントバットに妨害され、それら全てを斬り倒した時には既に、蝙蝠娘は夕闇の彼方へと消え去っていた。

「香雅里様!」

 それから間もなく、黒装束に身を包んだ人々が駆け寄ってきた。葛木の陰陽師たちだ。

「遅いわよ、あなたたち」

「すみません。妖魔の個種結界が張られていたようで、どうにも辿り着けませんでした」

 叱咤した香雅里に、黒装束の一人が代表して説明した。中年の男性だ。

 香雅里はウロを睨みつける。そのウロはそっぽを向いて白々しく口笛を吹いていた。ウロボロスの個種結界は〝無限〟の特性が付与されているため、中からは出られても外からの侵入は困難なのだ。邪魔は入らないが、味方も来られない。微妙に諸刃の剣である。

「彼らは一般人ですか? それならばここ数分の記憶を消去しますが?」

 記憶を弄られる、そう思ったのか孝一と愛沙が肩をビクつかせた。

「その必要はないわ」香雅里が紘也を見る。「彼はあの秋幡辰久の息子で、そっちは彼の契約幻獣。向こうの二人もこちらの事情を知ってる人間。……………………私の友達よ」

 最後の言葉はかなり躊躇ってからぼそっと呟かれた。陰陽師たちは「なんとあの大魔術師の息子!?」と驚愕して聞き流していたが、こちらの地獄耳保有者はそうはいかない。

「かがりーん! やっとこさ友達って認めてくれたねぇ♪」

「ち、ちがっ、あ、あなたのことじゃないわよ他の三人のことよ!」

 ウロボロスの契約者である紘也もカウントされていることに正直驚いた。

「カガリちゃんに友達って言ってもらえて、わたしも嬉しいよぅ」

「は、離れなさいよあなたたちああもう鬱陶しいわねっ!」

 なんとも微笑ましい光景に陰陽師たちからも笑いが零れる。

「彼女、ほとんど友達がいなかったみたいだから身内として嬉しいんだろう」

 孝一が紘也の横でうんうんと一人頷いていた。

「いつどこで仕入れたんだよ、そんな情報」

「うちの学校。紘也も聞いたことくらいあるだろ、『悪魔の風紀委員長』の噂」

「ああ、そういえば」

 今年に入ってから流れ始めたその噂は、『捕まるな 風紀の悪魔 マジ怖い 目を合わせたら 命取られる』という大げさなものだった。なぜ短歌調なのかは謎だ。

 確かに紘也も初めて話した時にきついと感じた。普段ずっとあんな調子なのだとしたら人など寄ってくるわけがない。

 しかし、ああやってじゃれ合っている彼女にそんなきつさは感じない。きっとこれが彼女の素顔なのだ。あの『騒がしい』を具現化したような存在にボケられたら誰でも素で突っ込みたくもなるだろう。紘也だってスルーできない時が多いのだから。

 香雅里は抱きついたウロと愛沙を引き剥がすと、避難するように陰陽師の輪に加わる。

「私はこれから逃げた妖魔の調査を行うわ。あなたたちは大人しく家に帰りなさい」

 そう言い残して、香雅里は黒装束を引き連れて立ち去った。怪しい集団を率いた女子高生――傍から見ると異様な光景だった。

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