Section2-1 封印の要石

「遊園地に行くにゃ!」

 翌日の朝、秋幡家のリビングでケットシーが唐突に意味不明なことを言って控え目な胸を張った。

「いや、なに言ってんだあんた?」

 丁度朝食の片づけを終えた紘也は濡れた手をタオルで拭きながらアホの子を見るような目をケットシーに向ける。なにか変な物を食べさせてしまったのだろうか? 猫に納豆はまずかったのかもしれない。

「聞こえにゃかったにゃ? 遊園地に行くと言ったにゃ」

「そうか」

「そうにゃ」

「お疲れ。ご主人って奴によろしくな」

「待つにゃ!?」

 ヒラヒラと手を振ってタオルを洗濯機のある洗面所に持っていこうとする紘也にケットシーは全力で縋りついてきた。

「にゃんでにゃ!? みゃあはただ遊園地に行くって言っただけにゃ!?」

 紘也の腰にしがみつきずるずると引きずられるケットシー。

「ええい離れろ!? あんたのご主人は命の危機じゃなかったのかよ!? そんな時に遊園地で遊ぶとか実は全部デタラメなんだろ!?」

「別に遊びに行くわけじゃにゃいにゃ!? ご主人を助けるために必要にゃ物がそこにあるのにゃ!? だからみゃあを見捨てにゃいでほしいにゃあぁあッ!?」

 紫がかった髪からひょこっと猫耳が生えた。重度の猫アレルギーな紘也はたったそれだけで目と鼻がむずむずして全身が発赤してしまうのだ。

「うわっ!? やめろ猫耳を仕舞えっくしょん!?」

「ニャハハ、おみゃあの弱点は知ってるにゃ。こうすれば抱き着いてるだけでおみゃあに言うことを聞かすことができ――」

「ウェルシュ!」

「……了解です」

 がしっ。

「うにゃ?」

 紘也の呼びかけに答えたウェルシュがケットシーの後ろ襟を掴んだ。そのままひょいっと持ち上げると――空気の入れ替えのために開けていた窓から野球選手のような投球フォームで放り捨てた。

「ほにゃあああああああああああぁあッ!?」

 悲鳴を上げながら空中を飛ぶケットシーは――

《己らさっきからうるさ――ん!?》

 庭で日向ぼっこをしていたらしい山田と衝突し、仲良くもみくちゃになりながら転がって勢いよく塀にぶつかった。

 猫アレルギーの発作がなんとか治まった紘也は問う。

「それで、救出に必要な物ってなんだ? なんでそんな物が遊園地にある?」

「……こ、この状況で普通に話を進めるおみゃあの精神が理解できにゃいにゃ」

 逆さ状態で塀に凭れる形となったケットシーは目を回しながら恨み言を呟くのだった。


 結局のところ、紘也を迎えに来るはずだった連盟の魔術師は現れなかった。父親とも連絡はつかないままで、とりあえず紘也たちはケットシーの言葉を信じることにして救出に向かう方針になった。

 問題は、ケットシーの言う『悪い魔術師』がどこにいて、どのような力を持っているのか全く不明な点にある。前者についてはケットシーが魔力のリンクを辿れるためある程度は問題ないが、後者についての情報が本当に皆無なのが不安だった。

「ご主人は悪い魔術師に捕まって封印されてしまったにゃ。その封印を解除するためには悪い魔術師が各地に設置した『要石』を破壊する必要があるのにゃ」

 猫耳を仕舞って家に上げてもらえたケットシーが正座で説明した。

「待て、そいつは人間一人を封印するのにそんなに大がかりなことをしているのか?」

『要石』と言えば、地中で暴れて地震を起こす大鯰または龍を押さえつけているという伝承のある霊石だ。それそのものではないにしても、たった一人の魔術師を封じ込めるだけならやり過ぎである。封術には疎い紘也にでもわかるのだ。それほどの術式を扱える魔術師がコストパフォーマンスを考えられないなどありえない。

《それより人間の雄。まず吾になにか言うことがあるのではないか? お?》

 顔をむすっとさせた山田が紘也の耳を引っ張っているがスルーしておく。全く痛くない。

「あんたのご主人ってどんだけやばい奴なんだよ」

「まあ、やばいのはご主人が連れているもう一体の契約幻獣にゃ」

「あんた以外にもう一体いるのか?」

「にゃあ。そっちはそこにいるウェルシュ・ドラゴンやヤマタノオロチと同じドラゴン族にゃ」

「……なるほど」

 ドラゴン族の封印ならば話はわかる。現にヤマタノオロチの封印も人柱の上に成り立っていた。

《ほう。吾をこのような火竜の雌と同格に扱うか》

「……ウェルシュの方が格上です」

《なんだと。吾の方が上に決まっておろう!》

「ウェルシュの方が上です。異論は認めません」

 隣で睨み合って火花を散らす火竜と水龍。小学生のような幼稚な争いがそこにあった。正直なところ現状であれば山田はその小学生より格下だと紘也は思う。面倒臭いので思うだけにする。

「だが、わからんな。その悪い魔術師って奴は、ドラゴン族を封印する手段を用意してまでどうしてあんたのご主人を攫ったんだ? 連盟になにか要求でもしてるのか?」

「そこはみゃあもよくわからにゃいけど、たぶん要求はしてると思うにゃ」

 父親と連絡がつかないのはそのせいの可能性が高いだろう。世界魔術師連盟に対して人質を取って交渉できるほどの魔術師であれば、父親たちも迂闊に動くこともできない。

 だから、イレギュラーな紘也たちが動く。

「葛木家に救援を求めないのも、ご主人の名誉云々よりその辺の理由だったりするんじゃないか?」

「そ、そうにゃ! 実はそうだったにゃ! 下手に連盟関係者に事を話すとご主人の命が危ないのにゃ!」

 なんか言われて気づいた的な感じが激しく気になる。この時々ケットシーの挙動が怪しくなるのはなんなのだろうか?

 なんにしても葛木家の力を借りられないことは少々、いや、かなり痛い。けれど紘也も葛木家に頼りっぱなしはよくないと考えていたところだ。今回ばかりは、どうにか自分たちだけで解決してみせる。

 それができなければ……この先、大切なものをたくさん失ってしまう。そんな予感がする。

「封印の要石は全部でいくつあるんだ?」

「三つにゃ。みゃあの情報力で場所は全部わかってるから安心するにゃ」

 その情報力で悪い魔術師の詳細を調べてもらいたい。

「一つが遊園地だったな? どこの遊園地なんだ? 蒼谷市には遊園地なんてないぞ」

「えーと、ちょっと待つにゃ。確かチケットを手に入れてたはずにゃが……」

 ケットシーは正座を崩すと、なぜかスカートの中に両手を突っ込んでごそごそし始めた。

「あったコレにゃ」

「どこに仕舞ってんだ」

「にゃふふ、知りたいにゃ?」

「いやいい」

 知ったら後戻りできない気がする。なにがと言われてもよくわからないが、とにかく知らない方が幸せだと判断する紘也だった。

「もうチケットを買ってるとか、用意がいいな?」

「ご主人救出のために必要にゃものはあらかた揃えてあるにゃ」

 胡散臭く思いながら紘也はケットシーからチケットを受け取る。どこか生暖かくなっていたそれを見ると――

「『ブルーオーシャンワールド』って、県外じゃないか」

 いや、誰も蒼谷市近辺で発生している事件だとは言っていない。世の中そんなに都合はよくないのだ。遊園地と聞いてから薄々そうではないかと思っていたが、残り二つの要石の所在地、悪い魔術師の居場所によっては日帰りできないかもしれない。

「ホテルも手配済みにゃ。一泊二日の小旅行ににゃるからそのつもりで準備するにゃ」

 日帰りできないことが確定した。

「本当に準備がいいな……」

「えっへん、にゃ。もっと褒めろにゃ」

 小さい胸を偉そうに張るケットシーは無視し、改めて紘也はチケットを見る。このチケット一枚で五人まで入場できるらしい。人数まで完璧だった。

「そういえばウロボロスの姿がずっと見えにゃいにゃが……」

 ケットシーはキョロキョロと周囲を見回して朝食の席にも現れなかった金髪少女を探している。

「たぶんまだ余裕で寝てるだろうな。部屋は天井裏だから、悪いけど起こしに行ってくれ。俺たちはその間に準備しておく」

「ふむ、だらしない蛇だにゃあ。了解したにゃ」

 ケットシーは軍人のように敬礼すると――すたたたた。小走りで二階に駆け上がっていった。

 紘也も準備があるので二階の自室に向かうと――

『むにゃむにゃ……猫鍋』

『恐ろしい寝言言ってないで起きるにゃウロボロス!?』

『いただきます』

『ぎにゃああああああああああああああああああッ!?』

 天井裏から大変近所迷惑な悲鳴が聞こえてくるのだった。

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