Section6-3 鷲獅子の王は高みを目指す

 グリフォンは苛立っていた。

 際議場の上空を高速で飛翔しつつ、同じように空を翔けるウロボロスと幾度となく衝突を繰り返している。その度に爆音が轟き、大気が激しく振動する。

 打撃、斬撃、衝撃。繰り出されるあらゆる攻撃を互いに防ぎ、かわし、相殺するためどれも決定打には程遠い。永遠に勝負の決まらない戦いに見えそうだが、持久戦においてはグリフォンより〝無限の大蛇〟――ウロボロスの方が圧倒的に有利である。

 その現状にグリフォンは苛立っていた。

 持久戦になることがまずありえないのだ。普通なら敵を〝王威〟の影響下に置いてしまえばつまらないほどあっさり片がつく。上位の幻獣であれば抵抗もされるが、雑魚であれば手を下すまでもない。逃げ出すか、命乞いするか、勝手に死ぬからだ。

 ドラゴン族は雑魚じゃない。かつて何体ものドラゴンを屠った経験のあるグリフォンもそこは一応認めている。〝王威〟を受けても簡単には屈服しない分、なかなか楽しめる相手だとすら思っていた。

 だがウロボロスは〝不死〟に加えて引き裂いても〝再生〟し、さらに魔力が〝無限〟に〝循環〟している。動きを封じつつ磨り潰そうとしても空間を超えて逃げられてしまう。

 これほど厄介な敵とは今まで相見えたことがなかった。

 ――面白い。

 ジリ貧の苛立ちは確かにある。だが、苦戦を強いられれば強いられるほどグリフォンの気分は高揚していた。退屈しない敵は滅多に出会わないのだ。強者を叩き潰し己を高めて行けば、いずれは幻獣界で『神』を名乗る者とて問答無用で屈服させられる〝王威〟が手に入る。

 グリフォンの王だけに収まるつもりはない。何者にも見下されない存在にまで上り詰めてみせる。まだ〝王威〟の特性が発現せず、一般的なグリフォンとして惨めに過ごしてきたあの頃に戻るわけにはいかない。

 そのためには――

「どうしました! 動きが鈍ってきましたよ!」

 何度目かの衝突で、ついにウロボロスの拳がグリフォンの顔面を捉えた。

 しかしグリフォンも大人しく殴られはしない。攻撃がヒットしてしまうことを見極めた瞬間、グリフォンも防御を捨てて拳をウロボロスの頬に減り込ませた。

「……っ!?」

「……っ!?」

 拳打のタイミングはほぼ同時。見事なクロスカウンターを極めた両者は強力な磁石が反発し合うように吹っ飛んだ。ウロボロスは翼を広げてどうにか空中で制動をかける。グリフォンも背後に聳えていた岩山の壁面に着地。風で衝撃を緩和した際に壁面が大きく陥没した。

「チッ」

 忌々しくグリフォンは舌打ちする。その時、突如目の前に水柱が噴き上がった。水柱を足場にした青い和服の美女は勝ち誇ったドヤ顔で片手をグリフォンに翳す。

《――吾の〝霊威〟は水気を繰る》

 ヤマタノオロチの掌から凄まじい水流砲が唸りを上げて迸る。それはグリフォンが激突した岩山をまるで障子を指で突き破るようにあっさりと貫通した。

 しかし――

《……逃げたか》

 面白くなさそうに顔をしかめてから、ヤマタノオロチは真横に水流を放った。接近していたグリフォンはそれすらも空中回転して紙一重でかわし、遠心力と風でブーストした回し蹴りを繰り出す。ヤマタノオロチは袖を振るって蹴りを受け止めた。

《クク、獣の起こすそよ風ごときで吾の〝霊威〟が破れるものか》

「自惚れが過ぎるぞ、爬虫類」

 グリフォンは〝王威〟を発動させる。精神に干渉する特性は〝霊威〟の防御を擦り抜けてヤマタノオロチを屈服させんと襲いかかる。

《く……》

 本来に近い力を取り戻したらしいヤマタノオロチが簡単に屈することはない。それでも〝霊威〟は弱まり、和服とその下の肌が浅く斬り裂かれた。

《吾の〝霊威〟は水気を凍てつかせる》

「――っ!」

 危険を察知して反射的にグリフォンは飛び退く。刹那、ヤマタノオロチによって収束された水分がたちまち凍りついた。本来ならグリフォンごと凍らせていた氷塊は、重力に従い自然と地上へ落下――することはなかった。

《――撃ち抜け》

 ヤマタノオロチは落下が始まる前に氷塊に触れる。すると氷塊は一瞬で砕け、鋭利な刃の弾丸となって爆散、グリフォンを猛襲した。

「小賢しい!」

 腕の一振りでグリフォンは全ての氷弾を吹き飛ばす。そこへウロボロスが空間から現れてグリフォンの胸に掌をあてた。

「こいつ……」

「天の果てまで吹っ飛びやがりなさい!」

 ウロボロスの掌には既に魔力が込められていた。タイムラグほぼゼロで放射された魔力光をグリフォンはかわし切れない。だが直撃を受けながらも即座に受け流す体勢に持って行き、ダメージを可能な限り軽減する。

「……やってくれるな、爬虫類ども」

 ウロボロスとヤマタノオロチの間に『連携』という言葉はなかった。そこに味方が居ようとも関係なく、互いが互いにやりやすいタイミングで攻撃を仕掛けてくるから厄介だ。

 ただ、グリフォンが苦戦しているのはそんな理由ではない。

 もっと根源的な理由である。

「わかってるんですよ。あんた、そろそろ魔力が尽きるんじゃあないですか?」

 ウロボロスが指を差して看破する。グリフォンとて自分とドラゴン族の魔力量の差は理解している。特にウロボロスには底というものがないのだ。だからこそ昨夜は様子見として切り上げた。

 が、今は状況が違う。

 リベカ・シャドレーヌのことはどうでもいい。戦闘を放棄して立ち去ることは簡単だ。しかしここでの撤退は敗北を意味する。それはグリフォンのプライドが許さなかった。

 ――敗れた王は王ではない。

 頂点たる存在になるためには、勝ち続けねばならないのだ。

「だからどうした? 貴様らを屠る程度なら問題はないぞ」

「強がりは格好悪いですよ? さっさと諦めて叩き潰されればいいんです。『敵を知り己を知れば百戦諦めろ』ってぼっちの人も言ってましたよ」

「知るか。諦めて叩き潰されるのは貴様らの方だ」

 虚勢ではなかった。手こずるだろうが、残りの魔力でも充分に二体のドラゴン族を降せるとグリフォンは確信している。いざとなれば奥の手もある。

 負ける要素は欠片もなかった。

 今の今までは。

「にゅふふ。でもでも、状況はどんどんあたしたちに有利になってるみたいですね」

「……そのようだ」

 憎たらしい笑みを零すウロボロス。気づいたグリフォンは風を纏ってその場で回転し、背後から襲ってきた二種類の炎を風圧で掻き消した。

「……遅くなりました」

「まだ生きてて嬉しいぜ、クソ鳥。さくっと焼き鳥にしてやるから覚悟しな!」

 そこには赤い少女と緑髪の女が並んで竜翼を羽ばたかせていた。ウェルシュ・ドラゴンとヴィーヴルだ。なにがあったのか知らないが、どうやらヴィーヴルの暴走は収まっているらしい。

 二体の炎竜が加わり、ドラゴン族が四体となる。

 四面楚歌。流石にこの数のドラゴン族を一度に相手したことはない。〝勇猛〟のグリフォンとて冷や汗くらい掻く。

「ヴィーヴル、グリフォンは鳥ではありません」

「う、うっさいわね! 鳥っぽい翼生えてんだから鳥でいいんだよ!」

「でもグリフォンの焼き鳥は美味しそうです」

「だっしょ! まあ、あいつは不味そうだけどね。たぶんフレス焼いた方が美味しいよ」

「はいはい! あたしは焼き鳥にはタレが一番だと思うのです!」

《吾は塩がよい》

「……貴様ら……」

 妙な方向に盛り上がる竜娘たちに食材扱いされ、グリフォンは額に青筋を立てることを禁じ得なかった。なにかがブチブチと切れる音が自分の中から聞こえる。

 仕方がない。どの道、温存して戦える状況ではなくなった。

「……いいだろう、この俺がここまで虚仮にされたのは初めてだ」

 グリフォンはジャケットのポケットに手を入れ――


「王を食材扱いする慮外者どもは皆殺しだ」


 取り出したのは、美しく輝く大粒の赤い宝石だった。

「私の眼ッ!?」

 返せ! とヴィーヴルが物凄い勢いで突っ込んでくる。奪われた瞳を視認した瞬間の反応速度は圧倒的だった。

 だが、遅い。

 グリフォンが握った〈ヴィーヴルの瞳〉に亀裂が入る。宝石に宿っていた膨大な量の魔力がグリフォンに流れ込む。急速に輝きを失っていく宝石は、やがて灰色の石ころとなって儚く砕けて散った。

「う、があぁああああぁああぁぁあああぁぁあああぁぁぁああぁぁあぁぁぁああっ!?」

 ヴィーヴルが医療用の眼帯で隠した右眼を押さえて絶叫する。瞳が砕けたことでとてつもない激痛を伴ったのだろうが、グリフォンには関係ない。

「ヴィーヴル!?」

「止まりなさい腐れ火竜!?」

 翔け寄ろうとするウェルシュをウロボロスが緊迫した声で制した。

《奴の魔力が……》

 水柱を足場にするヤマタノオロチも息を呑む。〈ヴィーヴルの瞳〉から魔力を吸収したグリフォンは眩い光に包まれていた。

 そのシルエットが次第に肥大し、人のそれではなくなっていく。

 胴体と後脚は獅子に。

 頭部と前脚は鷲に。


 光が収まった時、青白い鬣を持つ半鳥半獣の幻獣がそこに君臨していた。


 鋭い両眼に嘴。優美で力強い巨翼。全てを切り裂きそうな鈍色の鉤爪。大気を踏み締めるように堂々と空中で屹立する姿は超然としており、見る者を問答無用で威圧する。

《人化を解いたか》

「ただ的がでかくなっただけじゃあないですか! 知ってますか? 巨大化は死亡フラグなんですよ!」

「……〝拒絶〟します」

「クソっ! よくも私の眼を!」

 ヤマタノオロチが水流を、ウロボロスが魔力弾を、ウェルシュとヴィーヴルがそれぞれの炎を一斉に射出する。巨体になったグリフォンは人化時ほどのスピードは出せない。四方向からの攻撃をかわすことは難しい。

 かわす必要などないが。

「爬虫類共が、俺の周りを飛ぶな!」

 グリフォンは右前脚でバン! と空気を叩いた。それだけで暴風が吹き荒れ、全ての攻撃を明後日の方向へと強引に捻じ曲げた。

 暴風はそのままウロボロスたちも襲う。必死に吹き飛ばされまいとする彼女たちに、グリフォンはさらに〝王威〟の特性を放つ。

 瞬間――バガン! と。

 まるでハエ叩きで叩かれたように、ウロボロスたちは高速で地面に打ち落とされた。四つの爆撃じみた落下音が轟き、土煙が濛々と立ち昇る。精神的な重圧が物理的に作用するほど人化を解いたグリフォンの〝王威〟は強烈だった。

「くっそがっ!」

「……ちょっと痛かったです」

 逸早く復帰して飛び上がったのはヴィーヴルとウェルシュだった。想定内だ。アレで終わってしまえばドラゴン族はもはや雑魚認定である。戦う価値すらなくなっていた。

「焼け死ねクソ鳥!」

 ヴィーヴルはオレンジ色の炎を放つが、荒風を纏うグリフォンには届かない。

「下がってください、ヴィーヴル。ウェルシュが〝拒絶〟します」

 ウェルシュが真紅の炎でグリフォンを風ごと焼滅させようとする。対象物なら風だろうが特性だろうが焼いてしまうあの炎は危険だ。

 ならば――


「ぐらぁああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!」


 雄叫び。

 声による空気振動がウェルシュ・ドラゴンの〈拒絶の炎〉を打ち消した。

「声でウェルシュの炎が……」

「! ウェルシュ避けがはっ!?」

 驚愕するウェルシュとヴィーヴルをグリフォンの放った風刃が同時に斬り裂いた。〝王威〟の風は防がれることなく肉を抉り、彼女たちは血飛沫を散らせて力なく落下していく。

《――吾の〝霊威〟は水気を繰る》

 入れ替わりにヤマタノオロチが水流に波乗って襲いかかってきた。大蛇のごとく自在にうねる水流に加え、さらに八つに分かれた髪の毛の先からも水流砲が放射される。

 グリフォンは猛禽類の翼を大きく広げ、羽ばたいた。

 移動するためじゃない。

《ぐぬ……》

 羽ばたきで発生した巨大な旋風は、襲い来る水流の群れをヤマタノオロチごと巻き込んで紙切れのように吹き飛ばした。

 と――背後。

「後ろが」

 地面に捨てていた黄金色の大剣を拾ってきたらしいウロボロスが、その刃を大上段から振り下ろした。

「がら空きですよ!」

 グリフォンの背中が思いっ切り斬り裂かれる。しかし巨体故に傷はそこまで深くない。グリフォンは怯むことなく身を捻り、鷲の前脚でウロボロスを掴み取った。

「このっ! 放しなさい!」

「断る」

 ウロボロスを掴んだまま容赦なく近くの岩山に叩きつけた。

「かはっ!?」

 呻くウロボロス。叩きつけた場所から崩壊する岩山。グリフォンは光を鈍く反射する鋭い爪を振り翳し――

「貴様だけはただ引き裂いても意味はない。――粉々になれ」

「あっ」

 ウロボロスの体を縦に真っ二つに引き裂いた上で、左右に分かれた肉塊を爆風でさらに細切れにしながら別々の方向へと吹き飛ばした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る