Section6-2 狂った執念

 一人の魔術師と、二体の幻獣に紘也たちは取り囲まれていた。

「グリフォン、ユニコーン、容赦は不要ですわ! 今すぐ秋幡辰久の息子を殺しなさい!」

 裏返りかけたヒステリー声でリベカ・シャドレーヌは叫ぶ。一応魔術で防御したのだろうが、その身体はウロボロスに殴られた影響で既に瀕死に近い状態に見えた。

「我々の、『主』の理想の障害となる者を駆逐するのです!」

 狂乱した声は際議場の隅々にまで響き渡る。そこに込められた殺気・憎悪・間違った使命感は、実際にその対象となっている紘也にとっては吐き気を催しそうなほど胸糞悪かった。

 より一層警戒を強める紘也たち。だが、リベカの言葉で動いた者は一人もいなかった。

「……? なにをしていますの!? 早く秋幡辰久の息子を――」

「醜いぞ、人間」

 腕組みをしたまま不動を貫くグリフォンが、首を僅かに傾けて刃物のように鋭い視線でリベカを睨んだ。

「誰に命令している。貴様は俺の契約者ではない。懇願は許すが、王に命令してよいのは王自身だけだ。俺は俺がやりたいようにする」

「なっ……」

「それと一つ忠告だ。貴様らの狂った信仰を勝手に押しつけるな。もしこの俺を縛るつもりだったなら、貴様から引き裂くことになるぞ?」

「……」

 グリフォンに威圧され絶句するリベカ。だがすぐに正気づき、グリフォンに命じることは諦めたのか、今度はユニコーンに向かって怒鳴りつける。

「ユニコーン! あなたでも構いませんわ! 秋幡辰久の息子を殺すのです!」

 すると騎士服のポケットに両手を入れて瞑目していたユニコーンは、すっと目を開いてニヤリと悪戯っ子のように笑った。

「やなこった」

「は?」

 想定外の返事だったのか、リベカは鳩が豆鉄砲をくらったように目を点にした。

「『主』は復活したんだ。もう俺様がお宅に付き合う義理はねえ。俺様は人間の女の子が大好きなんだよ。あ、純潔の若い女の子限定な。んで、それを滅ぼすって知っちまった以上は敵対する道に走るぜ。まあなんだ、アレだ。旦那も言ってたが、こっからは俺様も俺様のやりたいようにやらせてもらうってことだわ」

「あなたはわたくしの契約幻獣ですのよ!?」

「あー、それね」

 プツリ、と。

 実際はそんな音など聞こえなかったが、ユニコーンとリベカを繋いでいた契約のリンクが切断されたことを紘也は確かに感じ取った。

 事態を理解できず口をぱくぱくさせるリベカに、ユニコーンはヘラヘラ笑っていた顔を一瞬で無表情にまで落とし、トーンを低くした口調で告げる。


「俺を便利な道具としか見てない契約者様なら、こっちから願い下げだ馬鹿野郎」


「なん……です……の……?」

 それを聞いた途端、リベカは放心したように瓦礫の上にへたり込んだ。戦意は消失したようだが、それでも憎悪と使命感は消えず「秋幡辰久の息子を殺さなくては秋幡辰久の息子を殺さなくては秋幡辰久の息子を殺さなくては」と壊れた人形のごとく譫言を吐き出し続けていた。正直紘也はこっちの方が恐かった。

「てことで香雅里ちゃん俺様と契約しない?」

「しないわよ!?」

「ええっ!? 一瞬でフラれちゃうとか俺様ちょー悲しい!?」

 軽薄モードと冷めたモードの差が激しいユニコーンだった。

「……おい、そこの駄馬」

 グリフォンが冷め切った目でユニコーンを射る。

「貴様はつまり、そちらにつく、という理解で構わんか?」

 ユニコーンはニヘラと嫌らしく、しかしどこか挑戦的な笑みを貼りつけて返す。

「旦那につくっつっても拒否るでしょうよ。つか、俺様が嫌だし。俺様は女の子の味方だから、正確には香雅里ちゃんと愛沙ちゃんにつくって感じだぁな」

「そうか、ならば貴様もまとめて引き裂いてやろう」

 グリフォンが腕組みを解く。その口元が嬉々とした笑みで歪む。ずっと気に入らなかったものを排除できるとでも言うように。

「来るぞ!」

 紘也が叫ぶと同時にグリフォンは跳躍した。鉤状に指を曲げた手に鋭利な風を纏い、その一振りで紘也たち全員を斬断せんと迫る。

「あいつの相手はあたしです!」

 ウロも前に飛んだ。竜鱗を纏った黄金色の拳がグリフォンの拳と衝突した。

 爆風が弾け、際議場内で暴れ回る。

 石のタイルが巻き上がり、高く聳えていた石柱すら砕き倒すほどの風圧に、紘也たちはその場にしがみついているだけで必死だった。

「きゃっ」

 風圧に堪えられなかった愛沙が軽く吹き飛ばされる。そこにタイミング悪く、中心部から砕けた石柱が倒れ込んできた。

「《愛沙!?》」

 紘也と山田の声が重なった。だが誰も動けない。石柱は寸分違わず愛沙の頭上へと降り注ぎ――

 飛び上がったユニコーンによって粉々に蹴り砕かれた。

「あいつ……」

 敵だったはずなのに、愛沙を守った? いや自分で香雅里と愛沙の味方だとか言っていたが、それもどこまで信用できるか紘也にはわからなかった。

 けれど――

「ま、愛沙ちゃんの安全は俺様が保障するってことで」

「あ、ありがとう、ユニコーンさん」

「いやいやなんのこれしき」

 グッと愛沙に向けてサムズアップするユニコーン。今は、任せてもよさそうだ。なにより愛沙が信用している風に見える。なら、大丈夫だ。

 だから、紘也は自分のできることに集中すればいい。この戦いを早く終わらせるために。

「山田、魔力を送るぞ!」

《ふ。ようやくか。存分に寄越すがいい。人間の雄》

 言い方はムカつくが躊躇っている時間はない。紘也は己の魔力を練り、前回のように一気にではなく、自分が動けなくならないよう調整しつつ魔力を流す。

《来たぞ来たぞ来たぞぉーっ!!》

 歓喜の叫びを上げる山田の姿が変異する。怪物になるのではない。背が伸び、胸が膨らみ、腰が縊れ、顔立ちが凛々しく整う。それに合わせて纏っていた青い和服も大きくなる。

 無力な童女から十年ほど年経た女性に成長した山田――ヤマタノオロチは、ホオズキ色の瞳に凶悪な光を宿して天を見上げた。そこではまさに、ウロボロスとグリフォンが熾烈な戦闘を繰り広げているところだった。

《――吾の〝霊威〟は水気を繰る》

 ヤマタノオロチの周囲にいくつもの水の球が浮かび上がる。ヤマタノオロチが袖を振るう度、それらが強力な砲弾となって上空へ向けて射出される。グリフォンはそれに気づくと舌打ちをして風で水球を斬り裂き、ウロボロスは拳で打ち払った。

「――ってあたしごと狙ってんじゃあねえですよ!?」

 当然のように味方から文句が降ってきた。

 その時――

「! 秋幡紘也っ!?」

 なにかに気づいた香雅里が紘也の真横に立ち、飛来してきた光の十字剣を日本刀で弾いた。

 リベカ・シャドレーヌ。

 もう放心状態から復帰したらしい。なんという執念だ。

「悪い、葛木」

「この状況で余所見するなとは言えないけれど、周りはちゃんと警戒しなさい」

「あ、ああ」

 紘也は自分に殺意を向ける女性を見やる。ゆらりと立ち上がるリベカは、目を見開き、唇を裂くような笑みを浮かべていた。

「フフフ。フフフフフフフ。幻獣どもが使えないのでしたら、わたくし自らあなたの息の根を止めれば済む話ですわ! そうでしょう! ええ! そうですわよねぇ!」

 ペンダント型の十字架を構え、『黎明の兆』の総帥は狂った声で絶叫する。


「殺して差し上げますわ!! 秋幡紘也!!」


 ゾワゾワとした殺気が全身を嘗め回す。もはや神官服を身に纏っていても聖職者には見えなかった。

 リベカは手にした十字架を天に掲げ――

「――十字は不浄の軍勢を薙ぎ払う清冽なる光!!」

 唱えた瞬間、彼女の周囲を埋め尽くすようにいくつもの魔法陣が展開された。その全てから豪雨のごとく次々と十字型をした光の矢が発射され、紘也と香雅里に降り注ぐ。

 アレは避けられない。

 ならばウェルシュのアミュレットだ。ヨハネの一撃は防げなかったが、リベカの攻撃なら問題なく防いだ実績がある。

 そう考えた紘也は真紅の六芒星を前に翳すが――

「炎が、出ない……?」

 ヨハネの一撃のせいか、それとも連続使用の上限にでも達してしまったのか、アミュレットからはライターほどの炎も出てこなかった。

「秋幡紘也、あなたは下がっていなさい!」

 すぐさま香雅里が紘也の前に出て護符をばら撒いた。護符は不自然に空中で静止し、二人を覆う結界を作り出す。

「狙われているのはあなたよ。前に出ないで。リベカ・シャドレーヌは私が相手をするわ」

 光の矢を結界で防ぎながら香雅里は振り向かずに言う。紘也はほんの一秒だけ逡巡し、首を振った。縦にではなく、横に。

「いや、親父が原因で俺に振りかかってきた火の粉だ。他人に丸投げなんてできない」

 紘也は握った拳を見詰め、決意の表情でリベカを見据える。

「……俺も、戦う」

 大量の魔力をヤマタノオロチに渡したが、調整したため前ほどの疲労感はない。もう少し慣れれば疲労なしで短時間にもっと多くの魔力を譲渡することもできるだろう。慣れるほど使いたくはないが。

「ダメよ!? あなたさっきまで死んでたのよ!?」

「わかってる。けど、ウロボロスの〝再生〟が働いてるせいか知らんが、全然そんな感じはしないんだ。寧ろ普段より動けそうなくらい体が軽い」

「それは血を一気に失くしたからじゃ……そ、それでもあなた自身に戦闘能力はないでしょう!」

「ああ、だから手伝ってくれ。少しの間、あのトチ狂った神官様の動きを封じてくれるだけでいい。ケリは俺がつける」

 紘也はなにも勝算なく適当なことを言っているわけじゃない。

 少しでも触れることさえできれば。

 それだけで、紘也の力は魔術師相手に決め手となる。

「……私は封術師じゃないんだけど」

 紘也がなにをするつもりなのか香雅里は察してくれたようだ。

「わかったわ。でも、次死んだら本当に助からないわよ?」

「かもな」

「まったく……」

 呆れた息を零し、香雅里は懐から一枚の護符を取り出した。結界の補強かと思ったが違う。彼女はリベカを警戒しつつその護符を紘也に手渡した。

「これは?」

「そこに肉体強化の術式が込められているわ。肌に適当に貼るだけで効果は出るけれど、修練を積んでいないあなただと負担は相当よ。保って一分ってところかしら。使うなら、考えて使いなさい」

「サンキュ、助かる」

 言うや紘也は早速護符を左手の甲に貼りつけた。

「ちょっと! 考えて使いなさいって言ったばかり――」

 香雅里がなにか言い終わる前に、紘也は全力で横に走った。結界を抜ける。光の矢は来ない。術が終わったタイミングを見ての疾走だ。

 もちろん無策で護符を使ったわけじゃない。そもそもウェルシュのアミュレットが使えない状況、魔術師相手に紘也が生身で行動すれば一瞬で死ねる。リベカが紘也を狙っているのなら、紘也自身が派手に動くことで注意を引きつけられるはずだ。まあ、なんの打ち合わせもない唐突で勝手な行動に香雅は「もう!」とお冠だったが……。

「逃がしませんわよ! 秋幡辰久の息子!」

 ギリギリで理性を保っているリベカには紘也が逃げ出したかのように映ったのだろう。香雅里のことは完全に眼中から外し、十字架を掲げて文言を唱える。

「――十字は死を滅ぼす聖徳なる矛!!」

 十字架が強烈に輝き、光の剣となって紘也に襲い来る。高速で飛来するそれをギリギリのところで飛び跳ねてかわす。余裕はなかった。急激に強化された身体は思っていた以上に制御が難しい。まるで自分の体じゃないみたいだ。悪い意味で。

 だが、それでも、強化していなければかわせなかったことは事実だ。

「な、なんなんですの!? あなたは『主』の術を受けましたのよ! なのに死にもせず『白塵化』もしない。なぜそれほど動けるのです!?」

 ――ハクジンカ?

 気になる言葉が聞こえたが、追求は後だ。戦慄した様子のリベカだが攻撃の手は緩めない。時が経てば経つほど紘也が不気味な存在に見えているのだろうか。増幅する焦燥感に駆られるように早口で術の起動文言を紡ぐ。

「――十字は不浄の軍勢を薙ぎ払」

 だが、詠唱は最後まで続かなかった。

 香雅里が拳大の氷塊を飛ばして十字架を弾き飛ばしたからだ。

「なっ!?」

 もう予備の十字架が手元にないのか知らないが、リベカは慌てて床に転がった十字架を拾おうと身を屈める。

 それは大きな隙だった。

 少なくとも、紘也が彼女に接近できるほどには。

 リベカは即座に立ち上がろうとしたが、両足が氷で床に貼りつけられていることに気づく。

「おのれ、秋幡辰久の息子……」

 紘也は十字架を蹴り飛ばし、屈んだまま鬼の形相で睨み上げるリベカの額に人差し指をあてた。

「俺はあんたの事情は知らない。聞くつもりもない。だからあんたに偉そうな説教なんてできないし、親父の尻拭いもしてやらない」

「……」

「だから、もうやめないか? 俺は人を傷つけないために魔術を捨てたんだ。できればこんなことはしたくない」

「……」

 銃口を突きつけられたようにリベカは大人しく黙っていた。ただその目だけは憎々しげに紘也を見据えている。

 答えを聞くために待っていると――不意に、微量の白い粒子が目の前に舞った。

 と、リベカの表情が狂気の笑みに歪む。

「……甘いですわね。逆にその甘さが憎たらしいですわ。どうやらわたくしが直接手を下す必要はなかったみたいですが……やはり、気の収まるようにするべきですわよね!!」

 悍ましく半笑いになったリベカが懐に手を入れる。実はまだ予備のあったらしい十字架が取り出されたことを視認した瞬間、紘也は容赦を捨てた。

 紘也の魔力がリベカに流れ、その全身に漲る魔術師の力をぐちゃぐちゃに掻き乱す。

「ひぎゃがぁあああああっ!?」

 それはどれほどの痛みだっただろう?

 ドラゴン族の幻獣にすら効くくらいだから、人の身であるリベカには堪え難い苦痛のはずだ。

 ちょっと麻痺させる程度だと思っていた紘也の魔力干渉は、実際に行使してきた相手が化け物過ぎたための思い違いに過ぎない。八櫛谷の一件で紘也はそれを学んだ。

「まあ、別に、敵にまで情けをかけるほど俺は聖人じゃないから」

 自分に言い訳するようにそう呟き、紘也は白目を剥いて倒れたリベカを冷え冷えとした視線で見下ろす。彼女はしばらくピクピク痙攣していたが、やがて完全に意識が飛んで動かなくなった。

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