Section4-10 リベカの怨恨

 際議場に到達したのは、紘也、山田、香雅里の三人だけだった。

 岩礁地帯での包囲網は突破したものの、敵勢力があれで全てだったわけじゃない。際議場に辿り着くまでの道中で何度も遭遇し、その度に葛木の術者たちに任せて紘也たちは先を急いだのだ。

「いた、愛沙だ!」

《愛沙! 吾が来てやったぞ!》

 オーロラのような輝きを放つ魔法陣の中央。そこに紘也たちの救うべき少女が眠らされている。あの魔法陣に紘也たちが触れて問題ないのかはわからないが、とにもかくにも早くあそこから愛沙を移動させなければならない。

 彼ら『黎明の兆』が愛沙を使ってなにをしたいのかは知らない。

 だが、このまま放置していいはずがないことは知らなくたってわかる。

「意外とお早いご到着ですわね」

 愛沙までの道を阻むように、神官服を纏った女性と騎士服の青年が立ちはだかった。青年の方は見覚えがある。愛沙を攫った張本人――幻獣ユニコーンだ。

 となると、あの女性は――

「あんたが『黎明の兆』の総帥――リベカ・シャドレーヌか?」

 警戒心をより一層跳ね上げて紘也は確認する。

「いかにも、ですわ。そちらは葛木家次期宗主候補様と――秋幡辰久の息子ですわね」

 流暢な日本語で肯定が返る。その際、女性――リベカ・シャドレーヌの瞳に一瞬だけ憎しみの色が宿ったように紘也は感じた。呼ばれなかった山田が後ろでなにやら喚いているが、そんなことより自分の素性が知られている以上、敵がどう動くかわかったものじゃない。肩書き、魔力、契約幻獣。どれをとっても紘也は一流以上の魔術師だと誤解され兼ねないのだ。

「大人しく儀式を中断し、投降しなさい。さもなくば、力づくであなたたちを制圧するわ」

 香雅里が刀の切っ先を突きつけて低いトーンで警告する。だがリベカは恐れる素振りも見せず、寧ろ慈愛に満ちた微笑みを紘也たちに向けた。

「それはなりませんわ。もう直、我らの『主』が復活なさるのです。その後でしたらどうぞ、彼女の身柄を引き取ってくださっても構いませんわ」

「『主』の復活? なんだよそれ? それと愛沙になんの関係があるんだ!」

「愛沙ちゃんは、その『主』って奴の生まれ変わりらしいんだよ。俺様も聞いてビックリ。人間ごときが転生術を扱えたなんてな」

 軽薄な口調で答えたのはユニコーンだった。

「死んだ人間を蘇らせるってのか!?」

「なんて馬鹿なことを……」

 紘也と香雅里は『黎明の兆』の愚行に寒気を覚えた。リベカはそんな二人を見て薄らと笑い――

「どうやら、勘違いしているようですわね。確かにその通りなら命の冒涜ですが、我らが『主』は転生するために自ら命を絶ったのです。わたくしたちが復活させることこそ『主』の願い。今度こそ……今度こそ邪魔はさせませんわよ秋幡辰久!」

 ここにはいない人物の名を、リベカは積もり積もった怨念を吐き出すように叫んだ。先程感じた憎しみは気のせいじゃない。慈愛の表情も消し飛んでいる。紘也の父親は彼女に、いや、彼女たちに一体なにをしたのだろうか。

「く、また親父か……」

「たぶん、過去に秋幡辰久が潰した組織に彼女はいたのよ」

 懲罰師なんて職務に就いていればこういう恨みを買うことは必然か。紘也はもうその点に関しては諦めることにした。

《愚かな人間の雌よ。そのようなくだらない些事など吾にはどうでもよいが。そんなことのために吾の愛沙に手を出したことだけは死ぬほど後悔させてくれる》

「くだらない?」

 山田の言葉がとても不快だったのか、リベカは眉間に皺を寄せて片眉を痙攣させた。

「くだらなくはないですわ。『主』はこの世界にとって必要な存在ですのよ。まあ、幻獣のあなたにはわからないかもしれませんわね」

「人間の俺たちにもわからねえよ」

「いずれ、わかる時が来ますわ。生きて帰ることができたなら、の話ですが」

 シャラン、と。

 リベカは握っていた西洋風の錫杖を鳴らして構えを取った。

「ユニコーン、あなたには葛木家の娘をお任せしますわ。秋幡辰久の息子はわたくしがお相手をします」

「おお、怖ぇ怖ぇ。リベカがどんな恨み持ってんのか知んねえけど、息子に罪はねえぜ? まあ、俺様的には女の子の相手できるならそれでオールオッケーなわけだけど」

 やれやれと肩を竦めながらユニコーンはニヤリと笑う。

 と――

「秋幡紘也! あなたは下がってなさい!」

 敵に先手を取らせない勢いで香雅里がリベカに突貫した。陰陽剣士の肉体強化術式を用いた香雅里は目にも留まらぬ速度で敵へと切迫し、その刃を躊躇うことなく振り翳す。

 だが――

「おっと、お嬢ちゃんの相手は俺様だぜ?」

 香雅里の振るった〈天之秘剣・冰迦理〉の刃は、割って入ったユニコーンにブーツの裏で受け止められた。

「くっ」

 香雅里は力任せにユニコーンの足を弾くと、〈天之秘剣・冰迦理〉の刃に己の魔力を食わせ――

「そこをどきなさい!」

 出現させた巨大な氷塊を撃ち放った。

「オッケー、どいてやるよ」

 ユニコーンは流石の脚力で消えるようにその場から離れた。しかしそのせいで、氷塊は彼の背後にいたリベカへと襲いかかることになる。が――

「契約者への配慮が足りていませんわね」

 リベカが翳したペンダントサイズの十字架から不可視の力場が発生し、氷塊は彼女に掠り傷もつけることなく呆気なく瓦解した。

 それだけじゃない。

「――十字は反逆を打ち据える神性なる罰」

「この呪文は!?」

 香雅里は咄嗟に横へ飛んだ。刹那、彼女のいた場所を凄まじい衝撃波が駆け抜ける。衝撃を放っただけのように紘也には思えたが、恐らくそんな単純な術式ではない。道中の神父やシスターも同じ術を使っていたのを見た感じ、受けた衝撃を跳ね返しているようだった。それも、何倍にも増幅させて。

「悪ぃけど、リベカの邪魔はさせねえよ」

「――ッ!?」

 香雅里の背後に回ったユニコーンが彼女の襟首を掴んで放り投げた。咽ながらも猫のように空中で体勢を整えて着地する香雅里に、紘也は叫ぶ。

「葛木! 俺はいい! 先にユニコーンをどうにかしてくれ!」

「でも!」

「ここまで来て温存する意味はないからな!」

 紘也の言葉に山田が強く頷く。それだけで香雅里は悟ったのだろう。紘也から視線を外し、眼前に立つ白い騎士服の青年を睨んだ。

 紘也も自分の相手――魔術的宗教結社『黎明の兆』総帥を睥睨する。

「ユニコーンから聞いていますわ。あなた、戦いは全くらしいですわね」

「……魔術は捨てたからな」

 どうやら誤解はしていないようだが、油断もしていない。リベカは紘也の息の根を止めることになんの手加減もしないだろう。

《人間の雄。魔力を寄越せ》

「ああ、わかってる」

 山田の催促に紘也は相槌だけ返して魔力を練る。そして契約のリンクに意識して大量の魔力を流し――

「え?」

 くらり、と。

 強烈な目眩のような感覚が紘也を襲った。その途端、体内で練り上げた魔力が乱れて拡散する。

 ――なんだ。こんな時に貧血か?

 頭がくらくらする。貧血になんて今までなったことないからわからないが、上手く魔力を制御できない。

《……人間の雌。己。なにをした?》

 手を額にあてて片膝をついた紘也を見て、山田がキッとホオズキ色の瞳でリベカを睨む。彼女は香雅里の氷塊を防いだ物とは別の十字架を握っていた。

「ふふ、魔術師の魔力制御を少々ジャミングしただけですわ。あなたはあのグリフォンが苦戦したほどの幻獣ですもの。魔力を注がれてはわたくしに勝ち目はありませんわ」

《ぐ。卑劣な……》

 歯ぎしりする山田。グリフォンとの戦闘はやはりきっちり報告されているようだ。山田を――ヤマタノオロチを切り札に置いていた紘也だったが、その手札が既に敵に割れていたら対処もされてしまう。少し考えればわかることだ。

 だが、想定していても他に手札がなければ仕方ない。ウェルシュをウロの加勢に向かわせたのは失敗だったかもしれない、と今になってかなり後悔する紘也である。

「……山田、あいつの十字架を奪えるか? アレがたぶん俺の魔力制御を阻害している魔導具だ」

《この体では無理だ》

 それもそうだ。今の山田は見た目以下の幼女でしかない。魔力の制御は難しくなったが、それを考えなければ紘也の身体は問題なく動く。生身で魔術師の相手をしなければならないが、もはやそうする以外に選択肢はない。


「十字は死を滅ぼす聖徳なる矛」


「――ッ!?」

 呪文を訊いた紘也は反射的に山田を突き飛ばして自分も横へ飛んだ。リベカの十字架から射出された光の剣が石畳の地面に深々と突き刺さる。生身の紘也がアレを受ければ掠っただけでも大怪我だ。想像しただけで身震いする。

 そんな紘也を見て、リベカはどこか物足りなさげに溜め息をついた。

「……戦えないと聞いてはいましたが、仮にも秋幡辰久の息子です。もう少し抵抗されると思っていましたわ」

「最後の抵抗力はあんたがさっさと封じただろうが!」

 魔力制御ができなければ紘也はただの一般人と変わらない。いやできたとしても、契約幻獣がいなければ同じことだ。

「抵抗できないほど消耗させるつもりでしたが、どうやらその必要はなさそうですわね」

「どういうことだ? あんたは俺を殺すつもりじゃないのか?」

「もちろん、あなたが邪魔なことには変わりありませんわ。ですが、あなたに鉄槌を下す役目はわたくしではありませんの」

 意味のわからないことを述べながら、リベカは神官服の懐からまた別の十字架を取り出した。

 そして、詠唱。


「――十字は罪人を縛る強固なる枷」


 瞬間、紘也の足下から光の柱が立ち上った。それは紘也の体を貫きこそしなかったが、両手両足を縛りつけ、十字架に磔にされたイエス・キリストのように拘束する。

「ぐっ!?」

《人間の雄!? 待っていろ。今――あっ》

 どうにかして紘也を助けようとしてくれたらしい山田だったが、彼女もすぐに光の十字架に捕らわれてしまった。

《……吾を助けろ。人間の雄》

「無茶言うな!?」

 光の十字架は死ぬようなほどではないが、触れているだけで割と痛い。攻撃力があるということは、ただの拘束術式ではなく拷問用だ。これでも出力は抑えていると思われる。

「この程度の術式が通じるなんて……肩透かしもいいところですわね。あなた、本当にあの秋幡辰久の息子ですの? 気を張っていたわたくしが馬鹿みたいに思えてきましたわ」

 リベカは構えていた錫杖の尻をコツンと地面に打ちつける。とりあえず、これ以上攻撃を加えるつもりはないらしい。

「あんた、親父になんの恨みがあるんだよ?」

「葛木家の娘が仰った通りですわ。わたくしは元々別の組織に身を置いていましたの。『主』も、わたくしも、他の皆も、秋幡辰久によって壊滅させられました」

「悪いことしてたんだろうが。自業自得じゃないか」

「価値観の違いですわよ。一般的にわたくしたちの思想が理解されなかっただけですわ。わたくしたちはこの世界のために活動していたというのに」

 怪しい宗教の狂信者。

 紘也の目にはリベカ・シャドレーヌの姿がそのように映った。それから彼女が魔術的宗教結社を束ねる総帥だということも思い出した。

 彼女たち『黎明の兆』の理念は未だに不明だが、紘也の父親が潰した組織の意志を引き継いでいるのなら間違いなくろくなことではない。

「そこで見ていることです、秋幡辰久の息子。あなたをどうこうする権利は、わたくしではなく『主』にありますの」

 紘也たちに背を向けて魔法陣へ歩み寄っていくリベカ。それでも魔力制御妨害の術式を解除しないところ、彼女は警戒を緩めていない。このままでは『主』とやらが復活するまで紘也たちは成す術もなく捕らわれたままだ。

 ――なんとか……なんとかしないと。

 魔法陣の傍まで行くと、リベカが足を止めて振り返る。その表情は秋幡辰久への憎しみに染まっていた。

「もしも『主』がお命じになられれば、その時はわたくしがこの手であなたを葬って差し上げますわ」

 その憎しみは親父にだけ向けてくれ。

 紘也は切実にそう思った。

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