Section3-7 招かれざる来訪者

 パチ パチ パチ パチ。

 一人分の乾いた拍手が大広間に虚しく響いたのは、愛沙が本日最後の通し練習を終えた時だった。

 拍手をした者は紘也でも孝一でもなく、他の人たちの夕食を作るため席を外した愛沙ママでもない。まして大広間の隅で重なるように爆睡している幻獣たちとも違う。

「いやぁ、なんつーの? 命じられるままに来てみれば、すんげーいいもんが見れた感じ? お嬢ちゃんダンス上手だねぇ」

 いつの間にかそこに現れていた、軍服を改造した白い騎士服を纏った青年だった。銀色のロン毛に透き通った青い瞳、鼻梁の整った顔立ち。腰には銀の装飾が施された長剣を佩いており、全身を薄青いオーラのようなものが包んでいる。

 あからさまに異常で異質な存在だった。

「ふぇ? 誰?」

 愛沙はきょとんとしていたが、紘也は突然現れた青年に対する警戒心を一気にマックスまで跳ね上げる。

「誰だ、あんた?」

 凄んだ口調で訊く。が、青年は紘也を汚物でも見るような目で一瞥しただけでなにも答えない。それどころか一歩、また一歩と

「紳士な俺様としてはさあ、あんまりこういうやり方って好きじゃねえんだけどよぉ。契約者にやれって言われたらしゃーねーわな」

 軽薄な笑いを顔面に貼りつける青年は、やはり重さなど感じない口調で告げる。

「だからせめて、実行する前に礼儀ってもんを通しておこうと思うんだわ。えーと、鷺嶋愛沙ちゃんだっけ?」

 騎士服の青年は舞台の数歩手前で立ち止まると、慇懃無礼に頭を下げた。


「お嬢ちゃんを誘拐しに来ました。大人しく攫われてくださいなっと」


「「――ッ!?」」

 青年の言葉を聞くや否や、紘也と孝一は愛沙を庇うように二人の間に割り込んでいた。

「あんた、『黎明の兆』の手の者か?」

 ――なぜここに現れた?

 奴らは今、葛木家を襲っているのではないのか?

「どうなんだ?」

 問いかける紘也は気づく。目の前にいる青年は魔術師とは違う。もちろん一般人なわけもない。

 ――幻獣だ。

 だとすれば紘也に勝ち目はない。いや魔術師だろうと勝てる見込みはないが、それでも完璧に人化できるほどの力を持った幻獣よりはなんとかなるかもしれなかったのだ。

「……」

 青年はしばらく無言で嫌悪感丸出しの視線を紘也たちに向けていたが――

「ああ、そうかそうか。お宅が秋幡辰久の息子さんってわけな。いい魔力してるねぇ。別に食う気はねえんだけど」

 ポン、と思い出したように手を叩いてそう言った。そこまで情報が敵側に伝わっているのかと戦慄しながら、紘也は訊ねる。

「あんたらの狙いは山田じゃなかったのか?」

「はぁ? 山田? どちらさん?」

 とりあえず会話してくれたことで余裕のできた紘也は、後ろに回していた手で孝一に伝える。愛沙を逃がせ、と。

「ヤマタノオロチだよ」

「いやだから、どちらさんよ、それ?」

 眉を寄せる青年は惚けているわけではなさそうだ。となると紘也の予想は肝心な部分で外れていたことになる。


『黎明の兆』の狙いはヤマタノオロチなんかじゃなく――――愛沙だった。


 ――いや意味がわからん。

「どうして愛沙を狙う? 愛沙はただの一般人だぞ?」

 愛沙が狙われなければいけない理由を紘也は一つたりとも思い浮かべれない。ヴァンパイアの時のようにウロボロスを釣るための人質とかならまだわかる。だが、青年は向こうで寝息を立てているウロも、ウェルシュも、山田も眼中に入れていないのだ。

 冷や汗が垂れる。なにか、紘也の知らない重大ななにかがあるのだろうか?

 愛沙に隠された、こいつらが狙うに足るだけの理由が。

「つーかお宅さぁ」

 かったるそうに青年は頭を掻き、冷め切った目で紘也を睨め下ろす。

「そこ、邪魔なんだけど」

 ドムッ!

 青年が放った神速の蹴り上げが、紘也の腹を直撃し鈍い音を鳴らした。

「がっ」

 紘也は呻く。痛みと衝撃が瞬時に全身に伝わり意識が揺らぐ。

 一瞬の浮遊感。両足が床から離れたと認識した時には既に、紘也の体は砲弾のように吹っ飛んでいた。

「紘也!?」

「ヒロくん!?」

 二人の悲鳴が微かに届く。壁に叩きつけられる寸前、なにか温かいものが包み込むように紘也を受け止めた。

 それはゆらゆらと揺らめく紅のプラズマ。

 ウェルシュ・ドラゴンの〈守護の炎〉だ。

「ウェルシュ?」

 目が覚めたのか、と思ったが、彼女はウロに腹を枕にされた状態で眠っていた。こんな時に暢気に寝てるなよ、と内心で悪態をつきながらもう一つの可能性に思い至る。

 ウェルシュ・ドラゴンとの契約で紘也が預かっている六芒星のアミュレットだ。〈守護の炎〉で編まれたそれは、持ち主がピンチの時に発動し命を守る。青年の蹴りを喰らって紘也が無事だったのは、その時にも僅かに発動していたためだろう。

「へぇ、妙なお守り持ってんのな。どうりで蹴った感触に違和感があったわけだ」

 しかし痛みはある。上手く体を動かせない。発動より蹴りの方が速かったため全てを防ぎ切れなかったようだ。

「まあ、どうでもいいか。大魔術師の息子っつっても、幻獣が使えなきゃ大したことないっぽいな。リベカの買い被りだったわけだ。旦那も残念がるだろうねぇ」

 青年は紘也から完全に興味を失うと、再びその視線を愛沙に向ける。紘也や孝一を見た時とは異なる、綺麗な物でも見るような目で。

「愛沙、逃げろ」

 孝一が青年の前に立ちはだかる。

「で、でも、コウくん――」

「逃げろッ!!」

 今まで見せたことがない切羽詰った孝一の叫びに、愛沙の肩がビクンと跳ねた。それから足を縺れさせながら彼女は舞台の奥へと走り去る。

「おいおいおいおい、なぁに逃がしちゃってくれてんだよ? 鬼ごっこは面倒だぜ?」

「面倒ならそのまま帰ってくれると助かるんだが?」

「そーもいかねえでしょーよ。てかさあ、力のない人間が俺様を止められると思ってんの? 言っとくけど野郎には手加減できんよ? ――どけ」

 ドスの利いた底冷えする声を出した直後、氷刃のように双眸を尖らせた青年の回し蹴りが孝一を捉えていた。ウェルシュのアミュレットを持たない孝一は当然のように吹っ飛び、壁に激突し、突き破り、屋敷の外へと放り出されて沈黙する。

「孝一……ッ!?」

 紘也は叫ぶも、孝一は外の暗闇の中。どういう状態なのかここからでは目視できない。

「くそっ!」

 紘也は痛む体に鞭打って契約幻獣たちの下へと這い寄る。そしてだらしない寝顔を見せる金髪少女と赤髪少女の頬を平手でしばいた。

「おいウロ! ウェルシュ! 起きろよ! こんな時に寝てんじゃねえよ!」

「むにゃむにゃ……男の子ならウロ也、女の子なら紘ボロス……でへへ」

「……マスター、キャベツ畑が見当たりません……すーすー」

 ダメだ、全く目覚める気配がない。寝たら起きないウロボロスはともかく、ウェルシュまで爆睡とは……。こんなことなら酒なんて飲ませなければよかった。

「あー、無駄無駄」と青年。「今この辺一帯にえーと、幻獣用のマタタビっつったらいいのか? とにかくそんな感じにドラゴン族でも泥酔させるガス撒いてっから。無色無臭で人間には効かねえやつ。当分起きねえよ」

 ケラケラと馬鹿にしたように笑う青年に言われ、紘也は思い出す。


 ――なんれすと? ウロボロスさんは酔ってまへんよ! あたしゃドラゴンでふよ? 人間の酒で酔い潰れるわけないじゃあないれふかむにゃむにゃ……――


 ウロが言った言葉だ。酔っ払いの常套句かと思っていた。こいつらが極端に酒に弱いのだと信じ切っていた。

 だが違う。ウロが言った通り、たかが人間の酒一本を三人で分けてここまで酔えるはずがない。しかも山田が握っている酒瓶にはまだ半分以上も中身が入っている。ほとんど飲んでないに等しい。

 そういうガスが使われていたのであれば、納得だ。

 だが疑問もある。

「じゃあなんであんたには効かないんだ? あんたも幻獣だろ? それともそのガスってのがあんたの特性か?」

「俺様はガスを浄化できんだよ。青いオーラ見えてんだろ? ガスは魔導具的なもんだから、俺様の意思で出したり消したりできるもんじゃねーの。そんなわけでまあ、そこで大人しく成り行きを見てな、大魔術師の息子さんよ」

 と、紘也を蔑むように見下していた青年の目に、どういうわけか悲哀の色が含まれた。

「紳士な俺様としては、お宅らを殺して愛沙ちゃんが悲しむのは見たくねえからよ」

 そう言い残し、青年はその場から消える。

 瞬間移動? いや、床に焦げ跡があることから高速で動いたのだ。

 数秒後、割と近くから愛沙の悲鳴が聞こえた。

 やばい。

 このままでは愛沙が攫われてしまう。

「ウロ! ウェルシュ! 起きろ!」

 紘也ではもうどうしようもない。幻獣たちに起きてもらわなければ愛沙は取り返せない。

「起きろ起きろ起きろぉおっ!!」

 ベシベシとさっきよりも力を込めて紘也は二人を叩き起こそうとする。だが深く酔い潰れているせいか、二人の瞼が持ち上がることはなかった。

 ――待て、ガスは魔導具だと言ってたよな。

 咄嗟に紘也は閃いた。たとえその情報が嘘で、ガスはあの青年の特性だったとしても同じことである。

 ――魔力干渉で、取り除けないか?

 かつて紘也は日下部夕亜の封印術式が自壊する時に緩衝剤として魔力を流したことがある。その時よりも遥かに荒療治になるだろうが、それで眠気も取れてくれれば一石二鳥だ。

 紘也は幸せそうにぐっすり眠っている二人の頭に両手を乗せる。

「ちょっと痛いが、いつものことだから我慢できるよな」

 無意味に掻き乱す時よりも神経を使うため二人同時はキツイが、一人ずつやっている時間的余裕はない。

「愛沙を助けたら、またなんでも言う事聞いてやるから……頼む」

 全ての希望を魔力に乗せて、紘也は二人に干渉する。

 そして――

 半島全体を揺るがすような絶叫が轟いた。

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