Section2-5 手掛かり

 紘也の祈りは最悪をさらに上回って叶わなかった。

「――ッ!?」

 市民公園に到着した紘也たちは目を疑った。ヤマタノオロチの呪により、紘也が生きている以上は山田の生存は約束されている。よって、最悪のパターンは山田とペリュトンが鉢合わせになってしまっていることだ。

 そう考えていたのだが、まさかそこに愛沙が加わっているなど、紘也はもちろんウロやウェルシュも想像すらしていなかっただろう。

 山田の姿はすぐに見つかった。まだ生きている。

 だが、虫の息だ。

 山田は三体のペリュトンに取り囲まれ、サッカーボールのように蹴り転がされていたのだ。マナの乖離こそ始まってはいないようだが、青色の和服は土に塗れてズタボロで、元気よくうねっていたエイトテールも力なく地面に垂れている。意識があるのかないのかは判然としないが、瀕死寸前だということは火を見るより明らかだった。

「チッ。あんな雑魚に弄ばれるなんてヤマタノオロチが落ちぶれたもんですよ」

「……このままではマスターの命が危険です。救助します」

 忌々しそうにシリアスな表情になったウロとウェルシュが飛び出す。三体のペリュトンもこちらに気づき、迎撃の態勢を取る。ひとまずこれで山田があれ以上のダメージを負うことはないだろう。

 しかし……なにかがおかしい。

 状況を確認した紘也は直感的に悟った。山田のやられ具合からして、紘也たちが駆けつける直前に戦闘が起こったとは考え難い。少なからず時間が経過していると思われる。

 なのに、地面にへたり込んで涙を流している愛沙はだった。

 ――山田が守った?

 違う。今の山田に三体のペリュトンから誰かを守れる力はない。

 ――ペリュトンは愛沙を襲おうとしないのか?

 ペリュトンを操っている何者かの目的が愛沙なのだとしたら、無傷で捕らえるように命じているのかもしれない。

 けれど、否だ。魔術師でも幻獣でもないただの一般人たる愛沙に狙われる理由なんてあるわけがない。

 となれば、逆を考える。


 ――ペリュトンは山田を、ヤマタノオロチを狙っている?


 可能性は高い。ペリュトンの突進をくらえば一撃で絶命しそうな山田が、未だ虫の息を残していることが証明だ。

 この危機的状況で冷静に分析している自分を自覚しつつ、紘也は愛沙の下へと走る。ペリュトンはこれまで通りあの二人に任せておけば瞬殺だから問題ない。

「愛沙、大丈夫か?」

「ひ、ヒロくん、ヤマちゃんが、ヤマちゃんが……」

 愛沙は恐らく目の前で山田が叩き潰されるのを見せられたのだろう。相当ショックを受けているようだ。山田の呼び方が芸人みたいになっているのはそのせいかもしれない。

「ヤマちゃんが死んじゃう……」

「俺が生きてるからまだ大丈夫だ。知ってるだろ、呪いのこと」

 紘也の体には今のところなにも影響はない。ヤマタノオロチの呪いが出任せ、もしくは失敗している可能性も否定できないが、愛沙を安心させるためには真実であってもらわないと困る。

「……うん」

 少し時間がかかったものの、愛沙は深く頷いた。どうやら落ち着いてくれたらしい。

「マスター、山田を回収しました」

 するとそこにウェルシュが山田を抱えて駆け寄ってきた。お姫様抱っこ状態の山田は力なくぐったりしているが、かろうじて意識は残っていた。

《まさか。己らに……救われようとは》

 小さな唇が微かに動き、搾り出すように言の葉を紡ぐ。

《……なんたる屈辱》

「意外に元気そうだな」

 それだけ喋れれば命に別状はないだろう。ウロボロスに喰われてなお生きている山田のしぶとさには紘也も脱帽せざるを得ない。

「愛沙がどうしてここにいるのかは後で聞くとして、山田を頼めるか?」

「う、うん、任せて。ヒロくんは?」

「ちょっと気になることがあるんだ。だから戦闘を見ておきたい」

 山田を愛沙に預け、紘也は戦場に顔を向ける。ウェルシュが山田を回収してきたため、必然的にウロが一人でペリュトン三体を相手取っていた。

 これまで倒してきたペリュトンは紘也が僅かに目を離した隙に滅殺されていた。が、あの三体はどうやら他より格上らしい。ウロボロスを相手にまだ一体も消滅していない。

 それどころか三体が巧みに連携してウロを取り囲んでいた。背後を取った一体が攻撃を加え、対応しようとすれば他の二体が動く。明らかに訓練されているその戦術は、あまり知能の高くないペリュトンにしては計略的過ぎる。

 紘也は魔力の知覚を最大限まで高めた。汲み取るはペリュトンの魔力、その中にある異質な力の混入と、流れ。

 これまでのペリュトンになかったそれが、あの三体には感じられた。

 ――契約幻獣!?

 間違いない。あの三体には魔力リンクがある。すなわち、ペリュトンを操っている何者かの存在が明らかになったということ。野良ペリュトンのリーダー格と契約し、群れごと支配下に置いたのだ。

「ウロ! そいつらはできれば生け捕りにしろ!」

 紘也はそう叫んだ。しかし、絶賛戦闘中のウロはよく聞こえなかったのか、「なんか言いました?」と三方からの突進を器用にかわしつつ片手を耳に持っていく。余裕そうだ。

「あー、はいはい。いつまでも遊んでないでサクッと殺れってことですね」

 違う。

「でも勘違いしないでよね。ウロボロスさんは別に遊んでるわけじゃあないんだよ。こいつら野良じゃないっぽいからなかなか隙を見せないだけなんだからね」

 意味不明なツンデレ台詞だったが、わかっているなら自分で悟ってもらいたい。そいつらは黒幕へ辿り着くための重要な手がかりだということを。

「まあ、それでも天下無敵のウロボロスさんの敵じゃあないですけどね!」

 ウロは背後から襲撃をかけてきたペリュトンをバック転の要領で派手にかわす。そして空中で逆さになったのと同時にそいつの角を両手で掴み――

「どっせいやぁああああっ!!」

 百点満点の気合いと共に巨体を担ぎ上げ、着地した瞬間に地面へと強かに叩きつけた。ペリュトンと人化したウロとの体重差は歴然だろうに、どんな物理法則が作用すればあんな投げ技を決められるのか紘也には謎である。

 反撃に出たウロを警戒してか、残りの二体は突撃を躊躇している様子だった。

「あんたらは三つの罪を犯しました」ウロは見せつけるように指を三本立てる。「普段は寛容で温厚なウロボロスさんですが、今回ばかりは刑を執行せざるを得ないでしょう」

「お前のどこに寛容さと温厚さがあるんだ?」

「はいそこ外野は黙ってて! せっかくこれからジャッジメント・タイムで盛り上げるとこなんですから!」

 ウロは軽く跳躍して起き上がりかけのペリュトンに飛び乗り、右腕をぐぐっと引き絞る。

「まずは愛沙ちゃんを泣かせた罪!」

 ズゴン!! 遥か上空から鉄球を落としたような鈍い音が炸裂した。大地が微かに揺れ、砂塵が高々と舞う。その中心には小さなクレーターができ上がっており、砂塵に混じったマナの光が幻想的な輝きを放って静かに消えていくのが見えた。

 なにをしたのか?

 一言で言えば、ただのパンチだ。ただのパンチで、ウロはペリュトンの頭部を殴り潰したのだ。愛沙を泣かせた罪はかなりの重罪らしい。紘也は別にやり過ぎとは思ってないが。

 ウロが次なる標的をロックオンする。

「次は山田をフルボッコにした罪!」

 足下を爆発させたような跳躍で瞬時に二体目との間合いを詰めるウロ。山田を傷つけたことも罪にカウントされているところに紘也は正直驚い――

「おーよしよし、いい子いい子、よしよしよしよしどーどーどー」

 ペットを愛でるようにウロはペリュトンの頭や喉を撫で回した。邪悪さなど微塵も感じない満面の笑みで。

 ペリュトンは自分がなにをされているのか理解できず呆然としていた。

 紘也も呆然としていた。なんだあのトンチンカンは?

「そして最後は危うく紘也くんを間接的に死なせかけた罪ですッ!」

 すぐさま三体目のペリュトンに肉迫したウロは肘鉄でそいつの喉を突いた。それがまたとんでもない威力だったらしくペリュトンの頭部が水風船のように爆散する。血や肉片が飛び散るグロい映像が視界に入ってくるかと思いきや、ペリュトンが即死したためかマナの輝きだけが虚しく霧散していた。

 二体のペリュトンをそれぞれ一撃で屠ったウロは――一仕事終えたサラリーマンみたいな顔で額の汗を拭ってふうと息をついていた。

 そんな彼女の様子を真っ白い視線で眺めていた紘也は静かに命令する。

「やれ、ウェルシュ」

「了解です、マスター」

 命令内容を即座に理解したウェルシュが一歩前に出る。真紅の炎がウェルシュの眼前に顕れ、瞬く間に中型の魔法陣を描いた。

「足を削ぎます」

 無感情に呟かれた言葉通り、紅の魔法陣から射出された〈拒絶の炎〉は地を這うように生き残ったペリュトンの足下を狙う。ペリュトンはすぐに気づき回避しようと翼を広げて離陸姿勢を取るが、遅い。

「グォオオオオオオオオオオオオオン!?」

 真紅の流炎に四足を焼き喰われたペリュトンが重力に従い地面に倒れ伏す。痛々しい悲鳴を上げているところにタイミングよくウロが跨り、心なしか凶悪な笑みを浮かべて背中の翼を毟り取った。逃げる術を完全に失ったペリュトンは転がることしかできない。我らながらかなり残酷なことをやっていると思う紘也である。

「愛沙、きついなら見ない方がいいぞ」

 ベンチで山田を介抱している愛沙を気遣って言葉をかけるが、彼女はゆっくりと首を振って苦笑気味に微笑んだ。

「わたしなら大丈夫だよぅ、ヒロくん。ちょっと可哀想かなって思うけど」

 愛沙は愛沙でなかなか気丈な一面もある。本当は幻獣を消滅させること自体あまりよく思ってはいないのだろうけれど、そうしなければいけないことをきちんと理解している。だから口出しはしない。

「紘也くん紘也くん、捕まえたのはいいですけどこいつどうしましょ?」

 ウロがペリュトンの角を掴んでずるずると引きずってきた。

「愛沙の前に持ってくるなよそんなグロいもん! てか、お前ちゃんとわかってて一匹残したのか?」

「え? あ、ああ、と、ととと当然ですよ! 契約者の居所を吐かせないといけませんからね! 人語喋りませんけど」

「こっち見て物言え」

 どうも山田に対する罪は素で誉めちぎっていたらしい。

「あと翼まで捥ぐ必要はなかったんじゃないか? 案内させにくくなるだろ?」

「いえいえ、こいつがその気になったらこのウロボロス印のエリクサーを飲ませればいいんです。さすれば足も翼もズバシュシュキーン! って瞬時に再生して万事解決」

 ウロはどこからともなく透明な液体の入った小瓶を取り出した。ウロボロスが所有する無限空間とやらである。

「それって在庫切れじゃなかったのか?」

「紘也くんってばいつの話をしてるんですか? こんなこともあろうかと八櫛谷から戻った後に作り置きしていたのです」

 えっへんと大きくも小さくもない胸を張るウロ。エリクサーとは不老不死の万能薬として錬金術師たちが追い求める夢の一つだ。それを不老不死にはならないものの、このウロボロスはあっさり自家製しているのだから夢半ばで散っていく彼らの浮かばれなさは半端ない。

「じゃあまずは山田に使ってやれ」

「えー。二個しかないんですよ?」

 露骨に嫌な顔をするウロの目に指を捻じ込んでやろうかと思ったが自重する。

「予備が一個あるなら充分だろ。俺の命だと思って」

 事実そうだと言っていい。

「んもう、わかりましたよ。山田に死なれるのはあたしも困りますしね。貸し一ってことにしときます」

 渋々といった様子でウロはエリクサーの入った小瓶を愛沙に手渡した。愛沙は自分では指一本動かせない状態の山田に少しずつエリクサーを飲ませていく。《愛沙。口移しで頼む》と山田はウロみたいなことをぬかしたのでデコピンしておいた。割と強めに。

「あ、そうだ。契約してるペリュトンを捕獲したって葛木に伝えないと」

 紘也たちがコレを持っていても仕方ない。葛木家に引き渡すのが最善のはずだ。

 そう考えて紘也が携帯電話を取り出した直後だった。

 プツン。

 例えるなら、そんな擬音。


 捕獲したペリュトンから、魔力のリンクが消滅した。


「「「え?」」」

 と紘也たちが呆けるのも束の間、魔力の供給源を断たれたペリュトンの端々からマナの乖離が始まる。魔力供給がなければ消滅するほどペリュトンは重傷だったということだ。

「ウロ! 早くエリクサーを!」

 咄嗟に紘也は叫ぶ。ウロは頷くこともなく了解する。

 だが、ウロが再び無限空間を開くよりも早く、ペリュトンの全身は光の粒子と化して霧散してしまった。

 ペリュトンが消え、空虚となった空間に砂を含んだ生温い風が吹く。

「……ふざけんなよ」

 目の前で手掛かりを失った悔しさもあった。しかしそれと同じくらい、己の契約幻獣を簡単に切り捨てた魔術師に対する怒りを紘也は覚えていた。九割方殺したのは自分たちだけれど。

 不思議な感情だった。幻獣を魔導具のように扱う魔術師は少なからずいる。そのことは普通に知っているし、そう扱う理由は様々だがある程度なら紘也も理解できる。

 なのに、イラッときた。ウロたちに目潰しやゲンコツを下す紘也が言えた義理ではないかもしれない。でも、紘也が彼女たちを見捨てることは絶対にありえない(山田は怪しいが、それも時間の問題だと少しずつ思ってきている)。

 どこのどいつがどんな目的で山田を狙ったのかは知らないが、また襲ってくるのだったらふん捕まえて一発殴ってやる。

 紘也はそう心に決めて、右拳を静かに強く握り締めた。

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